西目屋村を出てからはノンストップで弘前市に到着です。

 

弘前市 

 

イオンタウンがありその中にマックスバリュがあったので、ご当地パンを買おうと立ち寄ったのですが、大手パンメーカーの商品ばかり。

イオンは取扱商品は多いのですが、PBやメジャーブランドが多く、ほしいものがないイメージがあります。

なにも買わずにすぐ退散。

 

 

禅林街という寺町にやって来ました。

歴史のある街には寺院が密集している寺町があり、弘前市にもそのエリアがあります。

寺につきものの石材店もあります。

 

 

栄螺堂(さざえどう)です。

 

 

栄螺堂は内部が一方通行の回廊になった独特の造りの建物で、会津若松のものが有名です。

会津若松と違ってここのは一般開放されていないので、面白みはありません。

 

 

道の両サイドが全部寺の通りです。

 

弘前城ができたときにこの寺町もできたとのこと。

寺町が造られた実際の理由は、僧侶が反乱を起こさないよう1ヶ所に固めて管理したかったこと、城下町の防御(バリケード)の役割と聞いたことがありますが、ここもそうなのでしょうか?

 

門を車で入っていきます。

 

通りを進むと突き当たりに一番立派な山門を持つ長勝寺があります。

 

山門の名前は「三門」で、1629年建立です。

 

 

ガイドブックのアップルパイ店特集で見つけた「しかないせんべい」さんです。

商店街からは離れた場所にありますが人気店です。

 

アップルパイが見当たらなかったのですが、店員さんによると「アップルパイは作っておらずアップルクーヘンがそれに近い商品」とのことだったのでそれを購入。

VISAタッチ決済が使えました。

 

 

店の隣に稲荷神社があります。

稲荷神社って千本鳥居がありがちですね。

商売の神様はパトロンが派手好きで金持ちだから鳥居を奉納したがるからなのでしょうか?

 

狛犬ではなく一対の狐像でした。

 

 

時刻は14:30ですが、今日はまだ何も食べておらずお腹がペコペコなので買った商品をいただきます。

りんごの洋風饅頭「らぷる」は1個から買えるのでそちらも購入。

 

らぷる(120円)と比較するとわかりやすいですが、アップルクーヘン(680円)はアップルパイのように切って食べるサイズです。

パウンドケーキのようなずっしりとしたスポンジで、アップルパイと違って中身がぎっしり詰まっているうえに、バターかシロップかの何かで生地がしっとり湿っているためずっしり重いです。

クーヘンという名前ですが、バームクーヘンのような穴や年輪層はありません。

切る物を持ってないのでこれをまるかじりしました。

どちらも美味です。

アップルパイは食べたこともあるし、今回の旅行中に他で食べる機会もありそうですが、これらはここにしかないので買えてよかったです。

 

 

これにて寺町を後にしたのですが、近くにある最勝院五重塔に行くのを忘れてあとで後悔。

 

 

 

 

さくらまつりの期間は市内数カ所に無料の臨時大駐車場が設けられます。

どの駐車場も弘前城までの距離に大差はありません。

私が駐車したのは城の西にある河原を利用した駐車場で、城まで徒歩20分でした。

 

 

城まで徒歩移動中にコンビニで飲み物を購入。

コンビニにはPBパンしかないのですが、例外的にイギリストーストだけはあります。

お腹にまだ余裕があったので購入。

 

 

弘前城の周辺には武家屋敷もいくつか残っています。

 

無料で開放されているので、一番近い1軒に寄ってみました。

 

 

 

 

 

 

弘前城の堀が見えてきました。

花筏ぽいものも見えます。

 

城の北側にある亀甲橋、亀甲門から入城。

 

 

場内に入ると屋台が並んでいます。

城内には護国神社があり、その大鳥居も見えます。

 

桜は散り始めてはいますが、まだまだ鑑賞できます。

 

花筏がありました。

 

現在、弘前城の石垣は大規模改修工事中です。

 

そのため、天守を曳家で近くに移動させたうえで公開しています。

 

 

一時的に晴れ間がのぞく時間もありましたが、やはり青空の方が桜が映えます。

 

八重桜が綺麗です。

ソメイヨシノより花びらが大きいので散りにくいため残ってる感じでした。

 

 

 

春らしくチューリップが咲いているエリアも。

 

 

人気の名物ジャンボおでんを買ってみました。

具はこんにゃくの1種類しかありません。

全国でここにしかないそうです。

 

味は普通です。この色は何なのか気になりました。

 

 

城内にある案内所で花筏が綺麗に見える場所を尋ね、何ヶ所か教えていただきました。

お堀は外にあるので一旦場外に出て回っていきます。

 

 

 

アップにすると何かわからないので、少し引きの構図にして周囲の景色も入れた方がいいですね。

 

ガイドブックなどにある堀全面がピンクという場所は無く、これくらいが最大でした。

 

花筏は花びらが水流で流れて一箇所に固まっているのではなく、風で流れて行ったものが固まっています。

そのため、こういう片側に固まった場所もあります。

堀の流れは止めているそうです。

 

流れて来た時期による色のグラデーションが綺麗です。

 

 

 

 

弘前城の南には「弘前市立観光館」があります。

 

中に入るとねぷたが展示されていました。

青森が「ねぶた」、弘前は「ねぷた」です。

 

 

観光館と同じブロックにある「旧弘前市立図書館」です。

1897年に建てられた洋風建築で、現在は資料館として無料公開されています。

 

靴を脱いでスリッパに履き替え、内部を見学しました。

 

女性専用車両の先駆けですが、その目的は現代とは異なります。

閲覧室を性別で分ける意味はあったのでしょうか?

 

2階にも上がれます。

 

 

3階には上がれません。

2階へ上がる階段と比べて3階へは階段の幅が狭く、当時から一般開放されているフロアではなかったようです。

 

隣にある「旧東奥義塾外人教師館」です。

外国人教師の住宅だった建物が無料公開されており、1階はカフェに使用されています。

 

1階入ってすぐにカフェがあります。

 

壁紙などは張り替えられているようでした。

 

 

 

子供部屋です。

子供用に部屋を用意するという概念自体が日本人にはなかった頃に、子供専用室を設けて造りつけのブランコや小さな椅子を用意するといった考え方が先進的です。

 

日本で最初に西洋リンゴが食べられたのはこの建物とのこと。

 

同じブロック内に、弘前市にかつて存在した建築物をミニチュアで再現した場所があります。

 

 

 

隣には「弘前市立山車展示館」があります。

 

最初はこのような装飾性の薄い山車だったそうです。

 

 

 

少し歩くと「青森銀行記念館」があります。

ここだけは青森銀行の経営で有料公開です。

 

 

少し内部を覗いただけで退散。

 

 

 

夜桜を見に、再び弘前城内へ向かいます。

 

 

変形のお堀がある場所は花筏も変形的。

 

 

 

 

ここが一番撮影人気があるスポットで、報道カメラマンも来ていました。

 

自分的にはこれがベストショットでしょうか。

 

 

再び城内に戻ります。

 

今度は南側の追手門から。

 

 

 

 

これが本来の位置である石垣の上に建つ弘前城です。

 

 

天守エリアは有料なのでここで320円(安い!)を払いチケットを購入。

現金払いのみで、一度買えばエリア入退場自由です。

 

天守が見えてきました。

 

天守前に撮影用の2階建てやぐらが組まれており、これはその2階から撮影したショットです。

石垣ではなく芝生の上に建ってるのが違和感。

 

弘前城は津軽為信が1611年に完成させた初代城が1627年に落雷により焼失。

その後は城がない時代が続きましたが、1810年に櫓(やぐら)造営の目的で幕府の許可を得て再建されました。

 

ここの八重桜は白め。

 

普賢象という品種。

 

 

城の中に入ります。

城を名乗っていますが、実際はやぐらなので城としてはかなり小さく感じます。

特に石垣に乗っていない状態だと高さがないので迫力を感じません。

 

籠がありました。

昔の人の体格に合わせて作られており、かなり小さい。

 

上に上がってみます。

 

窓からは桜が綺麗です。

 

 

 

再び撮影櫓に戻ってきました。

日もだんだんと暮れてライトアップも始まっています。

 

夜桜を見ながら弘前城を後にします。

 

 

 

城を出て歩いていると昔の派出所兼消防署がありました。

 

 

駐車場まで戻り、青森市の旅館へ帰りました。

翌日に備え、弘前市内でガソリンを満タン給油。

15.57Lで2600円をdポイントで払いました。

 

 

青森市内に入り、昨日と同じカブセンターで夕食を買い物しました。

売り場で目立つのがマグロ、イカ。

総菜売り場では納豆巻でした。

 

 

旅館到着は20:45、本日の走行距離197km。

風呂に入って夕食です。

 

 

今日も郷土料理中心に購入しました。

 
本当のくじら餅はういろうのような和菓子ですが、くじら餅風蒸しパンは米粉の入った蒸しパンで、小豆で赤く着色されています。

納豆巻だけのパックは初めて見ました。これの倍の大きさのものもありました。

具だくさんの玉子豆腐は青森の名物で、少し甘い生地が特徴です。

たしかケンミンショーでも紹介されていたと思います。

にしんの菜の花和え、にしんのすし(なれずし)はどちらかで良かったと後悔。

すしは身欠きにしん(干物)を使用しています。

 

 

ビーフン、イカの唐揚げも買いました。

 

 
 
今日も疲れました。
早目に就寝し、翌日の長距離ドライブに備えます。

 

 

 

 

中津軽郡西目屋村 

 

岩木山神社を出発してからノンストップで中津軽郡西目屋村に来ました。

 

 

津軽白神インフォメーションセンターに到着です。

水陸両用バスは運行時期前でした。

同じ建物に「道の駅にしめや」、モンベルのアウトドアショップ、観光案内所もあります。

観光案内所で気になっていたことを質問しました。

 

 

ここの道路挟んだ向かいに「白神山地ビジターセンター」という施設がありますが、その建物は道路から見えません。

おそらく観光案内は知識、対応ともビジターセンターの方が良いと思います。

 

 

西目屋村観光の最初のスポットはガマ岩。

ガマガエルの形をしています。

 

川向の茂り方がマングローブの様で手つかずの自然という感じ。

川は岩木川です。

 

ガマ岩は信仰の対象のようで、岩の下に賽銭箱が。

 

近くに滝があります。

 

トイレ付駐車場完備。

 

この鳥居の奥に乳穂ケ滝(におがたき)があります。

 

登っていきます。

 

 

滝がありました。

こういう裏から滝が見えるのは興奮します。

本殿は滝の裏にあります。

懸造(かけづくり)という建築技法の建物です。

 

 

懸造は岩屋など基礎、土台が建てにくい場所に神社を作る時に用いられる建築で、鳥取県三徳山の投入堂などが有名です。

京都の清水寺もこの技法で建てられています。

 

 

 

祠がいくつも。

 

神社の鳥居は不動明王となっていましたが、薬師観音、稲荷様も。

ここも前日の高山稲荷(つがる市)と同様に神様の欲張りセット。

 

八百万(やおよろず)の神々がいる日本ではこういう特別な場所にはいろんな神様がいると考えるのも妥当なのかもしれません。

「なんでここに神様がいると思った?」という街中にある神社よりある意味では理にかなってます。

一箇所で商売、勝負、健康などいろんなお願いができるし。

 

 

目屋渓谷清流公園に来ました。

公園という感じではなく、二郎岩、二見岩という岩が祀られています。

 
「牛馬犬猫大小動物鳥魚貝類の供養塔」と刻まれた石碑が。

 

 

公園内に千命の滝があります。

流量は細い。

 

 

集落に入ると岩屋観世音がありました。

 

 

 

狛犬ではなく馬。

 

そして招き猫。

招き猫の石像は珍しいかも。

 

川の方に降りていく階段が。

 

川に降りるのではなく右に曲がり川沿いに歩く道に変わります。

 

さらに川沿いの道を進みます。

 

またしても懸造の神社が!

階段を上がります。

 

岩屋に祠がありました。

まさしく岩屋観世音。

 

祠の奥が洞窟ぽかったですが、人が入れる感じではありませんでした。

 

ここも昔の人が神様がいると考えたのが妥当な場所でした。

 

 

 
岩屋観世音の近くに橋が見えたので行ってみます。
吊橋ぽいシルエットなのに吊られていない変な構造。

 

橋の名前は無いようです。

奥にフェンスがあるので渡ってみます。

 
橋脚がない橋は強度を持たすために凸型に湾曲させて架けますが、この橋は凹型の吊橋シルエット。
雰囲気を出すためにあえてこの形状にしてるのだと思います。
歩行者専用だから強度的に大丈夫なのでしょうが、初めて見ました。
 

 

橋を渡ると目屋渓谷散策道入口のフェンス扉でした。

開閉しても良いとのことでしたが、散策はせず引き返します。

 

橋の上からの下流側の眺め。

岩壁が窪んでるのが岩屋観世音のある場所です。

 

 

津軽ダムパークに来ました。

ダム説明関連の展示、トイレなどがあります。

 

 

ダムを見下ろせる高台に寒沢展望台があるので、そちらに向かいます。

展望台駐車場からの眺めです。

 

ここから先は徒歩オンリー。

 

寒沢展望台に到着です。

 

 

 

 

展望台からはダム全貌が見えますが、こういう構図が見られるダム展望台は意外となく、黒部ダム以来かもしれません。

 

 

昔はここに目屋ダムという先代ダムがあったのですが、この津軽ダムができたことでダム湖に沈められました。
治水と発電の両方に使われています。
image
 

 

津軽ダムをダムカード風に撮影できるおもしろいスポットがあります。

 

枠から覗くとこんな感じです。

 

 

ちなみにこれが本当のダムカードですが、構図が全然違います。

 

 

ダム上部からの眺め。

 

ダム上部は車は通行不可です。

 

ダム中央の上部からの眺め。

 

 

反対側は津軽白神湖(ダム湖)です。

 

 

途中、水没林が。

 
 
水没林を見るとどうしてもこれを思い出してしまいます。
このシーンが水没林かどうかは記憶が定かではないのですが、水面に突き出た足と水没林のイメージが重なってそうさせるのでしょうか?
映画「犬神家の一族」 | 映画や海外ドラマ、ミニシアターやTVで観たら
 
 
 
 

車を上流に向かって走らせると、津軽ダムができるまで使われていたと思われる、現在は通れない旧道が見えました。

行こうと思いましたが途中で草木が生い茂っていて無理でした。

 

 

この橋を渡った先に「アクアグリーンビレッジANMON」という案内所や飲食店などもある観光拠点があります。

そこの駐車場に車を停めて白神山地を散策します。

 

 

 

ここが白神山地散策の入口です。

 

ユネスコの世界遺産登録碑が。

 

水場があり、清流が流れていました。

 

 

ここからいよいよ山に入っていくところですが、雨が強くなってきたのでここから先は断念。

 

 

 

 

 

 

 

何かの施設かと思ったら、国土交通省の艇庫でした。

 
艇庫と同じ敷地にある石碑群。

ダム湖ができるときに石碑をこちらにまとめて移設したようです。

 

 

 

 

 

これにて西目屋村を後にし、弘前市へ向かいます。

 

4月25日木曜日。天候は曇り。

5時前に起床し、5時20分に宿を出発しました。

表玄関が閉まっていたら裏から出ようと思っていましたが、開いていました。

 

 

北津軽郡鶴田町 

 

今日はまず北津軽郡の鶴田町に向かいます。

 

まず、グーグルマップで見つけた廻堰大溜池近くの「鶴田町間山桜並木」に寄りました。

この大溜池は通称「津軽富士見湖」と呼ばれており、ここから岩木山(津軽富士)が良く見えるという場所です。

 

堰堤を登ってみました。

早朝6時半なので道の桜吹雪が踏まれておらず、桜のじゅうたんのようで綺麗です。

 

曇天のため岩木山は見えませんでした。

 

 

次は鶴田町最大の観光スポット「鶴の舞橋」に向かいます。

 

桜並木が綺麗です。

 

橋が見えてきました。

 

 

「鶴の舞橋」は富士見湖パーク内にあります。

入場無料の公園です。

 

 

桜シーズン前まで工事のため通行止めだったようです。

 

 

 

鶴の舞橋は1994年7月8日、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に架けられました。

全長300mのこの橋は木造の三連太鼓橋としては日本一の長さを誇る橋であり、鶴と国際交流の里・鶴田町の新しい魅力となっています。

岩木山を背景にした舞橋の姿が鶴が空に舞う姿に見えるとも言われ、多くの観光客たちの目を楽しませています。

 

 

吉永小百合さんを起用したJRのCM撮影地として使われたことがあります。

青森県「津軽の逆さ富士篇」|大人の休日倶楽部:JR東日本

 

 

橋の全景(南側から)。

 

北側からの全景。

背景に岩木山が見えますが、雲がかかって残念な感じに・・・。

 

渡ってみます。

これは吉永小百合さんの写真(岩木山バック)とは逆の方向(南側から)です。

改修部分だけ木の色が新しい。

 

途中、屋根付きのあずまやの部分があります。

 

 

 

木製橋はどうしても経年劣化するため、このように張り替えていく必要があります。

30年も使っていたら仕方ないですね。

 

「富士見湖パーク」は芝生やステージがある公園でした。

 

 

園内には「丹頂鶴自然公園」があり、鶴が飼育されています。

営業時間外でしたが、外から見れました。

 

公園を後に岩木山方面に向かいます。

 

 

弘前市 

 

車は岩木山が近づいてきました。

既に弘前市に入っているようです。

 

途中1本だけしだれ桜がありました。

 

道沿いの個人所有と思われる畑の脇に植えられていました。

 

 

ずっと桜並木が続きます。

都会でこういう場所はないですね。

 

 

「岩木山の桜並木」という場所に来ました。

岩木山総合公園の西側の道路です。

 

満開が終わったのかと思い近くで見たら、まだ満開前からつぼみの状態でした。

ここは寒冷地のようで白樺(右手前)も生えています。

 

千昌夫「北国の春」を思い出しました。

 

 

 

そういえば、昭和のドラえもん(大山のぶ代時代)でジャイアンが歌うのは、初期は「おれはジャイアンさまだ」ではなく「北国の春」でした。

旧ジャイアンは実際に曲出してたけど、新ジャイアンも曲出してたりするの?? | ドラまとめ

 

 

探したらXに動画がありましたが、ポストした方の「実際する歌だったとは驚き」のコメントにジェネレーションギャップを感じます。

千昌夫のオリジナルから音程が大きく外れているわけではなく、イントネーションや歌詞の区切り方をデフォルメして音痴という事を子供にもわかりやすくしています。

 

 

https://x.com/doraemoonn2112/status/1272514670994223105

 

 

さらに西に車を進め「桜のトンネル」という場所に来ました。

ここも似た感じです。

 

道路脇にはまだ残雪が。

 

 

近くに「常盤野農村公園」があります。
「常盤」と「常磐」は非常にややこしい。
この公園は水芭蕉群生地らしいので、少し散策して見ます。

 

 

ふきのとうもあります。

長いこと食べてないなあ。

 

 

この近くを流れる湯段川沿いの奥に滝があるらしいので行ってみます。

途中から未舗装道になりかなり道が悪くなったのですが、GPSを頼りに何とかたどり着きました。

この鳥居の奥に小さな橋があります。

 

橋の奥に祠が。

屋根から流れる水の下を通過。

 

これが「黒滝渓流」です。

流れた水が洞窟の中に入っていくのがどこか神秘的でした。

 

黒滝です。

落差はないですが、水量は多い。

 

ここまでくると残雪も多いです。

 

 

マップを見たらここまで来た途中の県道3号線沿いに岩木山神社という有名な神社があったことに気づきました。
引き返すので帰りに寄ってみます。

 

県道3号線沿いは桜並木で道路幅も広く走りやすい。

 

 

途中の岩木山総合公園に「青い山脈」の歌碑がありました。

 

小説「青い山脈」の作家、石坂洋次郎が弘前市の出身だそうです。

 

作詞は西條八十という別の人です。

 

岩木山と反対側の南の空は晴れてきました。

 

 

このあと、途中にあった岩木山観光案内所という小さな施設に立ち寄り、弘前さくらまつりの案内マップをいただきました。

城周辺の駐車場の場所などが記載されていて役に立ちそうです。

 

 

 

岩木山神社に着きました。

道路わきにあるのに前ばかり見て運転していたので往路では全然気づきませんでした。

 

外国人ユーチューバー?が鳥居正面を独占して撮影していたので、撮影順番待ちが発生。

絵になる構図というのはわかります。

 

 

石の鳥居を2つくぐると木製の鳥居になります。

 

参道脇に別の神社やノモンハン事件の慰霊碑が。

 

 

 

名前しか知らなかったのですが、8000人ほどが亡くなった事件(戦争)のようですね。

 

 

参道脇の建物は社務所のようです。

 

茅葺、外戸が障子の昔の造りのまま。

たまに見ますが、現役で使われているのは珍しいと思います。

 

立派な山門「桜門」です。1626年築。

 

 

狛犬は紀元2600年寄贈なので1940年からあるようです。

開戦前でまだ気持ちや経済に余裕があり、こういう寄贈ができた最後の頃でしょうか。

 

石階段を上ると手すり欄干裏に狛犬が。

 

 

当然反対側にもあるのですが、こちらは下向き。

これは珍しい。

 
あとからわかったのですが計3対ある狛犬のうち、おそらくこの手すりに垂直についた狛犬が一番古く、山門ができた1626年から存在すると思われます。

顔つきが近代のものとは異なっており、配置の仕方も「見えないところでしっかり守ってるぞ」という感じで凄くおもしろい。

この頃から「阿吽(開口と閉口)」の概念はあるようです。

 

 

山門をくぐって進むと奥に拝殿。

あとから知ったのですが、本殿と思っていたこれは拝殿でした。

こちらにも3セット目の狛犬が。

 

土台に蟹のレリーフが。

このシルエットは沢蟹ではなくズワイガニぽいですが、付近に海はないのになぜだろう?

この狛犬は明治21年寄贈でした。

 

 

本殿はこの赤い柵の裏にあるそうで、参拝者はここ(拝殿)までしか行けないようでした。

 

拝殿は1603年築で山門より早く、ここが最初にできました。

最初はここが本殿だったそうで、1694年に現在の本殿が完成してからここを拝殿にしたそうです。

 

 

禊所は拝殿から少し下がった少しわかりにくい場所にあり、拝殿から直接見えません。

拝殿前に来てから「どこで清めたらいいの?」と探して降りてくる人多数。

水の音がしているので落ち着いて耳をすませば場所はすぐわかりますが、お年寄りは階段の上り下りが可哀想。

 

 

岩木山神社は昔からそのままの神社という感じがして興味深かったです。

 

 

これにて弘前市を後にし、次は西目屋村に向かいます。

 

 

 

 

西津軽郡深浦町 

 

国道101号線を北上し、往路では最短距離の山中県道を利用したため通らなかった海岸沿いを走ります。

途中でまた海沿いの大間越街道(旧道)に入っていきます。

 

 

いきなりテーマパークのようなものが現れ、ノーマークだったので驚きました。

かつて営業していた「ウエスパ椿山」というリゾート施設の跡地のようでした。

 

 

ここにJRのウエスパ椿山駅という2001年開業の駅があり、いまも現役ですが、降りる人はいるのでしょうか?

まだ物産店は残っていますが、集落などはない完全に観光客利用のみの駅です。

 

 

こういうのを見ると1993年の世界遺産登録で地域は相当盛り上がったのだろうと想像できます。

世界遺産の白神山地は自然好きな人以外は興味をそそられないうえに、写真映えするスポットもあまりない感じでした。

観光拠点となる先ほど訪れた十二湖周辺の施設には観光客も少なく、外国人もあまり見かけませんでした。

おまけに現地まで行くのに時間がかかる。

人が来ないから自然が守られたことで世界遺産に認定され、その後も人が来ない状態が続いているという皮肉な現象です。

 

 

椿島に来ました。

島ではなく、陸続きの小さな半島です。

 

 

 

 

遊歩道があって島まで行けるようでしたが、雨が降り出して時間もないので先を急ぎます。

 

 

五能線全通記念碑がありました。

線路とは若干離れた場所にあります。

 

昭和11年、戦争前夜の建立のようです。

国鉄五能線ができたことで青森県西部と秋田県が繋がり、人や物流の往来が活発になったことが想像されます。

五所川原と能代を結ぶ路線というのが路線名の由来です。

 

 

再び車は国道101号線を北上し、深浦町の中心部に来ました。

 

 

「風待ち館」という資料館です。

資料館に入らなければ無料の観光情報発信拠点です。

トイレ、無料wifiがあります。

 

私以外に客は無く、スタッフさんに地元の観光スポットなどを教えていただきました。

 

 

車がぜんぜん深浦町から出ないと思っていたら、面積が凄く大きな町らしい。

 

 

 

 

「風待ち館」の隣には円覚寺があります。

 

9世紀の建立とのこと。

 

 

再び海岸線に戻り、風待ち館で聞いたスポットを回ります。

 

 

この「港の一本杭」はどれかわかりませんでした。

 

 

弁天島です。

上まで登れます。

 

青森県の海の神として祀られているのは弁財天が多い気がします。

 

頂上からの眺め。海鳥がいっぱい。

 

 

 

右がマグロ岩です。

天を向いたマグロの顔に見えるらしい。

 

「大岩」が見えてきました。

陸続きで渡れます。

 

「海辺になぜカラス?」と思ったら、海鳥の卵を餌にしているようで、食われた卵がありました。

 

 

大岩へ行く途中にある恵比須神社。

えべっさんは海の神様なのでこれは納得。

 

見えてきました。

 

近づいていきます。

 

大岩の根元に穴が。

コンクリートで足元を固められています。

 

屈みながら入っていきます。

 

穴を抜けると人工的に掘られた岩階段が。

あがってみます。

 

つかまる物がなく怖い。

 

上の方まで登って行くと手すりが。

 

大岩の頂上に来ました。

 

先端まで行けるようですが、雨も降っているのでやめておきます。

 

引き返します。

 

 

ファミリーマート深浦駅前店でコーヒーを買って車内休憩。

時刻は17時前。

 

 

青森のコンビニは風が強いので風除室がある二重扉です。

この建物は海向きに建っており、風除室へは正面ではなく両サイドから入ります。

 

 

日没まであとどれくらい回れるでしょうか。

 

 

行合崎という岬に来ました。

 

写真では伝わりにくいですが壮大な景色です。

 

 

 

 

 

ミスチルのMVを思い出しました。

 

 

 
 

千畳敷海岸の駐車場に来ました。

ここには様々な奇岩があります。

時間的に全部は無理ですが近くのものだけ見ていきます。

 

鎧岩。

どのへんが鎧に見えるか不明。

 

千畳敷海岸。

 

ライオン岩。

これはすぐわかりました。

言われなくてもライオンに見えます。

 

 

 

 

これで事前にチェックした日本海側の観光スポットは全部見終わりました。

時刻は17:45。

宿泊地の青森駅近辺まで移動します。

 

 

 

つがる市 

 

深浦町から鯵ヶ沢町を過ぎ、つがる市に入りました。

ここで1つ見ておきたかったものがあるのでJR木造駅を目指します。

 

 

JR木造駅の駅舎は大きな土偶です。

以前、ナニコレ珍百景でも紹介されました。

 

列車の到着が近づくと土偶の細い眼が光って知らせてくれます。

この日は時間帯的に見れませんでした。

 

 

 

つがる市、五所川原市を過ぎ東進すると、途中からすごく走りやすい自動車専用道になりました。

近年造られた道路のようで、一般道なのに高速道路のような道で、交通案内表示も緑色です。

後で調べたところ地図上は「津軽自動車道」という高速道路ですが、無料共用中とのことでした。

五所川原市と青森市の間には梵珠山があるため、それをよけてのU字型ルートとなりますが、すいすい帰れました。

 

 

 

青森市 

 

青森市に入ると徐々に民家や大型店が増えだします。

大きなスーパーがあったので寄ってみました。

「カブセンター」というメガストアで、ここは昨日も別の店舗を見かけて気になっていました。

 

 

弘前市に本部がある紅屋商事という会社が経営しているようです。

 

 

 

 

桜餅は東日本と西日本で違い、関西の桜餅は東日本で「道明寺」と呼ぶという、ケンミンショーでやってたネタを売場で発見。


 

多分、関西人が想像する「道明寺」は「花より男子」の松潤のほう?

嵐 松本潤 公式写真 花より男子 道明寺司 - タレントグッズ

 

 

1日中運転と観光でクタクタ、旅館チェックイン後に再度外出する気力はないので、ここで地元飯を買って帰ることにしました。

鮮魚売り場の印象としてはマグロ切り身とイカ(姿の状態)が充実していました。

店員さんによると名物のイカメンチ(カツ)は人気のため売り切れたとのこと

 

 

 

青森駅近くの旅館に20:50到着。

無料駐車場付きですが、駅東口の繁華街からは少し距離があり、夕食を買っておいて正解でした。

 

チェックインして3泊分13500円をペイペイ払い。

平成築のようで比較的新しい。

 

 

北海道の旅館もそうでしたが、部屋にエアコンがありません。

この時期にしては温暖だったのでストーブは使わずにすみました。

 

このキーホルダーは久々に見た。

 

北海道の局が入るため、テレビはテレ東系列以外の民放が全部見れます。

wifiについて記載がないですが、廊下にパスワードが掲示されていて使えます。

 
共用スペース。
無料冷蔵庫、電子レンジ、温水洗浄トイレあり。
 
風呂は洗い場3か所の小さい風呂で、温泉ではありません。
3泊しましたが、旅館内で誰とも会いませんでした。
 
 
入浴後、マグロ率高めの夕食。

 

鉄火太巻のマグロ面積が異常。太巻きなのにこの量です。
刺身はマグロと何かの貝(赤貝?)。
ニシンと数の子の親子押しずしは、ニシンの下に数の子と大葉が挟まれています。
これは初めて食べました。
焼魚はホッケ。
 
青森はマグロの漁獲高が多く、特に今日訪れた深浦町は青森のマグロ漁獲高の半分弱を占めます。
下北半島の先端の大間町のマグロの方が知名度はありますが、それは一本釣りをしているからだと「風待ち館」のスタッフに伺いました。

 

 

締めに五目チャーハン。

海老が大きいですが、なぜか総菜コーナーにある海老料理も多かったです。

 

 

昨夜買えなかったオリジナル味のイギリストーストも買いました。

これは翌日に持ち越し。

 

 

1日目の夜に走行距離をカウントし忘れましたが、この日の降車時に確認したところ2日間で丁度500kmでした。

グーグルマップの軌跡を見ると、概算で1日目200km,2日目300kmという感じでしょうか。

 

 

車の運転は凄く疲れます。

明日に向けて早めに就寝しました。

 

西津軽郡深浦町 

 

車は国道101号線を南下し、本日のメイン観光地である白神山地に近づいてきました。

 

 

白神山地は、青森県南西部から秋田県北西部にまたがる130,000haに及ぶ広大な山岳地帯の総称です。

このうち原生的なブナ林で占められている区域16,971haが1993年12月に世界遺産として登録されました。

日本最初の世界遺産で、昨年登録30周年を迎えました。

 

 

日本には国立公園とそれより格下の国定公園があります。

白山、利尻礼文、奄美諸島など国定公園から国立公園に昇格したケースもありますが、白神山地は未だに国定公園です。

しかも今朝通ってきた十三湖や岩木山などを含んだ「津軽国定公園」という広いエリアの一部分にしかすぎません。

それがいきなり世界遺産に登録されたのだから、地元は驚いたと思います。

 

 

国道から十二湖方面へ左折する交差点には道路案内があるのでわかりやすいと思います。

そこから2kmほど登ると「日本キャニオン入口」というバス停があり、付近に無料駐車場やトイレなどがあります。

そこに駐車して徒歩で日本キャニオンを目指します。

 

 

 

 

駐車場そばに八景の池がありました。

 

水面が鏡のようで神秘的。

 

 

ここが日本キャニオンの登り口です。

0.5kmか・・・。

 

山道を20分程登ると展望台が見えました!

 

そこだけ岩肌がむき出し。

写真では伝わりにくいですが、良い眺望でした。

 

 

下山し、車で十二湖を巡ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中立ち寄った「十二湖ビジターセンター」にあった掲示物によると、湖が十二あるわけではなく、実際はもっと多いそうです。

 

 

道路脇には猿もいます。

人慣れはしていないようで、カメラを向けると狙われていると思ったのか逃げていきます。

人間と野生動物の関係性という自然は守られているようです。

 

 

「沸壺池の清水」という平成の名水百選に選ばれた清水がありました。

飲用施設として整備されていましたが、心配だったので飲みませんでした。

 

「沸壺池の清水」の上流には沸壺池という透明度の高い池があると後で気づきました。

事前に見逃していたことが悔やまれます。

 

 

少し先に駐車し、徒歩で青池を目指します。

 

途中に鶏頭場の池がありました。

 

 

青池が見えました。

 

透明度が高く湖底の木までブルーに見えます。

 

見逃した沸壺池も青池と同じような青い池だそうです。

 

 

これで白神山地、十二湖は見終わりました。

世界遺産としては期待外れの感がありますが、これは景観が理由の認定ではないためです。

世界遺産に認定された理由は原生的なブナ林ですが、これ自体の見た目は極めて地味なものです。

昨秋、妙見山に登ったときもブナ林が有名と聞きましたが、ただの林でした。

 

 

再び車に乗り込み、車を南下させ秋田県との県境を目指します。

そこまで行く予定は無かったのですが、青森県西岸完全制覇をしておきたくなりました。

 

 

再び右手に日本海を眺めながらのドライブです。

 

 

ついに秋田県の県境まで来ました!

県境を越えたところでUターン。

 

 

事前リサーチしておいた青森県西岸最南端の店で遅めの昼食です。

付近に集落がなくポツンと1軒存在します。

 

 

 

刺身定食と迷いましたが、生海鮮丼のほうが刺身の種類が多いと伺ったのでそちらを。

値段の違いは刺身の種類の多さとイクラの分とのこと。

 

刺身はどれも新鮮でおいしく、飯は酢飯でなかったのでこちらも自分の好みでした。

黒いのは刺身醤油にしては多いと思ったらコーヒーゼリー(寒天)でした。

 

 

食べ終えた後、冷蔵ショーケースで気になったさけ寿司(1200円)をいただきました。

本来は持ち帰り用ですが、了解を得て店内で食べさせていただきました。

 

割りばしと比較してもけっこう大きなサイズですが、炭水化物ではないのでいけるでしょう。

 

鮭、キャベツ、大根、人参などをご飯と一緒に発酵させた「なれずし」です。

 

塩気が強くなかったので、浅漬け感覚で全部食べられました。

 

 

この地域の郷土料理で、イカ、ハタハタなどを使う事もあるそうです。

本来、「すし」といえばなれずしが発祥で、私は子供の頃から自家製のものが食卓に上がってましたが、もうこの食べ物自体を知らない人も多くなりました。

本来発酵で酸っぱくしていたのを時間短縮で酢を使いだし、米事情が良くなったので米量を増やして食事にしたのが現代の寿司だったと記憶しています。

 

 

合計2900円を現金払い。

支払い方法は現金のみ。

海鮮と郷土料理の両方を堪能できて、お腹も気持ちも満足しました。

そういえば、まともな海鮮丼を食べたのは初めてかもしれません。

海鮮丼ってちらしずしを省力化して寿司屋以外でも提供できるようにした、比較的最近の食べ物ですよね?

 

 

女性ばかりで運営されているお店のようでした。

夫は仕事、女性は陸仕事という漁師町の働き方。

「トイレのみの使用お断り、一人1品以上注文要」の貼り紙がありましたが、近隣に店がないため少額の買い物でトイレを借りに来る人が多いのでしょう。

普通の人は下水道がない僻地のポツンと1軒屋で水洗トイレを維持するコストなど、考えたこともないのかもしれません。

下水道に流して終りの都会とは違います。

 

 

ここからは来た道を北上して戻っていきます。

往路でスルーしたスポットを復路で時間の許す限り見ながら戻るという本日の作戦です。

 

 

途中に「大間越しらかみリゾートビューポイント」という箇所をマップで発見しましたが、見慣れた景色でした。

 

 

 

 

むしろ岩肌に直掘りされた五能線トンネルのほうが気になりました。

 

 

途中、国道をそれて大間越街道という旧道に入ってみました。

国道にトンネルが掘られてからは主に地元民しか使わなくなった海沿いの旧道です。

 

 

漁村らしく海の安全を祈願した小さな神社がありました。

 

 

道路わきに野良猫がいました。

 

寒い青森でも野良猫がいるのは意外でした。

子猫が寒い冬を無事に越せるのでしょうか?

北海道では見かけた記憶がないです。

 

 

 

車は十二湖付近まで戻ってきて、不動の滝の入り口に来ました。

 

徒歩で目指します。

 

 

 

見えました!

 

なかなか水量もあります。

 

もちろん滝につきものの神社もありました。

 

 

再び車は北上し、国道の森山トンネルの手前を海岸添いの旧道に入っていきます。

 

象の鼻の形をした象岩です。

 

象岩の隣にはかんざし岩。

 

上部には日和見山展望台があるそうですが、時間がないのでやめておきます。

 

 

さらに集落の方に車を進めるとダイナミックな光景の森山海岸が。

 

 

天然の洞門と人工トンネル(JR五能線)の共演。

ここもまた岩盤をくりぬいたトンネル入口です。

 

沖に浮かぶのは汐ケ島という無人島です。

それにしても線路と海がこれほど近いのは珍しい。

普通、防波堤造るよね?

 

反対側のトンネル出口は普通のコンクリートでした。

車道トンネルは対向できない旧道トンネルです。

 

 

車は国道に戻り、さらに北上を続けます。

 

 

4月24日水曜日。天候は曇り。

早朝5時前に起床、5時15分頃に宿を出発しました。

前夜のチェックイン時に「早朝に出発したいので、裏から出てもいいか」と尋ねたら「5時頃起床しているので表を開けておきます」とのご配慮をいただいたので、早朝より動き出すことができました。

 

 

出発前に敷地内を散策。

昭和24年に建てられ平成5年に閉校になった中学校を改築した宿です。

 

開校当時は「一本木村立 袰月(ほろづき)中学校」だったそうで、ロマンチックな名前。

この石碑は廃校後に建てられたものです。

 

 

今日のメイン観光地は世界遺産の白神山地をはじめとする津軽半島の西側の南半分です。

北半分(竜飛埼から十三湖の北側まで)は昨日制覇しました。

 

 

 

 

五所川原市 

 

今日は昨夜今別町の宿に来た道を逆方向に戻ります。

最初に県道14号線を南下、次に県道12号線を西進し日本海側へ行くという、逆L字型ルートです。

 

 

昨夜は真っ暗で走りにくかった道も、明るいと走りやすい。

6時前に最初の目的地である五所川原市の大沼公園に到着しました。

 

 

遠くに岩木山が見えます。

 

早朝のため公園には誰一人いませんが、散策しました。

 

 

「東日流館橋」という立派な橋がありますが、経年劣化で痛んでいました。

水鳥は全くいません。

 

 

橋の途中には櫓があって登れます。

 

 

大沼の南にはもっと大きな「十三湖」という湖があり、湖の北部に浮かぶ中島という小島があります。

そこまで車で移動しました。

 

この橋を渡ると中島です。

 

 

長山洋子さんの「恋の津軽十三湖」の歌碑が。

まったく知らんなあ。

 

この歩行者専用橋の先が中島です。

 

島には民俗資料館やキャンプ施設がありましたが、この日は無人のようでした。

歩行者専用橋しかないこの島に、物資はどうやって運ぶんだろう?

本当は車も通れる橋なのでしょうか?

 

 

車は県道12号線を南下します。

この道は通称「メロンロード」と呼ばれています。

 

 

 

つがる市 

 

車はつがる市に入りました。

 

 

湊明神社がありました。

 

この辺りは、鎌倉時代から室町時代にかけて、当時の日本十大港湾の一つとして栄えた、「十三湊」という港があり栄えていたそうです。

 

境内には遺跡もあるらしいですが、急ぐのでスルー。

 
 

 

南下する車の右手(西側)には南北に長い沼がいくつも点在しています。

 

 

県道228号線にあたる交差点を西進し、高山稲荷神社に到着しました。

大鳥居があり、思っていたより大きな神社です。

 

この鳥居の先にある丘を越えます。

 

丘を越えて降りていくと神社が見えました。

 

伏見稲荷のような千本鳥居が。

 

 

 

千本鳥居をくぐって登っていくと、展望台に到着しました。

 

これは絶景。

インスタ映えするスポットです。

 

鳥居は令和3~5年にかけて寄贈され建立されたもので、新しいものです。

鳥居の逆側の柱には寄贈者の居住地(〇〇市)、氏名が記載されており、個人寄贈も多かったです。

 

境内には池も。

 

稲荷のほかに水神も祀っているようです。

狐と龍の欲張りセット。

 

「鳥居一本寄贈するのにいくらくらいかかるんだろう?」と考えていたら、その答えが。

1基15万円也。

この金額で名前が残せるなら寄贈者が多いだろうなと思いました。

なお応募は既に締め切られています。

 

神社の駐車場の八重桜が綺麗でした。

 

車はメロンロードに戻り、さらに南下。

平滝沼公園にやって来ました。

ここも桜の名所です。

 

 

 

ここには昔、平滝という集落があったそうですが、江戸時代に廃村になったそうです。

その経緯が書かれた看板を読んで悲しい気持ちになりました。

 

強風、砂地、湿地帯で農業も生活もできない。

そんな場所だから公園にするしかなかったのでしょう。

 

 

ベンセ湿原にやって来ました。

 

展望台があります。

 

展望台からの眺め。

夏だともっときれいな眺めだと思います。

 

 

 

 

再び車で南下。

岩木山が近づいてきたのがわかります。

 

 

車はつがる市を過ぎて県道から国道101号線に替わり、日本海に面した海沿いの街、西津軽郡鰺ヶ沢町に入りました。

 

 

鯵ヶ沢は以前「ブサかわ犬」として有名になった犬「わさお」がいたことで有名です。


(画像は拝借しました。)

 

2011年には薬師丸ひろ子さん主演で映画化もされました。

JR鯵ヶ沢駅の観光駅長をしたり、死後に道の駅に銅像が建てられたりしたそうですが、今回はスルーし先を急ぎます。

 

 

8:55、ローソン鯵ヶ沢店でいろはす桃購入、クオカード払い。

本日最初の飲食は水分補給のみ。

 

 

西津軽郡深浦町 


鯵ヶ沢町を通過し、同じ西津軽郡の深浦町に入りました。

今日のメインは白神山地なので、往路は寄り道せず急ぎます。

 

 

と思ったら、かぶと岩と呼ばれる岩があったので撮影。

 

 

 

 

国道と並走するJR五能線は海と凄く近い。

車体やレールに及ぼす塩害は大丈夫なのでしょうか?

 

 

海側のスポットは帰りに見るとして、白神山地まで急ぎます。

燃料残目盛が3になったので10時前に今旅初のガソリン給油。

ガソリンスタンドがめったにないため、早目に給油しておくことにします。

17.00リットルで3043円をクレジットカード払い。

 

 

このまま国道をずっと走るのかと思ったら、カーナビで山に入る県道へ行くよう指示がありました。

確認したところ確かに距離は山道の方が短いので、信じて従いました。

 

 

山の集落内には道路の上を通る五能線の高架橋がいくつもあります。

昔は田舎の鉄道橋の下部はこのように素通しで、列車の底が見えました。

鉄道橋の高さが低いのもよくある光景でした。

都会では見られなくなった光景です。

 

カーブミラーとの比較で低さがわかります。

緑や青など橋の色が違うのはなぜだろう?

 

 

車は山道を通り、白神山地の観光拠点である十二湖周辺へ向かって急ぎます。

青森旅行記の途中ではありますが、子供の日にインターコンチネンタルホテル大阪「ノカロースト&グリル」の期間限定ビュッフェに行ってきました。

 

ここは普段はフルビュッフェをやっていなくて、家族や友人などが集まる機会の多い特別な期間のみの開催です。

昨年末に初利用した時にスタッフから「次回開催はゴールデンウィークかも」と伺っていたので、公式サイトを時々チェックしていて見つけました。

 

 

 

エレベーターで移動。

 

レストランは20階です。

 

20階に到着。

 

予約時間の18時丁度に店に到着しましたが、既に数組が入られていました。

 

テーブルにはキャンドルが。

タオルおしぼりを出してくれる店も減りました。

マリオットでも紙おしぼり(良いものでしたが)でした。

 

 

 

トイレもタオルおしぼり。

コストかかってるなあ。

 

 

ゴールデンウィーク ファミリーフルビュッフェ 

 

 

ディナー 18:00~21:00(ラストオーダー 20:30)
お一人様 6,900円 +サービス料15%

内容
前菜・メイン・デザートブッフェ、コーヒー又は紅茶


■前菜
ポテトサラダ アンチョビ ハム
シーフード リゾーニサラダ
キドニービーンズとモッツァレラチーズのサラダ
ヒヨコ豆とツナのサラダ カレー風味
チキンとキヌアサラダ
ブリのスモーク 大根
ミートローフ
エスカベッシュ Thailand風
鯖リエット バゲット
フォカッチャ
ギリシャ風野菜のマリネ 
 他

■スープ
本日のシェフおすすめスープ


■メイン
サワラ チョリソー  コキヤージュソース
本日の鮮魚のグリル オリエンタルソース
京都日吉豚のロースト マスタードソース
紀の国みかんどりのレモンクリームパスタ 
スパイシー・ジャンバラヤ
 他

■カービングステーション
ローストビーフ
ぐるぐるウインナーの鉄板焼き
 

■キッズメニュー
ポテトクランチ
キッズカレーライス
ミニキッシュ
アイスクリーム
ドーナツ ツリー
 

■デザート
ストロベリームース クリスタルジュレ
バニラパンナコッタと苺ソース
ストロベリーティラミス
スフレチーズケーキ
季節のショートケーキ
ブルーベリーヨーグルトムースケーキ
マンゴーバニラムースケーキ
季節のフルーツタルト
苺ムースとベリーマリネ
アールグレイムースオレンジコンポート
苺のブラウニー
 他

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オードブルからいただきます。

コールドミート、ブリのスモークなど。

 

パテ、オリーブ・ネギのマリネなど。

 

サラダ。

 

そろそろメインに。

サワラ チョリソー  コキヤージュソース、
本日の鮮魚のグリル オリエンタルソース、

ミニキッシュ

 

京都日吉豚のロースト マスタードソース

 

紀の国みかんどりのレモンクリームパスタ 
スパイシー・ジャンバラヤ、温野菜

 

ローストビーフ、マッシュポテト添え。

オニオンソースが甘いので、食べる時によけていただきました。

 

デザートは5月なので苺中心。

 

 

ドリンクはコーヒー、紅茶は料金に含まれ、各温冷あり、同種に限りおかわりも可能です。

ただし、アイスからホットなど種類の変更は有料です。

 

アイスコーヒーをいただきました。

ボダムの二重構造のグラスでクッキー付き。

 

スフレチーズケーキが美味しかった。

 

高級レストランならではの食後のチーズ&ナッツ。

 

アイスクリームは注文都度、スタッフが盛ってくれます。

 

ソフトクリーム形状ですが、アイスクリームです。

 

最後にサラダ。

 

パンも少し。

トマト味のミニロールパンでした。

 

 

美味しかったものベスト3。

 

1位:スフレチーズケーキ

 

これは人生で食べたスフレケーキで一番美味しく、おかわりました。

少し塩味があり、ふわふわ食感。

 

 

2位:アイスクリーム

 

少しシャリシャリ感があり、「ロッテ爽」のような食感でした。

 

 

3位:なし

 

どの料理もそれなりに美味しいのですが、特筆すべきものや初めて食べる味が無かったです。

 

 

会計はテーブルチェックでした。

6900円にサービス料1035円で合計7935円をクレジットカード払い。

 

 

昨年12月利用時はサービス料・税込8050円だったので、少し安くなってる?

 

 

前回は満足しましたが、今回は物足りませんでした。

特別美味しいと思ったものがデザートの2品だけで、料理の質が下がっている気がしました。

 

これはキッズメニューが追加されたことが理由だと思います。

カレー、アイスクリーム、ポテトとか、そんなものを食べに来たわけではないので、次回は元に戻っていると思いたいです。

 

 

次回は夏季のお盆時期の開催かと予想しています。

 

北津軽郡外ヶ浜町 

 

竜飛埼の後に、車でその下の集落に降りてみました。

階段国道の下部にあたるところです。

 

 

太宰治の石碑などがありました。

かつてこのあたりを取材旅行し、小説「津軽」を執筆したそうです。

 

 

 

 

この銅像の方のおかげで竜飛岬までの道ができたそうです。

 

 

大正時代まで道路が無かったというのは、ここに来るまでの地形を見れば納得です。

技術的にはもっと早く開通できたかもしれませんが、道路を通したところで何もない土地。

 

昭和四年の開通記念碑。

 

 

グーグルマップを拡大するとわかりますが、津軽半島最北端は竜飛埼ではありません。

その先にある帯島という無人島です。

堤防で繋がっているので車でも行くことができます。

 

島には海の安全を願って弁天様が祀られています。

 

 

国道339号線、通称「竜泊ライン」を南下し、竜飛埼を後にしました。

 

 

 

北津軽郡中泊町 

 

竜飛埼を出るとしばらく何もなく、グネグネと曲がった道が続きます。

 

 

途中、「眺瞰台」という展望スポットがありました。

 

かなり日が傾いているため西側の写真は逆光ですが、石碑には「眺瞰台」と刻まれています。

 

 

「竜泊ライン」はこんな感じです。

運転が嫌になります。

 

 

さらに南下し、海に近づいたあたりに「坂本台」という場所があります。

冬季はこのゲートが閉鎖され、津軽半島の西側から竜飛埼には行けないようです。

 

海岸に降りれますが、もう17時半を過ぎているのでやめておきます。

 

 

車で50mほど下ると「一ノ坂」の石碑がありました。

竜飛埼へ向かう最初の坂という意味だそうで、昭和51年の開削現地調査で名付けられたとのこと。

昭和51年というと結構最近の気がしますが、それまでまともな道が無かったと考えると秘境という感じがします。

 

 

一ノ坂を過ぎるとヘアピンカーブがなくなり、走りやすくなりました。
海沿いの道を夕日を右手に見ながらのドライブです。


この時間から竜飛に行く人は無く、対向車とはほとんどすれ違いません。

北海道なら「熊に注意」の看板が山道のあちこちにありますが、ここにはそれがないのは熊さえ住みつかないのでしょう。

木すら生えておらず、まず熊の餌になるような実を付ける植物がありません。

もっと寒い北海道にさえ木は生えていますが、この地方は風が強いので木が繁殖できないのでしょう。

わずかな海鳥以外の動物はいない感じです。

 

 

道路がない時代、吉田松陰が通ったという道の入り口が。

 

 

竜飛から最短ラインを切り開いた今の国道と違い、松陰道は緩やかに見えます。

日本海からの強風で木々も繁殖しないはげ山ということが、この写真からよくわかります。

 

グーグルマップで見つけた傾り岩(かたがりいわ)という岩です。

 

 

さらに国道を南下。

「七つ滝」がありました。

 

近づけそうなので行ってみます。

 

途中、右手に小さなトンネルが。

 

滝が上から階段のように7段に分かれて流れているのが名前の由来のようです。

下から3段の位置まで登りました。

 

滝に夕日が当たって綺麗でした。

なかなか見事な滝でした。

 

 

「道の駅こどまり」に来ましたが、18時前なので既に閉店しており、中に人もいない感じでした。

周囲に民家などはありません。

この写真が夕日マックス。

 

 

国道から県道286号線、通称「ひば峡道」を入り、グーグルマップで見つけた小泊ダムを目指します。

 

 

小泊ダムはキャンプ場や公園なども整備され、桜が綺麗でした。

 

花見やピクニックには穴場だと思います。

 

ダム上部からの眺め。

 

ダム上部は車両通行止めでした。

 

 

車は再び国道に戻り、中泊町中心部を目指します。

集落に到着しましたが、小さな漁村という感じで店のようなものはほとんど何もない。

「これ本当に町か?」と思い、調べたら飛び地だと判明。

 

 

外ヶ浜町と同様に、中泊町もイレギュラーな合併をして誕生した町です。

日本海側に面した小泊村と内地の中里町が2005年に合併して誕生しました。

今いるのは、旧小泊村にあたる小泊地区(沿岸部)です。

 

 

 

海岸線に夕日が沈むのが見えました。

撮影時刻18:19。

 

 

小説「津軽」の像記念館に来ました。

 

既に閉館していたので、銅像のみ撮影。

左から太宰治、その幼少期、乳母タケ。

 

「津軽」は、太宰自身と想定される「私」が三週間かけて生まれ故郷の津軽半島を一周した旅を綴った、紀行文のような体裁の小説です。

行く先々で朋友らから歓待を受けた「私」が、この旅の最後に訪れるのがここ小泊で、ここを訪れたのは、三歳から八歳になるまでの期間、子守として「私」の面倒を見てくれたタケという女性に会うことが目的だったそうです。

 

 

本日の目的地はこれで全部終わりです。

ここから1時間以上かけて今別町の宿を目指します。

 

 

集落を出る18:49撮影。

もう月が出ていました。

 

 

ここから一度国道339号線を南下し、途中から県道12号線に入り東進、途中から県道12号線を北進し今別町を目指すという、遠回りのルートしかありません。

つまり「U」の字に移動する感じです。

いかに奥羽山脈が険しいかがわかります。

 

 

竜飛から道の駅こどまりの間と同様に、中泊町から今別町までの山道には何もありません。

田舎のレベルを超えた秘境です。

街灯も建物もない漆黒の闇の中を、ラジオの電波も入らない状態で進むのはとても心細く、時間が長く感じました。

 

 

 

 

北津軽郡今別町 

 

今別町の明かりが見えたときにはホッとしました。

ラジオは電波が悪いながらも北海道の局が入りだしました。

北海道日本ハム対東北楽天戦を中継しています。

 

 

宿の予約をしたときに「町内にスーパーはない」と聞いていたのですが、ファミマの横にホームセンターがあり、そこで食べ物を取り扱っているようなので、夕食の買い物をして帰りました。

 

 

宿到着は20:13でした。

1時間半ほどしか走っていないのに、3時間くらい走った気がする。

 

 

宿は廃校になった中学校分校を改築した建物です。

 

宿泊費は4000円に暖房費500円で4500円でした。

現金払いのみ。

 

 

昔の学校の造りで、廊下の片側に部屋が並んでおり、突き当たりが風呂、トイレ、食堂などの共用スペースです。

 

この日の宿泊者は私のみ。

部屋は2年3組です。

 

ベッド縦置きのツイン。

ベッドメーキング、翌朝のシーツ外しはセルフサービスです。

厳冬期ではないためストーブは切ってあり、エアコンのみです。

カメムシ対策用ガムテープが設置してあります。

 

テレビは食堂で見れますが部屋には無し。

wifiは入ります。

部屋を出たところにツードア冷蔵庫が各室ごとにあります。

 

 

食堂に移動し、調達した夕食タイム。

弁当、総菜類がすべて売り切れていたので、地元のパンを購入。

 

以前ケンミンショーでも紹介されたご当地パンメーカー、工藤パンの「イギリストースト」。

本来はシュガーマーガリンですが、小倉トーストしかありませんでした。

工藤パン製品ばかり4種類購入。

 

チーズブレッドは翌日に残し、残り3個を食べました。

「くるみだいすき」という蒸しパンがとても美味しかったです。

100円台の袋パンですが、都会では考えられないくらいクルミの粒が大きい。

これは滞在中リピートしたい。

 

 

あとはカップ焼きそばと地元のさつま揚げ。

 

貧相な夕食ですが、一応ご当地パンで納得。

今日は昼に刺身を食べていたのでよしとしましょう。

 

 

夕食後、入浴。
人工温泉でした。
シャンプー、ボディソープありですが、タオルのみ持参が必要でした。
 
入浴後は翌日に備えて早めに就寝しました。

 

外ヶ浜町(竜飛崎) 

 

外ヶ浜町の国道339号線を海岸線に沿って北上し松前街道の終点を過ぎると、いよいよ竜飛崎が近づいてきました。

このあたりは集落も小さく、昔はほとんどだれも住んでいなかったのだと想像します。

 

 

竜飛崎は通称「竜飛岬」と呼ばれています。

これは石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」の歌詞の影響が相当に大きいと思われます。

 

 

国道から左(山側)に入る「竜飛ライン」の道路案内標識に従い登っていきます。

大きな風車などが目に入ってきて、もうここは竜飛崎です。

 

 

青函トンネル工事殉職者の慰霊碑が。

 

 

 

殉職者34名の氏名が刻まれていました。

 

 

昭和の難工事で有名な黒四ダムの殉職者は171人。

それと比べると時代が近代なので安全意識も向上していたと思われますが、それでもこれだけの難工事と犠牲者がいたことを忘れてはなりません。

 

 

「津軽海峡冬景色」の歌碑に来ました。

ここは見晴らしはいいですが、まだ竜飛崎の先端ではありません。

 

ここに来たほとんどの人が歌碑の前で撮影をします。

赤いボタンを押すと「津軽海峡冬景色」のイントロのあと2番が流れます。

「間奏の後2番」ではないので、レコード音源の切り取りではなく専用に録音されたと推測。

 

2番の歌詞は「♪ごらんあれが竜飛岬 北の外れと 見知らぬ人が指をさす♪」

この歌で竜飛崎は全国的に知られたと思われます。

石川さゆりさんの歌声が若いので、昔に録音されたものでしょう。

 

 

歌碑の裏からの眺め。

 

 

風は強いのに、「本当に発電できてるの?」というくらい風車はゆっくり回っています。

 

後で知ったのですが、早く回ると騒音、摩耗損傷が大きくなるので、風速に関係なくゆっくり回る構造になっているそうです。

 

 

歌碑の横が有名な階段国道の降り口です。

 

 

 

全体の2/3くらいまで降りましたが結構長い。

また登らなければいけない疲労と時間を考え、最後までは降りずに引き返しました。

 

 

再び車で竜飛崎に近づきます。

石碑などが置かれたエリアに来ました。

 

吉田松陰もここに来たそうで、その記念碑のようです。

 

 

歩行者専用の竜飛橋を渡ります。

この下は川ではなく道路です。

風が強く帽子が飛ばないよう抑えながら歩きますが、幼児ならまともに歩けないくらいの強風です。

 

 

竜飛橋を渡ると「碑の丘」という石碑の密集地でした。

 

 

 

 

 

 

これは南向きの眺望。

つまりこの海岸線は津軽半島の西側という事になります。

 

 

北に徒歩移動し、竜飛埼(崎ではなく埼)灯台に来ました。

 

 

 

 

灯台の先にあるこの展望台が一般人の行ける竜飛埼の最北端です。

柵の先は無線基地があるため立ち入り禁止で、本当の北端に行くことはできません。

 

 

 

 

 

青函トンネル記念館(体験坑道) 

 

 

再び車に乗り「青函トンネル記念館」にやって来ました。

 

 

建物前に「天皇皇后陛下行幸啓記念碑」と「海底下の石」がありました。

 

 

「青函トンネル記念館」は冬季は休館なので事前確認が必要です。

今年は4月19日オープンでした。

記念館見学のみなら400円、体験坑道(ケーブルカー)込みなら1500円です。

もちろん体験坑道込みで。

支払いは現金のみです。

 

「竜飛斜坑線もぐら号」という工事の際に実際使われたケーブルカーに乗れます。

 

乗客は3人のみ。

女性、家族向けのスポットではありませんね。

 

ゴールが見えないほど深く潜ります。

 

 

10分ほどでゴールの体験坑道駅に到着しました。

 

ここからはスタッフ先導で行動内を歩きます。

 

795mを平地で歩くのもきついのに、階段ならどうなるのか・・・。

 

 

 

海底の魚が水槽で飼育されていました。

深海というほどでもない水深なので、割と普通の魚です。

 

 

 

 

ここから体験坑道です。

 

 

 

 

 

内部で使われていたトロッコ、工具、マネキンなどが展示されていました。

 

トロッコ内部は凄く狭い。

 

 

 

 

 

 

 

阪神優勝のあの年に貫通したんですね。

まだこの時は貫通はしても鉄道は未開通です。

 

 

 

 

この先には本物の鉄道が走っているトンネルがあるそうです。

 

 

ケーブルカーは古いので頻繁に壊れます。

その都度、クラウドファンディングで復活してきたそうで、今回乗れたのは運が良かった。

 

体験坑道の最深部は入口から900m。

 

ケーブルカーで帰路に。

ここからまた登っていきます。

 

出発地点の駅まで戻ってきました。

 

ケーブルカーが駅に到着するとまたこのゲートが閉じるのですが、この開閉必要なのかな?

 

 

駅から記念館に徒歩で戻るための頑丈な扉が開かなくなるアクシデントで、2,3分待ちました。

無事空いて記念館に戻れました。

 

 

館内に地元のスターのポスターが。

今と顔が違う気がする。

 

 

ここから先は記念館の展示を見て回ります。

 

 

黒四ダム工事が「黒部の太陽」で映画化されたように、青函トンネル工事は「海峡」で映画化されました。

東宝50周年記念の大作で、高倉健、吉永小百合の2大スター共演だった割には知られていない気がする。

 

この映画は1982年の作品ですが、その時青函トンネルはまだ開通どころか貫通もしていません。

しかし、想像で貫通に成功する場面が描かれていたらしく、当時は冷ややかな目で見られていたのでしょうか?

 

高倉健さんは福岡県出身なのに、青森を舞台にした「八甲田山」、北海道が舞台の「幸せの黄色いハンカチ」、「鉄道員(ぽっぽや)」など、北国が似合うイメージですね。

 

 

展示自体に面白いものは無かったです。

 

 

 

 

定刻時間にビデオ上映があり、ちょうどよい時間だったので見始めたのですが、次に急ぎたいため開始20分くらいで断念。

記念館を後にしました。

 

 

外に出ると、ケーブルカーの巻き揚げ用ワイヤーがありました。

 

右側の滑車が付いた建物がケーブルカーの駅。

そこから道路の上をワイヤーが跨いで、少し低い位置にある巻き揚げ用モーターのある建物に入っていきます。

このような珍しい構造になっているのは、本来モーターを設置する位置が斜面になっており建物を建てることができなかったためと思われます。

 

記念館は展示物には面白いものはないので、体験坑道見学込みにされることをお奨めします。

 

 

記念館を後にし、竜飛海岸に来ました。

写真を撮り忘れましたが、竜飛埼から少し南下した場所で、岬の西側になり日本海に面した海岸です。

今は閑散としていますが、夏は海水浴もできる感じです。

 

 

これにて竜飛埼を後にしました。

 

東津軽郡今別町 

 

車は外ヶ浜町を過ぎ、同じ東津軽郡の今別町に入りました。

 

 

早速、岩屋観音がありました。

 

 

 

階段を下りていくと、洞窟まではいかない窪み(岩屋)があり、観音様が祀られていました。

昔の人が海の安全を祈願し建立したのでしょう。

 

 

しばらく車を走らせると国道脇に「だるま滝」がありました。

だるまに見立てた大きな岩の上を細い滝が流れています。

 

 

「赤根沢の赤岩」です。

赤い岩肌自体はたまにみかけますが、ポツンと1個だけ点在するのは珍しい。

説明によると、もっと奥にあったものを昭和時代に人の手でここに移動させたとのこと。

このあたりは赤岩の産地で、昔は神社などの塗料用の顔料として使われたそうです。

 

 

高野崎にやって来ました。

 

灯台があり、その先まで行けます。

 

灯台の先の階段を下りていきます。

 

赤い橋が2つ。

近くで見ると金属製の橋ですが、和風の丸みを帯びた赤い橋にしたことで、写真映えします。

 

先端は岩礁で潮だまりがあちこちにあり、歩きにくかったです。

 

 

ふたたび車で海岸線を西進し、グーグルマップにあった「袰月(ほろづき)魚籠観音」に立ち寄りました。

国道から脇道を山の方に入り、5分くらいで到着です。

 

 

説明板が無かったのですが、ブログで解説を書かれている方のブログがありました。

海上安全・大漁祈願・安産祈願に加え、女性観音であることから、女性の諸々の悩みを取り除いてくれるそうです。

 

 

高台にあるので眺めは良かったです。

奥に竜飛岬が見えます。

 

 

 

車を走らせると、国道脇に石碑があったので降車して見てみました。

袰月会館という地域の集会所の前に建っています。

 

高木恭造という方言詩人の石碑だそうです。

 

歴史上の人物かと思いきや「渋谷ジャンジャンで詩を朗読」という違和感のある一文を発見。

昭和62年没とのことで、割と最近の方です。

 

この地域の悲哀を綴った詩で、要約すると、

「この村に一度でも陽があたったことがあるか。みんな貧乏くさくて生臭い体で、若者はよそへ逃げジジババばかりがうじゃうじゃ。夜になれば沖で亡者が泣いている。」

というとても暗い内容の詩でした。

 

 

 

いたたまれずすぐに退散。

 

 

車で少し進むと袰月海雲洞釈迦堂がありました。

 

 

横には滝が流れていました。

 

地域の皆さんの手で綺麗に保たれています。

 

 

鋳釜崎展望台に来ました。

 

先端に展望台が。

 

先ほどよりも竜飛岬に近づいてきているのがわかります。

 

 

グーグルマップで見つけた「松陰くぐり」という洞門に行ってみました。

 

 

側面が不自然に真っ平。

これは天然の洞門に船などを通しやすいよう人工的に削ったのでしょうか?

 

 

更に車を走らせ、少し山の方に入ると「青函トンネル入口広場」というスポットがあります。

 

神社がありました。

 

 

青函トンネルに入る前にもうひとつ前段のトンネルがあり、このトンネルはその出口です。

そのトンネルを出ると200mほどの青空地帯があり、この広場や展望デッキはその地帯にあります。

 

展望デッキから眺めた青函トンネルの入り口です。

ここから本物の青函トンネルです。

 

この場所を通過する予定時刻表が貼ってあり、運が良ければ新幹線が見れますが、この日は通り過ぎた後でした。

がっしり武装した撮り鉄君が一人いました。

 

 

 

東津軽郡外ヶ浜町 

 

車は今別町を過ぎ、外ヶ浜町に入りました。

「先ほど外ヶ浜町を過ぎて今別町に入ったのにまた外ヶ浜町?」とお思いになるかもしれませんが、区割りがイレギュラーなのです。

 

 

赤線で囲まれた地域が外ヶ浜町で、完全な飛び地が2つ。

今別町はその2つに挟まれた位置にあります。

 

小さな市町村の行政区割りで小さな飛び地は見たことがありますが、ここまで分断されたのは珍しいです。

 

 

ふつうこういう場所は平成の大合併の際に一つの自治体に合併しているケースが多いですが、ここは同じ東津軽群なのに不自然な形態を維持しているのは、その時にうまく話がまとまらなかったのだと推測されます。

実際に外ヶ浜町は2005年に誕生した自治体で、それまでは竜飛崎側(左側)が三厩(みんまや)村、東側の北部が平館村、南部が蟹田町という自治体でした。

 

 

観光資源や産業などを多く持ち経済的に潤っている自治体の方が、そうでない方との合併を拒むケースが多いですが、そう考えると今別町が嫌がったのかな?新幹線利権とか?

 

 

 

義経海浜公園に来ました。

ここには源義経の伝説があります。

 

義経がこの上に登って嵐がやむよう祈ったという厩石(まやいし)。

 

 

 

 

少し上ると義経寺(ぎけいじ)があります。

仁王像が新しく、これは平成に造られたものらしいです。

 

 

 

「松前街道終点之碑」です。

大正時代くらいまでここから先はほとんど何もない場所だったので、街道は終わりという事なのでしょう。

 

 

さらに車で走ると「義経海浜公園」があります。

 

沖には甲岩(かぶといわ)があります。

 

公園内には「外ヶ浜町総合交流促進センター かぶと」があります。

 

公園、施設とも私以外の訪問者は無く閑散としていました。

ここでは「若生おにぎり」という昆布で巻いたおにぎりを食べたいと思っていたのですが、この日は用意がありませんでした。

シーズンオフだから仕方ない。

 

 

再び車に乗り込み、北上します。
これから先は竜飛埼(竜飛岬)と呼ばれる地域です。