こんばんは

 

投稿がまたまた遅くなってすみません

 

しらこまです

 

 

今回から散策記97弾/イルミ19弾の記事です

 

コロナが中国で猛威を振るい始めたころに行った時の話で、

 

これ以降は旅に行っていません…

 

投稿日時点(2020/4/19)では、いつになったら普段のように戻るかわかりませんが、

 

早く日常のように戻ることを祈っています


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散策記まとめページ2(2018年~)

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今年の2月の初め、千葉方面に行ってきた
 
今シーズン、ほとんどイルミネーションを見に行ってなかったから、
 
どこか行こうと思って行ったのは東京ドイツ村(ドイツ村のイルミ自体はイルミ20で)
 
今回の散策記はドイツ村のイルミついでにもともとは1泊2日を計画したものだった…
 
 
1日目は千葉市周辺を見てからドイツ村のイルミ、
 
2日目は成田空港に何となく行って、そのあと香取方面に行こうと思ったけど…
 
このとき流行り始めていたコロナウイルス(COVID-19)の影響が…
 
成田空港はやばいかな…ということで日帰り旅行に縮小した
 
 
最初の目的地は千葉都市モノレールで行った
ここのモノレールはよく見るレールの上に車両があるのではなく、
 
レールの下に車両が走る懸垂式
 
ということでこんな景色がみられる
車がすっきり見えてた
 
で行ったのが加曽利貝塚というところ
特別史跡となっていて日本だけでなく世界で見ても有数レベルの貝塚らしい
 
モノレールと徒歩で行っても30分程度で行ける距離にあるんだね
 
加曽利貝塚では博物展示とフィールドワークがある
 
まずは博物館のほうに行った
 
入口で学芸員さんが集まって話してた
 
土曜日だったけど、なかなか訪れる人がいなくて暇っぽかった
 
学芸員さんのほうから話しかけてきて、案内するとのことだったので案内してもらった
 
加曽利貝塚は北貝塚と南貝塚に分かれてる
 
北貝塚は約5000年前、南貝塚は約4000年前に作られたらしい
 
 
そのころと言えば世界ではメソポタミア文明ができたり、ピラミッドが作られたころ
 
中東やエジプトほど文明的ではなかったにしろ、秩序だって生活されてたんだろうなぁ
 
加曽利貝塚周辺には遺跡がたくさんある
千葉県ではこういった遺跡が日本で一番多いんだって
 
確か、大小含めると古墳も一番多かった気がする…
 
 
北貝塚と南貝塚では形も貝塚の積み方も違ったらしい
 
そもそも貝塚とは、そのころ食べられていた貝をゴミとして捨てていた場所
 
だから、基本的には本来の住んでいた場所とは少し離れてることが多いんだけど、
 
ここらへんで住んでいた人たちは南貝塚のそばだったらしい
 
で、貝塚の積み方について
 
北貝塚は環状貝塚という形
円形に作りつつ、貝をまんべんなく積んでいったと言ってた気がする
 
南貝塚は馬蹄形貝塚
こちらは片側から積み始めて、円状に積みきれなかったという感じみたい
 
貝塚の中で一番合ったのはイボキサゴという小さな粒みたいな貝
イボキサゴだけで全体の80%は越えてたとか
 
現代でいうと両側にあるアサリとかハマグリとかのほうが食べやすい気がするけど…
加曽利貝塚だけでなく、周辺遺跡でも同じような構成比だったみたい
 
 
 
あと写真撮り忘れたけど小舟が展示されてた
 
加曽利貝塚は海に面してたというわけではなかったので、
 
船に乗って海で貝を採取してたらしい
 
海に行くときは下流だから流れに乗って行き、
 
戻ってくるときは遡上が難しいから、船は川に乗せた状態で、
 
川岸から引っ張ってたんだって
 
それがかなり重労働となっていて、このころの人骨を見ると、
 
骨がすり減ってるように観察できるとか
 
 
貝の装飾品が展示されてた
今でいうピアス的な感じで耳輪というのがあったそうだけど、
 
痛々しくて見ていられなかった…
 
 
というあたりで続く。