私が派遣社員として新しい勤務先に1年半もの間通勤をしていた最初の頃は比較的短い距離の道を選んでいました。これは普通誰もが思いつく時間をかけない経路というものでした。
駅から中学校までを直進して、それからコの字型に道を曲がっていく経路で、地下鉄の駅から上がると中学生の通学途上を見ることになるのでした。都会の中学なので、私と同じく地下鉄で通学している子供たちもいて、一緒に階段をあがっていくこともありました。地方の生徒の様に一列に並んでなどいう集団を意識した歩き方をしているのは見かけたこともなく、皆がばらばらになって金魚の糞よろしくぷつぷつと切れているのが移動していくように見えるのが特徴的だと見えました。かばんはビニール製のスポーツバッグみたいなもので、手にもって歩いている中学生たちが多い中、わざわざリュックサック風に背負って歩いているのは少し変だなと思いながら見ていました。都会の中学校だけに入り口には先生が見張っていて不審者を入れない様にしているのが分かるので、こういうところが都会の学校だなと感じました。ここは都会の中でも都会の場所だというのを認識させるには十分すぎると感じました。

中学校の斜め向かいには小さな蕎麦屋があって、この蕎麦屋の入口には毎朝決まって店で使うらしい手ぬぐいとかタオルが物干しハンガーにかけて干してありました。この店はビル街の真ん中あたりの場所ということもあって一日中日当たりが無いという場所だったので、こういう洗濯物は外の風で乾燥させているのかと思ったのですが、都会だけに塵埃が多い道路際で干すのは如何なものかと毎日疑問を感じさせる場所でした。
更に少し歩くと、中学校の先にはビルを持っている蕎麦屋があってその前を通ると朝から仕込みをしているのが外から見えました。この蕎麦屋は近隣に手ごろな食堂がないこともあって昼時は何時も混み合っていて、私も何度か利用したことがあったので気になっていました。注文して出てきたものは決して上等ではないと思いましたが、朝方からの仕込み作業をしているのを見ていると、改めて繁盛をしているのが判ろうというものかなと自分自身を納得させていたのでした。
その蕎麦屋の先を左に曲がるとドアだけがある看板の無い店があって時々綺麗な花が入り口に飾ってあるので何の店かなと暫く疑問を持っていましたが、ある日の夕方帰宅時にそのドアだけがある店の前を通ると丁度人が出てきたので中を見ると酒が並んでいたのでバーだというのが分かり、一つ謎が解けたように思いました。こういう店は看板も無いような店なので、本当に口コミでしか来ない人たちの店なのだろうとも思いました。都会の本当の片隅の本当に小さな店で何時無くなってしまうのかと思ってみていましたが、私が派遣社員として通勤していた1年半の間には無くならなかったので不思議に感じました。
通勤で朝早く歩いているとビルの一角にある何の変哲もない入口には、夕方帰宅時には暖簾が出るので、ここが料理屋なのだというのが分かりました。そういう割合に小さな小料理屋風情の店が通勤途上の道のあちこちに点在しているのも築地に近い場所柄かと思えて、帰宅時にそういう店に明かりが入っているのを見ていると都内の中の喧騒を少しは忘れさせてくれるように思えるのかなと感じるのでした。
 
話は変わって、ビルを持っている蕎麦屋の斜め向かいのビルには通りから見られるガラスのショーケースがあって時代物の撮影機が何台か置いてありました。映像関係の仕事をしているらしい会社が入っているので、その会社の宣伝用かとも思ったのですが、私はその撮影機のレンズがフランス製の有名な会社のものだったので非常に興味深く思ってしげしげと見ていました。クラシックカメラを趣味としないと理解できないような世界かも知れないと思わせるもので、私もこのフランス製のレンズを持っているので余計に親近感が湧いてきて、レンズを見ているとさぞかしきれいな映画が撮影でできたのだろうと想像を掻き立てるようなものでした。カメラのレンズに興味もない人たちには、古い撮影機は骨董品という風にしか見えないのだろうなと思いながら毎日この撮影機のあるビルの前で足を止めて見るのが日課にもなっていました。
派遣社員として勤務を始めてからは毎日朝9時から夕方5時という規則正しい生活になりました。社員として勤務していた時の勤務時間は、会社を退職する5年程前には朝7時から夕方5時30分と決めていたので随分と楽になったと感じました。社員の時は営業職という事もあり、常に割り当てられた会社の利益確保や難しい顧客への対応をどうするか等という事を年中考えていたので神経をすり減らすように思えましたが、派遣社員は本当に限定された仕事をこなすだけという意味でも楽になったと感じました。以前の職務がいかに大変であったかを再認識できたのを身にしみて感じることが出来たと思いました。
前項でも話した通り、規則正しい昼間の生活の反動で朝晩の通期途上の景色に色々なものを見るという事が楽しみにもなったのでした。勤務していた会社が築地に近いというせいか、通勤途上の路地には有名な料亭が何軒かありました。その朝晩の光景が面白かったというか、表裏が見えて社会観察ができたと思う事がありました。
 
料亭とか料理屋の表ばかりか裏手に面する道路を朝早く歩いていると、料亭とか料理屋から出さるごみが出しあるので使っている材料が知れるという事でした。特に魚を入れてある発砲スチロールは中身を出したまま壊しもせず出してあるので、注意してラベルを読んでみると産地とかが分かるので、仕入れのレベル感が分かりました。有名だからと言って決して上等なものを仕入れていないというのが分かって、料理は皿で食わすという事をして儲けているのだというのが分かりました。時々は油の缶もごみで出されていたので見てみると、業務用の油で銘柄品でもないで、こういう街の食堂でも使うような安い価格の油を使っているのが分かると、有名料亭という名前との落差が大きすぎて少々疑問を感じざるを得ないという感想を持ちました。
ある日の朝、料亭の勝手口から随分と老け込んだ人が出てきて、荷台に野菜を積んでいた自転車でのろのろ去っていくのを見かけたこともあります。野菜を納品に来たのかと想像が出来ましたが、その老人が如何にもみすぼらしいのが立派な料亭には似つかわしくなく思えて記憶に残っています。料亭も表は立派でも料理場では安い野菜を仕入れるのに腐心しているかと思いました。別の日には、ベンツに乗った業者がビニール袋に入ったものを持って勝手口に入ったので、これはこれで納品する物にはこのベンツの費用も含まれてさぞかし高いものなのだろうなと思ったこともあります。
夕方になると、料亭の入口には止め塩が置かれ、スーツ姿の男性が客待ちをして立っていました。この男を見ていると、この人の給料も料理の料金には入っているのだなと思って、これじゃあ益々料金は高くなって、客は料金が高いので満足感も高いという構図が出来ているのだろうと思いながら、入口に立っている男を見て通りすぎるのが日課でした。
私の夕方の帰宅時はまだ時間が早いので料亭に来る客は殆ど見ていませんでしたが、それでも時々は黒塗りの車が料亭の入口近くに停車していて、車を見ると一見して社用族が乗っていたなというのが分かるものでした。こういう料亭は値段が高い分、個人ではなくて自腹ではない社用族でもっているというのも再認識させられました。費用を自腹で出さないので、自然と出てくる料理にも関心がなく、有名な店だということだけに満足感を持っているので、料理の中身よりも体裁ばかりにごまかされているのだろうというのも容易に想像できると思いました。料亭の表と裏の両方を見ていると、その実態が見えると毎日社会見学でもしている気分にさせられるのでした。
随分と昔、私は顧客を会社が保有する接待専用の施設で顧客に同伴して料理を食べたことがありましたが、そういう昔の光景を思い出させるような場所だなとも思いました。遠い昔の成長期の日本の接待用の施設というのは、今どきの有名料亭なんぞというものよりは余程格が違っているように思えて、日本経済というべきか、それとも日本の国力というべきものの勢いがなくなっているという一断面をみているような気にもなったのでした。
派遣社員として最初に勤務したのは、自らが新規顧客として開拓して長年自分のユーザーとして付き合ってきた顧客でした。情報システム部の全員とは面識があったので特に緊張をするというような事はありませんでした。情報システム部員からみればどういう仕事の為に来たのかと不可思議に思えた人もいたと思います。
派遣社員として勤務してから1年後、新しいシステム開発がきちんと終わったのか終わらないのか不明なまま本番に突入して障害が多発したのですが、システム開発を受託した事業部の対応は担当のシステムエンジニアがあたふたするだけで役員や管理者が説明や謝罪でこの顧客を訪問するという事はありませんでした。
私が営業マンとしてこの顧客を担当していた時に、システムエンジニアのミスで事務処理に影響が出たというので、私は現場の責任者に「坊主頭にして謝罪するしかない」と言って、現場の責任者を坊主頭にさせて謝罪したことがありました。そういう一件を思い出すと、この新システム開発がきちんと終わらなかった責任を表す形として、社長以下関係者は全員丸坊主頭になって顧客に謝罪しなくてはならないのではないかと感じたのでした。
もっとも当事者は、金を貰って仕事をしただけですと言うくらいの認識しかないと想像されるので、謝罪などというのはとんでもないと思っているに違いないと確信しています。
 
1年半の間、派遣社員なので毎日がパソコンを使って資料を整理したり作成するという事をしましたが、カレンダー通りのリズムある生活が健康を保っているように思えました。営業職とは違い毎日一日中机に向っての仕事なので単調な時間が長く感じられたこともありました。そういう毎日では職場が単調な分、通勤での景色の移り変わりに興味を持って見るようになったのは自然の流れかもしれませんでした。
通勤途上で丁度ビルの建て替えの現場が歩道橋からのぞき込めるような場所があって、工事の進み具合を確認するのも楽しみの一つでした。特に古いビルを解体した後の地下部分ではビルの杭抜きがうまくいっていないとか見えたり、解体が進んでどんどんと掘り下げていくと周りの地盤が崩れないかと心配になったりとかというのを面白く見ていました。現場では毎日ラジオ体操をしていて作業員の入れ替わりが頻繁に見えたのは昨今の職人不足という事かも知れないと思いました。
ダンプカーで廃土の積み出しをするときも朝早くから行なわれていて、クレーンで土をダンプに積む様子を見ていると面白いのでついつい足が止まってしまう時も度々ありました。土も無くなりコンクリートの壁や柱の解体の時には、鉄筋とコンクリート塊の仕分けをきれいにしているのもなかなかに興味深く見られて、童心に帰るとはこういう事かとも思ったのでした。
ビルを解体している隣の古いビルでは、テナントがいなくなってどうするのか思って様子を見ていると、ビルの一番上の階にある会社だけは移転もせず営業しているのが不思議でしたが、暫くするとリニューアル工事が始まって1階にはコンビニが出来て、2階以上にはホテルと命名されていました。工期が短いのでどういう風に事務室をホテルに作り変えたのか興味があったのですが、テレビで紹介されているのをみたらカプセルホテルになっていたので短工期の理由が分かり得心しました。このホテルに出入する人たちは一様に足早で堂々として入館するように見えないのでいぶかしく思ったのも訳が分かって納得をすることが出来ました。ホテルを利用していた人たちは中国人ではなく日本人ばかりというのも団体はうけいれていないのかとも想像をしていました。この老朽化したビルの前は大きなホテルがあって、通勤の帰り道で時々中国人からホテルへの道筋を質問されたことがあったので、大手ホテルが爆買いの中国人を受け入れているんだろうと分かりました。イタリアに旅行した時も部屋数の沢山あるホテルでは大勢の中国人ツアー客を見かけたので、中国で大勢の団体で海外旅行をするのが流行していると再認識したのでした。
古いビルがホテルにリニューアルされた近くにの空き地に、両側駐車場の間に塀で囲んだ小さな土地があって中は雑草が伸び放題で数本の細い木が伸びているのを見ているとかなりの間放置されているのが分かました。売主がどうしても売りたくないのでそういう状態が続いているのだろうと思いました。そういう状態は何時まで続くのかなと見ていましたが、派遣社員として通勤を始めて1年も経過した時、漸くその塀も取り壊されたのを見ると時の流れはあるのだなというのを感じたのでした。
システム開発プロジェクトの後半1年半はシステム開発を発注した会社に好意で派遣社員として勤務できたのは非常に幸いなことだと思いました。
12月の顧客との忘年会会場で突如として上司の部長から嘱託契約を打ち切ると言われて急遽このシステム開発を発注した会社への就職を頼み込んだりした事とか、新しい勤務先で仕事を始めたら以前の会社の役員から会社のデータを持ち出したと因縁をつけられて自宅パソコンの個人データを他人に見られてしました。この出来事は一生忘れられない事なのだろうなと思いました。こういう行動の原因は自己利欲のために他人を蹴落とす言う事をしたのに他ならないというのも、このシステム開発について書いたブログで書いておきました。それは当人の能力とか人格が事件によって露わにされただけのことだろうと思います。
このブログでも書きましたが、25年も前に弁護士に仕事を依頼したものの不完全なので弁護士会に訴えたことがありました。当然の事ながら弁護士会は仲間内のことなの何とか仲間を守ろうとするばかりの発言に私が怒って居並ぶ6人の弁護士を大声で叱りつけたという事がありました。その後、たまたま地下鉄に乗った時に隣に座ってきた男は弁護士会の会議に出ていた男らしいと気づくと相も自然と私を横目に見て気づいて、次の駅で脱兎のごとくホームの端に向かって走って行くという事がありました。おなじような事が自己利欲の結果として繰り返されてたのを何度も体験したということだとも思いました。
新しい勤務先のシステム開発を発注した会社の社員は善人ばかりのような会社で悪意を持つという事が考えられないので、以前の勤務先とは職場の雰囲気も全く違い非常に気楽なものでした。
 
派遣社員というのは指示されたことをするのが仕事という事でしたが、システムエンジニアというだけで特段にあれこれと指示されてする仕事もなかったので、自然とシステム開発を受託した事業部の仕事をチェックする事に注力して、ブログで紹介した通りの事実をデータで裏付けをとりながら明らかにしたことだろうと思います。
又、ガバナンスについてはかなり深くまで調べて理解することができて、日本の企業では殆どが表面的な対応しかできていないというのがよく分かりました。それくらいに、企業自身の自覚がないとできないような事だろうという事も分かりました。
個別に情報システム部員から調査を依頼されて資料を作成したりして、夕方には勤務記録を書いて帰宅するという毎日でした。
この会社では社員食堂があって若い人向きの全てにカロリーの高い食事だったこともあり、以前会社では営業職で出歩いてエネルギーを消費していたのが、新しい会社では一日中座っているだけなので自然と体重が3キロほども増えてしまったというのが悩みでした。
通勤では出来るだけ歩くことを心掛けるようにして、地下鉄一駅歩くことにしてエネルギー消費を増やそうと心がけしましたが、たいして効果はありませんでした。
地下鉄の駅から会社までの2キロの朝晩の通勤では、銀座の幾通りかの細い道を歩いえたので道筋で世の中の動きを感じることもありました。朝は殆どが通勤客でしたが、中国からのツアーが盛んなときには、何度か中国人の夫婦から築地への道を聞かれたりすることがありました。その時、事前に調べたらしい地場の有名店の場所を聞いてくるので、日本のこんな細かいことまで知っているのかと驚いたことがありました。
爆買いの最盛時の夕方帰宅時には銀座通りも中国人ツアー客であふれて、スーツケースをごろごろと引きながら大勢で歩くので、仕方なく道を変えて帰り道を急いだということも多々経験しました。ドラッグストアで買い物をしようにも、中国人がバスケットに品物を山の様にいれてレジに並んでいるので、銀座で買えずに地元のドラッグストアで購入したという事もありました。中国人が押し寄せていたという勢いを感じましたが、今頃はすっかりそういう光景はなくなり元に戻ったように感じます。それでも夕方の銀座では中国人の親子や若い仲間らしい旅行客は多いと感じさせられて、国の発展の勢いが違うのかなと思いました。
毎朝同じ道を歩いていると、朝早くから開店する喫茶店に朝一番で現れる夫婦とか、ビル建築現場で働く人の事務所に出入りする若者や、必ず親子で登校する小学生や、ビルに入る鍵を持った人が現れなくて外で待ちぼうけをくらうサラリーマンの集団とかを眼にして都市の生活感を感じることが出来ました。
夕方になると飲食店が賑わいを始める頃で、人出も多く活気があふれるように思えたのは、サラリーマンが一日の仕事を終えた開放感が街中に溢れているかなとも感じました。そういう街の喧噪感が高いのは明るい陽のある夏よりも、陽が落ちて暗くなってネオンの輝きが増した寒風がビル街を吹き抜ける冬の夜の方が似合うようにも感じました。
システム開発に関係した人たちの行動を見てみると、人間学の一端が見えるような気がしました。
システム開発を発注した会社の情報システム部員は、会社の業務が他人と争ったりする必要のない性格のせいか、何か事件が起きても対応は殆ど不可能にも思えました。基本的には性善説を信じる傾向があり、他人を悪く思うようなことがないので、逆にそこをシステム開発を受託した事業部のプロジェクトマネージャーに突かれたと感じています。普通は突かれると反論が出るような場面でもそのままやられてしまうことが連続したのだと思います。
普通の会社では修羅場になると、突然急に豹変した元気な人が出てきて戦う事があると思うのですが、そういう事が無かったので常にやられっぱなしということで終わったのではないかと思います。
それでも情報システム部員としては新しいシステム開発が出来たということは部の成果として認めてほしいという事はあったと思います。しかしながら、その仕事が本当に当初考えていたもの通りかどうか証明してくださいと問われると出来ないというのが実態だと思います。情報システム部門に所属しているのが情報システムに精通していることではないのを自覚した上での対応を考えるという事が必要と感じました。
 
システム開発を受託した事業部の暴走ぶりはブログで書いた通りですが、ここに人間模様が埋まっているように思えます。
プロジェクトマネージャーは何でプロジェクトマネージメントが出来るのか不思議なくらいに人望の無い人間に見えたのですが、この事業部ではそういう仕事をさせていました。人望なんか無くても仕事さえ出来ればいいのではないかと思えるのですが、その仕事が出来ないので問題が出るのでした。その仕事が出来ないのを顧客のせいにするのもこのプロジェクトマネージャーの人間性を表していると思いました。
このプロジェクトマネージャーの言を真に受けた役員も間が抜けていたのは、自らの能力がないのを人柄をよさそうにふるまう事で隠していたのでした。
システム開発を受託した事業部のプロジェクトマネージャーはシステム受注後も自ら担当する顧客業務を勉強するでもなく、システム開発進捗に心配するような気配も見せずに、私の担当しているサーバーのメモリ構成が云々というような新入社員がやるようことに熱心に口をはさんでくるのが不思議でした。プロジェクトマネージャー自身がシステム開発で何をしなければならないのかを全く理解していないという事も露見したのですが、社内ではそういう異常行動に対しても誰も不思議に思わないのが不可解でした。背景には全て外注任せにしているという無責任体制があるので、何かあっても外注に文句を言えば事足りると考えていたのではないかと推測しています。
上司の事業部長や裏方の役員は、顧客のシステム開発の事よりも事業部の業績だけが心配なので、少しでも損をしそうな事態になると直ぐに顧客を脅してでも金を取ろうという行動に走るのでした。そういう行動をしても大手の顧客ではゼロ回答で追い返されるだけなので、この事例の様に中小の弱い立場の顧客はまさに狙った獲物に見えたのではないかと想像されます。
システム開発を受託した事業部からは担当のシステムエンジニアがぞろぞろと出てきたのですが、一様に言えるのは口先が滑らかな事でした。システム開発の発注者である情報システム部員の足元が見えると、無知に付け込んでああいえばこういうと言う様にしか聞こえないことが多々ありました。ある意味では顧客を小ばかにしている様にも見えた時もあったということです。
 
顧客の窓口である営業部長もシステム開発がきな臭くなってくると危険を察知してさっさと逃げの態勢で自分は関わっていませんと表明したほどでした。顧客との問題の折衝役が不在になって、システム開発を受注した会社に顧客の味方はいなくなり、費用は全て顧客持ちが妥当であるという事が社内でも常識になったものと思われます。営業が顧客との調整役を果たすことで企業間の取引は双方に不満があっても成立するところを、顧客だけが損をする事態を責任逃れしたい営業部長が図らずも仕組んでしまったとも言えると思います。
 
そうこうしているうちに3年間が経過して本番が始まりました。テープカットという行事までして大々的に新しいシステムで業務が開始されたのですが、一体誰が何をもって新しいシステムが完成したとは説明はされませんでした。
システム開発を受託した事業部では何をもってシステム開発が完了したのか理解しているのかどうか不明です。顧客から検収書という紙一枚を貰ったので終わりましたというのは小学生レベルの発想です。当初の構想に対して何が実現できているのか、その出来栄えの評価といった一連の成果がきちんと説明されたときに完成と言うべき仕事なので、それが説明できていないうちは未完成というべき代物と思います。言葉を換えれば、口先だけで作られたシステムであったとも言えるかもしれないと思います。
常識よりはずっと長い期間と余計な費用をかけて出来上がった新しいシステムは完成品かどうかを考えると少しの疑問があるように思います。
コンピュータのソフトウエア開発というのは目に見えないので、その出来栄えがどの程度は評価するために色々の尺度があります。システム開発を受託した事業部ではバグ数を毎週のプロジェクト会議で提示していました、自ら設定したバグを超えそうになると数字を落としてバグ数には問題がありませんと説明していました。
分かりやすくするために建売のマイホームを建築しているという風にして考えてみることにしました。

☆プリンタの解像度が要求仕様書より半分に落ちた。
  ⇒ハイビジョンが見られるテレビを注文したのだが、一世代前のテレビしか売れませんと言われた。一応テレビ画像は見られるので良いということになった。
☆基本設計延伸について費用折衝をしようとしたら、窓口の営業部長はシステム開発を受託した事業部にメールを転送しただけであった。
  ⇒工期が長すぎ費用も掛かるので何とかしようと住宅を販売した営業に連絡したら、現場で工事をしている者にお尋ねくださいと言われた。
☆プリンタから紙が出てこなかった。
  ⇒台所の水がでないので配管を調べてみたら、本管から自宅に入る管路が切れていたので繋ぎなおして水が出るようにした。敷地は四角なのに変形だと言われ、管路が敷地にうまく入らないので特殊なものにした。
☆本番前にデータベースが未完成でデータ移行テストが出来なかった。
  ⇒室内工事が終わったので家具を入れようとしたら、室内に壁が出来ておらず部屋が完成していなかった。緊急で壁を作って部屋をこしらえて家財は運び入れたが、壁が設計通りに作られたかは不明。
☆本来の機能が使われていないソフトウエアがある? 
  ⇒給湯器は台所と風呂場を共用にするつもりだったのが独立して2台設置された。自分が経験した工事でないと不安ですという業者説明でした。
☆本番後、インターネットが接続できなかった。
  ⇒引っ越しをして電話をかけようとしたら電話線が引き込まれていなかった。直ぐに電話工事をしてもらったが、家屋引き渡しに前に業者は電話回線の引き込みを確認していなかったらしい。
☆本番後、障害が多発した。  
  ⇒完成した筈の新築の家に住んでみると、窓が所定の場所になかったり、電気配線が無くて照明器具が点灯しない部屋があったりした。台所の水も配管不良で漏れもあり。
☆特定画面でデータを入力すると数字がゼロになる。
  ⇒風呂場に湯を入れようと思ったら水しか出てこなかった。何回も試したが改善されないので調べたら、給湯器が新品ではなく中古品で故障していた。新品交換は金が掛かると言われて、中古品を修理して使えるようにしたものの先々不安である。
☆納品した説明書等が完成しているかどうか不明。
  ⇒新築した家屋の図面提示を求めたのだが、多忙で全部出せないので手元にある分だけは出せますと言われた。
 
一例をあげて書いてみましたが、とりあえず住むのには問題ない新築住宅ができたように思えますが、問題があるたびに修繕をしながら住むことになりそうだという印象を持たざるを得ません。
システムやプログラムは完成してしまったので今更改善する打つ手はないのですが、情報システム部で作成した要求仕様書と開発したシステムとの機能差異を明確にしておくことは必要ではないかと感じています。
このシステム開発では、開発期間が開発規模に見合わぬほどに長くなったのは先回説明しましたが、費用として不要だったと思われるのは開発期間×要員数だけではなくて、元々不要ではないかと考えられるものがありました。

理屈が一番合わなかったのが提案された開発費用と思います。提案時には5つの機能があったのですが、基本計画終了時には4つになって1機能が無くなりました。元々5つの規模で見積もっていたのが途中で変更になり割高となったという事です。
店先で5個100円で売っていたものが、自宅に届けられた時には4個に減っていたのですが、それを文句も言わずに受け取ったという事だと思います。普通の頭で考えれば、1つの機能が無くなったので20%は安くなると思えるのですが、逆に「高いけれどもこれでなくては開発は出来ませんぜ」と脅されて、折衝事には不慣れでシステム開発も素人同然の顧客は受け入れざるを得ず、不満を持ちながらもシステム開発を受託した事業部のプロジェクトマネージャーの言い分をのんだということかと思います。
ここで不可解なのが基本計画では業務を習得した筈なのになぜ割高になったかという事です。何回も紹介していますが、この顧客の業務モデルはシンプルでデータ量も極端に少ないというのが特長なので、提案時には見得なかった業務実態が基本計画フェーズで明らかになり、費用はもっと下がると考えるのが普通だと思います。
段ボール1箱を運ぶのに、運転手一人でいいところを、重量がありますとか、貴重品だからとかと尤もらしい理由で横持を2・3人も追加した様に思えます。この追加要員はトラックの補助席に同乗できないので、追加の車が必要ということでどんどんと費用を釣り上げた構図ではなかったのかと想像しています。
毎週のプロジェクト会議が開催されましたが、顧客である情報システム部員ばかりか無言の顧客側のプロジェクトマネージャーは大人しく抵抗をしないことを見透かされて、それを逆手に取って費用を高くし、自らの利益を大幅に増やすという算段したとしか考えられないという事です。それを会社ぐるみと言われても仕方がないのは、プロジェクト終了後に会社から表彰されているという事があったからでした。

2つ目はデータ移行という提案にはなかった作業費用でした。基本計画が始まると直ぐにシステム開発を受託した事業部のプロジェクトマネージャーがデータ移行も基本計画フェーズから必要ですと無知の顧客に見積もりを提示されました。その時、情報システム部員は費用を安くするためにという理由で外注会社との直接契約にしたものですが、その外注会社はシステム開発を受託した事業部の息のかかった会社だったので裏で通じていたものと思いました。
システム開発でデータベースのデータ項目・種類・桁数や容量など何も決まっていないのに何故データ移行作業が必要なのかいうのを不思議に思わない情報システム部員にも問題があると思いましたが、兎にも角にもシステム開発をするために必要と脅されれば否応なく受け入れてしまうということだったと思います。毎週、顧客のプロジェクトマネージャーはデータ移行作業をしているらしい外注会社から報告を聞いていましたが、何を報告しているんだろうと訝しく思っていたのは私だけだったかも知れません。ホスト計算機のデータを調べるという作業をしていると聞きましたが、そんな事は新しいデータベースの構造が決まってから調べれば十分に間に合う事なので、3年ではなく長くても1年もあれば十分に済む作業で、2年間は無駄な作業費用を支払っていたということになり、不要な費用を出費したということになったと考えられます。

3つ目は不要な要員の常駐という費用でした。私が社内データを持ち出したと騒いだ役員が、顧客の役員にシステム開発を成功させるためには常駐要員が必要ですと売り込んだものでした。端末操作さえおぼつかない口先だけのシステムエンジニアと称する男を1年間も常駐させたのでした。この男の費用は月額200万円以上なので、費用の半分を負担しますとお為ごかして契約したようでした。この男は外注先から会社に帰っても居場所が無くて行先を探していたところでした。システム開発の不手際同様に、この駐在していた男のやった仕事は終わったのか終わらないのかも不明なままに終わって、何で顧客に駐在していたのか全く理由が不明でした。会社の余剰要員をお為ごかして、役員自ら人のようさそうな顧客に売り込んだもので、した。この役員が、システム開発を受託した事業部のプロジェクトマネージャーと裏でつながっていて、この顧客は少し脅せば何とでもなるという情報を得ていて、こういう行動に出たのではないかと思われます。
このシステム開発の異常な進捗状況について縷々説明してきましたが、この顧客がシステム開発でどの程度の費用を損失したのかを検証しておくのも必要かと思いました。波風を立てることをしたくない顧客の社風なので余計なことはしなくても良いと思われているとは思いますが、けじめというものは必要だと思います。情報システム部としても曲がりなりにも新しいシステムは出来ているので自分たちのやるべきことは済んだという事にしたいのかもしれませんが、けじめはついていないのではないかという風に私は感じています。
今回のシステム開発では契約はフェーズ分けされていましたが、実作業はだらだらと連続していて、報告も本当かどうか疑わしく思われて、システム開発を受託した事業部ではどんな作業が行われてきたのか全く分からないというのが実態でした。その上に、費用は全て顧客持ちというのは何とも理不尽に思えていました。最初に不要な期間とはどの程度だったかをみてみます。
 

   基本計画

この作業では業務フローを整理するという事で行われましたが、大量のフロー図を作成しただけで以後のフェーズで利用した形跡はありませんでした。基本計画の8ケ月は不必要な期間だったと判断されるので、その期間費用は全て不必要ということになります。

   基本計画から基本設計への移行期間

基本計画終了後、約2か月間は「基本計画が終わらないので延長します」とか「次フェーズ以降の見積もりが変わりました」とシステム開発を受託した事業部のプロジェクトマネ^ジャーが言っていました。しかし、それは言い訳にしか過ぎません。委任契約なので責任はないとかいうのはもってのほかで、自ら立てた計画を実行できなかったのを「顧客が仕様を決めなかった」と言って責任を転嫁するのはプロジェクト管理を委譲している顧客からみれば無責任としか思えない言動で、この2か月間も不要期間でした。

   基本設計

システム開発を受託した事業部では5カ月と自ら提示していましたが、ずるずると延長されて形式上は4カ月、実質6カ月も延長されました。基本設計の期間を決めたのはシステム開発を受託した事業部であって顧客に責任は無いので、この6カ月も無駄な期間ということになります。

   システムテスト

4カ月間、「テストを実施して問題ありませんでした」とプロジェクト会議でシステム開発を受託した事業部から報告がありましたが、その後の本番テスト(受入テスト)や並行本番、本番開始後には障害の山が発生して、本番開始が12月から5月に延期する遠因ともなりました。本番開始延期もシステム開発を受託した事業部では顧客の責任であるような発言をしていましたのは、システムテストでまともなテストをしていなかった反省を微塵も感じさせませんでした。システムテストの4カ月のテスト作業は5段階評価のDEランクの仕事振りだった思いました。しかし全く否定するのもできないフェーズなので評価対象とはしないとするのが妥当かと思います。
 
ざっとみただけでも不要な作業期間は16カ月になり、総工期36カ月の4割程度となり、費用が不要工期分余計にかかっていることになります。私がシステム開発費用を試算した費用が、世間相場の倍の費用が掛かっていたことの傍証にもなっていると思いました。
5月に本番が開始されても少なからず障害が発生し、情報システム部員の中には障害対応の仕事が出来てドタバタしているのが嬉しいと思えるような素振りのある人もいました。
そもそも本番後に障害が発生しないために、システム開発期間中に時間をかけてテストと称する作業をしてきたはずなのに、テスト期間が無駄に思える程に何で障害が発生するのかというのが不思議でした。障害というものに人為的なもの又は予測不能なものがあるとすれば、このシステム開発で発生した障害は全て人為的なもので、原因はシステム開発を受託した事業部が契約した内容の仕事をしなかった為と言い切ることができると思います。
 
本番開始後、5月の中旬位に、支店で事務担当の女性がデータを打ち込んだらゼロになってしまうという連絡があり、当初は情報システム部員は操作が間違っているのではないかと言っていました。その現象が確信的になってくると情報システム部員の端末で現象を再現することができて「ものすごい発見だ」と意気揚々と大声を出して賛辞をいう人もいました。当然ながら直ぐにシステム開発を受託した事業部には連絡したものの返事は直ぐには来ませんでした。
本番開始の5月にはそういう現象が情報視システム部内で認識されていて対応に困惑していましたが、システム開発を受託した事業部からは数か月も無しのつぶて状態が続いたのでした。
8月に入りシステム開発を受託した事業部から「アプリケーション開発言語のバージョンには不具合があることが判りました」という説明がありました。一定以上の大きな桁数を入力するとゼロになってしまうという不具合という説明でした。
システム開発を受託した事業部では「開発言語のバージョンは実績のあるもので実行しようとして最新バージョンを使用しませんでした」とか「お宅でそんな大きな桁数の数字を扱うとは思っていませんでした」というとんでもない回答が来たので私は驚きましたが、情報システム部員は障害内容の仕組みなどよりも早く対応してほしいという気持ちが強かったせいか驚きというものはなかったように見えました。

システム開発を受託した事業部が実績にあるプログラム言語のバージョンを利用したという意味は、最新のバージョンを評価するという能力がないのでそういう方法を採用しただけの事なので、そもそも基幹システムといわれるような重要なシステム開発は能力的に出来なないという事を自ら語ったという事だと思います。
同時に、顧客にはそんな大きな桁数の数字があるとは知らなかったという言い訳は、3年間も掛けてデータ移行という作業をしていて数字の桁数を調べなかったという事と同義なので、データ移行に掛けた3年の費用は不要でしたと自ら述べているとも思えました。
データ移行に関しては、本番前に移行先のデータベースが出来て居なくて移行テストが出来なかったという不始末もあり、この障害の原因説明の時はそんな事があったのも忘れたように堂々と言い訳を言ったのには驚きの他の言葉を持たなという表現の方が適切と感じた位でした。
システム開発で製造した1000本のプログラムは古いバージョンで書かれていて、たまたま入力数字がゼロにクリアされるという現象が出たのですが、将来は古いバージョンを利用しているが故に障害が出る可能性もあるのではないかと推測しています。システム開発では、不具合を防ぐために常に最新バージョンを利用するのが原則なのですが、そういう原則を守らなかったゆえに発生した障害と思いました。
 
これほどの重大障害を発生させても、システム開発を受託した事業部の事業部長や役員は説明とか謝罪には現れませんでした。障害内容と対策の説明に来たのは、システム開発を受託した事業部のプロジェクトマネージャーと後見人の統括プロジェクトマネージャーに担当のシステムエンジニアだけでしたので、システム開発を受託した事業部は、障害がそれほど大したものではないと思っていたのではないかと推測され、且つ顧客をそれほど重要な顧客ではないと見立てていた事が立証されるようなことになったと思いました。それは顧客側の波風を立てたくなという社風もあって、怒るという行動がなかったのも一因とは思いましたが、システム開発を受託した事業部に見識というものが無かったという側面もあったのかと思いました。
この事件が発生した時、私は「万事休す」という言葉が浮かびましたが、このシステム開発を受託した事業部は「よくある事です」という態度で言い訳を言い、発注者である情報システム部員は「仕方ない」と思い、何時の間にか風化していくのだろうと感じました。
5月連休明けの本番が近づくと、情報システムのプロジェクトマネージャーが気になったのは儀式らしいと思えました。このプロジェクトマネージャーは、新しいシステムの検証は情報システム部員が毎日パソコンのキーを叩いて現場で行う疑似的な操作して確認していて、大きな問題はなく操作できているのでよかろうと思ったのだろうと推測しています。
3年かけたシステム開発の完了を社内にテープカットでお披露目をするというのは、長い情報システム関連業界に関わった私は初めて聞きました。システム開発の規模が大きいとか小さいとかに関わらず、情報システム部員は出来上がった新しいシステムが現場で障害なく利用してクレームが上がってこないのを祈るばかりの場面だと思ったのですが、そういう事には案外無頓着で、情報システム部とかプロジェクトとかの体面ばかりが気になっているのは社風がさせる業なのかとも思ったのでした。
お披露目式は、情報システム部員が少々不信感も持つようになっていたシステム開発を受託した事業部の役員とか事業部長を呼んで、社長以下役員の居並ぶところでテープカットというセレモニーが行われたのでした。その後、システム開発を受託した事業部の関係者全員や情報システム部員が一堂に顧客の食堂に集まって、慰労会に思える飲み会があったのですが、私はそういう気分には全くなれなかったので、ウーロン茶を少し飲んですぐに執務席に帰りました。
こういう体裁づくろいには気遣いが出来るのならば、同じ気遣いを新しいシステム開発の中でもして欲しかったというのが私の感想でした。それには知識とか経験があった方がよりベターなのは当然ですが、どうしたらシステムが問題なく現場で利用してもらえるのかという対策について考えるという事をして欲しかったと思っていました。普段からそういう仕事の仕方をしていないというのもあったかもしれませんが、このシステム開発に心を入れるという意味では物足りないという印象を持ち、ある意味では形は出来たのですが情報システム部員の心意気はどの程度込められたのかというのは少々弱いのかなと思っています。
 
このシステム開発では常套句になってしまった案の定という言葉が出る事が本番開始後に起きたのでした。この新しいシステムでは以前のシステムでもサービスをしていた、インターネットを利用した得意先が情報登録するという業務があり、そのシステムはプロジェクト開始直後にシステム開発を受託した事業部から著作権があるので同じ画面は製造できないと主張して紛糾したシステムでした。
本番開始直後、得意先がインターネットに接続できないというクレームがあり、色々調べてみると、本来障害として検知しなくてはならいシステムや設定がずっぽりと抜け落ちていたのでした。
システム開発を受託した事業部では色々なテストを半年以上行い問題無しという報告をプロジェクト会議でしていたにも関わらず、システムが利用できないし障害も検知できなかったという無残な結果が本番直後に発生したのでした。
インターネット接続の本番テストは情報システム部員も何かそれらしきことをやっていたというのは私も見てはいますが、それが不満足なものであったという結果に終わったので、情報システム部員としても大きな声が出せなかったのかとは推測していますが、それは本質的ではないのでもっと声高にシステム開発を受託した事業部を糾弾してもよかったのではないかと感じました。システム開発を受託した事業部の対応は作業して終了で、役員や事業部長の謝罪とか説明とかはなかったようでした。

この時の障害原因を考えると、システム開発を受託した事業部では契約上なすべき仕事をしていなかった事が明白になったということだと思います。世間相場の2倍の費用をかけ、開発期間がだらだらと半年も延長されたばかりか、最後にはちゃんとした物が納入出来ていませんでしたというのが、このシステム開発の結末ということかと思いました。