10月に派遣社員の就職活動を始めてから、毎日インターネットに派遣会社に応募するという作業をしていると、自ずと私が希望する情報システム業界での派遣社員の求人という事についての状況が見えるようになりました。
情報システムのシステムエンジニアという名称はあるけれども募集の大半はプログラマが多いという感想を持つと同時に、そういう即席のプログラムが作るようなシステムのニーズが多いというのも分かりました。その上に、明らかに募集している会社は一次請けではなくてその下位業者であることが見て取れるようなものもありました。
長い間、情報システム業界という分野で働いてきた者の目から見ると、ベンチャー企業や中小企業の脆弱な情報システムの実態がこういう派遣社員募集という事でも明らかになっていると感じさせられました。ベンチャーも大から小まで沢山あるので一概には言えませんが、そういう会社にはシステムという概念が極めて希薄でシステムとはプログラムであるというような理解がされているというのが募集要項を見ていると分かるものもありました。
 
そうなると私が希望するようなシステム開発の上流工程の仕事は非常に少なくて、又私の年齢が高齢であるというようなこともあって派遣社員といえども非常に就職先を探すのが難しいと思いました。
一度はそういうプロジェクト案件があって派遣会社から連絡があり面接の日程を決めようとしていた時に、どういう訳かプロジェクトがご破算になり面談は中止というような事もありました。この会社は私が勤務していた会社と競合会社で担当分野も私が担当していた分野と一致していたので、私は採用が決まれば過去のノウハウが提供できるのかなと内心では考えていましたが残念ながらご破算になってしまいました。
ある時は、システムエンジニアと言いながら半分営業マンみたいな仕事もするという話があって面談に出かけた時がありました。そのビルは毎年明治神宮で年始参りをした後に自宅まで歩いて帰る道筋の途中にある場所だったのですが、実際に採用を考えている担当者と話をすると営業マンというような話はなくプログラムを修正する作業をするというものでした。派遣会社の営業マンが相手のニーズをきちんと理解しないで募集をしたのが間違いであったというようなこともありました。
又、派遣会社の営業マンと一緒に顧客に面談で訪問するというようなことばかりではなく、幅広く派遣社員の応募を探すという意味で、インターネットによる登録と応募ばかりではなく、派遣会社を訪問して面談をするというようなこともしました。

派遣社員への応募を始めた時には、最初に大手派遣会社に登録をしていましたが、プログラマの募集ばかりで私の意に沿うような案件は中々出てこないので、中小の派遣会社にもあたる事にしました。当然ながら明らかに大手派遣会社の下請けに思えた会社もありましたが、中には独自人脈で派遣会社を経営している会社もあり、派遣会社の実態を知るという事では勉強になりました。
そういう中小派遣会社の面談では私の希望を伝えるのですが、相手も私が何でも対応できそうに思ったのか案件を紹介してもらったのですが、全て年齢が高齢というのが理由で面談までには至りませんでした。
中小派遣会社の中でも派遣会社の社長に面談したという事がありました。ビルのエレベータを出るなり、派遣会社の事務担当らしい女性が現れて、慣れた様子で社長室に案内しソファに座るように言ったのでした。この会社を訪問する大勢の派遣希望者を見ているのが分かる程に事務的な言葉遣いや態度がロボットのように無表情に見えたのが印象に残りました。応接の横の事務室には営業マンと思しき男が立っていて社長からの指示を待っているのかなと思わせるものでした。
社長は以前外資系コンピュータ会社に勤務していたというのを聞いて、そういう昔のつてで会社を経営しているのかと想像をしました。その社長からは「システムエンジニアと言ってもですね色々あるのですよ」というようなお説教のような話をきかされながら、私の経歴書を見て「派遣社員の話じゃなくて、あなたのやってきた仕事の話でも聞きたいという気持ちがありましてね、そういう方面の話の方が余程興味がありますね」と言われて思わず笑ってしましました。その後、この会社からも何件か仕事の紹介をもらいましたが何れも高齢が理由で相手の会社から断られたのでした。
毎日早朝マラソンをしてからパソコンの前に座って、午前9時位から夕方4時位まで昼食をはさんで一日中を派遣会社へのサイト登録作業という事を毎日行うのが、1年半の派遣が終了した10月からの日課になりました。
派遣会社への登録も経歴の入力形式が派遣会社毎に異なるので単純ではありませんでした。登録した情報は採用をしたい企業も見ることになるという事が分かったのは登録作業を始めてから暫くしてからでした。閲覧を禁止する企業の入力項目があったので意味が理解できました。若年層で転職を考えている人が現在の勤務先の会社には見られないように設定できるという事で当然の事だとは思いましたが、定年を過ぎた人には自分の勤務していた会社に経歴を見られて構わないのではないかとも感じました。かって勤務していた企業が求人者を検索するときには、年齢が条件になっていると想像されるので、多分検索しても私は高齢なので見つけることはできないだろうとは容易に想像できました。経歴の入力も担当した業務時期毎に書くようになっている場合もあり、こんなに細かい情報を書いたところで読む人がいるのかなと思えるような転職サイトもありました。派遣会社のサイトに登録をした後で自分ができそうな仕事に応募をするのですが、反応がなかったり断られたりするという事が延々と続きました。
こういう入力作業をしていると、大学を卒業する時に就職活動をしていた事を思い出しましたが、私が大学を卒業した時代は学校推薦で会社に入社できるような時代だったので、今どきの学生がするような苦労はなかったという記憶しかありませんでした。派遣社員の就職活動をしていると作業そのものが新鮮に感じましたが、労力は大変にかかるものだなという印象を持ちました。
 
インターネットで紹介されている派遣サイトを次から次へと探しては登録と仕事への応募をしていた内に、ある会社に応募すると面談できますというメールが届きました。念のために年齢が高いのですが大丈夫ですかという念押しをしたのですが大丈夫ですという回答があったので出かけることにしました。面談は夕方6時30分からだったのは、若年層の転職者に配慮して勤務後に面談をするようにセッティングされていると思いました。
毎日派遣会社への登録作業以外は何もすることがないので、久しぶりに外出するのが楽しくてついつい早々と出かけたものの、早すぎて駅前の喫茶店で時間潰しをするという事になりましたが、30年以上も昔に喫茶店で会話をして情報交換することも仕事のうちだと先輩社員から教えられたこともあるのを思い出していました。
11月なので6時も過ぎると薄暗くなって初めて行く場所の道が分かりずらいと感じながら、事前に調べた地図を見ながら駅からの細い路地を下ると目的のビルが見えて、入り口には社員が案内のために立っていました。転職説明会の会場では20人の30代らしい男女が集まってきました、当然ながら私は例外的に年配者が一人いるなという感じだったと思います。会社の概要説明を受けた後、応募者は5人位のグループに分かれて社員と面談しますという事になり、私は営業マンとかシステムエンジニアの社員が数人いるグループに入りました。会議室の席にはたい焼きが置いてあったので「どういうものですか」と質問すると、近所に老舗のたい焼き屋があるので用意しましたと能書きを言われ、面白い気遣いだと思いました。
転職応募者は自己紹介後、各人が経歴を説明したのですが、私以外は皆システムエンジニア希望というので説明がありましした。私も営業経験が長いもののシステムエンジニアとして働き場所を探していますという説明には反応はありませんでしたが、営業課長からは「ウェルカムですよ」という反応があって営業マンとして期待されているのかなと感じました。長年の経験から面談をしている社員とか応募者を見ていると会社としての実力感というのが見えるような気がしたのも事実です。
面談後の帰りには40代のシステムエンジニア採用希望という男と地下鉄の駅まで歩きながら話をしていると、派遣という仕事に一度入り込むとずっと派遣社員として勤務することが続いて中々正社員という道には入れないという事例を聞かされたのでした。

面談後にその会社からメールで仕事の相談にのってほしいという連絡があって驚きました。社員でもないのに変な話だと思いながらも、私は暇なのとその会社のあるビルが私の住んでいる場所から割と近いという地理的条件もあって、人助けでもするかという気持ちで再びその会社を訪問しました。この時は丁度登山をした後で足が痛くて仕方が無い時で、普通よりはのろのろと歩きながら訪問をしたという記憶があります。
訪問する時間も担当のシステムエンジニアが帰社する時間に合わせて来てほしいというリクエストでしたので夕方になりました。担当の若いエンジニアの他にもう一人現れたのが何処かで見たような人だなと思ったら、かって私が勤務していた会社の同じ部署でシステムエンジニアとして働いていた男だというのが分かりました。この時はめぐり合わせに驚くと同時に、この男が働いている会社で働くのは如何なものかなという疑問も持ったのでした。
相談を受けた仕事の担当営業マンは若い女性だったのが好印象でした。こういう小さな会社で若い女性が頑張っているというのを見ると益々助けてあげなくてはいけないのかなという気持ちが強くなりました。相談を受けた仕事の対応方法についても私の経験からすればさほど難しい内容ではなかったので早々に打ち合わせも終わりました。しかしながら、最後に若い女性の営業マンからは派遣のシステムエンジニアを探しているので業者を紹介して欲しいと言われて驚きましたが、私の知る範囲内での紹介をして一件落着したようでした。
その後、この会社からは採用するともしないとも返事がありませんでした。私からの回答待ちということだったかも知れません。12月中旬から、私がこの会社の社員が通勤で使うと思われる同じ地下鉄を利用して勤務を始めてから暫くすると、採用不可ですというメールが届きました。地下鉄のなかで私が通勤する姿を見られたのかなと想像をしました。
12月の忘年会会場での営業部長からの突然のクビ宣言から始まり、情報持ち出し疑惑を掛けられたりした1年半の派遣社員生活は9月末で終わりを告げる事となりました。この派遣社員生活では以前に記述した通り、私が勤務していた会社が受注した新しいシステム開発は終了したかどうかも分からぬままの状態の時、私の派遣社員生活も終わったということになりました。
派遣社員の契約が終了して10月からは新規まき直しで派遣会社への登録をしようと意気込んだ時でもありました。1年半の派遣社員として勤務していた時は登録作業に時間的余裕がなくて十分で出来ていないと分かっていたので、10月に入ると最初は以前に登録した会社の情報の修正から初めました。それが終わると毎日1社のペースで登録作業をするという事を始めました。
前回のブログでも紹介した通りは採用には年齢がネックになるのは分かっていたので、兎にも角にも沢山の矢を放つという方針で臨むことにしました。
 
朝からパソコンの前で登録作業ばかりをしているのは体力維持には疑問があると思って、10月半ばからは毎日早朝マラソンをして痩せるという目的で運動を始めました。同時に派遣社員の頃には毎日社員食堂で高カロリーの昼飯を食べていたせいで体重が少しばかり増えていたのを絞りたいという気持ちも運動をしたいという動機のひとつでしたした。
住んでいるのは都会と言っても端の地域なので閑静ですが、家を一歩出て大通りに出ると乗用車ばかりでなくバスやトラックも沢山通るので、車の排気ガスを吸いながらのマラソンは嫌だなと思っていました。しかしながら、実際に走り出して分かったのは、朝6時前は大通りも車は少なくてそういう心配はいらないと思いました。
マラソンのコースに選んだのは、距離にすると丁度7kmくらいで四角いルートを一周できるようなコースでした。時間的にも約1時間を少し超えるくらいで、体重を落とすには良さそうだと思って選んだコースでした。時期的には晩秋ということで寒いので厚手のトレーニングウエアでのろのろと自分のペースで走るのですが、コースには急坂があって下りはバタバタと下るばかりですが、急坂の上りでは走れなくて苦しくのろのろでも上がれないので仕方なく歩いて頂上を目指すということもありました。そうなると、体中が真夏の季節かと思うがごとく暑くなって汗が噴き出しました。帰宅してから体重を測定すると何百グラムという単位で体重が減少しているのが分かり、自分が努力している代償としては少なすぎるというのが不満として残りました。
季節的には丁度冬に向かっているので薄暗い中でのマラソンでしたが、早朝には私同様に走っている人が年配から若い人までいることがわかり、運動するというのが流行しているのかなと思ったのでした。年配者で歩いている人も間々見かけましたが、毎日同じ場所で同じ人に出会うという事になると、皆が同じリズムで毎日を生活しているというのも理解が出来ました。

マラソンをするコースの道路の途中には沢山のビルや会社があって、早朝のビルの照明が点灯しているのを見て傍観者としての感想を持つことが出来ました。金融系の会社では1フロアだけは毎日灯りがついて昨晩からの延長か、それとも早朝出勤なのかは不明でしたが不夜城の如く見えて金融業は大変な業種だというのを改めて感じることができました。
某出版会社では明らかに徹夜らしい少しだけの照明がぽつぽつと見えて、そのビルから地下鉄の駅に向かう人も疲れ切って歩いている様にも見えました。しかし、土日にビルの照明が全て消えていることがあるとほっとした気分になれたのは、自分自身のサラリーマンとしての経験からくるものなのだというのを認識させられるのでした。
マラソンコースの途中には客の行列ができるので有名な和菓子屋があるですが、日曜日を除く毎日もち米を蒸している匂いが道路に漂っていると、早朝から仕込み作業をしていることを始めて知って、これはこれで商売というのは大変だなというのを知ることができたのでした。
走るのは大通りの歩道ばかりでなく、大通り沿いの裏道も走りました。そういう道はさすがに早朝マラソンをしている人もいなくて段々と明け行く空を見ながらの息を切らせて走っていると、都会というよりも人っ子一人も見かけない田舎の道でも走っているような気分になれるのが好ましいと感じるのでした。
毎日同じ道を走っていると、ある下りの坂道の途中にあるマンションで毎日の様に玄関先に座り込んでいる年配の女性がいました。暫くするとじろじろ観察されているのが分かり嫌な気分になって、その道は反対側を走るようにしたことがありました。
交番の前を通ると、苦しい顔で走っている私に向かって若い警察官から「ご苦労様です」と声を掛けられると、毎日走るのが義務なのかなと変な気分になることがありました。
某企業の子会社の人材派遣会社の営業マンから経歴書の書き方を指導されると同時に、派遣会社には得意分野があるという話も聞いて、私が希望するような職種の派遣を得意分野とする何社かに派遣登録をするようにアドバイスもされました。何社かは実際に窓口に出向いて面談もしたのですが、人材登録をした後、その場では私が探し求めるような仕事はないと言われました。
派遣会社に登録後、派遣会社の求人票に対して自分の出来そうな仕事について応募をしたのですが、1社からは何度か仕事の紹介がありましたが、なしのつぶての会社もありました。そういう状況を見ていると名前は売れている会社でも、実際はプログラマとかオペレータとか言う、情報システム業界でも最下流に位置する仕事しか来ない会社とそうでもない会社があるというのが分かってきました。そういう意味では派遣会社そのものが取引先の企業から選別されているのだろうとも理解が出来ました。
そんな毎日を過ごしていると、自分に適した仕事を派遣という職種で見つけるのも難しいと感じてきました。同時に、派遣契約のある期間は、土日しか派遣会社への登録もできないということもあり限界を感じてもいました。派遣の仕事を探すのが難しい分、沢山矢を放たないといけないと思うと、派遣契約の終わった後で毎日登録という作業をした方がいいのではないかと思えたのでした。

それでも少しずつでしたが、人材派遣会社の営業マンからアドバイスされたように経歴書を書いては派遣会社のサイトに登録してからは少し風向きが変わったようにも感じました。
登録もしていない会社から突然メールが来て「面談したい」というようなことがありました。多分何処かの登録した派遣会社から情報が洩れているのだろうとは感じましたが、こちらも何とか仕事にありつきたいという心根があるので電話をしました。
最初に相手から何故メールを送ったのかの真意を聞くと「経歴書を見ましたが、何処かへ紹介できると思いました」という説明があったので「年齢が大丈夫ですか」という返事をすると、はっと相手は言葉が詰まって「てっきり60歳くらいかなと思ったものですから」に続いて「年齢が高いと旧知の間柄で仕事をさがした方がいいですよね」と言わたのでした。
こういう事が何度かあったので、どうも経歴には魅力があるものの年齢が高いというのが仕事探しのネックであるという事が理解出来るようになり、仕事を見つけるのはハードルが高いなと感じるようになってきました。
最初に意気込んで登録した派遣会社でも、自分の希望するような仕事で求人をしている会社に申し込みをしましたがどれもこれも全滅というような状態でした。その中にも「是非、当社で働いてほしい」というメールが来たりしたので「一度面談したい」という返信を送ると暫く返事が無かった後で「年齢が見えてなかったので間違ったメールを送りました」という言い訳が返ってきました。
1年半の派遣契約が終わる9月までは本格的な就職活動は出来ないと諦めて、経歴書や履歴書の修正をするという準備作業に専念することにしました。
 
1年半の派遣会社の終了日には派遣社員にも関わらず、関連する部署の役員に情報システム部長から挨拶を促されたりとか、送別会もしてもらうなど派遣社員とは思えない対応に驚きを禁じえませんでした。
定年後に就職した1年半の派遣社員の契約期間が終わる半年ほど前になると、そろそろ次の就職先を探したいと思う様になりました。人間というものは不思議なもので、毎日働いているという日常を何十年と過ごしていると会社という職場に来ることが当たり前に思えてくるのでした。又、とっくに定年をすぎているのに何故働くのかという疑問は全く起きなくて、自分自身は体力的にも能力的にも十分仕事ができると思っていたこともありました。
 
派遣という仕事について右も左も分からず、誰も指南してくれる人もいないので手探りで就職活動を始めたというのが正直なところでした。
直ぐ思いついたのは、現在派遣している会社の営業マンに相談するのが一番手っ取り早いと思い、その営業マンが何かのついでに派遣先の会社に来た時を狙って相談をすることにしました。中年の女性の営業マンで、私が簡単な経歴書を渡して説明して次の派遣先を探して欲しいという話をしても反応は「分かりました」という返事だけでした。契約期間の終わる9月に再びこの女性営業マンが私の派遣先の事務所に現れたのですが、その時の話を聞いてみると真剣に私の就職先をさがしているようには見受けられませんでした。単なる事務仕事をするだけのルート営業マンで、仕事を探すという事は出来ない様に思えました。私が相談を持ち掛けた最初から分かっているのであれば「出来ません」と言えばよいのに、そういう態度を見せなかったので出来の悪い営業マンと判断せざるを得ませんでした。9月になり、この女性の営業マンが事務所を訪問してきた時、派遣終了後の色々な手続きの説明をしていても「はいはい」という空返事しかしませんでした。

定年退職しているので普通に社員として就職先を探すのは難しいと思えたので、最初から派遣という業種で何か仕事がないかとインターネットで探し始めたのですが、派遣会社という会社が星の数ほどあるというのを始めて知ったのはこの時でした。
昼間は派遣先で何かしらの資料を作っていたりするので、当然ながら会社で就職活動をするわけにもいかないので、就職先を探そうと思うと休日くらいしか時間はありませんでした。
最初に仕事を探そうとしてインターネットで探すと事務職というのが多数あり、当然ながら私でもできる仕事だと思って登録をしたことがありました。そのサイトでは、登録後に派遣会社への訪問日時を決めるというメニューが出てきたので自分の行けそうな日も同時に入力をしました。翌日、この派遣会の年配と思われる男性から電話があって「間違いだと思いますので来社は不要です」と言われてしまいました。何で断るのか理由が不明だったので帰宅後に再びその派遣会社のホームページを見て、事務職採用と言っているものの若い女性ばかりの派遣をしている会社らしいということが判り、相手が慌てて電話をしてきた理由も理解ができました。
自分の出来る仕事なら何でもやろうと思っていたので、簡単な事務でもいいのかなと思ったのが間違いの原因でした。しかし、派遣会社の職種を見ていると簡単な事務職か、情報システム関係でもプログラマという職種ばかりが多く自分が出来そうなものは少ないという事に気づきました。
或る大手の派遣会社に登録した後に「システムの上流工程の仕事がきています」という紹介をうけたことがありました。これは私の出番かなというので、仕事を終えた夕方に派遣を要望している企業を派遣会社の営業と一緒に訪問しました。
事前にその会社のホームページで事業概要を調べると規模が小さい会社なので、小さな会社にも関わらず難しそうな課題に取り組むのが不思議に思えました。面談の際、話を聞いてみると、自分の仕事の相談相手が欲しいという事と既に出はいりしている業者がいるというので、合い見積もりのために呼ばれたのではないかと思いましたが、案の定決まりませんでした。この時、派遣会社の営業マンという27・8歳の元気の良い男に「派遣先はどういう職種が多いですか」と質問すると「下流工程ばかりです」という答えがあって、私の就職先を決めるのは難しいという事が想像できました。
この時、派遣会社の仕事の仕方というのも理解ができました。派遣を請ける部署は女性が対応していて、登録者からマッチしそうな人を探すという仕事をしていて、その後に外回りの営業マンにつなぐという形で仕事は進んでいくということが判りました。外回り営業マンの企業訪問は、既存の契約先だけでなく新規の企業も一日中ぐるぐる回るという大変な仕事だという事も分かりました。派遣会社の営業マンはルート営業の一種で、こういう体力勝負の営業は長年続けられるものかどうかという事についても疑問を持ってしまいました。
私は登録した派遣会社から何回か仕事を紹介されて営業マンと企業を訪問しましたが、いずれの場合も非常に若い人ばかりだったのが印象に残っています。
派遣者の採用は採用する相手に主導権があり、派遣会社の営業マンは単にどれ位マッチした人材を連れてこられるかどうかにかかっているだけで、営業マンのスキルというものは普通に対話できるだけの良いという風にも思いました。
 
兎に角、派遣会社に登録しなくてはいけないという事を思い、土日に登録をしては返事を待つという事を続けましたが、面談さえ行きつかないという日々が過ぎていきました。そういう事をして過ごしていた時、或る企業で派遣事業をしているという子会社の営業マンから面談してもいいですというメールが届きました。派遣先の会社で仕事を終えてから、夕方にその会社を訪問しました。都内のビル街で全然知らない場所でもなかったのですが、夜になり街燈で見る景色は昼間とは違い目的の会社を探すのに少しばかり手間取り、約束の時間よりも少し遅れて到着しました。
この会社に派遣登録したいとういう事で訪問したのですが、対応した営業マンが少しばかり変わった人でものすごく懇切丁寧に話をしてくれました。経歴書は書き方の修正をしてくださいと言われて、普通は経歴書を受け取るだけの作業だけなのか、ここまで親切なのは何なのかと不思議に思えました。
私は高齢なのを気にしていましたが、営業マンから最後に言われたのが「自分のしてきた仕事で探してください、きっとありますから」と言われた後で「安易に事務作業とかというのは女性の仕事で駄目ですよ」とアドバイスされました。
この営業マンに言われたアドバイスが以降は、派遣の職業はシステムエンジニア職のみ探そうと決めた契機になりました。
派遣社員になる前の会社に20年以上も通勤していた時、銀座というのは地下鉄の乗換駅でしかなかったので、買い物でもないかぎり地上に出ることはありませんでした。それが派遣社員となってからは1年間毎日銀座の街を歩くので、自分が営業マンとして駆けずり回っていた頃の銀座とはすっかり違ってしまったという時代の流れをひしひしと感じる毎日となりました。昔ながらの店も少しは残る中、ブランドショップがどんどんと進出してきて増殖したという現象もありましたが、携帯電話店とか衣料の量販店とかいう今どきの多数派ニーズに合致する店が席巻しているようにも思えました。
 
趣味で収集していたクラシックカメラを売る店は銀座には老舗があって、現在の様にすっかり人気が失せた今でも営業をしているので感心するばかりでした。20年も前には、古いカメラを扱う店は何軒かあって、老舗の高級店から中級の店や庶民的な店とかがあり、銀座という人の多い場所柄か多様なニーズに対応できるようになっていると感じていました。そういうカメラ店が時代とともに店舗を転々と変えるようになると人気の衰えを肌で感じることが出来ました。
1間位の狭い間口のクラシックカメラの委託販売をしている店が当時はものすごく繁盛していました。昼間でも客足が絶えず、私は常連ではありませんでしたが興味本位で高いライカのカメラを見るだけの日々を過ごしたという思い出がありました。その店の前を通ると、今ではペットショップに変わっているのが世間の潮目だと感じさせるのでした。その中古カメラ委託販売店の数軒隣には昔ながらの煎餅屋があるのですが、こちら店は現在も昔と何一つも変わりないのが返って違和感を覚えるくらいでした。
話は少し変わりますが、銀座という場所柄か有名なカメラ会社の写真作品展示場が何か所かあり、帰宅時の寄り道先になりました。定期的に展示が変わるので、興味のありそうな展示の時は立ち寄れるのも楽しみの一つでした。そういう展示の大半はデジタルカメラによるものなで鮮明かつきれいなものばかりで、残るものは撮影者のセンスのみというものが多いという印象を持ちました。フィルムでの撮影は色々なテクニックを要するのですが、デジタルカメラではそういう要素が無く、プロとアマチュアの垣根が無くなり撮影機会の多い素人作品の方がプロと呼ばれる人たちよりも良い作品が多いというのは持論です。こういう展示会場では持論を証明してくれているとも感じていました。時々は名の知れたプロの作品も展示されることがあったのですが、どれも印象に残るようなものはなかったと思います。プロとはお金を貰って撮影する人、アマチュアは好きで撮影する人という区別しかできない時代とも思います。私自身、昔に買ったカメラの写真撮影のxx技術とかxx方法とかいう本は全て捨ててしまいました。
 
営業マンとして働いていた時に着用していた背広は、全部銀座の百貨店で購入したものばかりでした。営業職ということで時間に余裕がある時には顧客を訪問した帰りに百貨店に立ち寄って背広を作るということもありました。平日の昼間の紳士服売り場には、今どきのように中国人も来ないので閑古鳥が鳴いているような売り場でした。そういう状況もあり、売り場の対応もえらく丁寧なもので自分の買えそうな値段の生地をじっくりと選ぶことができたという好印象が残っています。対応する店員もパートではなく一目で社員と分かるような人柄の人ばかりだったというのも、ブランドの最先端物ばかりを置いているような現在とは違うと感じています。夕方帰宅時に百貨店の店先を通ると、店の外観は何にも変わらないのですが、客層が変わっているのだなという時代の風を感じさせるのでした。同時に、そういう自分自身もすっかり古びてしまったのかと感じる時もありました。
 
随分昔話ですが、銀座の大通り沿いに小さなKストアという専門店が集まった店があり、どちらかというと女性向けの品物が置いてあったようなビルがありました。その店に店内とは場違いなクラシックだけを扱うレコード屋があったという事を知っている人はもう数えるくらいに少ないと思います。私は何度かその店に行ってみたものの、余りにも高い値段だったので買えなかったという記憶があります。現在、その店は衣料の量販店になっているので昔の面影はありませんが、店先を歩く度にレコード店があったなと思い出させることもありました。又、銀座には有名な音楽専門店がありますが、それらの店も時代の趨勢に従い店内もすっかり変わって音楽産業の衰退を感じていました。
派遣社員として毎日1年近くも銀座の辻々を朝晩歩いているとすっかり道の達人のように思えて誰かに道を尋ねられても全て答えられそうな気分になっていました。
しかし、道を教えてほしいといわれるのは以前に紹介した通り、中国の若い男連れや夫婦ばかりでした。指さししながら、あっちとかこっちとかを簡単な英語で言えばおしまいというような事ばかりで終わってしまう事ばかりでした。

そろそろ派遣の契約期間も終わりに近づいたある夏の日の夕方、新橋に近い銀座のある路地で中学生らしいリュックサックを背負った女の子がビルの守衛さんに道を尋ねているところに出くわしました。道を尋ねられた年配の守衛さんは要領を得ない様子だったので、私が割り込んで「何処に行きたいのですか」という風に切り出しました。
「私が責任をもって送りますから」と言うと守衛さんは助け船が来てほっとした様子なのを尻目にして、訪問するというビルを探している迷子の女子中学生と歩き出しました。女子中学生から訪問するビルの住所を聞いてみると、自分自身でこの辺の筈なのだがと思い込んでいた住所らしいと思しき街の一角をぐるりと一周しましたが、目当てのビルはありませんでした。
女子中学生と一緒に歩いていた時に、女子中学生のスマホがブルブルと震えて着信を知らせたので「出ないのですか」と私が言うと「遅れているので督促です、出なくてもいいんです」と言われると益々急がなくてはいけないというのが分かり少しばかり焦ってきました。
同時に、女子中学生がスマホで地図を表示させて、行きたいビルの場所を見せてくれました。それを見て私は漸く方向感が分かり、それは同じ町名ながら大きな道路を挟んだ反対側にあるという事が分かりました。
女子中学生が受験か何かの説明会に向かうらしくて遅刻しているという状況が分かると、のんびりと帰宅するという気分がすっかり失せて、顔から脂汗が出るくらいに焦っているのが自分でも分かる程でした。
それに目的のビルに行くには大きな道路を歩道橋で渡らなくて行けないと思って、何時も通勤で使っている歩道橋もエスカレータでは遠回りになるので、階段を早足で上がって行きました。歩道橋の上まで来ると、女子中学生の持っているスマホの地図画面で目的のビルが目の前にあったので「あのビルでしょう」と指さして漸く行き先のビルが判明したのでした。
この時、丁度歩道橋の階段を下っている同年代のリュックを背負った女子中学生らしい姿が見えたので「あの子も同じ場所に行くんじゃないのかな」と女子中学生に声を掛けると、道案内のお礼もそこそこにして、迷子の女子中学生が早足で前を歩く女子中学生の方に駆け寄って声を掛けました。案の定、同じ説明会に出席するらしいと見えて並んでビルに入るとこまでを確認することが出来ました。
ビル内に入って行く二人の女子中学生を見ながら、私は再び帰宅の道を歩き始めました。一応は目的を果たせたというほっとした気持ちよりも、自分の知ったか振りを猛省していました。慢心するということは何かしら問題を起こしてしまうものだという事と同時に何時も謙虚になる事こそ必要だという何処かで聞いた覚えのある諺が聞こえてくるような心持になったのでした。
こうして派遣社員としての1年半の間の通勤風景を書いていると、それまでの20年もの間に勤務していた会社の通勤風景が如何に殺伐といてつまらないものであったかを裏書きするようにも思えてきました。派遣社員となる以前の会社へは、地下鉄を上がってから雑居ビルの立ち並ぶ道を歩いて川を渡って枯れ果てたビルやマンションの立ち並ぶ道を陽の上がる東方向へと歩くもので、道筋に何か印象に留めるべきものはあるかと言えば、小さな川に渡してある橋からの夜景くらいのもので他に印象にのこるべきものは無い通勤路でした。帰り道も少しは道を代えて細い路地を歩いても印象に残るような道はありませんでした。雑然とした印象があるのは、昔の倉庫街という場所柄は倉庫がビルに変わっても変わらないという事だと思うと、何だか人間と同じで街の性格というものは表面を繕っても変わらないものであるという事を教えられていたような気がしました。この場所は若い時代に夏の暑いころ営業マンとして会社訪問をして来たことがあって、地下鉄からも離れているしバスの本数も少なくて都会の孤島かと思え寂しい場所であるという印象を持っていた場所でした、その印象は実際に通勤を始めて20年以上も歩いても大して変わりはなかったということが判ったというだけの事だろうとも思っています。
 
派遣会社の社員となってから1年以上も通勤は30分も掛けて歩くという習慣となり、銀座の新橋寄りの半分の道筋はほぼ歩き尽くしました。特に新橋寄りの銀座の道筋は初めて通る道や店舗があって新鮮な気持ちになれるのでした。銀座も中央通り沿いの歩道は季節ごとに花が植え変えられているという事に初めて気づいたりして、これまた新発見というような気持ちになりました。
中央通りから西方向にある一本裏手にある道にもブランドショップが並んでいるのも銀座という場所柄かと思いショーウィンドの展示が定期的に変わっているのを見るのも楽しみの一つにもなりました。こんな場所に客が来るのかと思って帰宅時も客のいない店内を見ていましたが、私が派遣社員として通勤していた1年の間に閉店したりしたブランドショップは無い事に驚きました。逆に言えば、それだけ閑散としていても店舗を運営できるだけの高い値付けされているのだろうとも推測が出来るのでした。
 
銀座の町筋も路地を丹念に歩くと、銀座という地名とは少しばかり違和感のあるのは築地寄りにある一角でした。中小の雑居ビルが立ち並び、細長いビルも多く歩道も凸凹があって何処となく歩きにくいと感じていました。こういう道を歩く人は通勤のサラリーマンばかりで観光客が少ないということが歩道の整備もおざなりになっている理由かと思えるのでした。飲食店前のゴミも放置されているのは、ブランドショップの並ぶ道筋とは同じ銀座という地名とは言え扱いが違うのかなとも思えるのでした。
そういう銀座という地名とは違和感のある街角に古臭い小さな花屋や食品店があって、特に花屋は季節ごとに花の種類が変わるので季節を感じることができる場所でした。この花屋は年配の老夫婦が営んでいるらしく私が朝8時位に歩いていても店は閉まっていますが、店の外には店内に入りきららないらしい大きめの桜の木が置いてあったりするのが面白いと思いました。
銀座の裏通りのような道筋には誰も想像に難くない飲食店が居並んで、夕方の帰宅時には客を呼び込むような明るい照明が出るので、そういう店舗名をいちいち観察するのも面白いと思っていました。
時々、タレントによるテレビ放送の飲食番組で紹介されたような路地裏の飲み屋も時々はその前を通ると、テレビ画面で見るよりはずっとこじんまりとした地味な店ばかりなのがよく分かりました。テレビでは拡大鏡でも使って見ているようなものだというのが実感できました。私は酒を飲めないので飲み屋という場所にはとんと縁がないのですが、こういう飲食店の栄枯盛衰については興味が湧かないのは裏通りの飲み屋街を歩いていて残念だという風には思っていました。
この飲み屋街の端に当たる道で朝の通勤時間に歩道に座り込んでいる若い女性がいたことがありました、救急車でも呼ぼうかと思えたのですが、私の前を歩いていた年配のおばさんが心配して声をかけていました。飲食店の従業員なのかそれとも客なのか不明でしたが、普通にスーツを着込んだ女性だったので余計に不思議でした。こういう事が起きる場所なのだろうなとも思いながら会社へ出社したこともありました
40年以上もの長いサラリーマン生活の間、通勤に関する思い出は多々ありますが、どういう訳かやたら鮮明に脳裏に残っています。27歳で丸の内に通勤を始めた頃は、東京中央郵便局の前の路上には靴磨きのおじさんが何人かいてサラリーマンの靴を磨くだけでなく、修理などをしていました。若いころは朝から晩まで走り回るばかりでもなかったのですが、靴を自宅で念入りに磨くということはしたことがなかったので職人さんに磨いてもらったら綺麗になるだろうかと試しに何度か磨いてもらったことがありますが、自分で磨くよりは違う綺麗さになったのを覚えています。
派遣社員になってからも通勤の風景というのは年齢が高いというのは関係なく益々鮮明になっていくのは、毎日毎日同じ道を歩くと日の当たり具合や風の強さというようなものが日々変わり、歩道の街路樹も季節の移ろいを告げてくれる変化があるのを益々敏感になって感じるだからかと思っています。年を経る程に感覚が研ぎ澄まされるというのは、脳は老化していくという身体的な劣化とは相反するように思えますが、毎日を視覚や聴覚や触覚を通して季節の変化を感じる生活をしてきたことによる鍛錬の成果とも思っています。
 
派遣社員になってから最初は最短の道筋で派遣された会社までを通っていたのは、それまでに顧客として訪問していたのは違い自身の職場になったという自覚から合理的な思考が出ていたからだと思います。しかしながら、数か月も経過すると毎日が一日中事務所内で過ごし、社員食堂でカロリーの高い昼飯を食べるという生活で体重がみるみるうちに増加したので危機感を感じ、朝晩の通勤時間を長くして運動量を増やそうと思い立ったのはごく普通のことだと思います。
派遣社員として通勤を始めてから半年も経過しない頃には、通勤定期の区間は変更しないで、地下鉄の下車駅一駅前で下車して歩く時間を長くして、最短の通勤路から十数分も長くして30分弱を歩くという毎日を始めました。
この少し歩く経路に新橋寄りの銀座の半分くらいのエリアが含まれました。このエリアは碁盤の目の状に道筋があるので、毎日順番道筋を替えて歩くと店の並びを見て歩くことができました。朝の8時頃の通勤時間帯には昨晩の飲食店からでたゴミも大体が回収されているので飲み屋が多いビルの並びでも嫌な感情を持つことなく歩けました。夕方の帰宅時に同じ道筋を歩くと、変に人が多かったりすると風景が全く変わってしまうことを感じることが出来ました。
 
こういう少し長めの朝晩の通勤を始めてから、銀座の街から築地方面に抜けるためには最後には昭和通りの歩道橋を通らなければなりませんでした。この歩道橋は水の流れのように通勤時間帯には人が線状に一列になって歩いていました。そういう混雑もあるという理由でエスカレータがあったのが特徴的な歩道橋でした。
エスカレータで歩道橋を上がると、雲が無い日には正面に太陽が出ているので直射日光が顔に当たり、夏は暑さを感じ冬には眩しさを感じるという面白い場所でした。歩道橋の上は結構広いので大勢の人が行きかっても混み合うという事はありませんでした。銀座方面からエスカレータで上がった右手には汐留穂方面に群立するビルが一望できるので、外国からの環境客の撮影スポットになっているようでした。
私は景色も良い場所だと思いましたが、個人的にはここから東京タワーと東京スカイツリーの両方が望めるのが興味深く思えて小型のカメラで撮影をしました。この歩道橋の上では、南側端に東京タワーはビルの合間に見えて、北側正面に東京スカイツリーが眺望出来ました。朝は太陽に照らされた光景、夕方はライトアップされた光景が毎日見られて通勤の楽しみの一つになっていました。しかしながら、普通の大勢のサラリーマンにはそういう事には興味を持つ人がいないらしく、私が東京タワーや東京スカイツリーを撮影しているのが不思議に思えるらしく見て通り過ぎていく人ばかりでした。
又、この歩道橋からは朝は何の変哲もない銀座方面のビルの谷間の通りが、夜には電飾やビルの明かりで景色が一変するのも興味があって、明らかに夜の景色の方が朝方の景色よりは勝って感じられるのは都会という環境のせる業なのかとも感じていました。
派遣社員としての1年半の間、時々は郵便物を発送する必要がある時は道筋を郵便局のある方向に変えて、遠回りの道で勤務先に歩いていくことになりました。派遣先の会社へは徒歩が最短の道でも15分程度は歩くのを、郵便局に寄り道すると徒歩時間が20分程になりました。しかしながら、その時間差を感じるようなことはありませんでした。朝方の通勤時間帯に通勤通学で行き交う人々のせせこましさが時間の感覚を少しは変えているのだろうと思っていました。それに派遣社員となって責任という文字が自分自身の頭から消えたのが一番効果があったようで、責任という言葉の中に含まれる時間という概念を意識して仕事をしなくてもよくなったこともあるのだろうとも思っていました。

郵便局には地下鉄の駅を出て大きな道路に沿って真っすぐ歩くのですが、丁度朝日が上がる東方向に向かって行くので日差しがまぶしいのと暑いのとの両方で難儀をする道となるのでした。地下鉄の駅から郵便局へはほんの5分程度の歩きなので汗が噴き出るという事はありませんが、郵便局から勤務先への歩きが一番難儀な道でした。夏場になると郵便局は思いっきりと感じさせるほどの冷房が朝早くでも入っているのでほっとするものの、郵便局窓口で郵便物を差し出してから、郵便局の自動ドアの外に出るやいなや、むっとする暑さが襲うのが勤務先までの苦難の連続を予感させるものでした。
郵便局を出てから右折して数百メートルの道はビルの日陰になっていて歩きには楽でした、その道筋には斎場もあったので涼しく感じるのは理由があるのかとも思いました。その日陰道から左折して勤務先に向かう大きな道路に出ると、勤務先までは柳の街路樹が続き柳の細い葉では日陰を作らないので、役立たずの木偶の坊の如くと思えました。
長いサラリーマン生活で営業職という職種柄、夏場でも背広を脱いで歩くということはしない習慣が身についており、炎天下でも汗をかきながら歩くという生活をしてきたので、この夏場の朝の通勤も当然の如く背広を着たまま通勤をしていました。
最早派遣社員の身になって少しは改めても良さそうに思えるのでしたが、40年近くもそういう生活を送ってくると急には改めた方が良いという意識が出ないので変わりようが無いのでした。
真夏に歩いて薄い背広地に汗が何度もしみ込んだものが、冷房のきいた顧客事務所で背広がすっかり乾燥して、帰り際に背広の背中部分が白くなっていることを何度も経験していました。体内の塩分が背広の生地で塩田ができたようなものだと感心する一方で、どんなに暑くても背広を脱がないで都会の中を歩くという、所謂やせ我慢の精神が貫かれたもので自身の頑迷さを象徴するとも思えたので辞めなかったという事だと理解していました。
地下鉄の駅から出て最短で勤務先に行ける道筋は、都会のビルの谷間道なので日陰が多く楽に歩けましたが、夏場に郵便局に寄る時は難儀を覚悟して歩く必要がありましたが、それは自身のやせ我慢精神のサラリーマン生活を彷彿ともさせるので若返っているのかとも錯覚するように思えました。

夏場に苦渋する通勤する道筋も夏場でも夕方にはすっかり日陰になって歩きやすいので時々は帰宅の気分転換のためにわざわざ遠回りでも利用することがありました。
一度だけでしたが、台風一過の夕方、この夏場に苦渋する道筋が写真でも見ているように思える程きれいに変わった時がありました。夕日がビルを照らしているのと空が青く雲も真っ白なのが印象的でした。コントラストの高い景色に一瞬だけ変わっていたのでした。毎日持ち歩いているコンパクトカメラで撮影しましたが、自分の感じている風景とは違うものしか撮影することが出来なかったのが残念に思いました。年に数度あるかないかの気象条件だったと思いますが、そういう印象的な景色に出会えたのも派遣社員として勤務していた時の記憶として残ることになりました。