町づくり
土曜日曜と仕事になることが多く、子供たちと過ごす休日は祭日に
集約されることになる。ちょっと考えねば・・・・で文化の日。前日から
「何かあるはず」と期待している息子二人を裏切るわけにはいかない。
よーし5時起きだー!お前たちも覚悟しておけー!むにゃむにゃ・・・・
5時半起床、6時半出発。快晴の横浜横須賀道路を南の終点までGO!
観音崎の手前の埠頭で釣り糸を垂らすと、40羽以上もの渡り鳥と遭遇。
「ぐう」と鳴ったお腹をさすりながら潮の風を全身に浴びた。
今日はタナゴが14匹も釣れた。大満足の子供たちは今度は対岸の砂
場に興味をしめすと、「そろそろやめにしよっか」と釣具を片付け、「早く行
こう」と肘をつかんできた。そして砂浜との格闘開始!ボーイスカウトの集
団が、素晴らしい団結により築いた山や用水路の海岸都市の廃墟を再開
発。僕ら三人は1時間を要したその集中力により、およそ40平方メートル
の町づくりに成功した。誇りに満ちた表情でほうばる磯辺焼きの味は格別
で、徐々に満ちてくる波が町並みを丸く削る様子も、「無常は世の常」とばか
り達観して眺めた。
そして何より驚いたことがあった。すこし寒さが増した秋の夜に布団に入る
と、いつも以上に手足の指先がポカポカ温かい。「あれっ」じんじん温かいぞ。
「そうか」あれだ。かなり必死に手足を使ったんだった。砂の町づくり。
手と足の指をいっぱいに広げて行うアドムカシュワナーサナ(ダウンドッグ
=ヨガのポーズ)。一呼吸ごとに血液の流れるのを感じ、体の隅々までエネ
ルギー(プラーナ)が充電されていく。幾度となく掻き出しては盛り上げてい
く砂のアートワークは、そんなヨガのプラクティスの恩恵にも似た心地よい
感覚を呼び覚ましてくれたのだった・・・・!
墓参り
午後5時をまわり辺りは夕暮れ。もう太陽の端っこも既に沈んで、
僅かなオレンジを滲ませている。スイミングクラブからタスクが出て
きた。
「帰りも歩くか?」 「いいよ!」
片道30分歩いてきた道を、1時間泳いだ後に帰りも歩くとは、7歳
男子の体力もまんざら侮れないものだ。今日は台風前の寒さと違
い、幾分過ごしやすい気温。2人は鼻歌まじりに歩き始めた。
「市民の森って近い?市民の森通って帰りたいなー」
「結構暗いぞ。大丈夫か」 2年前くらいまでは映画館の暗さが恐く
て、途中で抜け出てきたりしたのに。
「平気だよ」 まあそう言ってくれないと困るのだが・・・。
「よし、じゃールート変更だ。あの階段から森に突入だ」
本当に暗かった。薄い水色とグレーの森が、刻一刻と暗さを増して
ゆく。幸い地面には落ちたての枯葉が、ところどころ白く浮かんで見
えて、辛うじて山道のガイド役となってくれた。
「うっ、痛っ」 枝には要注意だ。目の前で腕を弄るように動かしなが
ら、真っ暗な森を徘徊する2人。
「おー」 湿った土に足をとられて、尻餅をついてしまった。
「大丈夫?パパ!」 う、だ、大丈夫だ・・・。
「うおっ」 今度は蛾の襲撃。何とも気持ちのよくない感触だ。冷静に
冷静に・・・。と、そういえばタスクは、何の動揺もなくすいすい森を奥
へと進んでいく。足手まといになっているのは、何でも教えてやるぞ
風、浅黒い肌の一見アウトドア派の僕だった。
「ここだ、ここだ!」 「ここに埋めたんだよ、カブト」
鎌倉で捕まえたカブトムシが、秋のはじめに死んでしまい、市民の森
の石柱のところに埋めたのだった。そうか、カブトに会いに来たのか。
人通りの少ない、すこし勾配のきつい坂の上の石柱に、2人並んで手
を合わせた。自分達の仲間が眠るこの場所に立って、すこし森との距
離が近づいた気がした・・・。
2001夏
あれは確か、三ツ沢付近のファミリーレストラン。団体戦を戦った
サークルの仲間と、昼下がりのランチ中のことだった。食事の後の
まどろみタイムは、何となくのクイズ大会へと向かい、そして事件は
起きた。「頭の体操」などの数学パズルにあるような問題を、得意気
に出題したまではよかった。10人のメンバーは脇目も振らず、難問
に真っ向勝負と取り組み始めた。10分20分と時間が経過して、誰も
が押し黙って集中した。「そんなに難しい?」と皮肉な僕も、一応答え
を出しておこうかと問題を解いていくと・・・。!!「こ、答えが出ない!」
やってしまった。出題を間違えたのか、解き方を忘れたのか、とにかく
答えを出すことが出来ない。あわあわし始めた僕には誰一人気づくこ
となく、シャカシャカとペンの音が走っている。四面楚歌、万事休す!
「ご、ごめんなさい!」大きな声で出題者の雄たけび。「こ、答えが出
せません!」オヤツ時の客の少ない店内には、一層深く響きわたった。
5秒間の沈黙の後には、力のない溜息と引き攣った愛想笑い。最早氷
水と化したジンジャーエールの2センチをすすり飲み、もう一度謝って
みんなを眺めた。複雑な表情の中には、少しづつ諦めと優しさが混ざ
っていく。僕は仲間の誠実さと包容力に甘えて、ほっと胸を撫で下ろし
た。壁に掛かるペイパーコラージュに視線をおくって、その後の笑顔の
練習をしてみた・・・・。
足を運ぶ
打点に入る。足を運ぶ。
さあ、足を運ぶぞ。今度も打点に入って(自分の打ちやすい距離に移動する)
しっかり打ってみよう。思えば10数年前、練習に試合にと必死にボールを追
っていた頃、余分な動きもあっただろうけど、よく足を動かして打点に入ろうと
していた。純粋にボールを打つために、出来うる努力を惜しまない。それが最
近どうでしょう。距離も合わせずにショットの結果だけに一喜一憂している。い
や、一喜一憂しているならまだしも、欲が薄くなってきたなどと自分をごまかし
て、関心のないふりを装ったりして・・・。
ヨガのアサナの練習で、右足左足と丁寧に位置を確かめていく。膝のポジシ
ョン、骨盤から胸と背中、肩、頭の先、そして右腕と左腕がどこへ生えていくの
か。まるで100歳の樹木の歩を早送りで再生しているビデオのように。今の自
分を感じながら、全身の動きと呼吸とが一体になる。
そうだ、何も考えずにただひたすらにボールを追うことで、救われた思いでテ
ニスに縋ったのが20年前。誰かが教えてくれた。「テニスはボールが主役だよ」
「だから余分なことは考えなくていいのさ」 そうだった。疲れを恐れたり、成果が
あがらないことを心配したり、何もしないうちから「ほどほど」の哲学に嵌まり込ん
でしまっていた。今あるがままでいいのだから、今できるボールへの距離の調整
をして、堂々としていていいのだろう。目の覚めるような鋭いショットや、流麗なフォ
ームなどの素晴らしい結果は、もうその時点で達成できているあるがままの自分
には、あってもなくてもよいのかもしれない。何処かの誰かが放った会心のショット
に、こころから感動できる準備は整ってしまった・・・!
カルマヨガ
2年前の夏、横浜のヨガスタジオで、BTC(ベイシックトレーニング
コース)なるヨガの基本講習全8回を受講した。LEE先生はとっても
ピースフルで優美、集まった生徒の僕らも先生の一歩一歩、一呼吸
一呼吸を確かめながら進めるお話に聞き入った。毎回与えられる宿
題のレポートのテーマに「私のカルマヨガ(無私の奉仕)」の回があり、
トイレ掃除について書いたのを憶えている。
「気が付くとトイレ掃除をしていて、もしかしたらこれがカルマヨガと
考えてもよいのでしょうか」 と控えめに表現した。それがそれが・・・
書いて公表(課題として提出しただけだが)することは、なかなかどう
して力強い影響をもたらすアクションなのだな。自宅のトイレは勿論、
レストラン、テニスの試合会場、旅行先の宿舎など、行く先々のトイ
レを掃除して廻ることが好き(仕事?)になってしまった。とは言っても
スタッフの方がきちんとした道具を用いてするのとは異って、備えられ
ているペーパータオルやティッシュを使う、表面的な清掃なのです。次
に使う人のことを考えれば、掃除前よりは心地よい、くらいな程度で、時
にペーパータオルを拝借し過ぎるなど、アンチエコな行為に及ぶことも
しばしば。その施設や地球環境など、その効果を拡大して考えると、「
善は微に入り細に入り」(by河合隼雄)の言葉通りの実践とは、常にト
イレ掃除キットを携帯して、その施設の備品を美品として保つ。タイル
を拭きたいならマイ雑巾でどうぞ!となるのでしょうか。今のところ微に
入り細に入りとはいかず、「その場の思いつき善」程度にとどまっている。
このあたりはもっと深く、古代ギリシャのプラトンにまで遡り、自省しな
ければならぬか。「おのれ自身を知れ」 「私が他の人々より賢いのは、
無知を自覚している点だけである」 はたまた澁澤龍彦氏によればそれ
は「用心深い、小ずるい態度」~快楽主義の哲学~ということになるのか。
いやいや深くはまり込むのはやめましょう。あくまでも次に使う方が掃除
前よりまし、を目標とします。まあさしずめ「ちょい悪」ならぬ「ちょい善オ
ヤジ」。「チョイゼン」?「チョイイー」?・・・小林静観さんはおっしゃられた。
「トイレの掃除は経済の発展に寄与しますよー」 フリーのインストラクタ
ーの率いる、家族5人の経済的展望やいかに。実はそんな欲を伴う、危う
いお掃除占い(あくまでも自分の中での勝手な解釈)に依拠した、崖っぷ
ちのバランスワークなのでした・・・!
壁と対話 2
夕方、仕事からスイミングスクールへお迎え。五時に終わるタスクに
「壁でも行くか?」 「行く行く!」 「すぐ暗くなるぞ」 「ぜんぜん平気」
よし、だったら丸山台の壁打ち公園だ。そろそろ日没だから空いてるん
じゃないかな。
公園に着くなり走り出す。よーしやっぱり誰もいないや。一面のコート
反面づつで二人が打ち始める。自分はすべてのボールに打ちやすい打
点に入ってやる(足を運んで自分のフォームで打球できるように)と意気
込み、一定のリズムでフォアとバック。時々横を見ると、今日のタスクは
サーブがテーマらしい。まだどこに上がるか儘ならないトスに、必死に
スイングを試みている。壁から返ってきたボールは、ツーバウンドだろう
とお構いなし。最近始めた振り上げるストロークで飛びついている。
途中二人でラリーをする頃には、すっかり辺りが夜の色に。張り切って
いたパパも疲れてトーンダウン。ギブアップだ、また壁で自分でやりなさ
い。するとすぐさまサーブを始める。そんなに好きだったのか、テニス。
すっかり体力を使い果たし、大の字に横になっている僕を横目に、もくも
くとボールと壁と対話を続けている。今の君にはアドバイスもいらない。ひ
たすらに対話し、戯れてみればいい。戯れた先になにがあるかなど、考え
ることなく・・・!
壁と対話
だいたいそもそも、僕がテニスを始めたきっかけは大学時代の
ダイエット。高校の親友と、一日八時間の昇天ラリー。おかげで
半年で15キロのマイナス。日に日に身体が軽くなる感覚が快感
だった。都内の区営コートを借りまくり、これでもかとばかりボー
ルを打ち続けた。一日置きにオンコート、それ以外の日は壁が相
手だった。
実を言うと、一番好きなテニスは、壁打ちなのかもしれない。何
しろ一番経験した時間が長いのだから、お互いの性質の甘さ辛さ
を、他のどの相手よりも理解しあっているのだ。そして何時だって
誠実に、素直な答えで跳ね返し、少し元気のない時などは、優しく
頷いて聞いてくれる君。自分本位にも程があるぞ、なんて説教して
くれもする。まったく頼りになるやつなのだ。
ヨガの瞑想にも似ている。静かに座って呼吸に心酔。一つの形で
心を捕まえたり、周りの環境と調和したり。壁とのラリーを一時間も
続けていると、だんだん自分の存在が薄まっていって、周りの空気
や音や香りが、とても優しく包んでくれていることを心地よく感じられ
る瞬間がやってくる。そのうち30分で、そして15分でも、同じような
体験ができるようになると、もうそこには上達や勝敗といった競技の
生産性が消えてしまい、時空を超えた永遠の時が続くだけ。
そしてまたオンコート。今日もまたその瞑想状態とは無縁の、欲に
満ちた自分との運命の出会いが。あれもしたい、ああもしたい・・・。
試合後のインタビューに答えた、ステファン=エドバーグのコメント
が印象に残っている(もう20年も前のこと)。「今日のプレーはとても
素晴らしいものでしたが、ご自身では何が良かったと思われますか」
「オートマチック」 この一言。 すべてのプレーが自動運転により行
われ、自分はそれを眺めていただけだというのだ。圧巻である。
そんな聖人たちの言葉を胸に、明日もクラブの壁と語り合おうかな
・・・!
上達 2
「ふえーん、うえーん、ぐえーん」 長男7歳号泣。次男が自分の足
を踏んで、謝りもせずに行ってしまったと。それまでにも、遊んでい
たコインの並びを勝手に換えてしまった。「何すんだよ」 と手を出す
と、父親の僕に「手をあげるのは違う」 と叱られた。おっと、おっと・・
もう少し、待ってあげたかったが、つい・・・。
タスク(長男)!ちょっとこっちの部屋にこい。「アキ(次男)がいけな
かったけど、多分足を踏んだことにも気付いてないよ」 「あっ、ごめん、
踏んじゃって」 て上手に言えるようになるまで待ってあげよう。「アキ、
踏んだぞ」 って教えてあげてな。・・・・・おっと、おっと・・それは無理だ
よなぁ。父親が待ってあげられていない現実。これは常々そうなのだけ
れど、子供たちへのご託宣こそ、100パーセント自分へのプレゼント。
そっくりそのまま贈ります。真心込めて、贈ります・・・!
上達
朝目覚めると、「あっちゅん、あっちゅん」 5ヶ月の長女ナツキが
咳き込んでいる。考えてみれば、子供の頃と比べて随分上達した
ことになる。今の自分。咳き込むこともあるし、痰がからむこともあ
るが、その対応に熟達した。そんな日常の些細なことに、上達を感
じたタイミングをなんとなく思い出してみよう。小学校にあがった年の
秋、咳き込みの苦しさが少し和らいだのを感じた。それまでは痰がか
らんでも、しばらく咽たりぜーぜーしたり。風邪か喘息か知らねども、
頻繁に苦しい思いをしていたのだ。つい最近、親子5人共アレルギー
体質ではと診断された。梅雨時と秋の入り口は、気圧の変化も盛ん
らしく、それは咳き込むこともあるでしょう。「ナツキ、おはよう」 上体
を起こして縦抱っこ。背中をとんとん、だがしかし、そう簡単にはいき
ません。「ふえーん、ぶえーん」 とうとう苦しくて、濁った高音の泣き
声をあげます。「そうか、苦しいねー」 とんとん、とんとん。どうかゆっ
くりでいいから、ひとつひとつ上手くなっていっておくれ・・・・!
今日の名言
今朝のテニスのクラスに、おそらく10年いや20年以上の
キャリアの男性の方が、体験レッスンでみえました。そして
久しぶりに、痛快な名言を披露したのです。
「まぶしーっ!」 かなり大きな声でした。確かに眩い太陽
の光線と重なっていたと思われます。その声と同時に放たれ
たセンターへのスマッシュの見事だったこと。見ていた全員、
そして隣コートのゲーム中のメンバーまでが、一瞬呆気にと
られた直後に、可笑しさと感動の大爆笑。そこに居合わせた
皆が幸せになれたシーンでした。
確かにHさん(体験の方)は正しい選択をしたのです。完全に
太陽と重なってしまったボールは、どんなによく見たところで、
彩度が上がりすぎた画面からはボールを発見できず、その後
も幻覚に悩まされるのが関の山。なればいっそのことインパク
ト前までの軌道を頼りに、思いっきり空振り覚悟の理想的なス
イングに挑むべし。この行為は実は最高の集中を生む方法で、
「最後まで見ることができない」という覚悟が、全ての神経を総
動員してその前の軌道を熟視することを可能たらしめるのでし
た。野球のイチロー選手も、外野の守備練習中にノールックキ
ャッチ(ボールを受け取る瞬間にボールから目を外す)を披露し
ますが、彼は「試合中は状況により、最後までボールを見れな
い、あるいは見たくない時があり、普段から練習しておく必要が
あります」と語っていました。
「まぶしーっ!」 表面的にはネガティブな言葉ながら、実は最
高にポジティブなプレーのスイッチとなる。古武術の妙技に出会
ったかのような、感性の研ぎ澄まされる瞬間でした・・・・!







