北津軽郡外ヶ浜町 

 

竜飛埼の後に、車でその下の集落に降りてみました。

階段国道の下部にあたるところです。

 

 

太宰治の石碑などがありました。

かつてこのあたりを取材旅行し、小説「津軽」を執筆したそうです。

 

 

 

 

この銅像の方のおかげで竜飛岬までの道ができたそうです。

 

 

大正時代まで道路が無かったというのは、ここに来るまでの地形を見れば納得です。

技術的にはもっと早く開通できたかもしれませんが、道路を通したところで何もない土地。

 

昭和四年の開通記念碑。

 

 

グーグルマップを拡大するとわかりますが、津軽半島最北端は竜飛埼ではありません。

その先にある帯島という無人島です。

堤防で繋がっているので車でも行くことができます。

 

島には海の安全を願って弁天様が祀られています。

 

 

国道339号線、通称「竜泊ライン」を南下し、竜飛埼を後にしました。

 

 

 

北津軽郡中泊町 

 

竜飛埼を出るとしばらく何もなく、グネグネと曲がった道が続きます。

 

 

途中、「眺瞰台」という展望スポットがありました。

 

かなり日が傾いているため西側の写真は逆光ですが、石碑には「眺瞰台」と刻まれています。

 

 

「竜泊ライン」はこんな感じです。

運転が嫌になります。

 

 

さらに南下し、海に近づいたあたりに「坂本台」という場所があります。

冬季はこのゲートが閉鎖され、津軽半島の西側から竜飛埼には行けないようです。

 

海岸に降りれますが、もう17時半を過ぎているのでやめておきます。

 

 

車で50mほど下ると「一ノ坂」の石碑がありました。

竜飛埼へ向かう最初の坂という意味だそうで、昭和51年の開削現地調査で名付けられたとのこと。

昭和51年というと結構最近の気がしますが、それまでまともな道が無かったと考えると秘境という感じがします。

 

 

一ノ坂を過ぎるとヘアピンカーブがなくなり、走りやすくなりました。
海沿いの道を夕日を右手に見ながらのドライブです。


この時間から竜飛に行く人は無く、対向車とはほとんどすれ違いません。

北海道なら「熊に注意」の看板が山道のあちこちにありますが、ここにはそれがないのは熊さえ住みつかないのでしょう。

木すら生えておらず、まず熊の餌になるような実を付ける植物がありません。

もっと寒い北海道にさえ木は生えていますが、この地方は風が強いので木が繁殖できないのでしょう。

わずかな海鳥以外の動物はいない感じです。

 

 

道路がない時代、吉田松陰が通ったという道の入り口が。

 

 

竜飛から最短ラインを切り開いた今の国道と違い、松陰道は緩やかに見えます。

日本海からの強風で木々も繁殖しないはげ山ということが、この写真からよくわかります。

 

グーグルマップで見つけた傾り岩(かたがりいわ)という岩です。

 

 

さらに国道を南下。

「七つ滝」がありました。

 

近づけそうなので行ってみます。

 

途中、右手に小さなトンネルが。

 

滝が上から階段のように7段に分かれて流れているのが名前の由来のようです。

下から3段の位置まで登りました。

 

滝に夕日が当たって綺麗でした。

なかなか見事な滝でした。

 

 

「道の駅こどまり」に来ましたが、18時前なので既に閉店しており、中に人もいない感じでした。

周囲に民家などはありません。

この写真が夕日マックス。

 

 

国道から県道286号線、通称「ひば峡道」を入り、グーグルマップで見つけた小泊ダムを目指します。

 

 

小泊ダムはキャンプ場や公園なども整備され、桜が綺麗でした。

 

花見やピクニックには穴場だと思います。

 

ダム上部からの眺め。

 

ダム上部は車両通行止めでした。

 

 

車は再び国道に戻り、中泊町中心部を目指します。

集落に到着しましたが、小さな漁村という感じで店のようなものはほとんど何もない。

「これ本当に町か?」と思い、調べたら飛び地だと判明。

 

 

外ヶ浜町と同様に、中泊町もイレギュラーな合併をして誕生した町です。

日本海側に面した小泊村と内地の中里町が2005年に合併して誕生しました。

今いるのは、旧小泊村にあたる小泊地区(沿岸部)です。

 

 

 

海岸線に夕日が沈むのが見えました。

撮影時刻18:19。

 

 

小説「津軽」の像記念館に来ました。

 

既に閉館していたので、銅像のみ撮影。

左から太宰治、その幼少期、乳母タケ。

 

「津軽」は、太宰自身と想定される「私」が三週間かけて生まれ故郷の津軽半島を一周した旅を綴った、紀行文のような体裁の小説です。

行く先々で朋友らから歓待を受けた「私」が、この旅の最後に訪れるのがここ小泊で、ここを訪れたのは、三歳から八歳になるまでの期間、子守として「私」の面倒を見てくれたタケという女性に会うことが目的だったそうです。

 

 

本日の目的地はこれで全部終わりです。

ここから1時間以上かけて今別町の宿を目指します。

 

 

集落を出る18:49撮影。

もう月が出ていました。

 

 

ここから一度国道339号線を南下し、途中から県道12号線に入り東進、途中から県道12号線を北進し今別町を目指すという、遠回りのルートしかありません。

つまり「U」の字に移動する感じです。

いかに奥羽山脈が険しいかがわかります。

 

 

竜飛から道の駅こどまりの間と同様に、中泊町から今別町までの山道には何もありません。

田舎のレベルを超えた秘境です。

街灯も建物もない漆黒の闇の中を、ラジオの電波も入らない状態で進むのはとても心細く、時間が長く感じました。

 

 

 

 

北津軽郡今別町 

 

今別町の明かりが見えたときにはホッとしました。

ラジオは電波が悪いながらも北海道の局が入りだしました。

北海道日本ハム対東北楽天戦を中継しています。

 

 

宿の予約をしたときに「町内にスーパーはない」と聞いていたのですが、ファミマの横にホームセンターがあり、そこで食べ物を取り扱っているようなので、夕食の買い物をして帰りました。

 

 

宿到着は20:13でした。

1時間半ほどしか走っていないのに、3時間くらい走った気がする。

 

 

宿は廃校になった中学校分校を改築した建物です。

 

宿泊費は4000円に暖房費500円で4500円でした。

現金払いのみ。

 

 

昔の学校の造りで、廊下の片側に部屋が並んでおり、突き当たりが風呂、トイレ、食堂などの共用スペースです。

 

この日の宿泊者は私のみ。

部屋は2年3組です。

 

ベッド縦置きのツイン。

ベッドメーキング、翌朝のシーツ外しはセルフサービスです。

厳冬期ではないためストーブは切ってあり、エアコンのみです。

カメムシ対策用ガムテープが設置してあります。

 

テレビは食堂で見れますが部屋には無し。

wifiは入ります。

部屋を出たところにツードア冷蔵庫が各室ごとにあります。

 

 

食堂に移動し、調達した夕食タイム。

弁当、総菜類がすべて売り切れていたので、地元のパンを購入。

 

以前ケンミンショーでも紹介されたご当地パンメーカー、工藤パンの「イギリストースト」。

本来はシュガーマーガリンですが、小倉トーストしかありませんでした。

工藤パン製品ばかり4種類購入。

 

チーズブレッドは翌日に残し、残り3個を食べました。

「くるみだいすき」という蒸しパンがとても美味しかったです。

100円台の袋パンですが、都会では考えられないくらいクルミの粒が大きい。

これは滞在中リピートしたい。

 

 

あとはカップ焼きそばと地元のさつま揚げ。

 

貧相な夕食ですが、一応ご当地パンで納得。

今日は昼に刺身を食べていたのでよしとしましょう。

 

 

夕食後、入浴。
人工温泉でした。
シャンプー、ボディソープありですが、タオルのみ持参が必要でした。
 
入浴後は翌日に備えて早めに就寝しました。