散策記97-2 満足な外展示
こんばんはしらこまです----------------------------------------散策記まとめページ2(2018年~)→https://ameblo.jp/cuttle-bone/entry-12393348995.html前の記事→散策記97-1次の記事→イルミ20-1次の散策記記事→散策記98(生田緑地)----------------------------------------前記事の続き。世界でも有数の貝塚、加曽利貝塚の話のつづき土器もあった北貝塚と南貝塚で1000年以上の文化があったため、文様もだいぶ種類があるみたい繊維質で文様をつけたものもあれば、貝殻でつけたりもしたらしい狩猟採集で得ていた食べ物は豊かここからは現代での貝塚の話古墳とかもだけど、大掛かり人作られて遺物は割と見つかりやすいみたい133年前の1887年にもすでに見つかっていたそうそりゃ見つかるよね…ここまで貝まみれだったとは…4,5000年前だと、地層的にはそこまで積もらなかったのだろうか…発掘調査も結構早めに行われてたおよそ100年前の1924年にはすでに行われてるそして、今貝そのものの形で残っているものはあまり見かけられないけど、地面を見ると白い欠片が点在してる白い欠片はほぼ全部貝なんだって前記事で構成比で大半を占めていると書いたイボキサゴはまだ埋まってた黄色で囲った部分にある欠片は土器の一部らしい土器の欠片なんかも割と見かけられたほかには、黒曜石の欠片もごく一部はあるんだって三内丸山遺跡(散策記65-7)と同じように保存施設もあった肝心の跡を写真には撮ってなかったんだけど、学芸員の方はこの保存の難しさを解説してた遺跡保存には適度な湿度も必要だけど、日航が常に当たらないようにしているため、カビが大繁殖しやすいらしい写真の下のほうに四角く囲われた部分があって、その周囲が緑がかってる周囲の緑色はほとんどカビで、四角く囲われた部分は何か薬剤だったかな?をかけたそうその結果、四角い部分は本来の色のままになっているんだってということで、今後、全体的に実践しようとしてるんだとか円形に少し くぼんでいるところがあった真ん中に穴があって、この穴は煮炊き用で火を入れていたとか何と言っていた気がする地層の展示もあった 北貝塚からイボキサゴやハマグリなどいろいろあったこちらは南貝塚北貝塚の貝と比べると若干大きい北貝塚ができた1000年後頃には、少し余裕ができていて、貝の収穫は、2年以上育った貝に限定していたそう1年置いておくことによってそれだけ成長して、身も大きくなってたんだね貝塚は食べ終わった貝を捨てる、いわばゴミ捨て場というイメージが強いけど、そうでもないかもしれないらしい犬の骨も見つかってるらしい犬を食べてたっていう話もなく、どちらかというと昔から人間のパートナーとして狩りの手伝いをしていたっていう話も聞くし、丁重に葬られたという向きみたいイノシシの骨なんかもあるし、いろいろ置いてたんだねというあたりで、そろそろドイツ村に行く時間が迫ってきたのでここらへんでおしまい最初から最後まで学芸員の方に説明してもらって、しかも博物館もフィールドワークも無料でなかなかよかったこのあとは再びモノレールに乗って千葉駅まで行って、そのあとは袖ケ浦駅まで電車で移動という感じで、イルミ20-1(東京ドイツ村イルミ)へ続く。