昨日は「7)管理職は管理が出来ない」という課題について感想を書きましたが、更に考えてみると、管理職は「管理が出来ない」ではなく「管理を理解できていない」という表現の方が正しいというような気がしてきました。
私が27年間勤務していた会社では管理という言葉ではではなく「ルール」という言葉がよく使われていましたが、そこには管理という概念は忘れ去られて規則で社員の行動を抑制するという低レベルの使い方しか出来ていなかったという事が、管理の本質を忘れて表面的な言動や行動にとどまっていたと思います、そこに管理職という職位に対する社員の能力不足とか不適正という問題が照らし出されていたとも言えると思います。
 
日本大百科全書(ニッポニカ)の「管理」という言葉の定義は結構長いですが、管理は単なる規則を守らせる事では無い事を説明しています。
一定の目的を効果的に実現するために、人的・物的諸要素を適切に結合し、その作用・運営を操作・指導する機能もしくは方法を、管理あるいはマネジメントmanagementという。その中核的機能は調整であるが、対象が人的集団であるときはリーダーシップ(指導性)に、またそれが物的資源であるときはコントロール(制御)と表現されることが多い。管理機能の範囲にはいくつかの段階がある。最低水準の範囲は、保存ないし現状維持であり、私法上の「管理」行為のように、物または権利の現状や性質を変更しない行為をさす場合がこれである。最高水準の範囲は、目的の設定ないし変更をも含む調整であり、システムの運営に関する管理を広義に解する場合がこれである。この両者の中間の範囲がもっとも一般的な管理であり、経営者と区別した管理者を想定する、あるいは政治に対する行政上の「管理行為」を定めるなどはこれであり、この場合は、目的の設定は除かれ、現状維持以上の操作が含まれる。
 
27年間勤務した会社で、管理が出来ていない事例は多々経験しましたが一例を思い出してみました。
1)新入社員の転職
   部長がひいきにしていた新入社員が転職を切り出した途端に急に冷淡な態度を示すようになった事がありました。自
   身の部下の管理が出来ない事を証明するような出来事で、反省はなかったようでした。
2)取り込み詐欺
   社員が機器販売をしたものの代金拐取が出来なかったのですが、部長は安易に契約決済をした結果でした。新規
   の取引に対する慎重な態度の欠如は、実務経験が無いという事を明らかにしたようなものでした。
3)新規顧客への訪問
   新規顧客に対して、部長自らアポイントが取れないので新入社員に研修と称してアポイントを取らせて訪問をさせて
   いました。実務経験が欠如しているのを部下に対応させていた事例で、管理以前の問題があったと思います。
4)顧客クレーム対応
   私が経験したのは何度も書いている、役所体質の顧客の基幹システム更改プロジェクトの本番開始後にクレームが
   出た時、営業マンやシステムエンジニアの担当者交代だけでして、顧客への説明はしなかった。管理以前の企業モラ
   ルが問われる対応と思いました。
こういう事例を思い出していると、社員の内向性とか自己本位とかは管理職になるほど強く出て管理職管理そのものが問われている状態と言う気がしました。
「7)管理職は管理が出来ない」という課題について感想を書いてみたいと思います。会社の中は全て管理という言葉によって成り立っています、単純な毎日の社員の入退社管理から費用の大きい役員報酬管理まで多種多様な管理があり、その職責によって自身が負うべき管理も異なると思います。そういう意味で考えれば、管理職故に管理の仕事というのがあるというものでもなく、一般社員にも管理という思考は必要であるのは当然と思います。しかしながら、一般社員が負うべき管理と管理職が負う管理とは、会社の中の位置づけにおいて異なるものでもあると思います。
私が27年間勤務していた会社の管理職の動静については1)~6)で述べた通りに、社員の行動の裏側には、無意識のうちに内向性とか自己本位というような意識に支配されているし、感想を書いているだけで役員を含めた社員の業務に対する業務遂行能力とか管理能力の不足があるというが自然と明確になっていたと思います。
 
管理職が無意識のうちに意識している事は、会社の業績よりも重要なのは自身の保身とか出世であるということであり、自身の仕事の成果に対する満足感は二の次だろうなという風に見えていました。社内の多くの管理職は無意識のうちに、そういう心理に支配されているので、役員から提示されたノルマに対しても疑問を呈する事も無く、単に担当者にノルマを押し付けるだけのメッセンジャーボーイになる事が管理であると勘違いしていたと思います。
管理という観点から言うと、そこには自己管理という重要な視点がずっぽりと抜け落ちていて、担当者がたまたま管理職という能力もなく年功か上司のお気に入りで管理職になっただけなので、役員や事業部長・部長から組織上位順に言われるままに惰性的な仕事をするという姿勢に陥り、そこには最早管理という言葉は入る余地は無いと思えました。自己管理ということが出来ていれば、一番重要な職責である上司から与えられたノルマについて、分析した結果や対策を述べられる筈で、そのうえで自身の最善と考える業務遂行に対する行動を述べられる筈だと思います。
社内には構造的な人事管理に対する欠陥が現れていて、管理職昇進時、業績重視ではなく口先のなめらかさとか上目遣いが旨いとかいう恣意的な意思が入り込み、担当者が管理職に配属されるという事が長年延々と積み重ねられたので、それが社風ともなって会社業績重視ではなく、社内外で事件事故が起こさない方が重要とかいう、民間会社としてはあらぬ方向に進んでいったとも感じていました。そうなると役所根性丸出しの管理職が現れたりすることがあり、会社とは給料を貰うだけの組織で業績などは念頭にも無く、業績は時の流れに任せるという本末転倒な印象を受ける管理職が現れたとしても不思議ではありませんでした。それが現場の管理職だけならまだしも、役員もご同様では最早言うべき言葉も無いと思う時もありました。
 
民間会社の現場で管理職という職責は、業績目標を達成するために、顧客から始まり予算・費用・部内・担当者等の多種類の管理をこなす能力を求められますが、大多数の管理者は殆どそういう管理は出来ていなかったのではないかというのが感想です。その原因となるのは最初に述べた、内向性とか自己本位という無意識の中にある意識がなせる業であったと感じていました。このような背景から考察すると、管理職全員をリストラしても多分業績は変わらないだろうと思えていましたが、同時に形ばかり重視する身の丈から肥大した組織というものの中身はセミの抜け殻同然とも見えていました。
「6)社員の仕事の取り組み姿勢が消極的傾向」の中で、営業スタイルの組織営業について否定的な話をしたのですが、少しばかり追加しないと誤解が出るかも知れないと思い続きを書くことにしました。
情報システム業界にとどまらず一定規模以上の企業では何処でも行われていると思われる組織による営業活動について、私の経験からすると組織営業を展開するには環境条件があると思えました。
 
私自身は転職前の会社の組織営業で成功した事例もありますが数は少ないです。組織営業とは言うものの、基本的には相手会社の担当部門の責任者とは緊密なコミュケーションが取れていて、相手会社の責任者の営業担当者に対する信頼が出来ていることが基本となっていて、最後となる契約締結交渉で決め手となるトップセールスで成功を得たと思います。組織営業では、本来のビジネス関係以外に会社間の利害関係も出てくるので、調整が必要になることもあるというのを経験しました。

転職前会社の組織営業での失敗事例は、組織の各職位各々が自身の責任と範囲でどの様に対できるかがカギという教訓を得ました。取引先である会社の技術部門に機材を売込中、勤務していた会社の技術力の評価をしてもらったところ足りない部分があるのが判り、最後通告のために取引先の役員がわざわざ来社し、要望を呑んでくれたら契約締結しますという事を告げにきました。その時、上司である管理職は取先の要望が正確に理解できていなかったのかどうか不明でしたが、社内関係部署とはまともに調整もしなかったので契約には至らなかったという事例でした。当時の社内では誰も公に発言はしていませんでしたが、管理職が自責を果たせなったというのが原因でした。
転職後の会社では、組織営業失敗のツケが恐ろしいほどに残っているという会社を見分しました。私が某商社と付き合っていた時に、その商社からお呼びが掛かり是非同行してもらいたい会社があるのでと言われて訪問した時がありました。その会社は私が転職した会社の親会社との取引関係で優位性があり、私の会社名刺で何かが売れそうだというのが商社の予想でした。しかし、担当部署を訪問した時、担当者が私の名刺を見るなり態度が硬化して何をしにきたのかと極めて冷淡な態度に豹変しました。私は何時も通りの説明をしようとする気持ちさえ失せて、冷たい空気が漂う時間を過ごすことになりました。私が訪問する以前、私の勤務していた会社の営業担当者は親会社との優位性をかさに着て、担当部署との利害調整とか要望調整に止まらず担当者との信頼関係も築けないうちに、早々とトップセールスで機材を押し込もうとしたので、担当部署の怒りを買って出入禁止状態にまでになっていたと想像されました。営業担当者の能力レベルが低い上に、上司である管理職や役員は担当者の話を精査する能力も無く、営業担当者の報告通りに鵜呑みにしてトップセールスをした結果、売り込み先企業の担当部署の反感を買ったという事例だと思いました。この事例を経験して、最早この会社での組織営業は無理だろうという感想を持ったのでした。
 
組織営業の難しさを知らいないのは、営業担当者がトップセールスまで行きつくまでの工程表作成が出来ず、方程式を解けないのが原因で、ここに営業担当者の個人としての能力が問われるという事です。転職前会社の職場では頭の悪い社員は営業マンになれないという言葉がは堂々と語られていて、業界最下位業者として社員は少数精鋭主義を目指していたと思いますが、そういうある程度鍛えこまれた組織でも組織営業は難しかったという事でした。
転職後の会社では役所体質のまま異業種に参入した状態で、形ばかりの営業マン教育が行われていましたが、会社の将来像やビジョンが描けないのにどうして社員教育が出来るのだろうというのは退職時まで疑問が残って入ました。
組織営業の展開に於いても、基礎となるのは個人能力であり、ある意味では個人プレーであり、組織や組織の誰かが何かをしてくれるのではないというのを理解できていない営業職員が多いというのは、会社のしての力も弱いのだろうというのを身をもって感じていました。
「6)社員の仕事の取り組み姿勢が消極的傾向」という課題は、職場で色々な人間模様を見て感じていた事でもあります。私が転職した時に配属された部署では、ベンチャー企業同様のどたばたした職場に社内異動で配属されて、経験もない営業職とかを担当させられている人たちには大変な環境変化でもあったとは思いますが、情報処理に対する知見も無いので、当然ながら問い合わせの電話を待つだけの待ちの営業でした。そういう流れが職場の底辺には延々と流れていて、人間というのは自然に過ごしていれば楽な方法を選択するという習性があり、自らが考えて行動を起こすことが出来ない体質になっていったと思います。それが長年続いて、取り敢えずとか目先とかと思われることしか扱えない体質に陥っているのが年配社員に染みついていて抜けなくなっているし、経営を考えるべき役員や管理職もご同様というような有様では、社員の消極的な業務遂行態度に対しては最早や打つ手はないようにも見えていました。
役員や管理職には事業部立ち上げ当初から異業種参入という意識も薄く、情報処理業と自身が長年過ごしてきた親会社の仕事と何が違うのかという事が理解できていないので、自身の行う行動は過去の仕事の流儀からしてすべて正しい、という風に考えることが当然というような雰囲気が生まれていて、そこに独善とか自己中心主義とかいうような意識が生まれ、自身の行動は全て正当なもので、契約している顧客からのクレームや注文は全て正当ではない、と考えてしまう思考が自然と湧いてくるのではないかとも思えていました。
 
情報処理業の特異性を現すものとして営業スタイルがあります。転職前の会社では頭の悪い社員は営業という高度な仕事は出来ないと言われていました、頭の悪いとは学歴の事ではなく自頭のことを指していて、考えて行動できる能力を求められていました。万年赤字事業部というので管理職は何とか黒字化したいという意識があり、営業担当者には乏しい手元資源でも最大の効果を得るような事を常に求められていました。
転職後の職場では社内異動で配属された社員は、どちらかというと恵まれた環境でぬくぬくとしたサラリーマン生活を過ごしてきたという経験から、考えるという習慣さえすっかり忘れ去っていたという背景もあったと感じていました。そういう社員が営業職に配属されると、営業という職種の名称だけで業務が全て理解できているのだと誤解している社員が多いとも感じていました。それが殿様営業とか揶揄される遠因となったのかも知れないし、情報処理という業務を理解出ないまま、目の前に落ちてくる案件しか対応できなくなっていたとも思えました。受け身で仕事をしているという意識も無く毎日を過ごしていて、そういう仕事の流儀でも何とかノルマをこなせていると、それが当たり前になるという考えが身について、自ら思考するという仕事の流儀は無くなっていたと思えます。

情報処理業では営業職にある社員は常に考えて行動することが求められ、自然と個人が中心で遂行される業務と思っています。業務の遂行上、上司や組織の力を借りることも出てきますが、それも営業職にある社員が業務遂行の筋書きを考えて行っている一連の業務であって、組織の誰かが営業という業務をしているわけではありません。こういう思考が全く出来ないので、社員は消極的であるとも言えると思っていました。それが故に、仕事のできない営業職の社員に限って、仕事は組織で行うものだという発言がでていたのを覚えています。
しかしてシステムエンジニアの場合はどうかと問われれば、日々の仕事に明け暮れるだけの消極的な姿勢が現れて、自宅で技術の勉強をしないシステムエンジニアが多いのではないかという印象をずっと持ち続けていました。サラリーマンを退職後、情報処理業界トップクラスの会社に派遣社員として勤務した経験がありますが、その時に社員や外注のシステムエンジニアの仕事振りというのを見る機会がありました。私が27年間勤務した会社のシステムエンジニアとの技量差は歴然としていてシステムエンジニアの能力差に目が覚めたという印象をうけました、情報処理業の会社の能力格差というのは相当な程度あることが理解できたと思いました。しかしながら、27年間勤務した会社のシステムエンジニアは相も変わらず外注頼みの仕事だろうと想像すると、この先も技術レベルも上がらないのだろうとも容易に推測はできました。
「6)社員の仕事の取り組み姿勢が消極的傾向」にあるという課題をあげてみましたが、課題1)~5)までの課題について感想を書いてみると、6)の課題に挙げた内容は意識しない限り自然とそうなると思えました。社員の消極的な姿勢が普通の職場では、私の仕事の仕方の方が異質であったとも言えるかもしれないとも思っていました。

先回述べたように会社の仕事の基礎となるシステムエンジニアの技量が貧弱で幅も狭いので、顧客からの要望について何でもござれという姿勢ではなく、これも出来ませんあれも出来ませんというような事が多く、普通には対応不可が多いという状況でした。そうなると顧客から要望された事案を実現するのは、対応した社員の腕にかかっていたとも思いますが、多数の社員は顧客からの難しい要求に対してはシステムエンジニアから対応不可という答えしかもらえず、一体全体何を売ればよいのか分からなかった様な状態が長年続いていたではないかと推測しています。
期初に担当者にノルマを与える時、ノルマ達成のための目玉商品として事業部長とか部長から新機軸のサービスとか製品があると説明をされても、説明している事業部長や部長本人が実務で自らが率先して実例を示す事が出来ないので、机上の空論に聞こえてしまうのでした。所詮、事業部長や部長は実務が出来ないので、空想の世界で担当者にノルマ達成の方法論を説明して役員から振られたノルマ達成を考えてみるものの、最後は担当者に頑張ってもらうしかないと心の内で他力本願を願っていたのではないかと想像をしていました。そういう事業部長の心の内を現すように、期末になり当初目標の達成が難しいと想定されようになると、担当者全員を集めて対策をどうするのだという問答を掛けていました。現場責任者である事業部長や部長が実務をせずノルマの管理に明け暮れているので、担当者は自らの意思で何か取り組もうとする意志が弱められるばかりで、ノルマ達成に向けて職場の一体感と言うものが醸成されないと感じていました。
そういう環境では自らがでしゃばる事がなんだか普通ではないような雰囲気となり、世の中の風に便りに任せて自らは動くことも無く、仕事というものは目の前に落ちてきた案件を粛々と対応していれば済む、というような態度で仕事をする社員が多くなるのは自然の成り行きというものであったのかと思います。そういう職場の雰囲気が長年続くと、あたかもそういう仕事の流儀が正しいものに思えてくるのが不思議でしたが、社風というのはそういうものなのかとも感じていました。
 
社員が働く環境を創造する役目の筈の役員や管理職は、自らが実務をこなして社員にその姿勢を見せるというような事が出来ない理由は、異業種であろうと親会社の伝統的な仕事の流儀で済むというふうに考えていたとしか思えませんでした。技術が日進月歩と喧伝される情報処理業界にあって、毎日を机の前で座っていて実務は担当者任せという役員や管理職の態度は井の中の蛙を演じているばかりとも見えていました。自ら自身が情報を集め思考するろいう方法で物事に対応するという能動的な姿勢ではなく、何かあれば名ばかりの社外コンサルタントとか口先だけのヒラメとかコバンザメ社員の言動を信じるばかりの受動的な態度を役員とか管理職が長年取り続けたことで、社員も自然と社風として受動的=消極的な姿勢で仕事をすることが正しいものとして受け取られてきた素地があったものと理解しています。
「5)システムエンジニアの能力が低く、向上が図られない」という課題については会社の成り立ちに一因があるという気がしています。親会社の情報システム部が分社した部署と異業種事業参入部署という大きな流れがありました。情報システム部から派生して社外の顧客向けの仕事をする部署のシステムエンジニアは、元々自力で仕事をするという思考ではなく取引先ベンダーの支援を受けながら仕事をするという姿勢だったので、システムエンジニアの力量には限度があるという歴史がありました。異業種参入した部署のシステムエンジニアは社内の異動で配属された技術職の社員が多く、情報システム部から派生した部署のシステムエンジニアとは力量の差は無いと見えまました。情報処理業界に打って出るという事で派生した2つの部門が統合されたのですが、統合されたからと言ってシステムエンジニアの力量が上がったとは言えないと感じていました。
元々社外ベンダーの支援を受けながらの仕事で社内では事足りていたのが、いざ他人の仕事を行おうとすると社外ベンダーの助けを得るとしても限度があり、基本的には全部自身の力で仕事を完結しなくてはならない事になります。基礎となる情報システムの知識や経験が少ないというのは、元々技術レベルの低くても通用する社内の仕事しかしていなかったという所に原因があり、所詮は社外の仕事をするには限度があるとは役員や管理職は誰一人として気づいていなかったのではないかと思います。それが故に、技術職の社員の技術レベルは世間並であると勘違いしていて、システム開発等というとんでもない仕事でも出来る筈と勘違いして思い込んでいたのだと思われました。
 
その技術レベルが低くてシステム開発という仕事が完結出来なかった事例として、役所体質の顧客の基幹システム更改プロジェクトを紹介しましたが、多分現在でも社内では失敗ではないと役員をはじめ社員は勘違いして理解していると推測しています。その証拠に、このプロジェクトでは大きな利益が得られたとして社長表彰されていました。
先回紹介したように、開発する機能数が5個から4個と1個減ったので費用は20%下がるのは当たり前であるというのを、費用は提案時5機能分と変わりませんと説明したのは担当した事業部のシステムエンジニアの能力を疑われても仕方のない事態であったと感じていました。
しかも、残り4機能のうち3機能は既存システムの移行が主たる作業であり、ゼロから作ったプログラムは実質1機能だけという極めて簡単なプログラム開発だった訳でしたが、無駄な作業があったのではないかとかいう疑問や、工期や品質に問題もあったのではないかと疑われるような結果であったプロジェクトと評価しています。そういう客観的技術評価も出来ないで、金儲けができたと喜んでいる役員や社員の姿には違和感を持たざるを得ませんでした。
 
情報処理業務に従事するシステムエンジニアにも多種あり、基本的なソフトウエアを開発するシステムエンジニアから顧客のシステム業務を支援するシステムエンジニアまで多種多様な広がりのある職種で、その求められる能力も担当する業務により大きく変わりますが、私の勤務していた会社では最初に説明したように元々が社内ユーザーの支援業務が目的であったこともあり、社外の顧客からの仕事も主に顧客業務支援と言われるような情報処理業務の下流工程が主となっていました。
ノルマ達成の為に通常の情報関係商社が手掛ける機器販売とかソフトウエア販売も行われていて、技術難度も低く短期間で契約できるという特性もあり、情報処理の技術習得レベルが低い営業マンが多いという実態では、手っ取り早く契約できるという意味でそういう稼業に目が行く社員が多かったと思います。
情報処理の上流工程とか下流工程という意味合いも理解できない役員や管理職は、情報処理業における社内のシステムエンジニアの技術レベル問題について理解も出来ないし、問題とも思えなかったという歴史が延々と続いて、社員の情報処理技術レベルの低さは解消されることが無かったので、社外と契約する業務は作業中心という情報処理の下流工程の仕事がシステムエンジニアのメインとなっていたし、これからも続くと想定しています。
平成元年に転職した会社について感想を述べていますが、今日は平成の最終日であるというので感慨もひとしおと行きたいのですが、余り良い印象とは言えないような内容になりそうです。
「5)システムエンジニアの能力が低く、向上が図られない」という課題について、前回は会社の立ち位置という観点から感想を書いてみましたが、振り返ると会社の成り立ちにも原因があるのではないかと思いつきました。転職した会社は異業種への新規参入というので私も助太刀として入社したのですが、その新規事業部門にも技術社員が配属されていました。
しかしながら、社内異動の技術社員は情報処理を専門とするには情報処理技術レベルが低すぎたと感じていましたが、事業を推進する役員は全くそういう理解は出来なくて、技術職だから新規事業であろうといえども対応可能だろうという安易な発想しか出来なかったのが、現在まで技術レベルの低さが継続されている原因のように思えました。
転職する前の会社は毎年赤字の事業部で、業界でも最下位という惨憺たる環境で仕事をしていましたが、社内の技術陣は自前でOSとかDBやネットワークシステムを開発することが出来ていました。パッケージソフトの少ない時代でしたが、顧客の要求に合わせてシステムを構築できるだけの技術力を持った情報処理エンジニアがいたと思います。そういう事実を思い出すと、情報処理会社のシステムエンジニアというのは置かれている環境によっても技術力の差が現れるという気がしました。そうなってくると技術社員に求められるのは、情報処理の基礎的な技術能力も必要と思われますし、開発出来る職場環境も必要と思われるので、システム開発の苦難の歴史を積み重ねるという事も必要だと感じています。
27年間勤務した会社では、役員が自社の情報処理業界における理念とか将来像というものを描けないので、眼前の売上とか利益の誰でも思いつくような凡人の様な仕事しか出来なくて、自社の置かれているのは情報処理業界であるという意識が希薄なので、情報処理の技術力の向上とは何であるかも理解できない事も、技術職社員の技術レベルが低いままに放置されていた一因かと感じていました。役員の関心は技術レベルよりも眼前の事案に火でもついていないかという問題であり、そういう火種は技術レベルの低さに起因しているとは思いついてもいないとも見えていました。
 
何度も取り上げた役所体質の顧客の基幹システム更改のプロジェクトで、担当する事業部のシステムエンジニアが提案した5つの機能が当初提案金額では出来ないので1つのシステムを減らすことを顧客に要請して、兎に角プロジェクトを始めた以上後に引けない顧客の担当部署は不承不承ながら了解したという経緯がありました。
これは担当した事業部の技術レベルの低さを象徴するような事件で、当該の1つのシステムは経験した事がないソフトウエアを扱うから難しそうだと考えたという背景があったと推測していまた。経験が無いソフトウエアがあったとしても、少しばかりの時間をかけてソフトウエアの特徴を調査把握して、作業の取り組み方法を立案できるくらいに準備して進めるのが通常のシステムエンジニアの姿勢だと思いますが、そういう事さえも出来ない技術レベルの低い事業部が、システム開発などという高度な業務をこなせるはずもない、というのを社内の役員以下社員全員が理解出来ていなかったと思います。ここに情報処理に対する会社としてのリテラシーレベルが象徴されているともいえるのかと感じていました。
役所体質の顧客の基幹システム更改のプロジェクトでは、5つの機能が開発出来なくて4つの機能に減らすのであれば、当然ながら費用も20%削減される筈だというのが常識だと思いますが、費用は変わりませんと顧客に迫ったのも担当事業部の技術レベルの低さを証明していたような事実として残ったと感じていました。
「4)実務が出来ない事業部長や部長が多数配属されている」については2回にわたり感想を述べましたが、更に思いついたことがありました。
実務の責任者である事業部長や部長は役員が決めたノルマのメッセンジャーボーイのみを仕事としていたのは、ノルマに対する自身の責任感欠如に加えて実務経験が貧弱でとても現場の仕事が出来るような力量が無い事が原因であるという事を2回のブログで述べました。民間会社でこういう人事が平然と行われていたのは、役員や管理職の会社という存在というものに対する認識が、一般常識からはかけ離れていたことも一因ではないかと思われました。
人格的や行動発言に問題のある人物が、役員の忖度により人事異動で事業部長や部長に配属されると、犠牲になるのは多くの一般社員でした。そういう事実を知りながら忖度で配属を決めた役員は、聞いていません知りません言ってません、という冷徹な平然とした態度を貫いていたのは、まさに蛙の面に何とやらという表現がぴったりだという、見え見えの保身という態度を貫いていると感じていました。
何もしない方が良いと考えていた、年功序列で事業部長や部長に配属された人は好人物に見えていましたが、自身の無能を認識しないで部下にあれこれと指示をするのが仕事と勘違いして、部下に迷惑がられるばかりの事業部長や部長が存在していたのも事実で、社員に嫌がられる人物を配属させていたのも役員の無能ぶりが発揮されていたと思います。問題行動をする事業部長や部長は、当然ながら部下にはあれこれ注文をつけるものの、注文をつけた自身は自ら率先して行動を起こすことも無く、一日中机の前に座って呆然としているか意味のない会議に参加していて、実質何もしないで毎日を過ごすばかりの部下から煙たがられた存在であったと思います。何処の会社でも大なり小なり存在している問題だとは思いますが、会社の業績よりも人事異動とかに興味ばかりがいくような体質がある会社では、ヒラメとかコバンザメを養殖する環境が育っていて、本末転倒に行われていることが正しいとことであるような錯覚が社内に蔓延していたのが原因ではないかとも思っています。
 
次の課題は「5)システムエンジニアの能力が低く、向上が図られない」という課題ですが、役員が会社の将来像を描けない現実の前で、会社の糧となるべきシステムエンジニアは眼前の仕事をこなすことが優先されてシステムエンジニア技量問題はおざなりにされているという現実があったと思います。それを良しとするかどうかは個人の価値認識問題であり、若い社員で自己能力を伸ばしたいという意欲のある人は転職を考えると思われるし、年配社員で情報処理の下流工程の作業中心の仕事の流儀が身についていると流されるが如く毎日を送る事に意義を感じることもあると思います。
情報処理業界も建築業界と同じくピラミッド型の体制であり、付加価値が高くシステムエンジニアの能力を求められる仕事はピラミッドの上部の一部企業であり、ピラミッドの下層になるほどシステムエンジニアの能力は低いもので足りて単純作業となり付加価値も低くなっています。業界の会社能力序列がそのまま現場の仕事にも反映されていて、私の勤務していた会社では情報処理業界でも業界下位会社相当の仕事が中心で、システムエンジニアとは名ばかりという表現は非難をうけるかもしれませんが、そういう現実が見えない役員や管理職が大半ではなかったかと思います。
自社のシステムエンジニア能力を勘違いしている、会社の幹部である役員や管理職の頭に引き起こさせていたと想像させるのは、システムエンジニアの技術評価は社内評価が絶対であり、客観的な評価などは考えもつかなかったという事だと思います。尤も、役員や管理職はシステムエンジニアの足りない能力は外注会社で補えばよしとする安易な考え方もあったのが、益々システムエンジニアの能力問題を軽視することになっていたとも思えました。蛇足ですが、そういう安易な発想が背景にあり、口ばかり達者な外資系コンピュータ会社の転職者が社員に多いと感じられる現実があったと思います。
業績が思うように伸びないの現場は、技術レベルの低い下流工程の落ちてくる事案の対応に追われるばかりで、システムエンジニアもそういう低レベルの仕事しか対応できない技術レベルに自然に染まっていく環境にあったと思います。社員に情報処理の下流工程という認識がされない以上、システムエンジニアの能力問題などは発生していないという理解が社内にあったとも思えました。
情報処理とは目に見えない物づくりであり、基礎的なシステムを作るという作業を素人役員が思い付きで始めたりするようなことではまともなシステムエンジニア育成は出来ないと思います。又、そういう難しい仕事をこなすだけの力量の或る社員を採用するにも、採用する側の社員のレベルが低いと、類は類を呼ぶだけのことで外見だけしか人物を判断しか出来ないので、システムエンジニア集団としてのレベルも向上もせず、仕事も低い技術レベルのシステムエンジニア相当の仕事しか来ないという悪循環があったと思っています。
先日マラソンの監督で有名な小出監督が亡くなりましたが、小出監督の言葉に「普通の練習をしていては普通の成果しか出ない」というものがありました。システムエンジニアを糧とする会社として、普通のシステムエンジニアの能力では、普通の技術レベルの仕事しか出来ないという事に通じているのかと思わされました。
前回の「4)実務が出来ない事業部長や部長が多数配属されている」の課題をもう少し補足しようと思いました。
毎年、期初には年度予算というものが設定されるのですが、その根拠となるものは担当者が書いた数字が基礎になっていて、その数字に理屈をつけて若干の色を付けた予算がノルマとして担当者には降りかかっていたと思います。期初には当然の如く前年よりは高い予算数字が設定されているので、毎年答えのない回答を求められているような状態であったという感想を持っています。
前にも書きましたが、そもそも役員は会社の理念とか将来像が描けないので、不思議な予算の数字ばかりが踊っているという結果になっていたという印象を持っています。会社のあるべき姿を描くというのは個人会社では創業者が作り上げているので割合に明確になっていると思いますが、サラリーマンが役員を務める会社では中々難しい課題だと思われます。役員や管理職の社員が、本来業務である情報処理の仕組みにも疎いし、業界の動向もマスコミ情報を鵜呑みにするくらいの能力レベルでは困難な仕事と想定されます。そういう現実から生み出される年度予算というのは、所詮数字の遊びみたいに見えても仕方がないという現実があったとは思いますが、現場の責任者である事業部長や部長がメッセンジャーボーイばかりで、実務は担当者に丸投げしているという実態は、事業部長や部長の数字に対する責任感の無さからくるものと思われるというのは先回述べました。
予算数字には根幹的な問題はあるとはいえ、予算数字を受け取った事業部長や部長は役員に予算数字に対してノーを返さないというのはイエスマンという理解にとどまらず、この時点で予算数字を達成するという事を約束したものとも理解されると思います。予算数字に対して責任を持つという事は、予算数字を役員から受け取った時点で事業部長や部長の頭の中には予算数字の事業部内展開が出来ていて、予算数字達成の課題が見えている筈であるというは普通の思考と思います。この予算達成課題に対して、対処方法や方策を練れるという思考の根源は、現場で多様な実務をした経験や職場の業務遂行能力の実態把握という解決能力が必要と思われます。解決能力の無い思考というのは、単なる妄想とか想像にしか過ぎないと理解されても仕方のないもので、そういう様な空論を振り回して得意げな事業部長や部長の姿を職場で延々と見続けてきたので、実務が出来ない事業部長や部長が多数配属されていると申し上げた訳です。
 
事業部長や部長が予算数字に対する現場の責任者であるという意識があるならば、常に頭の中は課題の実行展開を思案する状態で一杯なのが普通の人間であろうと思われて、実務展開に向けて資料作成とか対策会議が毎日の仕事になるはずと思えますが、間接部門が主催する会議ばかりでスケジュールが埋まっているという状況から見える現実からは、事業部長に予算達成という責任感があるのかどうか甚だ疑問であると推測していました。
職場では社員自ら考えて行動を起こして情報を得るという行動をとれなくて、新たに得られる情報は業者情報とか親戚筋情報というものしか無いという背景では、予算の謳い文句は何処へやらダボハゼの様に出て来た事案に食いつくしかなくて、そういう事案が無いと予算は達成できないので予算の下方修正が恒例になっていたとも思います。役所仕事をして毎日を過ごせるというのは事業部長や部長はすごく楽な商売に見えていたとも見えていた現実は、責任感の欠如が同居していて、そういう社員が事あるごとに社内統制とかコンプライアンスとか言っている姿は道化に見えていたと思えました。
今回の課題は「4)実務が出来ない事業部長や部長が多数配属されている」という内容ですが、別の意味では実務が出来なくても務まる役職であるという解釈も出来ると思います。会社の体質が有名な日産と同じではないかというのは、割合に偏差値の高い学歴社員が多くイエスマンが揃っているというのが日産との類似点と思われます。
事業部長や部長が現場で大した実績も無いのに選任されているというのは不思議に思われるかもしれませんが、先回も紹介した「2)役員・幹部層の能力に疑問符がつく」の実例でも明らかなように、役員でさえも担当者レベルの仕事が出来るか疑問があるという人物もいたという事実からは、部下である事業部長や部長に客観的に見てどう考えても能力に疑いを持たざるを得ない社員が輩出していても不思議ではないという理屈は成り立つと思います。
事業部長や部長は上意下達で下される業績ノルマの伝達係であって、自身の課題にノルマ達成の使命感等は無く、部下に丸投げをするのが当たり前と思い込んでいるので、現場にはやらされ感のみが漂って消極的な社員の意気を益々貶めていたと感じていました。
類は類を呼ぶという諺がありますが、上長がイエスマンを演じていると部下にイエスマンが集まるというのは普通に起こる人間社会の仲間意識という現象だと思います。民間会社という組織にあって、顧客相手の取引という業務により糊口を潤すような環境では、イエスマンが育つのは伝統的に確立された固定業務で済ますことが出来る古い会社に多いというのは理解が出来ると思いますが、流動的な情報処理業界に属する会社では百害あって一利なしの事象と思われます。年度目標を作成した役員以下事業部長や部長が自己責任感も無く日常を過ごすのが普通と考えているのは、親会社と同様の固定化した思想が蔓延していて、情報処理業界の動向に無頓着であるという表れでもあるのかと思っていました。自己責任感が無いというのは、役員から事あるごとに目標達成見込みを詰問されてノルマの数字が頭の中に意識されているという事では無く、自身の問題として意識して把握しているかどうかなのだと思います。
 
事業部長や部長が年度ノルマを自身の課題であるという意識があれば、ノルマ達成に向けて自己能力相当の動きが自然に出る筈だと思いますが、部下に伝達するのが役目という考え方であれば実務などには興味もなく、毎日を会議という非生産的で単なる社内費用増加をさせているだけであるという事実にも気づかない日常を送っていたのだと思います。
イエスマンと言う類の社員が仕事が出来ないという事とどう結びついているかという説明は、イエスマンには上司に話を合わせたり迎合するような意識が流れているので、会社の実利から離れても非難されることもないので、客観的に見れば仕事が出来ないと理解される事だと思います。日産役員がイエスマン揃いで間違った方針を作り、2兆円の借財を作っても自己解決出来なかったというのが顕著な事例として挙げられると思います。