外ヶ浜町(竜飛崎) 

 

外ヶ浜町の国道339号線を海岸線に沿って北上し松前街道の終点を過ぎると、いよいよ竜飛崎が近づいてきました。

このあたりは集落も小さく、昔はほとんどだれも住んでいなかったのだと想像します。

 

 

竜飛崎は通称「竜飛岬」と呼ばれています。

これは石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」の歌詞の影響が相当に大きいと思われます。

 

 

国道から左(山側)に入る「竜飛ライン」の道路案内標識に従い登っていきます。

大きな風車などが目に入ってきて、もうここは竜飛崎です。

 

 

青函トンネル工事殉職者の慰霊碑が。

 

 

 

殉職者34名の氏名が刻まれていました。

 

 

昭和の難工事で有名な黒四ダムの殉職者は171人。

それと比べると時代が近代なので安全意識も向上していたと思われますが、それでもこれだけの難工事と犠牲者がいたことを忘れてはなりません。

 

 

「津軽海峡冬景色」の歌碑に来ました。

ここは見晴らしはいいですが、まだ竜飛崎の先端ではありません。

 

ここに来たほとんどの人が歌碑の前で撮影をします。

赤いボタンを押すと「津軽海峡冬景色」のイントロのあと2番が流れます。

「間奏の後2番」ではないので、レコード音源の切り取りではなく専用に録音されたと推測。

 

2番の歌詞は「♪ごらんあれが竜飛岬 北の外れと 見知らぬ人が指をさす♪」

この歌で竜飛崎は全国的に知られたと思われます。

石川さゆりさんの歌声が若いので、昔に録音されたものでしょう。

 

 

歌碑の裏からの眺め。

 

 

風は強いのに、「本当に発電できてるの?」というくらい風車はゆっくり回っています。

 

後で知ったのですが、早く回ると騒音、摩耗損傷が大きくなるので、風速に関係なくゆっくり回る構造になっているそうです。

 

 

歌碑の横が有名な階段国道の降り口です。

 

 

 

全体の2/3くらいまで降りましたが結構長い。

また登らなければいけない疲労と時間を考え、最後までは降りずに引き返しました。

 

 

再び車で竜飛崎に近づきます。

石碑などが置かれたエリアに来ました。

 

吉田松陰もここに来たそうで、その記念碑のようです。

 

 

歩行者専用の竜飛橋を渡ります。

この下は川ではなく道路です。

風が強く帽子が飛ばないよう抑えながら歩きますが、幼児ならまともに歩けないくらいの強風です。

 

 

竜飛橋を渡ると「碑の丘」という石碑の密集地でした。

 

 

 

 

 

 

これは南向きの眺望。

つまりこの海岸線は津軽半島の西側という事になります。

 

 

北に徒歩移動し、竜飛埼(崎ではなく埼)灯台に来ました。

 

 

 

 

灯台の先にあるこの展望台が一般人の行ける竜飛埼の最北端です。

柵の先は無線基地があるため立ち入り禁止で、本当の北端に行くことはできません。

 

 

 

 

 

青函トンネル記念館(体験坑道) 

 

 

再び車に乗り「青函トンネル記念館」にやって来ました。

 

 

建物前に「天皇皇后陛下行幸啓記念碑」と「海底下の石」がありました。

 

 

「青函トンネル記念館」は冬季は休館なので事前確認が必要です。

今年は4月19日オープンでした。

記念館見学のみなら400円、体験坑道(ケーブルカー)込みなら1500円です。

もちろん体験坑道込みで。

支払いは現金のみです。

 

「竜飛斜坑線もぐら号」という工事の際に実際使われたケーブルカーに乗れます。

 

乗客は3人のみ。

女性、家族向けのスポットではありませんね。

 

ゴールが見えないほど深く潜ります。

 

 

10分ほどでゴールの体験坑道駅に到着しました。

 

ここからはスタッフ先導で行動内を歩きます。

 

795mを平地で歩くのもきついのに、階段ならどうなるのか・・・。

 

 

 

海底の魚が水槽で飼育されていました。

深海というほどでもない水深なので、割と普通の魚です。

 

 

 

 

ここから体験坑道です。

 

 

 

 

 

内部で使われていたトロッコ、工具、マネキンなどが展示されていました。

 

トロッコ内部は凄く狭い。

 

 

 

 

 

 

 

阪神優勝のあの年に貫通したんですね。

まだこの時は貫通はしても鉄道は未開通です。

 

 

 

 

この先には本物の鉄道が走っているトンネルがあるそうです。

 

 

ケーブルカーは古いので頻繁に壊れます。

その都度、クラウドファンディングで復活してきたそうで、今回乗れたのは運が良かった。

 

体験坑道の最深部は入口から900m。

 

ケーブルカーで帰路に。

ここからまた登っていきます。

 

出発地点の駅まで戻ってきました。

 

ケーブルカーが駅に到着するとまたこのゲートが閉じるのですが、この開閉必要なのかな?

 

 

駅から記念館に徒歩で戻るための頑丈な扉が開かなくなるアクシデントで、2,3分待ちました。

無事空いて記念館に戻れました。

 

 

館内に地元のスターのポスターが。

今と顔が違う気がする。

 

 

ここから先は記念館の展示を見て回ります。

 

 

黒四ダム工事が「黒部の太陽」で映画化されたように、青函トンネル工事は「海峡」で映画化されました。

東宝50周年記念の大作で、高倉健、吉永小百合の2大スター共演だった割には知られていない気がする。

 

この映画は1982年の作品ですが、その時青函トンネルはまだ開通どころか貫通もしていません。

しかし、想像で貫通に成功する場面が描かれていたらしく、当時は冷ややかな目で見られていたのでしょうか?

 

高倉健さんは福岡県出身なのに、青森を舞台にした「八甲田山」、北海道が舞台の「幸せの黄色いハンカチ」、「鉄道員(ぽっぽや)」など、北国が似合うイメージですね。

 

 

展示自体に面白いものは無かったです。

 

 

 

 

定刻時間にビデオ上映があり、ちょうどよい時間だったので見始めたのですが、次に急ぎたいため開始20分くらいで断念。

記念館を後にしました。

 

 

外に出ると、ケーブルカーの巻き揚げ用ワイヤーがありました。

 

右側の滑車が付いた建物がケーブルカーの駅。

そこから道路の上をワイヤーが跨いで、少し低い位置にある巻き揚げ用モーターのある建物に入っていきます。

このような珍しい構造になっているのは、本来モーターを設置する位置が斜面になっており建物を建てることができなかったためと思われます。

 

記念館は展示物には面白いものはないので、体験坑道見学込みにされることをお奨めします。

 

 

記念館を後にし、竜飛海岸に来ました。

写真を撮り忘れましたが、竜飛埼から少し南下した場所で、岬の西側になり日本海に面した海岸です。

今は閑散としていますが、夏は海水浴もできる感じです。

 

 

これにて竜飛埼を後にしました。