外資系コンピュータ会社のお婆さんエンジニアからデータベースの変換ツールが提供されて試使用した後、社内事情もよく理解ができないままに自分勝手な理解で色々な資料を作るという日々が4月から7月くらいまでは毎日続きましたが、流石にもうこれ以上は作る資料は考えつかないという時になると、或るサーバーの内容を整理してほしいという依頼があり、これはとうとう翌年の3月までかかっても完成は出来ませんでした。
12月には外資系コンピュータ会社のお婆さんエンジニアが作成した、データベースの変換ツールの操作手順書なるものが送付されてきて、私はその操作手順書を真っ赤になるほどコメントを書いて送付したら、後日それを見たらしい外資系コンピュータ会社のお婆さんエンジニアが「キャー」という嬌声を上げたのを聞きました。余りに手前勝手な内容に思えた事と、色々な前提となる知識があるのは当然と言わんばかりの書きっぷりで、このデータベースに余り知見の無い人が見るとちんぷんかんぷんという風に見えるのではないかと思いました。この操作手順書の中身には、長年の付き合いがあるので、気心が知れているという慢心から出来たものだろうという風に感じました。
案の定、3月に入り各担当者がデータベースの変換が始めると、パソコンに慣れない総務系の部署の人たちは変換の設定が不明でうろうろしているのが判ったので、私は業務終了後に外資系コンピュータ会社のエンジニアの目が無いのを確認してこっそりと操作の指導をして何とかデータベースの変換が出来たという事もありました。
私の仕事も実際は3月の最終3週間くらいが本来の派遣社員としての業務をしたと言えるので、その前の12カ月は準備としては十分に有り余る時間であったという風に感じました。
派遣社員の契約更新は3カ月毎に更新をされるのですが、その度に派遣会社の営業マンに「たいして仕事もないのに契約更新するのですかね」という疑問符を投げかけていたのですが、とうとう当初の約束通りに1年と1カ月間の契約を実行して派遣社員としての働き場所が確保されたという結果になりました。これは顧客の性格上、一旦きめたものはきちんと実行するという律儀な性格上からこういう結果になったものと感じました。

この会社で派遣社員として働き始めてからは、そういう仕事ぶりの毎日を過ごし、四季を通じてこの会社が入るビルに通勤した事というのが主なる出来事の風に思えて、仕事の思い出というよりも毎日の通勤途上の日々の移ろいを見る方が楽しみになっていました。
この会社の入っていたビルは、以前に勤務していた会社では私の担当顧客でもあった会社のビルでしたし、私が通っていた病院の直ぐ近くというのも何かの縁を感じましたし、横にあるツインのオフィスビルには私が30歳代の頃にお世話になった顧客の担当者が会社も変わっていましたが在籍しているというのも縁があるのかなと感じました。又、以前に私が勤務していた会社が少し遠くに眼下に見えたのも面白く思えました。
毎日が事務所で一日中座り放しという状況なので自然と体重も増えてくるので、地下鉄での通勤は途中2駅を下車して約1.2kmほどを歩くという毎日を過ごしました。この朝晩の通勤の風景が四季を通じて変わるというのが、この時期の派遣社員として一番の記憶に残るものになりました。
3月から派遣社員として新しい会社への出勤が始まりましたが、最初はこの会社が何をしているのかも良くは理解できなかったのですが、暫くするうちに理解が出来ました。親会社から情報システム機能を分社したのは当然ながら費用削減という大名目があったと思われたのですが、メインとなる外注として起用されていたのが費用の高そうな大手外資系のコンピュータ会社で多数のシステムエンジニアがいるのに驚きました。それに加えて、利用しているソフトウエアが二十年以上も以前のものが現役だったのにも驚かされました。全国に工場が分散していることも中々利用を抜けだせない理由かもしれませんでしたが、他人の私からみたら現代に恐竜が生きているようにも思えたくらいに、ものすごく古い時代にタイムスリップしたとも感じられました。私の背中に座っている席からその古いソフトウエアでシステム開発をしているような会話が毎日のように聞こえたので、更に驚きは増したということになりました。
 
3月の中旬になると突然会議室に呼び出されて、外資系コンピュータ会社のおばさんと言うよりはお婆さんとでもいうべきシステムエンジニアから、データベースを変換するツールの説明があって少々の戸惑いがありました。
一方的に説明をされて、この変換ツールの試用期間3カ月のところ、残り2日間ですと言われて変換ツールが私のパソコンに導入されて試してくださいということになりました。初めて聞いた、初めて導入された、というような状況でどうなるものかと心配しましたが、幸い親切な外注のシステムエンジニアの支援もあって操作方法も分かって自分でデータベース変換を試すことができるようになったのはその日の夕方でした。試しに使ったデータベースも小さいものだったので割合に短時間で処理はできたものの、試使用期間が残り1日となった最終日には色々な条件で試すことができました。
この時に感じたのは何で試使用期間の切れるタイミングで、選定者からエンドユーザーに公開されたのかという理由を想像してしまいました。発注者より技術的に優位にある立場を利用して、有無を言わせず製品を選定させるべくわざと試使用残り2日間になったところで公開に及んだのではないかと考えざるをえないと思いました。
後に私は自分でデータベースの変換ツールをインターネット検索で調査して調べて見ましたが、この外資系コンピュータ会社のシステムエンジニアの選定したツールは変換精度に問題のある製品であるのが分かりましたが、最終的にこの変換ツールが購入されることになったようでした。
こういう出だしの仕事振りだったのですが、私はたいして大きくもないデータベースの変換などは専門の業者に任した方がきちんとした成果を出してくれるという経験からがあったので、エンドユーザーが自分自身で変換をするという方法を採用するのは何か理由があるのかと考えてみました。あるとすれば、工場が全国にあって利用部署が分散しているのでエンドユーザーの要望にあったデータベースだけ変換するという意味しかないのかなと思いました。
暫くは、外資系コンピュータ会社のお婆さんエンジニアが選定したツールの評価とか、そもそもの変換の意味とかいうものを資料に纏めるという仕事をすることで数か月があっという間に過ぎていきました。
大手システム会社の派遣社員としての契約が切れる2月終日の前に、派遣会社の営業マンから電話があり、ある製品の利用経験がありますかという質問があり、私は営業マンとして経験をした旨伝えて、その派遣要請のある会社に面談に行きました。
派遣会社は私が大手システム会社に派遣社員として派遣された職場では、私が通常の派遣社員としてすべき仕事以上の事をしているというのを派遣直後から知っていたようで、その負い目からか私に対しては何とか次の仕事を見つけようと努力をしていたのを感じていたので、その流れで次の派遣社員の仕事を紹介されたものと思いました。

紹介された会社は1年後にある会社に吸収合併されるという前提があり、過去に蓄積した或るデータベースを吸収合併された後でも閲覧できるようにしたいというのが希望のようでした。私はつい2・3年前に同様のデータベースを変換したプロジェクトを自ら受注して半年くらいかけて納入した実績がありますと面談の席では説明しました。その他には過去の自身の豊富なシステム経験も説明をしました。面談の時は余り強く意識はしなかったのですが、採用が決まってから派遣会社の営業マンから聞いた話では、吸収合併する会社は私が以前に勤務していた会社だと聞いてびっくり仰天しました。
私は以前に勤務していた会社には70歳までは勤務したいと希望を伝えていましたが、以前に紹介した或る会社の新システム開発について営業部長が出鱈目なシステム開発をした事業部と裏でつながっていて、非常識なシステム開発について批判的な立場の私を煙たがって、営業部長が私を首にしたのは67歳の時でした。それから1年半は私が新システム開発を受託した会社に派遣社員として受け入れてもらい、その後3か月という短い期間でしたが大手システム会社に派遣社員として勤務をすることが出来ました。
この時には69歳の年に入っていました、もう働くということを辞めても良かったかもしれませんが、サラリーマン人生の目標としていた70歳まで現役を続けようとした私の意志がこの新しい職場にめぐり合わせたのかも知れないという風に感じられたのでした。
それに加えて、この新しい会社が1年後に自分の勤務していた会社に吸収合併されるというのも自分の人生という道での因縁があるかも知れないというのを強く感じました。又、吸収合併も近い時期になってから、私の勤務していた会社の人事役員から私の在籍の有無についても確認があったようなので、私の存在を気にしていたのかなと感じました。私の存在が分かっても何の連絡もよこさなかったところを見ると、在籍を確認した意図は何だったのかと非常に不思議に思えました。
 
私の配属されたのは所謂社内のヘルプデスク部門の様に思われる部署で、私一人だけが特殊な仕事のために一人だけポツンと集団から離れた場所に座らされていました。最初は組織も説明されないので五里霧中でしたが、人の座席位置とかを見ていて何となく組織図というものが自分の頭の中に出来てきました。
分かってきたのは殆どが外注部隊の集団で、そういう外注に仕事を丸投げしているような仕事振りで、社員は障害の社内向け説明要員のようにも見えました。そうすると、私も一つの仕事のための外注として機能分担をしているというのを理解ができるようになりました。
仕事の環境は低いながらパーティションがあったのが、いいのか悪いのか不明でした。不明という意味は皆一様にパソコンを使って何かをしているように見えるのですが、非常に暇そうに見える時も多々あるもののパーティションがあって動きがみられなかったということです。非常に静かで小さな電話の音でも割合に響く様に思えました。 
私が派遣社員として勤務していた某金融会社情報システム部の外注会社は、長さが50m以上はありそうな1フロアに全ての外注会社が押し込められていて、外資系コンピュータ会社から大手システム会社が何十人から何百人単位でシステムエンジニアと呼ばれる人たち各人をモニターの前に配置していました。
このフロアは情報漏洩対策としてセキュリティが高いので入退出は厳しいこともあり、一日中外の風景も見えない場所で端末の前で仕事をしているというのは、短期間であれば許されるという気がしましたが、長期になると嫌気がさしてくるのではないかと思われるような環境で、見方によってはギリシャ時代の軍艦の奴隷のオール漕ぎの風景にも見えない事はないのかと感じていました。
仕事をするだけでの環境なので、普通のサラリーマンのような暇な時間というのは、単にモニターを呆然と眺めて居たり、意味も無くマウスやキーボードを叩いて限られたイントラサイトに掲載された閲覧情報を見るという事しかできないと思えました。そういう環境にあるせいか、トレイが何時も混雑していたのはストレスの発散場所が無いことを象徴しているのかなと思いました。
元請会社から派遣されている社員は仕方なく仕事をしているのかなと思えるような雰囲気も感じられましたが、大半のシステムエンジニアは元請会社の社員ではなく派遣会社から派遣された人達であると気づくにもそんなに時間は掛かりませんでした。
毎週のように派遣会社から新人が派遣されるので、社員研修という事が定期的に行われていて、私も勤務してから早々にその研修に参加しました。私が参加した時は派遣社員が40名位もいたので、如何に派遣社員の出入りが激しいかというのを見るような気がしたのでした。そういう出入りが多いというのは給料が安いということもあるとは思いましたが、それよりもだだっ広いすぎる場所で黙々と与えられた仕事をするという事に疑問を持つからではないかとも感じました。
こういう環境の良くない場所でも結婚している若いカップルがいて、昼飯時には何時も私の座っている場所の近くで二人並んで弁当を食べているという光景を目にしていました。こんな味気ない場所で昼飯を二人で食うのは如何なものかという気がしました。確かに、ビルの外に出ても公園があるのはあるけれど、弁当でも開こうかという雰囲気にはなれない場所しか無いというのも分かっていましたが、味気ないこのだだっぴろい執務室で弁当を食うのはいただけないなと感じました。
私は30人程が座れる机の列の一番通路側に座っていたのですが、反対側には外資系コンピュータ会社が雇っている派遣社員の中国人の若い女性が座っていました。当然かもしれませんが、その若い中国人女性は日本語は普通に会話ができていました。仕事的には難しい仕事のようには思えませんでしたが、時々は外資系コンピュータ会社の社員から教わっているような話も聞こえてきました。私には中国人の若い女性がシステムエンジニアとして働いている事を認識ができたのが驚きでもあり、こういう人達が中国に帰国して技術レベルを高めていくのかなとも想像をしていました。
この外資系コンピュータ会社の責任者は、40歳代の背の高いが容貌は所謂濃い顔で顔が長く厳つい男でした。毎日夜は一番遅くまで残っていて、社員とか派遣社員の机の上に何か情報を書いたメモ等が残っていなかどうかというチェックをする姿を何度も目にしたので責任者だろうというのに自然に分かりました。この男と社員や派遣社員との会話は、人が少ない静かな残業時間には自然に耳に入りました。その話の内容は仕事の話ばかりで遊びとか世間の流行とかとう話に及ぶことは百に一つか二つという程度だったので、このフロアでは休む暇もない場所なのだというのを思い知らされるような気がしました。
自由が限定されている場所での仕事もあるのだという経験をしたのですが、派遣社員という最下層に置かれた人間にはその限定されるという意味合いが非常に強烈なものであるというのも理解できたという意味で非常に貴重な経験ができたと思いました。
派遣社員として私が担当したのは、某金融会社の一部局のシステム変更の仕事で、概要設計書と稟議書の作成というものでした。
私が作成する資料はすべて派遣社員の発注者である某大手システム会社の社員が事前に校訂をして修正して、その修正された資料をシステムの発注主である某大手金融会社の情報システム部員にレビューをしてもらい、設計書や稟議書を修正して仕上げていくという事を3か月続けたということでした。
そういう仕事を朝から晩遅くまで続けていると、当然ながらシステムの発注先である某大手金融会社の情報システム部内の実情も見えてきて、自らの意志ではなく自然と他人の家を覗くような事になったなと感じたのでした。
最初に社員の給料が高いのではないかと推測をしたのは、金融会社なので給料も良さそうに思えたからでした。しかし、情報システム部員の身なりを見ていると案外にそうではないのかなとも思えたのでした。当然ながら金融会社というので身なりは清潔できちんとはしているものの、着ているものはセンスがあるとか高級なものを着ている人は見かけませんでした。私が感じたのは、私が大学卒業後に入社した某財閥系の会社と同じようなやや地味な感じがしたので、金融会社と言えども全部が高給な会社ばかりではないだろうという事を薄々感じた事でした。
 
社員の情報システムに対する知見は如何なものかと思って、私が書いた設計書のレビュー時に意見を聞いていると、社員のシステムに対する能力感を理解することができました。社員は一通りの知識はあると思えましたが、深いものではないように思えました。この会社ではシステムの一切を外注化しているので、システムの命運を外資系の会社に握られているように思えました。情報システム部員は外注管理的な仕事に重きを置いているのかなと思えて、世間のどこにでもありそうな自社の業務には精通しているものの、そういう業務を支えるシステムの内容の理解は深くないと思えて、そういう意味では世間並みといえる社員の集合体だろうと推測をしました。社員は大切なシステムの開発とか運用を担当しているという気概はあるとは思いましたが、それがシステムの深い知識とはつながっていない様に思えたのでした。
ある会議時には、部長クラスの人から「業績が悪いので支店の端末を減らすのだろう、もうできているのかな」という議題とは関係のない話が飛び出して、社員が「ええ、予定通りに終わってますよ」というようなやりとりがありました。普通の会社よりも費用削減の対策が迅速に行われるのは大したものだと感心したことがあります。生産設備の無い会社なので、費用削減は人員整理とか固定費の削減というところにしか踏み込めないのだろうなと思いながらも、実行力の早さに驚きながら話を聞いていました。

システム改造の稟議書を書くというので、最初は情報システム部長用のものを作成しました。こちらはシステムに詳しくは無いけれど、過去の経緯や業務内容を知っているので、設計書を引用しながら作成して終了しました。部長説明会の席には同席しませんでしたが、問題なく了承されたと聞きました。問題は予算を負担する部署への稟議書の作成が大変に興味深いものになりました。
予算を握っている部署に費用を負担してもらう理由を述べるのですが、システムに詳しくはないという事を踏まえて、如何に説得をするかという内容を記述するというものでした。臨時要員である私は当然ながら社内事情は何も分からないので、言われるがままに記述を何度も訂正して作成しました。最初は情報システム部内の管理部門の社員とシステム責任者を交えて事前に内容を推敲して作成しました。何度も訂正しながら作成したので私には労作と言えるものでした。その稟議書を費用負担をする部署への説明会にも同行して、必要があれば修正しようというので身構えて会議室に入りました。
費用負担をする部署の責任者に資料を配布して説明を始めるや否や「あれっ、ここに書いている事って違うんじゃあないの」と言われて情報システム部の責任者とシステムを受注するシステム業者は言葉も出なくなって固まってしまいました。私は意味が不明でしたが、原局の意図を情報システム部も正確に理解していないし、システムを受注するシステム業者も理解ができていないということが露見したのかなと思いました。資料は全面的に修正というので会議は5分で終了してしまいました。
情報システム部の責任者や担当者に加えてシステム業者の理解不足をとがめられたのを、赤の他人の私が聞いてしまったというので、ばつの悪い雰囲気になりました。会議室がものすごく小奇麗なだけに、一同が静まり返った時間がえらく長く感じられたのでした。
 
こうして派遣社員の3か月は貴重な経験をさせてもらったのですが、長年情報システムという業界に身を置いていたので、経験上少しの情報に触れると会社の実態が想像できたと思いました。それは、企業名だけを見て優れた人材がいるのではないかとか、進んだシステムを利用しているとかいうのは雑誌の記事の世界だけであって、現実には情報システム部の実力というのは結局のところ日本的な横並びではないかという風に感じられたことでした。
陸の孤島のような場所にある名の知れたショッピングセンターは飲食店の他に中級品の洋服を売る店から雑貨店までが揃っているような場所でした。
このショッピングセンター内にある個人的には好きではないラーメン店を除く全ての飲食店で昼食を食べました。ネタが新鮮ではなさそうな寿司屋とか、餃子専門店と書いてあるのに出てくる餃子は自宅で作るのと代り映えのしないものだったりとか、蕎麦屋の蕎麦はそば粉よりも小麦粉が多くてのど越しが良かったり、名の通っているとんかつ屋では普通よりは量の少ない小さなとんかつだったり、中国人が作っているチャーハンだからと思ったらうまみも無いものだったり、オムライスの有名店ですと言われて出てきたら具の無いケッチャプライスに卵焼きがのっかっているだけというような具合で、こういう店に昼時には行列ができているという状況でした。
この地区に勤務しているサラリーマンは若い人が多いので、洋食屋とか中華料理屋ラーメン店が人気のようでした。中華料理屋でレバニラ炒めを食べている若い女性を見ているとそういう事実がよくわかると思いました。
昼食を食べている時に印象に残ったのは、一階にあるフードコートで食べていた時の事でした。大きなホールの隅に色々な料理を出す店が並んでいて、中央にはテーブルと椅子がずらりと並んでいました。こういう沢山のテーブルや椅子がある場所であれば待ち時間も無く食べられるだろうと思ったのは大間違いで、注文する店の前で行列をするという時間が必要でした。人気はラーメンとか蕎麦うどんの類でしたが、一応全部試そうという気持ちから韓国料理の店で注文した時には30分近くも待たされて出てきたので食べる時間も急がなくてはならんというような事もありました。
 
このフードコートの公園が見える側は天井までガラス張りで明り取りをしているような面があり、そこには長い机と椅子が並んで公園を眺めながら食べられるようなスペースがありました。私が国籍不明な料理を注文して、その公園の見える長い机の一角で食べ始めてから、ひょいと横を見たら、小学生の低学年らしい男の子が一人でうどんを食べていたので不思議な光景に見えました。両親が勤めに出ているので昼飯代を貰ってここに食べに来ているという風に想像をしたのですが、その男の子だけは大勢のサラリーマンとかママ友の集団から離れてぽつんと座っていたのが物悲しい様に思えたのは年のせいかなとも思えたのでした。
このフードコートにあるうどん店横の広いスペースで食べていると、親子連れがやって来て私の奥に子供を4人対面上に座らせて、何が始まるかと見ていると若い母親はそのテーブルの中央に置いた大きめの皿にうどんを何本か載せて、その横には竹輪の天婦羅を2本ほど置いたのでした。子供は3・4歳の未就学児らしいと思えたのですが、その子供たちの誰もがうどんとか天婦羅を目の前にして食べようとしないのが不思議でした。私が想像していたのは、ハイエナのようにわっと食べるのではないかと思っていただけに、案に相違したのでどうなるものやらと様子を見ていました。暫くすると一人の女の子がプラスチック製のフォークで竹輪の天婦羅をグサッと刺して一口食べたので内心ほっとしました。私がうどんを食べ終わって席を立とうとすると、それを待っていたらしく母親がテーブルを移動していました。その若い母親を見ると胸にはもう一人赤子を抱いているのが分かって驚きました。このご時世に5人もの子持ちなのかと思うと信じられないような気持ちになりました。これじゃ子育ても大変だろうなと思い、こういううどん屋で昼食でも食べて少しは休憩でもしないと生きていけないのではないかとも思えたほどでした。
そのうどん屋を出ると「ワー」という声が後ろからするので振り向くと小さな女の子が私を追いかけてきました、私が来るところが違うよと母親らしい人を指さして身振りで示したということもありました。
海が近い立地にあるので、海側にあった造船所の跡地の跳ね上げ橋が見えるピザ屋がありました。ここは昼時でもベピーカーを置いても誰にも怒られないような広いスペースだったので、高層マンションの住人らしいママ友連中が占拠をしているようにも見えました。肝心のピザは時間がかかる割には特段褒めるようなものでもなく冷凍ピザでも同じかなと思えるものでしたが、窓からの眺望が不味いピザを少しは忘れさせる効果はあったのかなと思いました。
 
美味くもない昼食が終わるとショッピングセンター内店を見て回りました。その中に似顔絵屋というのがあって面白そうだと思って店に飾ってある似顔絵を眺めたりしていると、興味が出てきたので料金は幾らくらいするのかというような質問をしました。若い女性のイラストレーターらしい人が写真とか本人を前にして仕上げますという話でした。
何回もこの似顔絵屋の一般人のサンプルを見ていて私が気付いたのは、一般人では似顔絵が書きにくいのではないかという事でした。テレビで見るような芸能人の顔は普通の社会人とは違っている人が多いので似顔絵にしても特徴があるので書きやすいと思えるのですが、普通の社会人の顔つきでは目が少々小さいとか口がでかいとか額が広いとかいう特徴では余り変わり映えもしないものばかりなので似顔絵が映えないという風に思えた事でした。それでも結婚式の案内状にでもこういう似顔絵を添えて送ると面白いかもしれないというくらいには思えた店でした。
4・50年も以前、工場や倉庫の立ち並んでいた地区に住居用の高層マンションと高層オフィスが混在するという場所に3か月という短期間勤務し貴重な体験をさせてもらう機会にもなりました。
私の勤務していた高層ビルの1階には郵便局があり、何回か利用する機会がありました。当然ながら利用するのは昼休みの時間しかないのですが、どういう訳かどの日行っても非常に混雑していていました。郵便一通出すにしても30分以上も待たされてうんざりました。利用者は近隣の高層マンションの居住者と思しき女性連中ばかりでしたが、何でお昼時間に集中して郵便局を利用するのかというのが不思議でたまりませんでした。混雑をさけて朝早くとか夕方に来てくれれば、私の様に利用時間に制限のある人の待ち時間が少なるのではないのかなと思いながら番号札を握りしめていました。これ程に郵便局で待たされたのは人生始まって以来という風に思えて、この地域での生活は決定して便利では無いなという一端が垣間見えたようなきがしました。毎日がこんな風に混雑しているとすれば、こんな場所には住みたくないとも思えたのでした。

昼食は勤務しているこのビル内の店や近隣のビルの店を試してみましたが、個人的感想を申し述べるならば基本的に美味しくない店ばかりだったという結論です。
高層オフィスビル街なので昼時にはどっと人が出て、少ない飲食街に群がるということも品質が落ちている原因かもしれないという風に思いました。コンビニも弁当を買って食べるエリアが作ってあって昼時は何時も満員という状態でした。通路に面しているので食べる人は一様に自然と下を向いていて、仲間と見えるのは少なくて一人だけで食べている人が多いと思いました。
私が最初に利用したのは勤務しているビル内のサンドイッチ店で、待ち時間が少なく入れるので行きました。サンドイッチにトッピングするソーセージとか肉とかを焼いてから出してくれるという店で、コーヒーや紅茶とセットで注文して食べるというもので、場所柄がビルの入口横にあって一面ガラス張りだったので昼休みのサラリーマンを見ながら食べるという光景になるのでした。しかし、サンドイッチの温かいソーセージは美味しいのですが、量が少ないので暫くすると食べ飽きてしまうという事になりました。ここでは椅子があって机の上にパソコンも置けて、食べた後でも延々とパソコンを使っている人もいたので臨時の作業場所として利用する人もいるのだと分かりましたが、昼間の混雑時にそういう事をされると場所探しをする人にとっては少々迷惑な存在になっていると感じました。この場所で昼食を食べている人の中では、オフィスで働いている外人の女性が一番似合うというのを感じて、日本人がこういうスタイルで昼食を食べるという文化になじんでいないのかも知れないと思いました。
このサンドイッチ店が飽きると、今度は同じビルの一階にあるパン屋に行って自家製のサンドイッチやパンを買って、店内の飲食スペースで食べました。この店もビルの外側に面していてガラス張りなので、ベビーカーを押して通行するママさん連中を見ながらの昼食になりました。ここも食べる場所が小さいので時間によっては場所の取り合いになって、少し早めに行くとか少々遅めに行くとかして混雑時の場所取りの困難さを解消しなくてはいけないのでした。少ない席数ながら、パンを食べ終わってもスマホを長時間がいじっているオフィス勤務の女性がいて、こういう人達が将来のおばさん候補生なんだろうなと思いながら眺めていました。又、どういう訳か高層マンションの住人らしいママさんもベビーカーや子供連れで来る時もあり、こんな場所で昼飯を子供食わせるのか如何なものかなという風に感じました。
そうこうする内に、勤務しているオフィスの連中と話をしていると近くにショッピングパークがあってフードコートや食堂街があるというのを教えてもらったので、ビル内のサンドイッチ店や自家製パン屋の昼食に飽きるとショッピングパークの食堂街やフードコートに通う様になりました。こういう都心から遠い場所には派遣社員として勤務した以後はまず来ることは無いだろうと思っていたので、折角の機会なので昼食はショッピングパークの全店で食べて味見をしてやろうという風に思い立ったのでした。派遣社員として勤務が終了するまではこのショッピングパークの飲食店の全店で食べましたが、基本的に値段が一様に割高に感じましたし、肝心の味は並以下ではないかと思いました。それでも、高層マンションのママさん連中や高層オフィスに勤務するサラリーマンには選択肢がないので店も努力もせず儲けられるという図式があると思いました。ある意味、この地区全体が昼飯では普通よりも落ちるレベルで済まされているという社会現象があるというのを発見したようにも思えたのでした。
私の派遣された会社は業界でもトップクラスの会社でしたので、その社員と私が長年勤務していた数段も下のレベルの社員との質の差は明瞭にあるものだというのを知らされた機会にもなりました。
私の勤務していた会社でも一応エンジニアという名前がついた部署がありと社員はいました。特に年齢が高くなり定年延長のような制度で留まっている人たちを見回しても、私から見ればどれもこれも束で売っても売れないような連中としか思えませんでした。それだけ、人物評価が出来て居ない人事制度がまかり通っているという証左にもなっているのかなと感じていました。

私の派遣された某金融会社に常駐していたシステム会社の部署は、顧客の特定プロジェクトのために社員5人が常駐して30人の常駐の外注システムエンジニアを使っているだけで、その他のサービスでは別のシステムエンジニアが本社から入れ代わり立ち代わり来たので、相当程度人数の社員のシステムエンジニアの仕事の仕方を評価することができたのでした。
一番の驚きは色黒の背の高いシステムエンジニアが外注エンジニアと現れて調査とかプロジェクトの進捗を管理していて、仕事が終わるとさっさと本社に帰るという仕事振りを見ていました。これはてっきりベテランのシステムエンジニアなのかなと思いつつ「入社何年目ですか」と質問をすると「新入社員です」という答えが返ってきて心の中で仰天をしたのでした。
私が長年勤務していた会社ではこういうプロジェクトの進捗管理や外注管理なんてものは小プロジェクトと言えども経験を積まないと出来ないと思っていたのですが、この会社では新入社員が外注のシステムエンジニアに作業指示をして進捗まで管理できるのだという仕事の習熟度合いが決定的に違うのかなと思ったのでした。
そうかと思うと、私の隣に座ってプロジェクトの進捗管理表を作成している30代のシステムエンジニアがいましたが、その人は「こんな仕事をさせて私のスキルアップはどうしてくれるのかね」という不満をぶつぶつと言いながらさっさと手際よく管理表を作成しては本社に帰っていったという事もありました。
そういう姿勢を見ていると皆一様に自分のスキルアップというものに対して非常に意識しながら仕事をしているという一断面が垣間見えたような気がして、私の勤務していた会社のエンジニアが事務仕事に熱心に取り組んでいたのとは次元が違うのかなと感じさせました。
私が長年勤務していた会社のシステムエンジニアとは質の差が新入社員からついていてベテラン社員では全く手が届かない程の差があるのだろうというのは想像に難くないという事を理解したのでした。当然ながら業績の差というものはそういう所から来るものなのかとも思わされたのでした。
それに加えて内部牽制の仕組みがきちんと出来ていて、損益管理というのは別の管理部門で行っているらしく現場で数字を調整が出来なよいように思えました。どういう事かというと、私の勤務していた会社ではシステムエンジニアがプロジェクトの損益管理を自分で行うので、適当に数字を調整して報告するということが行われていました。この会社では、そういう管理の仕事は別の人が行うので現場のシステムエンジニアが勝手に数字をいじれない管理が行われているので、正確なプロジェクトの姿が見える、まっとうな方法が行われていたという事だったと推測しています。私が派遣社員として勤務していた時に「これはひどい数字だ」という悲鳴が常駐社員から上がっていたので、事態は察することができました。当然ながら給与や賞与にも影響するような事だと思うと毎日夜遅くまで働いても報われないとすれば気の毒だなと感じました。
 
私の派遣された会社の社員は5人が常駐していましたが、何処の会社でもあると思えるのですが少々能力の落ちる社員も一人だけいました。この人が私の仕事を指示してきたので苦労が絶えなかったという事がありました。色々話を聞いていると、他の4人は残業代も無しの年俸のようでしたが、この出来の悪い人だけは残業代を貰っているという話だったので給与体系が年俸ではないように思えました。毎月電話で何か揉め事でもあるのかなと思いつつ耳をそばだてて聞いていると、この男に対して部長から電話で残業時間が多すぎるというクレームが来ていて屁理屈を並べているというのが分かりました。
この出来の悪い男が顧客との窓口となっていて、会議とか要望とかを聞いて私に指示するのですが、一緒に顧客の話を聞いていると正確に顧客の意図を把握することが出来ず言葉面に惑わされているように思えました。顧客も時々遠回しに、この出来の悪い男に意図通りに仕事が出来ていないのではないかと言う事を言われる場面があって、私はピンときてあの事かなと思い当たったのですが、この男はそういうことが全く感じられないようでした。
この男はやたらExcelの機能がどうのこうのとかって使いこなしについて私の非力を責めていましがが、こういうツールの使い方ばかりに熱心な人程仕事ができないというのは経験上分かっていたので、この人は優秀な社員の中でも落第生だというのを実感しました。
派遣社員としての応募を始めて2か月半後に某金融系会社の情報システム部に派遣されることになりました。そのプロジェクトはゼネコンのピラミッド構造よろしく何重にもなっていて、私は二次請けの某大手情報処理会社が受注した小さな案件の概要設計書や稟議書を作成するという仕事でした。顧客の仕事を全て外注の情報処理会社が行うような仕組みの会社でした。
執務した場所は部屋というよりも大きな1フロアで外注会社のシステムエンジニアが何百人いるのだろうと思えるようなだだっ広いエリアで、外注会社毎に列があって大手外資系会社が大きなエリアを占有していたので何となく顧客と関係が分かるような気がしました。
顧客の情報システム部は本社とは離れた陸地の僻地の様な場所のビルにあって、各情報処理会社の社員もこのビルに常駐するとともにその情報処理会社が契約している大勢の外注会社員も常駐していました。それが何百人というような物凄い人数なのに驚かされました。私が会社員として経験したことのない程の外注社員数が勤務する場所でした。
その中のチームの一員として一番通路側の開発端末が私の端末というので割り当てられていましたが、端末には前任者の名前が貼ってありました。情報処理会社の社員は少人数で大半は外注会社員でした。私だけが派遣社員として特異な存在で臨時職員というのがよく分かるような気がしました。
社員の人は私が派遣社員として採用されたのを知っていて、同時に同業の下位クラスの会社の営業マンであるというのも知っていたようなので着任後の会話も違和感なく直ぐに出来ました。
私は自分が勤務していた会社と業界でもトップクラスの社員の資質がどう違うのかというのがすごく気になっていて観察をしましたが、直ぐにその差というのはものすごいものだというのを知らされました。
全員が度の強い眼鏡をかけていて学生時代には猛勉強をしてきたのかなと感じさせると同時に、仕事に掛けるパワーがものすごく、外注会社のシステムエンジニアに指示するだけでなく、作業に間違いがあると理由を説明して相手を納得させていたのに感心をしました。それが朝から晩まで続くので、暫くすると私もそのサイクルに巻き込まれて体力がついていけなくなりました。
その場所に勤務していた情報処理会社員の年齢は30歳から40歳位のエンジニアで人間的にも好意の持てる人ばかりでしたしたが、土日に仕事を自宅でするという人や、子供が風邪で中々仕事場に現れない人とか、毎朝外人と会話をしている人とかがいて個性的に見えました。裁量労働制とか言っていて時間には拘束されないようでしたが、朝8時半から夜10時過ぎまでは勤務していたので大変な仕事場だというのを知らされたのでした。一方では、そういう各人の自宅が都心の一等地ばかりだったので仰天させられたのでした、それだけ高給なのだという裏返しなのだろうと推測できました。
私の席の隣で何時も議事録を書いていた情報処理会社の外注会社の若いエンジニアいましたが、その内容を横目で見ていると書いている内容が明快で私が勤務していた会社のエンジニアでもこういう風には書けなかったと思いました。この顧客での私の仕事も同じでしたが、読む人が情報処理会社の担当者と顧客である情報システム部の関連する人達とが対象になるので、情報を共有するには相当に色々なレベルや意見の相違があるので、それをどうまとめるかというのも中々に大変であるというのも教えられたのでした。

又、この顧客は私が大学を卒業して入社した会社と同じ財閥系列の会社だったので、稟議書を書くときにA3サイズを指定されて、同じ系列で稟議書の歴史は変わっていないのだというのも知って昔を思い出しました。40年も昔には全て手書きの書類ばかりで自分の下手糞な字を見せるのが嫌でしょうがなかったという思い出がありました。本当に重要な説明資料は事務の女性に清書してもらったり、和文タイプで作成したりしていた時代でした。稟議書や役員説明資料はA3を半分や四分割して書くという体裁がありましたが、この顧客ではA3を2分割で書くというものでした。
自分の仕事も40年前に還ったのかと感じながら何度も訂正して稟議書を作成しました。 
このブログを更新するのが随分と時間がかかるようになりました。今年4月からは無職となって年金生活が始まったのですが、毎日朝一番で体のトレーニング運動をしているのとカルチャーセンターの講座を受講しているので予習と復習が大変で相当の時間を要しているのでブログの更新まで手が回らない状況になっています。カルチャーセンターの先生も色々で、時間を持て余しているぼけ老人相手に適当に流している先生もいるので真面目に聞いている人にとっては大変という意味です。
 
さて、派遣社員としての就職活動を始めて1カ月くらいしてから毎日のように新規の派遣会社に登録しては応募するという毎日を送っていたところ、或る派遣会社の営業マンから急募だというので電話で連絡がありました。私の経歴書を派遣で人を探している会社のエンジニアに送付し、その結果面談したいという事でしたので、漸く何とかなりそうだという感触を得ることができました。期間は非常に短くて3ケ月程ということで場合によっては長くなるかもしれないという事でした。
その派遣社員を募集している会社は私の勤務していた会社の同業で業界でもトップクラスの会社でしたので、私が長く勤務していた会社は業界でも親会社の知名度でもっているような会社ということもあり企業レベルの差異が大きくて少しばかりの不安はありました。
面談は勤務場所ではなく、その会社の本社の会議室で行いました。その会議室の整理整頓された様子は私の勤務していた会社とは雲泥の差があって驚かされました。出てきたのでは40代の禿げ頭の中年の男でしたが、同業ということもあって私の経歴の説明を聞いて理解は直ぐに出来たようでした。定年間際の年配社員が窓際で座って与えられた仕事をしているのとは違って、ずっと営業の第一線で仕事をして、その後はシステムエンジニアとしてそれなりの仕事をしてきた事については驚きをもって受け取られたようでした。
私の経歴紹介が終わると、採用を希望している相手からプロジェクトの概要が説明されましたが、余りに難しい事ではないように感じました。プロジェクトの概要は説明が下手だったので正確には全貌がつかめませんでしたが、いずれにしても設計書を作るという事だけは理解できたので対応ができるとその場で回答をしました。後に実際に仕事を始めると色々の誤解があったというのが分かり、相手とは少し険悪な雰囲気になったことがありました。何度か派遣会社の営業マンからメールのやりとりがあって、採用する側も同業で働いてきた人間という理解で採用があっけなく決まってしまいました。
数多くの派遣会社に登録をしたものの中々派遣社員としての採用が決まらなかったのが嘘のようにすんなりと決まってしまったので私自身も非常に驚きました。以前に紹介した私の経歴書の書き方をご指導頂いた某派遣会社の社員には最初に報告しましたが、職が見つかって良かったですねというよりも俺の言う通りだったでしょうという感想がありました。
長年勤務していた会社を退職してから、派遣社員としては1年半を自分の勤務していた取引先の会社で過ごし、その後2ケ月のブランクの後1年半を全く未知の会社で過ごし、自分の目標としてした70歳まではサラリーマンの現役を務めたいという目標は達成できることになったのでした。サラリーマンとしての最後の派遣社員としての1年半は余り気分良くは勤務出来ませんでしたが、最後まで仕事が出来たのは幸いとすべきかと思っています。
 
12月の中旬から派遣社員として未知の会社へ勤務を始めたのですが、第一の洗礼はラッシュアワーという事態でした。私が以前勤務していた会社とは全く違った路線の地下鉄で、営業マンとして働いていた時に昼間は時々利用した経験はありましたが早朝の勤務時間帯は初めての経験でしたが、駅のホームに若い人が扉の位置ごとに立っていて乗降客を誘導するというような毎日でしたので朝から疲れるというような気がしました。それに加えて、時々満員の状態で途中駅に停車しては臨時の時間調整の停止があるので驚きました。
満員電車に乗車する時は、下りた乗客のあとに出来た隙間に潜り込むというような状況に思えました。乗車後は当然ながら身動きが出来ないので隣の人が気になるという事でした。男性ならば別に服が当たっているだけで、相手が少しばかり小汚い背広だったりすると嫌だなと思うくらいですが、一番悪い印象に残っているのは長い髪の女性と隣り合うと、髪の毛が目の前にぶら下がるだけならまだしも、その髪の毛に家の中の埃がついていたりしていると気分が悪くなることもありました。朝に髪をとかさないで寝起きのまま家を出て電車に乗っているのが分かるのですが、若い女性に多かったという印象を受けました。せめて満員電車では髪は束ねるというのが常識にならないといけないなという風に思いながら耐えていたという事です。
満員電車の理由は勤務先が陸の孤島のような場所にあって、そこに大きなオフィスビルがあり毎朝大量の人が住宅地から移動するのが原因でした。それに通勤する地下鉄が都心程に発達していなので一本の電車にサラリーマンが集中するということだと理解ができました。朝は殆どの場合座ることも出来ない40分程度は立ったまま通勤するという、若いころに東海道線や横須賀線で通勤した何十年も前にフラッシュバックしたような気分になりました。
勤務先である陸の孤島のような場所は、住宅用の高層マンションが立ち並び、同時に高層のオフィスビルが同居するといような所でした。見た目には職住接近ですが、マンションの住人の大半は
は都心に通勤し、陸の孤島のオフィスに勤務する人は郊外の住宅地から通勤するという変な構図に見える場所でした。
この場所は私にとっては無縁ではなく大いに縁のある場所でした。40年も昔に某製鉄会社が近くにあり、私が営業担当で出入りしていた時、時々手土産を持参する時には、この町の洋菓子店で大量のショートケーキを買っていたという事がありました。取引先であった某広告会社の情報システム室長がご愛用のフィットネスクラブもあり、私が事業を立ち上げたデータセンターの貸主の会社もこの場所にあったりしました。しかし、当時とは違って高層ビルが乱立しているのを見ると、かってこの場所が工場地帯という場所柄をすっかり忘れ去らせていると思いました。しかし、その残滓はオフィスビルとマンション林立という奇妙な組み合わせになっているとも感じていました。