「はだかの心」でいることの苦悩
ADHD脳が強い私は興味関心が多すぎて1箇所で働くことはなかなか難しくて。ここ最近は、お声をかけてくださる事業所を掛け持ちしながら仕事をしていました。けれども、モノの断捨離がひと段落して、コトの断捨離に向き合っている今、仕事の整理をしています。新規の仕事は一切受けず、仕事が終わり次第、手放していっています。また、継続が必要なお仕事は適切な方に引き継いでいただいています。昨日は久しぶりに引き継ぎのためにいくつかの事業所を回りました。はあ、、、疲れました。専門職として、しっかりと仕事をされている方々にお会いし、お話をするだけでどうしてこんなに疲れるのだろう。今まで、海外で仕事をしたり、講義や研修をさせていただくことがあったり、学生時代は100人規模のボランティアサークルを立ち上げ、リーダーとして率いたり、子育て中も読み聞かせや子育て支援のグループを立ち上げて、人前でお話をする機会も多かった。コミュニケーション能力はかなり高い方だと自負してきました。むしろ、それしか自分にはないくらいに、考えてきました。でも今はすごく疲れる。昨日は、ちょっとした引継ぎだけなのに、どっと疲れました。どうしてこれほど敏感になってしまったのか考えてみました。この数年、モノを手放すのと同時に、自分を覆っていた殻を次々と手放していくと、本当に傷つきやすい、薄い皮膚の傷だらけの「私」が出てきました。ADHD脳の特性でもありますが、あらゆることに敏感で、あらゆるノイズに反応する自分。これが本来の自分だった。私を覆っていたたくさんの分厚い殻は、そんな傷つきやすい自分を外界から守るため。傷つきやすい自分を必死で守るために、たくさんの殻を準備して傷つかないように守りながら、外の世界で活躍する場所を見つけてきたのだと改めて感じていきます。ブログを読んでくださっている貴女(貴方)にも思い当たることがあったりしますか?社会人として自分を守る殻はきっと必要なモノなのです。裸の自分だけで勝負できる人は限られているのかもしれない。でも、少なくともどんな殻ををかぶっているのかを自分自身が知っていることは必要かもしれません。そして大切な人の前では、その殻をいつでも簡単に脱いで、「はだかの心」で向き合える自分であることも・・・ブログ村ランキングに参加していますポチッと押していただいたら、励みになりますありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村