27年間サラリーマン生活での個人的な損得勘定を考えてみると、得した記憶は殆どありません。営業職として事前に準備されていたのは片手落ちのカタログ一枚という状態で、販売資料等皆無に等しい営業環境の中から自身の経験だけを頼りにして、真面目に顧客探しをして会社という法人に対して大きな利益を提供したと思います。そういう日常を27年間送ったのですが、会社は大いに得をしても自身は社内規定による給与しかもらっていなかったので、今更ながら考えると自身は大いなる損をした気持ちです。
損得勘定を考えたら、仕事をしないで社内で忙しそうにしている振りをして過ごして定年を迎えた方が余程賢かったかもしれないとも思います。バカのチョンのと言われようと、カエルの顔に小便とばかりの態度で日常を過ごしている社員も多数いたのは何もしない社風からくるものでしたが、自身はとうとうそのような社風にはなじめなかった者として過ごしたのが大きな損をした気分にさせていると思っています。
個別の仕事ぶりは以前のブログでも紹介しているので割愛しますが、50歳の時に事業部長によるパワハラで全ての顧客を外されて何も無くなった時には一番嫌な思いをして精神的にも落ち込み、この時に大腸がんが発症したものと推測しています。大腸がんは自覚症状がなかったので退職後こぶし大にまで成長して癌を切除したものの、他の臓器に転移しているので今も治療中という状態なので、これが27年間のサラリーマン生活で得た一番大きな損失だと思います。
 
情報処理業に無知なるのを自ら認識しない管理者や役員がうち揃っていて、情報処理業の業務というものは個人的資質寄与が大きいという認識が皆無なので、頓珍漢な経営目標を標榜して毎年業績が殆ど向上しないという事が続いていました。個人よりも組織体を重視する社風というで、大汗かいて仕事をしても個人的な努力を認めない職場なのに何故ワーカーホリックとして毎日を送っていたのかというのは、社風というものを理解しないで我武者羅に勝手な目的に向かって進むだけの野武士的な精神状態だったかもしれないと思っていますが、それは自身にとっては莫大なる損をしていたのだと昨今気づきました。
50歳を過ぎてからは新興企業の顧客に対しては長年自腹接待をしていたので個人会社を経営しているような感じでいて、業績も順調に上がったのですが上司からあれこれいちゃもんが付けられると、自身の努力を無視されているように感じる事もあり、これも精神的に損をしたと思っています。
役所体質の顧客については、サラリーマン最後の仕事としてシステム開発案件の契約に向けて惜しみない努力をしましたが、担当した事業部の無知無謀により顧客に多大な迷惑をかけて散々な結果に終わったのも、個人的な努力が全て無駄な努力となって大きな損をしたという気持ちでした。
肉体的には大腸がんを引き起こし、金銭的は個人的な多大な支出をして、精神的には嫌な思いを散々させられ、上司の保身から定年後とは言え無理に退職させられて、よくも27年間勤務できたものだと自身でも呆れるばかりのこの頃です。
職場環境という観点で物理的・人的面から思い出してみると、職場の物理的な立地は川辺の横の都会の場末とも言える場所で、春の川面に桜、夏の川面の観光船、冬には川に掛かる橋の降雪風景とが思い出されます。特に桜の季節は勤務していた場所から橋を渡った川岸に桜並木があって満開の桜を満喫することが出来ました。こういう記憶を紐解くと如何にものんびりとした環境で立地的には良さそうに思えるのですが、元々倉庫街なので交通不便で情報処理という最新の職業柄というイメージが悪くなるという印象は拭えませんでした。自身は夏の暑い時期でも背広を脱がないという習慣であったので、炎天下の影の無い橋を歩く何とも言えぬ暑さは忘れることはできません。
親会社との関係もあってビルを移転することは難しかったようですが、役員は親会社にはたてつきたくないという何もしない精神から、親会社の言われるままに不便さとかビジネス上のイメージが悪くなるという不利益を放置していたと思います。親会社にたてつくほどに業績を上げるとかも出来なくて時の流れに流されて問題視もしていなかったのは、役員や管理職が実務を経験していないという無知から来る、ビジネスに対する圧倒的な鈍感さがあったと思います。しかしながら、そもそも役員が業績に対する責任感をどれ程もっていたのかも不明であったので、同様に会社の立地の重要性という事などは思いもつかないことだったと思っています。
 
人的な職場環と言えば、社員机上の整理整頓が行き届いていない雑然としたフロアで、やることがあるのかないのか不明ながら職場をうろうろとして忙しいと自問自答を連発している人もいました。役員や管理職は担当者にノルマを割り振って押し付けると何もすることも無いので年中暇なので、会議が仕事だと勘違いしていたらしく、一日中会議をしている光景が業績に対する責任感欠如とか責任者意識欠如を感じさせていました。
会議は出来るだけ少なくして実務に専念しようとするのが常識ですが、役員や管理職の実務の無知さから現場に対して何の応援やアドバイスも出来なくて、最終的には業績は担当者任せになるのは致し方ない事実だったと思います。年功序列という風習から来る、役員や管理職は何もしないで楽をできる地位と思っていたらしい態度をする人もいたのが、職場環境を悪くしていた一因であると感じていました。そうなると、現場の責任者である部長連中も自らが律しない限りヒラメとかコバンザメ社員になって、部下の仕事振りよりも上司のご機嫌取りに専念するようになるのも仕方ないことかなと思っていました。特に外資系コンピュータ会社から転職してきた社員は饒舌で上司に取り入るのがうまいと感心するばかりでした。外資系の会社では上司に取り入らないと評価されないのが普通で、中元歳暮は当たり前、上司の誕生日に贈り物をするのかしないのかで評価が大きく差が出たという話も聞いたことがあります。
業績は担当者頼みで、管理職や役員は毎日茫然として成り行きを眺めているだけの職場環境は如何なものかという疑問を持ちながらも27年を過ごした事になりました。
環境が人を作る、人が環境を作る」という常套句を「職場が人を作る、人が職場を作る」という風に言い換えることは簡単に出ると思います。前回ブログで顔の話をしましたが、人=顔という風に置き換えれば世の中に通常よく言われる慣用句としても通用すると思います。
転職後の物理的な職場環境は如何なるものであったかを振り返ってみれば、合併とか組織変更とかによって頻繁に執務場所が変わったという風に感じています。不動産業者と総務部の裏の関係は知る由もありませんでしたが、フロア移動が頻繁なのは固定費削減という仕事をするための口実であったかもしれないと思う時がありました。貸主との信頼関係が強ければ簡単には契約を解除したりすることは無いと思いますが、頻繁に賃貸先が変わるという事は担当部署がそれだけ上滑りな仕事しかしていなかったという証拠でもあると感じていました。こういう所作にも特段の努力をしないという社風が生きていて、波風を立てないで事を始末するという考えが頭にしみついた社員の所作になっていたと思います。
執務場所の引っ越しについても、私は引っ越した新しい執務場所で書類やパソコンの設定等は休日出勤して翌日からの執務に備えるという作業をしていましたが、社員の大半は平日の出勤日に引っ越し荷物をのろのろと整理するという作業をしているのに非常なる違和感を持ちました。そういう状況を見ていると普段の仕事の段取りぶりが悪いというだけでなく、元々社員一人分の仕事量がないのではないかというのが露見した時であるとも見えるのでした。
 
日本の会社なのでフロアは部署とか個人単位での壁は無く、1フロア全体が見渡せる場所に机を並べていて、営業職とか技術職かが入り混じって配置されていました。営業職の社員の大半は見積書作成程度の能力しかなく技術知識が乏しいので説明資料を作れず、近くに薄弱なる知識しか持たないエンジニアであっても、営業職の横にいなくてはならんという必然性はあったと思います。自ら積極艇に動くような営業活動は皆無で、社内とか親類筋からの紹介案件しか無いという実情が関係しているのかどうかは不明でしたが、横眼から見ていても仕事ぶりは要領が悪くて何をやっているのだろうという評価しかできないと個人的には感じていました。管理者である筈の部長や役員も現場社員と同等かそれ以下の能力なので、不効率な実務をしている社員を見ていても特段の指導もできないので、利益が多いとか少なとか誰でも思いつくような事を指摘するしか出来ていないというのが実態ではなかったのかと思っていました。

そういう環境を醸成していた一因は、転職してきた外資系コンピュータ会社の社員が部長職などに配置されていて、のんべんだらりとした社風を自らの無能を覆い隠すには都合よくて、仕事の出来が悪い部下に向かって役員から鵜呑みにした小言を部下にそのまま伝えるというメッセンジャーボーイの仕事をしていたこともあったのではないかと思っていました。社内には外資系コンピュータ会社からの転職社員が多いとうのが気にはなっていましたが、社風として何もしないで業績を上げるという方策を思案している中、外資系コンピュータ会社の歩合給で成績が達成できなくて転職を考えざるを得ない社員を、如何にも出来る社員として売り込まれたのを勘違いして採用をしていた人事部の無能ぶりが発揮されていたと感じていました。こういう環境は、自身は何の努力もしないで他人に業績を上げてもらえば良いとする貧弱な思想があり、企業として他力本願・短絡的な発想しか出来ない能力を如実に表出している一断面であると思っていました。
顔の話で思い出しました、社員の顔にも社風があるのではないかと思う事です。67歳で退職してから派遣社員として勤務していた時、有楽町から築地まで高いビル群やしもた屋が続く通りを20分ほどかけて通勤していました。朝方は同じ方向に人波が流れて行くので、その流れに紛れて歩いていると途中でビルに人が吸い込まれて行くのを見ていると、横で歩いている人の風貌を見てこの人はこのビルに入るなというのが分かりました。この時、社員の風貌がその会社のイメージになっているというのを確認すること出来たと思っていました。ビジネスも厳しいと思える様な会社の社員の風貌は、おっとり風では無く何処となく目つきが悪いという風に見えるのでした。人の顔なんて千差万別なのに環境によって変わってくるのかは、毎日の生活習慣で変わるものなのかと想像をしています。
40歳で転職する迄は製造業の赤字事業部に13年ほど在籍していていましたが、平均的には社員の風貌は少しながらも並みよりは良さそうという風に感じていました。勿論、明らかに田舎者風情だと分かる人もいましたが、そういう人は大抵は地方工場出身者でした。赤字事業部の職場環境はぎすぎすして良くなかったのですが、限られた環境で何とかやりくりをしようと努力している真面目な社員の風貌だと思っていました。この会社でも年中黒字事業部は天下泰平のんべんだらりとした雰囲気の職場で、外面上は高価そうな背広を着て格好をつけてはいましたが、顔つきは接待の酒の飲みすぎてふやけた感じに思えました。営業マンという仕事柄から多数の人と話をしたのですが、社風というものが社員の顔つきまでも変えてしまう事があるのかなというのは経験則として感じています。ベンチャー企業などは日銭を稼ぐのに四苦八苦しているので、大手の有名なベンチャー企業を訪問しても感じたのは地位に関係なく社員の風貌は何処か落ち着きのない様に見えました。
 
40歳で転職し27年間在籍した会社の社員の風貌に関する感想は、何度も紹介したように何もしないのが良策とか臭いものには蓋というような風土だったせいか、社員の風貌は何処か落ち着きのない少し変な顔をしている人が多いという風に思えました。私にパワハラを仕掛けた事業部長も同様に顔が世間並よりは落ちた風貌で目つきが悪く、その上司である役員も顔が少し変なのが類は類を呼ぶということなのかと思っていました。
営業職として重要なのは顧客との関係ではなく、上司である管理職や役員との関係が重要と考える社員が大多数なのに対して、私は業界とか専門知識を何も知らない何もできない無能な上司ではなく顧客との関係作りを重視していたので、私個人の業績は伸びても社内では煙たがられた存在だったと思っています。そういう職場の社員の風貌というものは、自覚なしに自然と目が腐ってくるので他人目から見ると頼りないと思えるものだと感じていました。
親戚筋や他人頼み営業を長年展開してきた会社のせいか、積極性とか進取性とかの前向きの思想が絶無で、仕事そっちのけで上司の機嫌取り社員が多数を占める職場という事が理由なのかは定かではありませんが、私が転職した頃に入社した若手社員の顔は私が退職する頃には、すっかり変貌して生気の無いものになっていました。第16代アメリカ大統領リンカーンの有名な言葉に「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」というのがあります。私が転職後に勤務していた会社では自分の顔には責任が持てなくなるのかなと思っています。
40歳から67歳まで在籍していた会社の上司とか同僚とかの顔を思い出すことは殆どありません。サラリーマンにとって職場とは生活をするための稼ぎ場所であって、何とか給料を増やそうと思って仕事を一生懸命に頑張るという社風ではなく、上司におもねるのを最上とするような空気が流れる職場だったこともあり、そういうヒラメとかコバンザメとかいった社員を本能的に嫌う性格だったせいか会話も避けていたせいで、同じ職場に勤務していた多くの社員の顔を思い出せないという風に思います。勿論、真面目にこつこつと仕事をしている社員もいましたが少数派でした。
顔の話になると骨相学とか顔相学とかを営業マンとしての知識として調べた時期があるのは以前のブログでも紹介しましたが、男性サラリーマンで生まれつきの顔が年月を経るほどに変化していくというのを感じているのはどれほどの人かと考えることがあります。サラリーマンとして仕事を全うしようと取り組んでいると、仕事上では色々な障害とか制限とかにぶつかって思案せざるを得ない場合があります、そういう時に色々と試行錯誤するという行為が顔かたちを変えて、顔の歴史を作っていくのだという風に感じています。
先日も日銀総裁の顔社員を評して人の良さそうな好々爺という風に思いますと書きましたが、サラリーマンで好々爺らしい風貌とは何もしないで時が自然に何十年も過ぎ去った結果の顔つきだと想像されるし、私の勤務していた会社もそういう風貌の役員や管理者が多数いたのは同様のことであろうと思っています。
  
サラリーマンの本性が披歴されるのは酒席での場合が多いと思います。私は酒を飲まないので酒席での社員とか顧客とかの発言とかの仕草を横から見ていて、管理者とか役員の性格とか本性とかを垣間見ることが出来たので、顧客との宴会は仕事と割り切って対応しないと醜悪な社員の姿を見ることに嫌気がさしていました。顧客との酒席で、管理者とか役員の立ち振る舞いは、自分の会社の理屈をそのまま持ち込んで相手に強要するのですが、顧客も宴席なので特段に反論もせず聞き役に回るばかりでした。そうなると、顧客が主役の筈の宴席が、顧客に対する態度が自分の会社の部下に対するのと同じで、顧客も体面上は翌日に宴席の御礼を言うものの本音は別のところにあったというのが事実であったと思います。
管理者や役員は宴席での弾んだ会話に自己満足していたという事で、顧客との距離がますます離れて行ったという風に感じていました。私はそういう距離感を自身で埋めなくてはならんというので自腹接待をしていた理由の一つにもなりました。
会社として顧客をもてなすというので、自分の理屈で顧客を引きずり出すという勘違いしているイベントが毎年開催されていました。これも実務経験が無く顧客との心底から話すという経験が無い管理者や役員の浅智慧から来るものだと思っていました。面識も希薄な管理者とか役員の間に顧客を座らせて飲食をさせれば接待になるという考え方が、社内で異論が出ないのが不思議で仕方ありませんでした。武家の商法を何時まで続けられるのかなとも思っていましたが、顧客を取引額だけで評価したり、顧客の本音も理解しない会社とは何時まで縁故関係のない顧客との取引が続くのだろうと疑問にも思えていました。
転職後の会社では管理職や役員が、ひたすら社内では無風でもめ事が無いようにと何もしなくても済むようにと願っていたらしいという環境では、年度初めの会社の業績計画も一応は現場の数字の積み上げを見るものの、役員は上場企業としての体裁を気にして少しでも業績が表向き向上しているように見せたいと思っているのが明々白々で、現場に対するノルマはお上からお達しがあるような感じで押し付けられていたと思います。そこには現場の自主性は皆無で、上意下達が当然という今どきはやらない暗黙の認識が社員に共有されていたのではないかと思います。
管理職や役員は何もしないで業績が上がるわけでもないのを理解出来ていないのは、情報処理という特殊な技術の実務経験が無く、現場の実情に疎いのにも関わらず年功序列で管理者とか役員になるせいで、屁理屈ばかりこねるのが得意な連中が多いと感じていました。社員も若手の出来る人はどんどん転職していくので、残った社員は大人しい羊みたいに自主性も無く上司から言われるままに動くだけで、何の取り柄があるのかなと思える人が多数派と見えていました。そういう社内事情から、業績は時の情勢とか他人の温情任せにしか動かない会社だろうと思っていました。一時の会社合併とか他人からの紹介を頼みにする営業姿勢なのにも関わらず、毎年無謀な業績計画を立てていたのを見ると、自分の実力を自己評価できない役員や管理職が揃っていると思えました。
 
事業部長からパワハラを受けて以降の50歳から67歳退職までは、私は社内で疎外された存在というので、当然ながら会社の中の独立会社みたいな働き方をせざるを得ませんでした。管理者や役員が何もしないという風土は、イノシシ如くひたすら前に向かって進むという仕事振りは、管理職や役員から文句を言われなかったのが追い風になっていて、一人で社員何人分もの業績を上げることが出来た原因の一つになったのかと思っています。今更ながら考えてみれば、私の仕事に対する積極的な姿勢と、社内の何もしない風土とは所詮水と油みたいなもので永遠に交わることのできない関係でもあったと思います。社内のどんよりした活気のない空気とか、上司からの見栄えばかりを気にする管理者とかの存在が疎ましく思えたのも、自分とは全く違う世界に住む人間なので当然だったのかなと思います。
時々、徹夜で顧客に対する資料や見積書を作成するという仕事をしていた時があって、夜も12時近くになって職場に若い他事業部のエンジニアがふらふらと現れることが間々ありました。そのエンジニアの様子を見ていると、残業しているエンジニアとだらだらと雑談をしにきただけで仕事の打ち合わせではなかったというのが分かり、私にはこういう行動が信じがたいと思えました。仕事も無いのなら早く帰宅してさっさと休みたいと思うのは普通だと思いますが、友達が残業しているからというだけで夜遅くまで残るという行動は信じがたいことだという印象を受けました。こうしたイレギュラーな行動をする社員を、管理者や役員が作り出しているというのを認識できていない現実があって、そういう現実を直視すると不幸と言えば不幸であったなと思います。
40歳で転職した会社では何もしないという文化が根付いていたのですが、転職後最初3年間は新規事業部で目立って役員になろうと想像していたらしい部長から営業マンにだけ対して、あれこれといちゃもんを付けるという仕事振りで大変嫌な思いをしました。この時、部長自身は嫌われているという認識は希薄で営業マンにいちゃもんをつけて何とか業績を伸ばそうとしていましたが、何もしない文化の中でぬくぬくと何十年も過ごし新規事業部という部署に突然異動になり、多分何をすべきかも考えられなかったので、目の前にいる営業マンの行動にいちいち文句を付けては、自分の仕事をまっとうしているという勘違いをしていたと想像をしていました。以前のブログでも当時の様子は書きましたが、私もかなりの業績を上げたと思いますが、暫くすると事業は崩壊して私が契約したほとんどの顧客を失いました。当時の部長は会社にサラリーマンとしてどれほどの貢献度があるか自己評価も出来ずに動こうとしたと思いますが、所詮何もしないという職場で長年育ってきたので猿知恵程度しか出てこないのを自らが認識できなかったのが事業崩壊の一因だったと思っています。
これ以降は職場とか部署名も変わり、所属する会社名も合併で変わりましたが、同じ職場に20年以上も在籍しました。それなりの業績を上げたこともあったせいか、管理者や役員から変ないちゃもんはつきませんでした。私はビジネス拡大にわき目も降らずどんどんと走るので、事業部長が段々と不安になり商談の途中で案件を他事業部に移管してほしいという事は何度かありました。これも、何もしないでひたすら安穏として何も起こさないという風土に根差したものからくるものだろうと思っていました。
50歳を過ぎた時に事業部長からパワハラを受けた後、管理者や役員は私の行動については放任状態となり、私も自分で勝手にやらせていただきますという様な事態となって、組織の一員とはいえ独立した会社が社内にできたようなものになりました。接待費は殆どを自腹で賄っていましたが、大きな出費の時だけは上司の承認を得なくてはいけないので、年数回の数少ない言葉を交わしたという時が長く続きました。
 
私が在籍している時に感じたのは、何もしない風土の会社であるという事は殆どの社員は認識していないのではないかという事でした。先回のブログでも紹介した通り、新入社員で入社して職場環境の理解度が進む頃に、少し出来のよさそうな社員は転職するという事が間々あり、自然と残される社員はそういう職場環境とか風土には鈍感な連中しか残っていないことになっていたのだろうと思います。そういう職場環境なので自然と多数のヒラメ社員とかコバンザメ社員が育つという素地ができていたとも思っています。
事件が起きて何か事を起こすとなると、それなりに自身のエネルギーも相当消耗するし、サラリーマンとすれば自己評価が気になるのが人情で、社内に対してはいい顔をしたいという気持ちも働き、考えた末には知らん顔をしてやり過ごすというような事が最善として横行していたのだろうと思っています。それが社内の問題であれば、社員の誰かが損をして誰かが得をするという様に狭小な世界の事として済まされます。しかし、顧客との契約とかトラブル等の色々な社外問題となればそうもいかないのですが、基本的に何もしないという風土からくるのか知らん顔をして済ますという様な事になり、世の中の常識としては如何なものかと思う様なこともあったと思います。
7月18日の日経新聞に2008年の金融政策決定事項の議事録を公開したという記事がありました。10年以上も以前の記事録を公開するのは内容について追及を逃れるために役人が考え付いた国民を馬鹿にした結果でもあると思います。内容は新聞をご覧いただくとして私は何故気になったのかと言うと、日銀銀福井総裁と白川総裁が金利政策について何も手を付けず現状維持とした事にしたのは、私が転職後に勤務した会社でも同様の管理職や役員の決定がされたという記憶があったからでした。

日銀の福井総裁・白川総裁はリーマンショックでの日本経済の落ち込みを仕掛けた罪をおかしたと考えられますが、本人たちは定年まで日銀に勤務して大枚の退職金を手にして幸福な役人人生を終えたと思っていると想像をしています。新聞の紙面上の顔写真を見ても二人とも誠に真面目で誠実そうな風に見えるのも、私が勤務していた会社の管理職や役員の風貌と似るものがありました。人がよさそうだけというだけではビジネスは成立しませんが、日銀の総裁は何もしないで部下に全てを任せて事態を放任していたという実態だっただろうと想像すると同時に、けん制する役目の議員も秘書を含めて能力不足があったのだろうと思います。リーマンショック後、私も一時自分の顧客が苦境に陥り値引きとか案件変更とか一人で顧客からの要望を聞いては、社内での承認を取り付けるということをしたのですが、私が60歳に近いという事もあったのか管理職や役員からの利益減少についても指弾されることも無く承認を得たという苦労がありました。
日銀の体質と国会議員のふがいなさが現在の日本経済不振を作りだし、昨日はカジノ方が参院委員会を通過しましたが、これは庶民から金を安易に吸い上げられると考えた財源確保だと思います。タバコや酒税と同じ発想からきたものと想像しています、景気回復による財源が増えない中で役人が思いついた悪知恵だとも想像をしています。カジノ破産で事件発生、マスコミを賑わせる日も近いということだろうと思っています。
 
私が転職後に勤務していた会社の職場でも、事件があっても何しないのが良策と平然と公言を憚らない管理者もいましたが、私が転職する以前は赤字事業部で職場環境は悪かったのですが、何か事件があれば出来ることは限られるにせよ何とかしようと努力する気概とか気骨はありました。
転職後の会社では転職前と同じく役所体質でしたが、社員のモチベーションが低く事件があっても腰が引き気味の対応しかできない社風と感じていました。臭いものに蓋という社風でもあったと言えます。こういう体質なので、管理職や役員は情報処理の素人という環境に加えてチャレンジとか革新とかいう考えはないので、新入社員で入社した3年目くらいの社員で出来の良さそうなシステムエンジニアが転職をしていく素地になっていたと思います。会社も業界でもパッとしない位置づけで親会社の名前で売っているだけなので、石原慎太郎自身(子会社)は全く自覚していないと思いますが、石原裕次郎(親会社)の名前を借りて売れただけの事と同じようなものだろうと思っていました。
会社も子会社となって独立したので運転資金も自己調達という理屈で上場をしたものの、社員に自社株購入を勧めたので私も限度目いっぱいの自社株を購入しましたが、結局退職時に清算してみると百万円ほどの損失になっていました。役員が経営努力して業績拡大を図り株価を上げるという努力がないのを見抜けなかった社員である自身の判断が誤っていたという事もありました。これも役員は何もしないのが良策というので、最初に書いた日銀の総裁と同じ行動をしていて、社員に迷惑をかけても知らん顔して退職金だけは規定通りに受け取っていたという二重写しの構図という風に見えました。
40歳で転職した以降の顛末については以前のブログで紹介していますので割愛しますが、私が27年間在籍した転職先の会社についての感想を少しばかり述べたいという気持ちになりました。
転職するという事は、転職先の会社ではプロパー社員とは違って外様扱いされるのですが、転職する以前の赤字事業部でも散々にひどい扱いをされてきた経緯があるので、転職先の会社でもことさらに転職社員で色分けをされているという事は割り切って理解をしていました。記憶に残るのは、最初の配属先の女性アシスタントが転職者に対して特に警戒をしている態度は何故なのか今でも解せません。
新規事業部という事もありプロパー社員も自ら望んで来たという社員は少数派で、大半は部内で不要とされたか又は昔の上司から誘われたとかいう理由で異動してきた社員の集合だったので、コンピュータシステムの経験も無いか少ないという状態で、仕事に対する意欲も何処まで持っているのか不明だと感じました。転職してきた社員は以前の経験を買われて転職してきたので活躍するのは当然という風に見られていたと思います。
この時に一番感じたのは、肝心の管理者がコンピュータには自ら素人だと自覚しているのかどうか甚だ不明ということでした。コンピュータというものを家電とか車とかいうものと同じに考えているのだろうと感じていましたし、素人集団でやることには限界があるだろうと感じていました。当然の帰結として、新規事業部が相手されるのはベンチャー企業が主となったのは自然の成り行きであったと思います、そこには事業に対する確固たる方針などは無く、単なる物売り商売で業績が上がれば良しとする商社と変わらないものでした。
私の様な経験者に色々と話を聞くことも無く、変な外資系コンサルタントに事業の相談をするとか、独善的に事業を進めるので、行きつく先は事業の全滅というのは当然の成り行きであったと思います。残されたのは社員という資産だけだったので、仕方なくシステム開発という方向にかじを切ったと思いますが、役員や管理者にコンピュータシステムの素人という意識が全くないので新しい部名とか役職とかを作ると、社員はそういう部署に配属されただけで仕事が出来ていると勘違いをしていると思われる社員が多数いたと思います。例えば営業部に配属されたので営業が出来ると勝手に思い込んでいるのは、自ら経験とか能力を自己査定出来ないからだと思いました。これが会社のトップから現場の管理者までの組織全体にいきわたっているので社員全体がコンピュータシステム理解度が低いという事実があって、結果として以前のブログで詳細に紹介した役所体質の顧客の基幹システム更新案件が、顧客から騙された発言がでて未完に終わっているというステータスを社内では誰一人として考えられなかったという現実があったと思います。
 
組織も管理部門の人数が多いのもあまり気にされないとか、各事業部門での施策も相変わらずの目先の対策ばかりで将来の見取り図も無く、只流されているだけのもので明日の飯をどうするかという近視眼的な素人の発想しかしていなかったと思います。少し難題になると、すぐにコンサルタント会社を呼ぶという自身で考えるという素地が全くないのもコンピュータシステムの素人管理者や役員ばかりでなく、社風として仕事に対する態度が甘いという気がしていました。システムエンジニアは仕事を外注会社に丸投げしているだけの手配師のようなもので、自らのスキルは如何に出来の良い外注先を探すことだと思っている節があって、自らのスキルアップも外注会社のエンジニアから教えてもらうケースも多々あったのではないかと思います。
コンピュータシステムを生業としている企業にしては問題の根は深いので改善されることも無く、根本的に仕事の仕方も変わることも事も無いと思われるので、その日暮らし的な事業が継続されて将来も業績は伸びない会社なのだろというのが感想です。
赤字事業部に在籍中は仕事のストレスが高かったのですが、一方では毎月の給与もそれなりに上がって暮らし向きが楽になりました。しかしながら、この時期には金の使い道で大きな失敗しました。
私が40歳になる頃は丁度バブルの絶頂期という事もあり色々な投資の誘いがありました。たまたま職場でも投資について話題が出て雑談をしている中で、或るシステムエンジニアが「ゴルフ会員権がすごいな」という話が出て、ゴルフの会員権を購入するとすぐにでも値上がりがしそうな話で盛り上がっていました。私は運動が苦手ということもあってゴルフは好きではなかったのですが、こういう噂を聞くと本当らしく聞こえました。ゴルフ会員権については碌に会員権とはどのようなものかも調べもせず、安易に業者が絶対つぶれないので安心してくださいという言葉を鵜呑みにして3コースも購入をしてしまいました。すべて自宅を担保にした借金でしたが、当時の銀行は朝に融資の申し込みをすると午前中に審査が通りましたという連絡がくるという様な具合で、銀行は金余りで貸付先をどんどんと増やしていった時だと思いました。当時の銀行の窓口は若い男性が対応してくれていましたが、バブルがはじけて借金の返済だけが残った時には銀行も窓口も女性が多くなり事務的に処理をしていて、バブル当時の浮かれた雰囲気は消え去っていたと覚えています。
ゴルフ場は後に3つとも倒産して会員権は紙切れになって借金のみが残るということになりました。金額的には子供を私立大学まで行かせるくらいの金額だったので、気持ち的には不貞の息子が一人いたんだという風に考えて、退職金の大半で返済でして漸く一件落着となりました。バブルがはじけた当時はゴルフ会員権暴落で自己破産した人も多数いるというような新聞記事があり、自身も自己破産した方が楽になるのかなと思った時期もありましたが、銀行と掛け合って金利をさげてもらい何とか完済することができました。
将来に対する不安から少しでも金を増やせるのではないかと考えて投資をしたのですが結果的には失敗に終わりました。投資の内容についてきちんと調べなかったという事もありますが、当時の投資先として株式も高騰していたので多分株式を購入しても同様の事態になったのではないかと思います。結果から考えると、世間の浮かれた状況に追随すると碌な結果にはならないという教訓を得たと思っています。

又、当時の投資としてアパート経営もしていました。2室のマンションを購入して賃貸をするというサイドビジネスを定年間際までせざるを得ない事になりました。ワンルームマンション販売業者の説明でもありましたが、マンションは購入したら直ぐに値上がりするという思惑だった筈でしたが、丁度バブルがはじけた頃で購入後には直ぐにマンション相場が値下がりし、売却すると借金だけが残るという状態になり、仕方なく長々とマンション賃貸経営というサイドビジネスをすることになりました。細々としたアパート経営でしたが賃借人が問題を起こしたとか、マンションに欠陥が見つかって大騒ぎになったとかいう事もあり、仕事上のストレスに加えてアパート経営の大変さもあって毎日の生活リズムは常に変動するというような経験しました。退職後、このマンションを売却した後には重荷に解放された気分で心底から晴れ晴れとした気持ちになれました。
赤字事業部に在籍した時期は、仕事のストレスを感じて色々な方面で金を散財して借金を作り、将来を心配して投資したものの見事に全て外れて借金だけが残り、まるで借金返済のために毎日を過ごしていたようなことになり、大きな失敗をしたと言えると思います。
赤字事業部でのサラリーマン生活は仕事も失敗続きで大変だったけれど、私生活でも大きな失敗を自ら招くという事態になり、人生でも一番の悪い時期であったという風に感じています。