4月25日木曜日。天候は曇り。
5時前に起床し、5時20分に宿を出発しました。
表玄関が閉まっていたら裏から出ようと思っていましたが、開いていました。
北津軽郡鶴田町
今日はまず北津軽郡の鶴田町に向かいます。
まず、グーグルマップで見つけた廻堰大溜池近くの「鶴田町間山桜並木」に寄りました。
この大溜池は通称「津軽富士見湖」と呼ばれており、ここから岩木山(津軽富士)が良く見えるという場所です。
堰堤を登ってみました。
早朝6時半なので道の桜吹雪が踏まれておらず、桜のじゅうたんのようで綺麗です。
曇天のため岩木山は見えませんでした。
次は鶴田町最大の観光スポット「鶴の舞橋」に向かいます。
桜並木が綺麗です。
橋が見えてきました。
「鶴の舞橋」は富士見湖パーク内にあります。
入場無料の公園です。
桜シーズン前まで工事のため通行止めだったようです。
鶴の舞橋は1994年7月8日、岩木山の雄大な山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に架けられました。
全長300mのこの橋は木造の三連太鼓橋としては日本一の長さを誇る橋であり、鶴と国際交流の里・鶴田町の新しい魅力となっています。
岩木山を背景にした舞橋の姿が鶴が空に舞う姿に見えるとも言われ、多くの観光客たちの目を楽しませています。
吉永小百合さんを起用したJRのCM撮影地として使われたことがあります。
橋の全景(南側から)。
北側からの全景。
背景に岩木山が見えますが、雲がかかって残念な感じに・・・。
渡ってみます。
これは吉永小百合さんの写真(岩木山バック)とは逆の方向(南側から)です。
改修部分だけ木の色が新しい。
途中、屋根付きのあずまやの部分があります。
木製橋はどうしても経年劣化するため、このように張り替えていく必要があります。
30年も使っていたら仕方ないですね。
「富士見湖パーク」は芝生やステージがある公園でした。
園内には「丹頂鶴自然公園」があり、鶴が飼育されています。
営業時間外でしたが、外から見れました。
公園を後に岩木山方面に向かいます。
弘前市
車は岩木山が近づいてきました。
既に弘前市に入っているようです。
途中1本だけしだれ桜がありました。
道沿いの個人所有と思われる畑の脇に植えられていました。
ずっと桜並木が続きます。
都会でこういう場所はないですね。
「岩木山の桜並木」という場所に来ました。
岩木山総合公園の西側の道路です。
満開が終わったのかと思い近くで見たら、まだ満開前からつぼみの状態でした。
ここは寒冷地のようで白樺(右手前)も生えています。
千昌夫「北国の春」を思い出しました。
そういえば、昭和のドラえもん(大山のぶ代時代)でジャイアンが歌うのは、初期は「おれはジャイアンさまだ」ではなく「北国の春」でした。
探したらXに動画がありましたが、ポストした方の「実際する歌だったとは驚き」のコメントにジェネレーションギャップを感じます。
千昌夫のオリジナルから音程が大きく外れているわけではなく、イントネーションや歌詞の区切り方をデフォルメして音痴という事を子供にもわかりやすくしています。
https://x.com/doraemoonn2112/status/1272514670994223105
さらに西に車を進め「桜のトンネル」という場所に来ました。
ここも似た感じです。
道路脇にはまだ残雪が。
ふきのとうもあります。
長いこと食べてないなあ。
この近くを流れる湯段川沿いの奥に滝があるらしいので行ってみます。
途中から未舗装道になりかなり道が悪くなったのですが、GPSを頼りに何とかたどり着きました。
この鳥居の奥に小さな橋があります。
橋の奥に祠が。
屋根から流れる水の下を通過。
これが「黒滝渓流」です。
流れた水が洞窟の中に入っていくのがどこか神秘的でした。
黒滝です。
落差はないですが、水量は多い。
ここまでくると残雪も多いです。
県道3号線沿いは桜並木で道路幅も広く走りやすい。
途中の岩木山総合公園に「青い山脈」の歌碑がありました。
小説「青い山脈」の作家、石坂洋次郎が弘前市の出身だそうです。
作詞は西條八十という別の人です。
岩木山と反対側の南の空は晴れてきました。
このあと、途中にあった岩木山観光案内所という小さな施設に立ち寄り、弘前さくらまつりの案内マップをいただきました。
城周辺の駐車場の場所などが記載されていて役に立ちそうです。
岩木山神社に着きました。
道路わきにあるのに前ばかり見て運転していたので往路では全然気づきませんでした。
外国人ユーチューバー?が鳥居正面を独占して撮影していたので、撮影順番待ちが発生。
絵になる構図というのはわかります。
石の鳥居を2つくぐると木製の鳥居になります。
参道脇に別の神社やノモンハン事件の慰霊碑が。
名前しか知らなかったのですが、8000人ほどが亡くなった事件(戦争)のようですね。
参道脇の建物は社務所のようです。
茅葺、外戸が障子の昔の造りのまま。
たまに見ますが、現役で使われているのは珍しいと思います。
立派な山門「桜門」です。1626年築。
狛犬は紀元2600年寄贈なので1940年からあるようです。
開戦前でまだ気持ちや経済に余裕があり、こういう寄贈ができた最後の頃でしょうか。
石階段を上ると手すり欄干裏に狛犬が。
当然反対側にもあるのですが、こちらは下向き。
これは珍しい。
顔つきが近代のものとは異なっており、配置の仕方も「見えないところでしっかり守ってるぞ」という感じで凄くおもしろい。
この頃から「阿吽(開口と閉口)」の概念はあるようです。
山門をくぐって進むと奥に拝殿。
あとから知ったのですが、本殿と思っていたこれは拝殿でした。
こちらにも3セット目の狛犬が。
本殿はこの赤い柵の裏にあるそうで、参拝者はここ(拝殿)までしか行けないようでした。
拝殿は1603年築で山門より早く、ここが最初にできました。
最初はここが本殿だったそうで、1694年に現在の本殿が完成してからここを拝殿にしたそうです。
禊所は拝殿から少し下がった少しわかりにくい場所にあり、拝殿から直接見えません。
拝殿前に来てから「どこで清めたらいいの?」と探して降りてくる人多数。
水の音がしているので落ち着いて耳をすませば場所はすぐわかりますが、お年寄りは階段の上り下りが可哀想。
これにて弘前市を後にし、次は西目屋村に向かいます。