北園
金沢 一志「カバンのなかの月夜—北園克衛の造型詩 」国書刊行会

恐ろしく昔のハナシになりますが、小学校の3年だか4年だかになると、通っていた秋田の某市立小学校では、学級委員のバリエーションとして図書や保健などの委員会活動に参加する決まりでした~。以来、高校を卒業するまで、私はワンパターンの図書委員。昼休みや放課後は、小学校も中学校も高校も、図書館のカウンターに座って、貸し出し当番なんかをしとりました。

お当番、最大の仕事(?)は、裏の見返しにはってある紙に、返却日のはんこをぺったん、ぺったん押すこと。かんたんすぎる…(^_^;)。学校の図書館は今、どうやって貸し出しをしているんでしょうね。近所の公立図書館は電子化されているので、スタンプもスタンプ台も見当たりませんよ。

はんこ業務と同じくらい大事だったのは、本棚の整理。これがけっこう好きでして、床に座り込んでタイトル、著者名、背のラベルの番号などをチェックし
「なんでこの本がここに入ってるよ」などと、ぶつぶつ独り言をいいながら黙々と整理してました。

人気のない本は古くても角がしっかりしてて、静かに年を食ってる感じといいますか、妙に手に取りたくなる雰囲気を発しているですね。ページを開くと埃の匂いがして、アレルギーの私は鼻がむずむずしましたが、それでも、「これはどういう本なのかな~」といろんな本を覗き見するのが気に入ってました。

古賀2
<海>古賀春江 1929年 東京国立近代美術館蔵

このところ書いていた西脇順三郎は、西日が差し込む高校の図書館の開架書庫の整理をしながら、ふと手に取った筑摩の文学全集(薄茶色のクロス張りだったような)に、「ambarvalia(アムバルワリア)」が収められていて、それを読んだのが最初だったと思います。いっしょに収録されていた北園克衛の「円錐詩集」にも
「おお~、すごい。これなら読んでも恥ずかしくない」と感激した記憶が。正直いって教科書に載ってるような<詩>は、ウェットすぎてむずむずするような居心地の悪さを感じてたんです。

そういう気持ちにならない作品がちゃんとあるだけでなく、文学全集に収録されるという形で評価を得ていることを知り、安堵。
「メジャーものにぴんとくることはさほど多くない」とか、
「探せば好みのものが必ずある」とか、
自分の好みの傾向と対策を、当時、なんとなくつかんだような気がします。

教科書におもしろさや共感を求める気持ちは、歳ふるごとに限りなくゼロに近づいてましたが、「まったく変なものを教材にするもんだ。この編者のセンスは何ですかい」としばしばギモンに感じてましたね。つまんないんだもん。それをネタにしたテストをうけなきゃいけないことにも、かなりげんなり(根に持ってる・笑)。なので順三郎が教科書に掲載されてるという話を聞いて、「いいな~」と反応しちゃったわけなんです。「???」と思う人も多いだろうにね。勝手だぞ<ジブン。

西脇順三郎と北園克衛はオッケーな詩人と分類したものの、このおふたりの本は長らく、手に入れやすいものがなかったんです。なので講談社文芸文庫から「アムバルワリア—旅人かへらず 」が発行された時は、やった~という気分でした。あまりにうれしかったので、各種のアンケートにほとんど答えたことのない私が、「ずっとこの本を待っていたので本当にうれしい。北園克衛の円錐詩集もお願いします」と講談社の編集部に愛読者カードを出したほど。

後に担当の編集さんから「ご愛読ありがとうございます」と力強くも美しい万年筆の文字のお返事をいただいた時は、出版界って悪くないところだな~じんわりいい気持ちになりました。でも、北園さんの文庫本を出す出版社は、いまだ現れず。

さっき、<北園克衛>でアマゾンを検索したら、写真で構成したおもしろそうな詩集(?)、金沢 一志「カバンのなかの月夜—北園克衛の造型詩 」国書刊行会 を発見しました。こんな本が出ていたとは。機は熟したとみた(独断できっぱり)。講談社さん、文芸文庫で北園克衛はどうでしょうか~。