永野彩香
今回、外務省経済協力局国別開発協力二課の上田奈生子様にお話していただいて、日本のODAの目的の一つ、「外交」面についての理解が深まったように思う。日本のODAの目的として、「発展」と「外交」があるが、私たちはよく発展の面だけをみてしまい、国益を求めてしまうのは間違っているのではないかと思いがちである。しかし、日本のODAの目的にはもともと外交の面が含まれているのだ。上田様のお話で、西欧が援助疲れといわれていた間も通して、今まで日本がしてきたODA援助が確実に供与国の日本に対する信頼を得ているという話には感動し、これからのODAに対する国民の意識を上げるための話になると思った。途上国や、余裕のない他国に代わって日本が「誰かがやらなくてはいけないこと」をすることによって、日本になら任せてもいいという信頼をかち得て、また、日本の外交政策を有利にすすめられているという。中国を始め東アジアなどの海外から日本は資源のほとんどを輸入してなりたっているといわれているから、今後日本が成り立っていくために途上国との関係は重要である。
特に重要とされているのは中国との関係である。中国は今急速な発展の真只中で、対中ODAをやめるべきだという声もある。しかし、中国が発展しているといっても沿岸部だけで内陸部は貧困層が多いといわれ、中国政府は沿岸部の開発だけで手一杯で内陸部の貧困対策にまで手が届かないという。また、私が読んだ渡辺利夫・三浦有史の『ODA(政府開発援助)』という本にもあるように、大国である中国に対する日本の関係が今後のアジアの安定につながるといわれ、日本はアジアのリーダーとしてリーダーシップを発揮することを期待されている。私は今後日本がアジアのリーダーシップをとっていくのに、技術協力をもっと進めていくべきだと思う。日本の技術は世界に誇れるものがあるし、環境を考えた発展というものもすすめいくべきであると思う。
私は今までただ単に開発援助、ボランティアに関わっていきたいと思っていたが、上田様のおっしゃった「開発にとっての自分」を考えていきたいと思う。そして私にできることはなんなのか、それを問いて実際に行動したい。
最後になりましたが、今回ご多忙な中、多摩にまで来て下さって、貴重なお話をしていただいた上田様に感謝します。ありがとうございました及川一樹
05W1403014F 及川一樹
上田様の話を拝聴したにあたり、自分にとって政府開発援助のことだけではなく、これから自分が学習していく上で念頭に置いておくべきことがいくつも明らかになった。まず、自分の政府開発援助に対する視点がsensationalであったこと。事前リサーチを進めていく上で私は政府開発援助の失敗例や悪い点ばかりに目がいっており、政府開発援助を考えるための前提がまずズレていたのではないか。上田様が言ったように、「100ある事例から1つの失敗を叩くのではなく、100の中にある成功をどう広めていくかが大事」だと実感した。確かに、失敗を批判することは簡単だが、政府開発援助を成功か失敗かを判断すること自体が難しいし、メディアや本の情報をそのまま受け止め、自分がそれらの代弁者であるかのようになっていた。何故視点がsensationalではいけないのか。個人の思想や主張はとても大事であるが、物事を理解するためには全体を客観的に見る必要がある。自分なりにリサーチを進めた上で、自分の意見や主張を構築していくはずなのに、構築ではなく受け売りになってしまってはいけないからだ。
次に印象に残った事は中国に対する援助である。上田様に対中国ODAの賛否を問われ、私はその時反対の立場を取った。しかし、ODA大綱にもあるように、日本の政府開発援助の目的が「国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資することである。」のなら、中国に対しての援助を続けるべきだと思った。私は自国内で解決するべきという主張に加え、援助と賠償の意味が混合されているという理由から反対の立場を取ったが、時代を先駆けて先進国の仲間入りした日本が貢献できることは多々あるし、自国内では解決できないことだから援助をする意味があるという理由に納得した。今後の対中関係のみならず、アフリカ諸国やスリランカに援助を続けていくことは、日本が地震などで窮地に陥った場合の相互依存的な関係に加え、国際社会の中でリーダーシップを取ると同時に責任を果たすことにつながると考えた。
最後に、懇親会で私が上田様に質問したことについて書こうと思う。開発と援助によって様々な問題が解決されるかもしれないが、物質的豊かさが精神的豊かさにつながるのか、苦しくても幸せな場合があるのではないか、という質問をした。上田様によると、それについては考える次元が違うとの返答を頂いた。その答えの意味は正直自分の中で理解できずに終わってしまったが、開発による変化に対応するのは現地人であって、私たちがそれをケアするのは少し違うという考えと受け止めた。(もちろん、現地の人々の生活を考えないという意味ではない。)上田様がどのような意図で上記の返答をしたのかこれから自分自身で突き詰めていこうと思う。
野澤大樹
05W2112016C 野澤大樹
今回上田様のご講演を聴いて学んだこと、気づいたことは、自分はこれまで様々な物事を狭い視野でしか捉えていなかったということである。いつからかODAに対しても、ちゃんとした援助ができていない、効率性で金額の面をカバーしている、という風な凝り固まった考え方しかできなくなっていた。これは物事を一方向からしか見ていなかったからである。
上田様がおっしゃったように、ODAも様々な面で援助に成功している。それにもかかわらず自分はメディアや噂によるごく一部の失敗例にだけ食らい付いて批判することしかしようとしていなかった。今考えてみると不思議なように思えてくる。
なぜ人は政府を批判しようとするのだろうか。それだけ自分の国の行っていることに関心を持っているからかもしれない。それならばもっとよい面を称賛してもいいはずである。新聞記事を鵜呑みにしてはならないということを改めて考えた。
ODAの活動を理解してもらおうという努力の姿勢にも感心できるようになった。それまでODA民間モニターを行っていることは知っていたし、その人たちの反応についてはホームページでも見ることができるが、やはり実務者の生の声を通して聴くことでいっそう理解が深まった。国民の理解を得ることがODAの活動には必要なのである。
今までODAは強い勢力でどんどんお金だけつぎ込んで開発を進めていくというイメージがあったが、NGOと協力する場合など企画の段階で必ず話し合いをすると上田様はおっしゃっていた。地道な対話が難しいともおっしゃっており、ODAの姿勢について自分の考えを改めることができた。
また、印象に残ったお話は、日本は世界に必要とされているということである。世界中の国々、特にアフリカの貧困地域では戦後短期間で目覚しい発展を遂げた日本に対する憧れがあるとおっしゃっていた。それらの国では日本に強い信頼を持っていて、日本に頼めば大丈夫という考えを持っている。その期待に応えるためにも日本国民のODAに対する信頼が必要なのである。
最後に、開発について自分の立場で何ができるのか、今与えられた持ち場で何ができるのか、という上田様の言葉が非常に印象深く残っている。学生という自分の立場でできることは限られているかもしれないが、ないわけではないと思う。この上田様がおっしゃった言葉を胸にとどめながら、こらから開発というものを考えていきたい。
ただ、上田様のおっしゃったことがすべてではなく、ODAの活動がすべて正しいわけではないだろう。ODAに対する批判的な視点も忘れてはならない。
飯島輝美
05W2111001G 飯島輝美
私にとって、実際に現場で働いている方の講演を聞くのは今回が初めてだったかもしれない。この授業は私にとって、とても心の中に残るものだった。
講演の一週間前からODAのことを詳しく調べ始めたが、それまで私はODA、政府開発援助という言葉だけを知っているだけで、ODAとは何なのか、どのような活動が行われているのかをまったく知らなかった。普段の生活の中でODAが身近な存在ではないことを感じた。そのような状態の中でリサーチを開始していくうちに、いかに国際社会においてODAが重要なのか、その重要さに気づかされていった。しかしレポートとなると、ODAの悪い部分ばかりをみてしまい、良い場面をあまり見ることができずに偏った考え方をしてしまっていたと思う。そして、講演会で上田様の講演を聞き、自分の考え方がいかに甘いかを知らされた。インターネットや参考文献で手に入れた情報や筆者の意見を鵜呑みにして自分の知識や考えのようにしている部分があったが、私たちは自分らの意見を上田様にぶつけることにより、自分らの考え方が事前のリサーチから得た一方的な決めつけによるもので、違う考え方、別の視点から見て得られる新しい情報もあることがわかった。上田様のお話というのは、実際に現場を訪れ、人々と直接にコミュニケーションをした多くの経験から成り立つものであり、これ以上のODAに関しての知識を得ることは出来ない。そのような方のお話を実際に直接聞けたことは、自分の中にある固い考えを壊してくれ、考えの幅が広がったような気がして、今後の自分のためにもとてもよかった気がする。また、上田様の「Developmentとは、今の自分の立場で何が出来るのか、それを考え実行していくこと。小さな動きでも、それがDevelopment。」ということに、すごい心を打たれた。今の私には、このDevelopmentライブの授業を受けることにより、毎回出される機関についてさまざまなトピックにおいて自分で徹底的にリサーチをし、授業内で自分と皆の意見・考えでdiscussionをし、もう一度それぞれが自分の考え方についてじっくり考えを改めなおすことしかできない。しかし、このようなことをすることにより自分の世界観が広まり、今後の自分が何か出来ることを見つけ、それについて実行できる力をつけられるようになれればよいと思った。
今回のODAの授業は、今後Developmentライブ!ももちろんそうだが他の授業へ参加する事に対しての更なる決意を固めることが出来た。次回からのDevelopmentライブ!では今回の反省点のもと、少しずつ成長できていければいいと思う。
西川英一
05W2115020G 西川英一 上田様の講演は、ODAに対し抱いていた私の強い偏見を考え直させるものとなった。ここ数年の日本政府による対米協調路線や、省庁から企業への天下りなどのニュースは政府、役人に対する強い不信感を私に抱かせていたし、それを報道するメディアを正しいものとして見せていた。それは外務省に対ししても同じであったし、その外務省が行うODAに対しても同じように私は批判的であった。しかし今回のお話はそんな偏見を和らげ、ODAに対する違った見方を私に提供したのだった。
私は事前に行った自分のリサーチの中で、ODA大綱見直しにより新たに前面に押し出された「国益の重視」という点を取り上げ、その改定は米国との関係を友好的に保つ目的の外交をより円滑に行うためのものであり、戦争を起こした米国を支持するものであるという批判的なことを書いた。またよくメディアに批判されたタイド援助と「国益」を結び付けて考え、国内企業の保護こそ「国益」と外務省は考えているのではないかと思っていた。しかし上田様が話した言葉の中にはそのようなことは一切存在せず、ODAにより日本が得られる「国益」とは、国際社会の中で求められる責任を果たしたときに得られる信頼であるということを強くおっしゃられていた。そして事実、アフリカ諸国からは信頼を得ているのだということをお聞きした。そこには大きな食い違いが存在していた。
また上田様はODAに100個の活動があり、99個がうまくいったとしても、1個でもうまくいかなければそれだけをメディアは取り上げ、ODA批判として報道し、外務省とあるNGOが対話の末理解しあうことができたというような良いニュースは表にでないとおっしゃっていた。そのため国民の支持を得ようと、今現在ODAの良い所を伝える努力を一生懸命していらっしゃるようだ。
これら2つのことを、メディアを通して聞いたのならば、外務省のイメージアップ戦略の一環として批判的に捉えられ、きっと私の考えを変えることはできなかっただろう。ただしかし、今回は実務者である上田様のお言葉として直接聞くことができたということと、そのお話の中から感じられる上田様の誠実さや、開発に対する熱い想いから妙に納得させられるものとして聞こえてしまったのだ。私たちの意見に対してもメモをとり一つずつ丁寧にお答えくださる姿勢や、報道されないことに対しての実務者の苦悩などが、生々しく伝わってきて、今まで見えない相手に対する批判だったのが、同じ人間が組織する集団に対する批判に変わり、そこに生まれる共感が一方的な偏見を崩したのだと思う。もちろん外務省の職員としてご来校いただいた上田様が、外務省が不利になるようなことを言うとは思えないので、私は外務省ひいきになったわけでなく、それまで批判的であったものが中和されたに過ぎない。それでもこれからは、より偏見の少ない目で、真のODAの姿を見つけ出すことができるのではないかと考えている。
河合 暁
今回の講義は自分たちが発表班だったということもあって、自分の感覚としては、かなり大量のODAに関する記事を読んできた上で向かえたものであった。リサーチのうえで大量の記事を読んできて、そのなかで肯定している記事は印象に残らず、目を引く記事はsensationalなものであった。その為、それらによって形づくられた僕の考え方はsensationalなものであった。このことはプレゼンをモモに見て頂く過程で指摘されていたものの、自分の中ではそれを指摘としか見ることができず、ピンときていない部分があった。しかし、実際に生のODAに触れたことがある上田様の意見に触れることで、自分の考え方がsensationalだということを、身をもって理解することができた。なぜ上田様の講義を聞いたことで自分の中のsensationalなものに対する意識が変わったのだろうか。それは、講義という話す側と聞く側という一方通行のものであっても、自分の中で上田様とできるだけ対話をしようという姿勢を持てたからだと思う。もちろん自分の意識が変わっただけではなく、上田様が学生ひとりひとりの目を見て丁寧に話して下さったことが前提tpなっている。講義という形をとっている以上、対話に近いものを行おうとしても難しいと思う。しかし、今回の講義を通してみて、相手が話し、自分は聞くという立場であっても、自分の中に意見をもっていれば聞くことでも相手との対話ができることが分かった。
上田様のお話から感じたことは色々とある。まず、たとえ全体としては失敗であって、その中で成功がほんの小さなものであっても、その小さな成功に目を向けるという考え方は非常に大事だと思った。今の時代何かを批判をするというのは非常に簡単なことであると思う。そして、そのような風潮の中で逆に肯定されているものを肯定することが難しくなっている。僕たちのプレゼンテーションもそうだった。問題設定に行き着く時点でsensationalな意見に触れすぎていて、肯定されている事実を、自分の勝手な考え方で曲げてしまった。
次に僕は日本の良い点を見落としすぎていたように思える。講義を終えてからよくよく考えてみれば、僕は日本のODA対GNI比が低いことにばかり目がいっていて、日本が額では2位という事実にはほとんど目を向けられていなかった。また、日本は米国のもとで動いているイメージばかりがあって、アジアやアフリカなどで責任感のもとリーダーシップをとって行動し、各国から信頼を得ていることなども知らなかった。
上田様のお話から色々な事を感じたけれど、講演の後に心の中がもの凄くすっきりしたことが印象に残っている。具体的に言葉で理由を示すことはできないけれど、そこが逆に上田様の凄いところだと思う。
この講義を通して教訓として得られた大きなことが2つあると思う。まず対話の重要性。そして今の自分に何ができるのかを考えること。
先ほど述べたように対話は直接、人と人が面と向かって話す会話が一番大事なのだけれども、限られた状況(講演会のような状況)でも、できるだけ対話に近いものを自分で求めることも大事だと思う。
そして、今の自分に何ができるかを考えること。これは理屈じゃないと思う。上田様のように色々なことを経験している人がおっしゃっているのだし、それだけで根拠は十分であると思う。この言葉の意味について考え込むより、実際に行動してみて、後々「これでよかったんだ」そう思うことしか根拠は無いのかもしれないけれど、それはそれで十分だと思う。
佐野 佑希子
私は今回、ゲストスピーカーとしてお越しくださった、上田奈生子様から多くのものを学びました。その中でも二つの大きな発見として、物事をクリティカルに捉えること、そして広い視野を持つということです。この二つのことは、授業内でも教えられていたことですが、今回実務者の方からお話をいただき、自分から学ぶことができしっかりと自分の中に留めることができました。
私たちは毎日、情報のあふれている中にいて、多くのメディア(テレビ、新聞、雑誌、インターネット)に囲まれて生活しています。そんなメディアが多く存在する社会の中で私は、一つの物事について似たような情報が多ければ多いほど、その情報の真実味が増してしまい、その似たような情報のみで一つの物事を解釈していました。例えば、新聞で政府に対して批判が多ければ多いほど、政府は悪いものだと思い込んでしまい、政府の直接の声に耳を傾けられないようになっていました。先にODAのリサーチをしたときも、中国に対するODAに批判する情報がたくさん入ってきて、その批判に流されてしまった自分がいました。実際に自分が見た事ではないのに信じてしまっていて、情報を鵜呑みしすぎていたのだと思います。物事をクリティカルに捉えなければ真実を見ることはできないのに、それが全くできていないことが、今回の授業で理解させられました。一つの意見にばかり集中しすぎていては、周りが見えなくなってしまいます。このことがまた、広い視野を持つという意識にもつながると思います。今回の上田様のお話に「日本はアジアのリーダーだから、アジアを動かしていく責任がある」というものがありました。私は今まで、アメリカやヨーロッパから見た日本にばかり固執していて、アジアの中の日本を深く意識したことはありませんでした。この上田様の言葉を聞いて、確かにアジアの中での日本はリーダー的存在であったと再確認し、「リーダーとしての責任」を理解することができました。今回の上田様のお話を聞き、自分が今どれだけ一つの意見に固執していて、狭い視野の中で生きているのだろうかと考えさせられました。今回の上田様のお話も一つの意見として捉え、自分の中で整理したいと思います。今回上田様のお話してくださったことは、上田様が外務省で体験したほんの一部でしかないし、自分が実際に見て経験して得た情報ではないです。外務省の中でも上田様の意見とは異なる意見をお持ちの方がたくさんいらっしゃると思います。なので、上田様の意見をたくさんある中の一つとして考え、一つの意見だけに固執しない、自分なりの意見を持てるようにこれからも勉強に励みたいと思いました。そして、最後に上田様がおっしゃっていた、「自分にできるdevelopment」を広い視野を持って発掘していきたいです。そのためにまず、developmentについての知識を深め、自分自身で経験して情報を得られるようになりたいと思います。最後にこのような出会いの機会を与えてくれたモモと、忙しい中多摩という僻地まで足を運んでくださった上田様に感謝の意を表します。ありがとうございました。稲葉想
想です。W5211013E
今回のプレゼンは、リサーチを重ねた中で出てきた疑問を、形にしてぶつけようとしてできたものなのだが、どうも僕らの中には、「政府」=「国民に何かを隠している」といった先入観があり、その疑問は先入観が前提となって成り立ったものであったということを、上田様の話を聞いて、やっと分かった。表現は変だが、“モヤモヤがとれた”という感じを受けた。
その疑問が解消されたのは、上田様の話から、政府というもののあり方に少しの理解を得られたからかもしれない。それまでの僕は、政府というものを何か遠い存在のように感じていて、理解しようともしていなかった。今回のように、政府のしていることに関してリサーチをする機会があったならあったで、疑いを持った目でしか見ようとしない。要するに、政府を怖がっていたのだ。政府のあり方が分からないから、得体の知れないもののように捉えているから、怖かった。
しかし、その得体の知れないはずの政府からこの中央大学に来ていただいた上田様は、非常に共感できる話をしてくださった。共感できるわけがない方から、共感できる話をいただけたのだ。少しの驚きと、大きな感動に襲われたみたいだった。陳腐な表現だと指摘されることは予想しているけれど、この表現を変えたくはない。本当に驚いたし、本当に感動を受けたから。政府というものも、学校のように、会社のように、人と人との集まりなのだということが理解できた。当たり前のことかもしれないけれど、政府でも日常のように挨拶があって、話し合いがあって、会合があって、発表会があって、人と人とが接し合っている。それは外国の政府にも言えて、また、日本の政府と外国の政府との関係にも同じく言えることなのだ。
僕たちのプレゼンテーションは、日本政府のODA額の増加と、効率性の向上の方針を、まるでincompatibleなもののように扱っていて、その前提の薄っぺらさを上田様に見抜かれてしまったわけだが、僕たちがその二つを相反するものと感じたのも、“モヤモヤがとれた”のも、つまりは、その「政府も人と人との集まりなのである」という事実が起因していると分かった。政府の掲げることには、どこか曖昧な表現が多くて、何をしているのか、何をしたいのかが見えてこない。ODA額の増加はどうするのか。効率性の向上は何のためなのか。責任とは何なのか。政府開発援助は援助といえるのか。そのような“モヤモヤ”が、政府を怖く感じさせていた。しかし、それらはすべて、人間同士の関係である外交関係で生まれるものであって、人間同士だからこそ生まれる信頼、嫌悪、尊敬など、一言では言い表せないような、そしてだからこそ曖昧に思える「人間性」が露呈されているのであり、その上に政府が成り立っているということを、上田様にやっと諭していただけた。
このように、上田様の話で、頭の中で引っかかっていた部分が急にとれ、理解を得られたからこそ、上田様の前で、このことが分かっていなく漠然と政府というものを捉えたままプレゼンテーションを行ってしまったのが、今思えばすごく恥ずかしい。悔しく思う。この反省を次の班に活かしてもらえるよう、キャパビルしていくことが、今僕たちODA班の、そして班をまとめきれないで前倒しな姿勢をとれずモモに迷惑をかけさせてしまった僕のしていくべきことだと思う。
鈴木彩
私はこの授業を履修するまで、政府開発援助について何も知らなかった。「ODA」という言葉を耳にしたことはあっても、「政府開発援助」を意味しているとは知らなかった。今回、そんな私がODAについて調べて印象に思ったことは「ODAは結局日本のためである」ということであった。
ODAは諸外国との国際関係において日本の立場を良いものにするために行うものである。確かにODAは発展途上国に対して無償援助も行っているが、援助の大半は有償援助や技術協力の形をとっている。日本の企業を現地に送って開発の援助をしているのは事実であるから周りの諸外国から「理念や哲学がない」、「日本はエコノミック・アニマルだ」などと批判されるのも仕方がないと思っていた。
だが、上田様の講演を聴いてODAに対し批判的だった私の考えは変わった。私には、外務省というとデスクワークをするだけで実際に現場を見ていないという勝手な先入観があったのだが、実際はそうではなかった。アフリカの人々からは感謝され、彼らに頼りにされているという話をきき、うれしく思った。そして、日本には責任や期待、信頼があるということを実感した。
講演が終わり、私が一番感じたことは上田様のおっしゃる「センセーショナルなメディアの意見」に自分も大きく影響されているということであった。ODAについて調べる際に得た批判的な情報に流されていたのである。それと同時に「知ってもらうことの難しさ」も実感した。懇親会で上田様が「どうしたら国民に知ってもらえるか」とおっしゃっていたのが印象的だった。私のように、外務省に対し「お堅いエリート集団」といったような偏った先入観を抱いている人は少なくないはずである。実際、「ODA批判」も多いようだ。外務省もホームページやグローバルフェスタなどのイベント、配布するメモ帳などでODAやMDGsについての説明をしているがまったく興味のない人や、頭ごなしに否定している人の考えを変えるのはとても難しい。やはり、テレビや雑誌などのメディアの影響力は強いのだ。だが、懇親会で上田様がおっしゃっていたように外務省の関係者がテレビを通して熱弁を振るっても、それを真剣に聞く人はどれだけいるのだろうか。直接話すというのが一番の解決方法であるかもしれないが、そのような機会はほとんどないに等しい。事実を伝えるため、教育機関での開発教育などの必要性を強く感じた。
実際に現場で動いている方のお話を聞くことができ、外務省やODAに対する考え方を改めることができたことはとてもよい経験となった。「開発」とは一言では言い表すことのできない、難しい問題である。外務省に勤めている上田様の「開発にとって私は何か。私には何ができるのか。」という言葉が心に残った。では、開発について学んでいる私には何ができるのか。それを常に問い続けながらさらに開発について学んでいきたいと思った。
高塩愛子
05w2111020B 高塩愛子
今回、外務省という自分にとっては遠い存在のように感じていた場で働く方のお話を聞けて大変貴重な経験ができました。上田様のお話から、現在日本のODAは「額」と「質」との間で挟まれ一つの転換期を迎えているのだと感じました。
まず私が上田様のお話の中で強く印象に残ったことは、「国際社会における日本の立場が大切である。」ということです。日本も不況でありGNP費を0.7%にまで持っていくのは難しい。しかし国際社会の中での日本の立場も大切である。だから質向上が必要だということでしたが、私は「援助」と「国際社会での立場」というものがなぜ同じところで話されているのかと疑問に思ってしまいました。私が調べてきた中で、「日本のODAは輸出促進を目的としているのではないか。」という批判に対して、円借款が行われるまでのプロセスをもとに日本のODAは輸出促進を目的としたものではないという意見がありました。仮にもし日本のODAが輸出促進を目的としていたら、それは自国の利益目的のためであり、援助という名前を利用しているだけで真の助けにはなっていないのではないかと思います。しかし、今回上田様のお話の中で日本の立場が大切だということを聞き、この輸出促進に対する批判と同じような気持ちを抱いてしまいました。確かに、お話の中にあった「戦後の日本の発展というのは途上国の憧れであり、期待されているからこそ日本に返ってくるものも多い。交渉の場などでは信頼が助けとなる場合もある。」という意見には納得ができます。しかし、交渉のための信頼が目的ならば、それは日本の利益を目的としているのではないかと感じ、果たして援助とは何なのかとわからなくなってしまいました。援助とは何なのでしょうか。自国の利益も目的に入っているとしたら、それは国際社会における「戦略」になるのではないでしょうか。私は今まで援助というものは自分の利益は考えずに、相手にとってプラスの影響を与えることを目的としているものだと考えていました。
しかし、上田様のお話に、中国と日本の関係を例にしたお話がありました。
「中国の人はまだ日本に対して良い印象を持っていない人が多く、草の根レベルの活動をしても数字に表れるほどの成果が見られにくい。そのような時、ODAの資金援助が中国と日本との関係に良い影響を与えてくれる。単なる援助だけでなく、それによって関係を作る事も必要なのだ。外交の側面と開発の側面を持つものが援助であり、買収政策ではない。」
ということでした。このお話を聞き、問題としている援助が国際社会においてのことである以上、国際社会での立場というものも重要であり、「善意」だけでできることではない、良い関係を築いてこそよりよい援助政策が立てられるのだろうと気づくことができました。
また、今回の授業を受けたことが私個人にとって大きな一歩となりました。上田様が最後におっしゃった、「自分にとっての開発ではなく、開発にとっての自分ということを考えています。」というお言葉がとても心に入ってきました。懇親会でも私の思いを伝える場を与えていただき、自分にとって大切な時間となりました。