エコ
地球に優しくエコな暮らし。
勿論僕らはエゴな生物だけど・・。
環境に配慮して、人にも配慮して。
ってそもそも優しかったのは地球の方だったはず。
地球環境が人間に優しかったから、今僕らは気持ちよく
呼吸することもできる。宇宙の優しさに抱かれて、太陽の
温かさに護られて、地球の引力に惹きつけられて、立って
歩いてポーズをとる。
今日も日中は30度の真夏日。太陽の温かい事といった
らなかった。じりじり照りつけられて感じることは、この感触
があったから今の僕があるってこと。水を飲んでまた飲んで、
体内の血液が薄くなっていくような感触を味わう。肌からにじ
み出てくる汗と、涼しい東からの浜風が出会う。きっと大樹の
陰をくぐり抜けて来たのだろう。
地球が優しく僕らはそこにいる。ヒマラヤ杉の下から空を見
上げれば、ブラシで描いたような白い雲が流れて、再び夏の
日差しが鋭く地面に刺さっていく。この土達も呼吸しているの
だろう。その息遣いが感じられるくらいの時間、じっと座って
今度は自分の呼吸に意識を向ける。ただここにあることが、
やっと少しできたのかな。川の水が次から次へと流れ下って
いくように、違うものを次から次へ吸収し、次から次へ別れを
告げて、同じ顔で座って何かを待っているかのよう。何を?
きっと次の空気。次の気配。そうやって待っていられることが、
何よりの幸福の証。地球に優しい、気持ちにはなれたかもしれ
ない・・・・。
1975秋
幼稚園最後の運動会を終わって、何故かそれから何人かの
親戚が我が家にやって来た。そうか、これから父と母は正式に
結婚するため、親類や友人を呼んで式を挙げるのだ。
当時の僕は身長も115センチくらいか、随分式場が大きく感
じられた。4歳の夏に神さん(オリジナルの父)を亡くして2年と
ちょっと、今度の父のことは「父さん」と呼ぶことにした。父さん
は、仕事の休みごとに僕を遊びに連れて行ってくれた。今回の
結婚式の後にも、何日間か旅行が準備されているらしい。どうし
ても行きたい。大泣きに泣いて駄々をこねた。「何で僕は行けな
いの」 「この旅行はお父さんとお母さんだけで行くものなのよ」
母の妹が、家に帰ってゲームしようと楽しそうな提案をしてくれた。
今想えば、もっと気持ちよく旅行へ送り出せたら、なんてほんの
少し後悔している。二人で旅行する機会なんて、考えたらまず見
当たらなかったのだから。
こういった過去の記憶のことを、トラウマと呼んだりする。本当
はその影響で、現在の生活の中に何らかの影を残していることを
指すのであろう。それがどんな影であっても、今の自分には欠かす
ことのできない経験であるから、「トラウマ」の深刻な響きは似つか
わしくないのか・・・。トラウマのお陰で、今がある。そんな脳天気な
言い方は、違うのかもしれない・・・・。
夏の太陽
天高く真上から、垂直に浴びせられる太陽光線。
ランチの後は、あの太陽と語らいながら仰向けになる。
サングラスなんかはずして麦茶をこぼした。普段ならすぐに拭くのだろうが、
あまりの暑さにその動作に至れない自分がいる。太陽のエネルギーに押さ
えつけられて、体が大地に定着されていく。日頃自分に感じる軽率な言動や
姿勢の不安定さ。今は全てがトロトロに溶けて、熱く熱く煮込まれていく。
あまりの眩しさに無意識に目尻に力をいれている。思いっきり瞼をひらくと、
今度は南からの風が眼球にあたってくすぐったい。
きっとやって来る、あの蝉の季節が。
きっとやって来る、あの海の季節が。
きっとまた感じる、何か楽しいことをしなくてはと焦る、夏特有の気持ち。
裸足になって地面と繋がり、片足になってバランスをとる。自然と両手は頭の
上へ。そういえば、確かこんな格好だったかな、山下公園の少年たち。木と木
の間のベルトに乗って、片足両足バランスを、とったりとられたりして楽しんで
いた。負けずに僕も太陽と、風と芝生でバランスを楽しむ。永遠に続く今と一緒
に、溶けて乾いて転がっていく・・・・。
今日の名言~日経ビジネス アソシエより~
アソシエ「歴史に学ぶ 金言格言」特集。
コンビニで雑誌をぱらり、今日の名言は何かしら?
偉人の名言に主役を譲る奥ゆかしさ。既に達成している偉業を称える気持ちと、
その説得力。多くの人に語り継がれてきた名言としての実績。偉人の残した幾
多の名言達の、味わいの深さ、表現の豊かさ。何だか幸せなムードです・・・。
そこで本誌の46ページ、「名言の誤用にご注意を!!」のコーナーに突入!
かの有名なエジソンの言葉「天才とは、99%の努力と1%のひらめきである」
電球や蓄音機を発明した「発明王」エジソン。この言葉は、努力がいかに大切
かを説明する時によく用いられるが、浜田和幸氏の「快人エジソン」によるとエ
ジソンの本意は「1%ひらめかなければ、99%の努力は無駄になる」であった
というのだ。エジソンは何よりもひらめきや直感を大切にしていたという。
{誤用原因}先入観で考えすぎ!
ついでにもう一つ・・・。
「そこに山があるからだ」/ジョージ=マロリー{誤用原因}美化しすぎ!
何かを成し遂げるための使命を語る時によく使われる、英国の登山家ジョージ
=マロリーの名言。だがこの言葉は、実はロマンのかけらもないものだった。2
度目のエベレスト初登頂の挑戦から戻ったマロリーは、「なぜそこまでしてエベ
レストに登りたいのか」という聞き飽きた質問に、うんざりしながら「そこにそれが
あるから(Because it is there)」と答えた。”it”は前後の文脈を考えるとエベレス
トと考えるのが自然だが、日本語訳される時に「山」となって広まった。
このように親切に解説し、真の意味を紹介して下さっているのは「名言の正体」
/学研新書の著者、山口智司さん。確かに氏のおっしゃる通り、その言葉の背景
や文脈から真の意味をくみ取ることはとても大切で、それを理解できずに名言を
語るのはもったいないことだと思う。しかししかし、氏には名言スペシャリストとし
て、精緻な研究を続けていただくとして、僕らのような名言使いのアマチュアにと
っては、誤用や誤解ですらその名言を支える豊かな背景であり伝説である。例え
ば、「エジソンのように直向な努力を続けていくのだ」と日々精進する僕らがあった
としたら、エジソンは優しく微笑んでくださるのではないか。そもそも僕らが使って
いる言葉は、様々な先生による研究はもとより、途轍もない方々の口や手から耳
や目に伝えに伝え、ころころと転がりながら、誤解や誤用もなんのその、表と裏と
横の道、幾多の意味の拡散と収縮を繰り返して、僕らの次の世代へと浸透してい
くのだから・・・。
「ここがロドスだ、ここで跳べ」/マルクス
名言の引用もそこそこに、「跳んじゃえばいいのに」なんて人は言うけど・・・。
「それができたらねえ」・・・今日の名言/わたし butsubutsu・・・
チッタ~こころ~
自分の名前は心、こころと書いてシンと読む。初めて接する
方から、いい名前ですね、なんて言っていただいて、その気に
なって無防備に、いい名前ってことで満足し、それ以上深く考え
てこなかったようだ。
というのは、ヨガの勉強を始めてまず最初に出てくる概念であ
るこころ=チッタは、柔らかい春の日差しを浴びた優しい暖かさ、
とかではなく、自分の魂を様々に惑わす可能性の高い、取り扱い
に細心の注意と膨大なマニュアルが必要な代物として登場するか
らである。
昨日のヨガのクラスで、生徒の一人の方が示唆に富んだお話を
して下さった。おそらく僕よりヨガの学びが長い方で、まさにレッス
ンの場とは第一に僕が学ぶ場となっているわけだが・・・。
その女性は、何年か前に「ふっと降りてきた」というダンスと出会
い、今では都内の各所で、ミュージシャンと競演するパフォーマン
スを行っているという。そして、・・・「知性というよりも感性で、その時
はシンプルに感じ取ることができた」とダンスについて語った。「しば
しば知性は、純粋な感性の邪魔をしてしまうみたいで・・・」とも。
なるほど、すっかり感心してしまった。そのお話を一緒に聞いてい
た他の方たちも感心しきり。中のお一人はそのパフォーマンスを見
たことがあるらしく、「本当に何かが彼女の身体に入り込んでしまっ
て、こうやってお話している様子とはまるで別人になってしまうんで
す」と・・・。
僕ら凡人はつい「いいですねえ」と自分と比べてしまったりするん
だけど、「いい」のは降りてくるものを受け取ることのできる準備であ
り、大袈裟に言えば、他者を信頼する無色透明の純粋さと、オーガ
ニックコットンのような柔らかさを共に備えたこころなのだ。中途半
端な知性に振り回されてばかりいては、首の後ろを硬くしてしまうば
かりか、考え方、生き方そのものをも硬く閉ざしたものにしてしまうだ
ろう。
乗り心地のよいメンテナンスの行き届いた身体と、新鮮で力強い
プラーナ(生きるエネルギー)に満たされて、あとはこころが柔らかく
解れていくのを、静かに見守り続けましょう!
YAZAWA
「いやー、むかしっからそうなんだけどね、やるやつはやるし、
さぼるやつはさぼってるのよ。 だからさぁ、今の若いやつら、
とかいつの時代も言われてきたけど、やる人間はやっていく
と思うんだよね」
音声にイコライザーか、時にディスとーションで電子加工
されているかのようなゴツゴツした質感。ゴリゴリとした洞窟
の岩肌のごとき咽奥から、やけに張りのある魂の叫びが届
けられた。J-WAVEのゲスト、その圧倒的な響きの主は
矢沢永吉。永ちゃんボイス!CDを聴いた事もないし、勿論
会ったこともないけど・・・・思わず「ちゃんづけ」で呼びたい
人間味、いや愛に溢れる語り口。
「何かさぁ、面白い事を思いっきりやるのっていいじゃない。
それやろうと思って、メジャーのメーカー辞めてさ、でもただ
のインディーってのも嫌でね、流通とか宣伝とかって、やっ
ぱりメーカーの力ってのも侮れないわけでさ、そのメジャー
のいいところと、インディーのいいとこを両方欲張ってさ、や
ってやろう!って、それは不安もありましたよ、正直。インデ
ィーレーベル作って出してさぁ、売り上げ半分なっちゃう、な
んてね。で、流通の先々に頭下げてさ、やりましたよー、必
死になって売って歩いたんだよね。そしたら皆が、永ちゃん、
がんばって、って拍手してくれたんだよ。これはきっと。メジ
ャーから出した時の倍売れたんだよね」
「60歳になったからさ、もうそろそろ好きなことやってもほ
ら、まわりも許してくれるんじゃないかなんてね。で、メーカ
ーを、いち抜けた!ってやったのよ。したら皆もどんどん続
いてくのかなぁ、なんて期待もしたんだけど・・・続かなかっ
たねー。何も変わらなかった。ま、それはそれでいいんだよ
な」
「ビートルズ聴いて、わぁーてなって、ジョン=レノンがロー
ルスロイスをピンクに塗装しちゃってるの見て、ロックンロー
ルで一発当てたらロールスロイスをピンクに塗っちゃえるん
だぁ、て感じでさ」
「まぁ、いろいろな音楽ってのは勿論あっていいわけだし、
それぞれに素晴らしいんだけど、ロックンロールやってきた
自分としてはやっぱりさ、やっぱり”ズズババズズバッ”って
エイトビートのロックンロール、やって欲しいんだよね」
”ズズババズズバッ”にソウルが注入されていて、思わず
自分も・・・クレイジーケンバンド、くるり、アリッサ=フランク
リン、カーティス=メイフィールドを、立て続けに・・・・あと足
りないのは、ジャパニーズソウルフルロックンロール、「YA
ZAWA」だけなんだな・・・・!
大ちゃんへの手紙
先日大ちゃんは電話で、「しんちゃんは絶好調みたいだけど」
なんて言ってくれたけど、全然絶好調ではないです。いや、この
表現もちょいと違うなぁ。好調ながら相変わらず、やりたいことと
やるべきことの狭間でもんもんとしている状態は、高校生くらい
から進化せずに繰り返しておる感じっす。
とり立てて我慢に耐える痛みや苦しさのない、或いは感じるこ
とが億劫なほど鈍感なふりをする毎日。これこそ究極の脳天気。
如何様にでも動かすことのできる自分の身体を、一日中持て余
して「ちょっと首の後ろが痛くって・・・」なんて言っている。さあ、太
陽礼拝(ヨガ)を10セット。だんだん身体中に血液が巡っていって、
身体が重くなっていくのを感じる。この重さを充実と言い換えても
良い。いつの間にか首のことを忘れて、じっくり座って目を閉じます。
真の瞑想かどうかなんて、まだまだゆっくり感じてあげるだけ。今を
感じて自分と対話。頭がすっきりしてきたら、いっぱい褒めてあげま
しょう!
またまたぼんやり過ごしました。やっぱり首や肩や腰に違和感が。
さあさあ身体を動かして、さらにさらにで休みます。ちゃんと休むため
には、一度動かしてあげないといけません。そうやって好調にもって
いくのだよ。ふむふむ、やってみようではありませんか。よーし!
・・・・・・今日はちょっと壊れ気味かな・・・・・・・・・ではでは。
サティア2
そう、真実と正直ってのはちょっと違う概念ですかね。それは。
例えば、僕は横浜市に住んでいる、という真実を曲げて大阪に住
んでいる、とすれば嘘。だがだが・・・・もし僕が「大阪」を選択する
としたら、何らかの事情や理由が正直と共に存在しているはず。
思いつきの嘘、なんてのもあるだろうが、ここでは興味の対象から
外れる。つまり嘘は、正直の世界に大きく飲み込まれている。真実
とは、あまりに厳然とそこにある事実。しかしその裏側には、もはや
何が真実か判別できないほどの、妄想が築き上げた虚像や、色眼
鏡を通しての誤解が混在していて、「識別不可能、レイダーマーン!」
戸川純さんでなくてもそう叫んでしまいたくなるのだ。
厳然たる事実と感じたものを、正直に受け取りそれを表現した言葉
が真実。そうか、僕らには正直な真実が続いていくだけ。何が真実か
なんて考える必要もない。今、この時が真実。
青い空が確かにある。その色。白い雲が確かにある。その形。自分
と空の間にも何かがある。その匂い。風に舞う鯉のぼり。もう5月も終
わろうというのに・・・・!
サティア ~正直~
正直の確立によってヨーギーは、彼自身と他者のために、
事を為さずして事の成果に至る力を得る。~正直が確立す
ると、恐れのない状態がやって来る。~心が静かで澄んで
いるとき、真の<自己>が損なわれることなく映り出て、われ
われは真理をありのままのすがたで悟る。・・・「インテグラル
ヨーガ」スワミ=サッチダーナンダ著
絶対的な正直というのは、方便としての嘘もいわないという
ことである。正直であることによって問題が生じたり、誰かに
困難や・・・・・・生じそうだなー・・・・!心が弱いのですかな・・。
心の師、河合隼雄氏はいう。「本当もやすみやすみ言え」
「真実は劇薬、うそは常備薬」・・・・日常生活を円滑に過ごす
のに、適度な誇張や褒め言葉などで相手を励ます行為など
には、多少の嘘も含まれているかもしれない。例えば、4歳の
次男が自分の名前を書く。とっても読めたものではないが、「す
ごいじゃないか、よく書けてるぞ」とやる。そこには・・・・嘘が・・・
ないか。これはちょっと違うかな。すごいことも、よく書けてること
にも嘘は含まれないな。次いってみよう。例えば、昨日のテニス
レッスンに、40年のベテランを自称する女性が体験にみえた。
彼女のストロークに正直に評価を下すとすれば、それは究極の
手打ちということになる。きっと始めたばかりの頃に、力のある男
性のボールを無理に返球するなどして、独特の手首の使い方を
憶えてしまったにちがいない。しかし、長年培った独特の手法は、
やがて他では代用が利かない絶対安心の技に化けて、無論一定
以上の切れのあるボールに対しては無残な結果となるにしても、
逆に簡単なボールに対しては唯の一度のエラーも起きない安定
度をしめした。「Yさん、手首の使い方が独特ですけど、最早絶対
安心のフォアハンドストロークをお持ちですね」「とてもいいテニス
だと思いますよ」・・これは皮肉ではなく本当の気持ち。そうか、こ
れも嘘ではないじゃないか!もっと相応しい例があるはずなのだが。
今日のところは諦めます。嘘ってのも簡単には現れない。真(まこ
と)ってのも簡単ではないだろう。河合隼雄氏のいう嘘は、限りなく
真実に近いような気もするし、サッチダーナンダ氏のいう正直の中に
は、最早嘘と本当のとらわれや境界線のようなものが、溶けてなくな
ってしまっているように感じてしまう。そう、だって正直しかないではな
いか。どんな嘘の中にも・・・・!
だいいちだいきゅうし
第一大臼歯。六歳臼歯ともいわれる奥歯で、小学一年くらいに
生えはじめ、三年生くらいで他の歯と同じ高さにそろっていく。こ
の高さがそろうまでの期間が、歯ブラシが届き難く、虫歯になりや
すいとのこと。 そして今日は、そんな一年生向けに歯ブラシ講習
会。父兄の参加自由と聞いて、早速母校に出向いた次第だ。
一年生当時の自分には途轍もなく高く感じられていた天井が、
ジャンプすれば手が届くほどに低く思えた。三階までの階段、廊下
の端から端、トイレの間口の全てがミニチュアのバーチャルスクー
ル。過ぎ去った時間の経過と変わらぬ小学校特有のやましさのな
い空気。ほっと心が和らぐ不思議な体験だ。そんな郷愁に浸って
ふらふらしていたら、「一年生の歯磨き講習ですね、こちらになりま
す」やはり澄みきったトーンの女性教諭の声。「そうだよな・・・・」
「はーい、どうも・・・・」もう始まっていたらしい。教室から二人の
父兄は廊下にはみ出している。背伸びをして覗くと、そこには50歳
台らしき貫禄を湛えた女性教官が、100パーセント前向きな眼差し
で歯ブラシの持ち方を説明していた。慌てて最後尾からひらりと教
室内へ進入、ダッシュで窓側の最側尾に身を潜めた。恍惚の表情
と共に説明は続き、まるで宮本武蔵の五輪の書を紐解くかのような
緊張感と精緻な表現で、ぐいぐい引き込まれてしまった。こんにちは
の持ち方とさようならの持ち方、しゃかしゃかみがき、ぐるぐるみがき、
こちょこちょみがきで計400回のみがき方。そしてクライマックスは・・
肘を上げたしゃかしゃか流での第一大臼歯の20回みがき!ちょっと
難しくはないのか・・・いやいや一年一組のみんなも必死に息を呑んで
ついてゆく。いつ敵に襲われてもどこからでも剣を抜く、二天一流の兵
法の継承者。右手に持った30センチのデカ歯ブラシが、見事に様にな
っていたのでした・・・・!



























