// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160620

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
おバカさんたちの金メッキの神様
SUBTITLE:
~ Midas. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Lead Division *<< //


::バートランド・ラッセルはこう指摘した。
「逆説的に見えるかもしれないが、精密科学はどれもみな近似に支配されている」
 広く受け入れられている科学的“証明”でさえ、つねに小さなあいまいさを含んでいる。
 このあいまいさは完全にはなくならないにせよ、小さくなることもある。しかしその一方で、結局は証明が間違っていたことが明らかになる場合もあるのだ。
 科学的証明が持つこの弱点が科学革命をもたらし、正しいと思われていた理論が別の理論に取って代わられることになる。こうしてできた新しい理論は、もとの理論を改良しただけのこともあれば、まったく逆の主張をすることもある。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 新しい会社に入社してからというもの、5:30起床、19:30帰宅が標準になった。
 ために、従前のように月曜がもっともポテンシャルが高く、金曜の夜ともなるとボロ雑巾も斯くやあらんというほどぐだぐだだ。濁点ひらがなが6文字続くなんてちょっとすごい。

 銀行の関連会社に入社したという事実をして叔母は「アジアの奇跡だ」とのたまい、妹にいたっては「かわいそう……。ここで運が尽きたね」と言い放ち、友人においては「お前は来週クビになる」と宣言し、弟子に至っては鼻で笑った(冗談だと思ったらしい)。

 驚くべきはその組織の組成であり、役職のない平社員というものが全体の1割に満たない。
 名前なしで「部長」と呼びかけると、全体の4割程度がこちらを向くかもしれないが、多分見向きもしないと思う。
 しかしまぁ、そんなことには2週間で慣れた。

 そして今では毎晩何時に寝ようとも、5時には一度目覚める体質になってしまった。
 厄介なのは、まともな夕食を食べようものなら平気で21時を回ること。
 ために「ワークアウト、ビタミン剤、豆腐、枝豆、日本酒」あるいは「ワークアウト、ビタミン剤、豆腐、玄米、煎り大豆、日本酒」「ビタミン剤、豆腐、玄米、鶏胸肉、日本酒」というような、プログラムがこなされたのち、シャワーを浴びて眠るのである。
(平日に入浴は不可能である)

 本を読んだり、TVゲームをしようものなら就寝は0時を回る。
 時間を忘れようものなら、2時近くになる。
 しかし睡眠不足を補おうと、電車に乗って眠ろうものなら、電車酔いをする。
(どういうわけかは分からないが、最近の僕は電車酔いをするのだ。それとも更年期障害だろうか)

 兎にも角にも(うさぎにもつのにも、と読む)銀行で相応の役職にいた人(僕からすれば立派なエコノミストである)たちに多く囲まれる職場であるため「OAP(オカネモチ・オートメーション・プログラム)」の構築においてその存在とそこから得られる情報は重要なものとなったのであった。

>>>

 彼らの多く(むしろほとんど)は文系である。
 なぜなら経済という現象(あるいは行為)はそもそもが人工的だから、純粋数学のような数学的(あるいはせめてもの科学的)厳密性(あるいは完全性)をそれは要さない。
 公式や変数に規定どおりの対象数値を当てはめればそれで答えが出てくるという、学校数学の延長線上のようなことをするのがエコノミストの正体である、と僕は思っているのね(口調が変)。

 理系が文系の上位互換であるならば(実際にそうだけれど)、経済的数値演算や経済的微積能力(時間による変位を解析すること)は文系でも十分に対応できるという証左(公式に数値を当てはめるだけだから)であり、同時にその限界は現状のいろいろを見るだけでも充分に理解できる。

 経済はいつまでも発展したりしないという、ごく当たり前のことを見失っていた時点で、あるいは経済という現象がこれだけ複雑化した実存世界の中で未だにコントロールできると幻想している時点で、もはやその能力の限界は明らかであり、そもそもの無理も明白である。
 にもかかわらず「経済という信仰」にすがることしか知らない者ばかりであるがゆえに、迷走は続くのだろう。

 経済に限らず、もっともらしく数字を展開して、アタマワルい人たちを煽動しようとする仕組みはどこにでも存在している。
 だからバカが増えれば彼らは得をする。
 幸い、世はバカが増え続けている。ひょっとしたら誰かが仕組んでいるのかもしれないし、仕組まなくても、自然発生的な数学的法則に基づいて、一定割合のバカが発生するのかもしれない(僕は後者だと思っている)。

 数字を展開することは、数学などではない。
 統計も、あるいは統計学も、現象を数値換算する仕組みに過ぎない。
 だから現象がドラスティックに、あるいは未知的な状況で変化するとき、統計学によって作られていた公式は、統計によって算出されていた解は、何の意味も持たなくなる。

 文系の人間達は無力で、しかし理系の人間と違って謙虚さに欠けるから(なぜなら理数を理解する人間は完全の意味を知っていて、文系の人間は完全という言葉の意味しか知らないから)自分やその理解しているものを完全なるものと勘違いして、ときに理系の人間を平気で虐げるし、理系の人間は自分の不完全性を理解しているからときに平気で虐げられてしまう。

>>>

 会社でPCを分解していたら(たまたまそういう役回りが巡ってきたのだ)他にそんなことにチャレンジした人間も、できる人間もいなかったらしく、「もしかして猫さん、理系ですか?」と尋ねられたので、まともに答えるのが面倒くさくて、つい「はい」と答えてしまった。

 実のところ僕は文系寄りである。

 けれどもどうやら(僕の周囲に対する観察の結果)絶対値的には多くの人よりは理系的傾向が強いらしく(要は、僕が理系3文系4程度の配分だったとして、多くの人は理系1文系3くらいの配分なのだろうという意味)(そもそも文系的傾向なんてものは、なかなか絶対的には評価しづらいものだとは思うが)文系的素養についても、記憶を頼りにしない能力においてはあまり負けることがないように感じている。

 以前、僕のことを「情緒的に過ぎる」と嗤った人間がいたのだけれど、確かにその人は情緒的には欠ける部分が非常に多く、つまるところ文系的素養も、理系的素養についても僕より圧倒的に劣っていたので、あれは褒め言葉だったのではないかと今は反省している。

 エコノミストの多くもこれと同じで、つまるところ理数的素養が優れておらず、もっとはっきり言うと理数的素養が劣っていて(先の例に従うならば謙虚さにも欠け)、にもかかわらず文系的素養も(歯に衣着せず申し上げるならば)たいしたことのない人間が、もっともらしく数字をいじることで、なんとなく「ほら、僕ってほら、こうね、こう、ほら、デキる感じじゃない? 感じじゃない? だからさ。ほら。こうね、ほら。この数字の意味するところはさ(クイクイ)(眼鏡を持ち上げる)……」みたいな「ほらね系」を演出しているだけなのではないだろうかと僕は思っている。

 たとえるなら、ビル・ゲイツはもれなくエコノミストかもしれないけれど、エコノミストがもれなくビル・ゲイツではないし、もれなくビル・ゲイツにはなれないし、もれなくビルゲイツのようにもなれない。というような感じだろうか。え、なに、集合論が分からない?

 いずれにしても、天に届く塔を作ったのは、間違いなく文系の人間だろう。

>>>

「PEACE Classic」なる限定品が発売されたということで、会社のそばの煙草屋でこれを買い求める。
 いくつか付録もついているが、専用缶ケース20本入り1500円という、高級品であった。
(でも、葉巻より安い)

 封を切った瞬間から、チェリー系の良い香りが漂う。
 ヴァージニア葉(おそらくかなりの高級煙草葉だ)のやわらかな甘やかさ。
 会社で一本火を着けたが、これは自宅で吸うべきシガレットだと判断した。

 最近は、シガレットを吸うときは(といっても半年にひと箱くらいしか買わないが)Peace のアロマロイヤルを買う。

 そっと火を着けて、ゆっくり(あまり高温にならないように)煙を喫むと、たいそう甘やかなよい煙である。
(そしてしっかりニコチン酔いもする)

 肺喫煙をしなくなってから、喉を痛めることがまったくない。
 これはよいことである。

>>>

 OAPの初動ルーティン(就職のことではない)はすでに僕の手を離れて稼働し始めた。
 モテと同じで、やっぱり基礎の部分は同じだった。
 そしてやはり、モテと同じように「それを何に使うのか」がもっとも重要なポイントなのだとは思う。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::しかし、科学理論を数学理論と同じレベルで完全に証明することはできない。手に入るかぎりの証拠にもとづいて、「この理論が正しい可能性はきわめて高い」と言えるだけなのだ。いわゆる科学的証明は観察と知覚とをよりどころにしているが、そのどちらもが誤りをまぬがれず、そこから得られるものは真実の近似でしかないのである。



// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~


文頭文末の引用は、

第1章「ここで終わりにしたいと思います」(p.58)
From「フェルマーの最終定理 ~ Fermet’s Last Theorem ~」
(著作:サイモン・シン / 発行:新潮文庫)

によりました。







// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]
[ Cross Link ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]

[Module]

[Object]





// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]






//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160612

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
お酒は20歳を過ぎてから。
SUBTITLE:
~ This site recommends for adult only. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Lead Division *<< //


::現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。
 世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行われている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧を必要とする。
 われわれは大権化の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 新しい喫煙パイプを一つ購入した。
 オークション購入したものの、定価を知ったらびっくりするほど安く入手していた。
 新品同然だったので申し訳ないくらい。運が良かったのだろう。

 TORBEN DANSKのロタも同じような形状をしている(持っていないが)。
 僕が持っているのは基本的にビリヤードタイプ(形状)ばかりで、ベント型は一本だけ。

 この加賀、一見重そうだし、チャンバーからリップまでの距離も短い。
 僕のようなヘタクソでは、口の中を火傷すること間違いなしかなぁ、と思って吸ったら驚いた。
 この陽気なのに過燃焼はしないし、といって火持ちもいいし、さらには火傷もしにくい。
 熱管理がしやすいのだ。
 ボウル本体の蓄熱性が高く、シャンクとマウスピースの放熱性がそれを補うのだろう。
 ボウル下部(シャンク付け根)がいちばん熱を感じさせるのも上手くできていると思う。
 パイプを手持ちするときは必ず指が触れる部分で、加賀はここだけ極端に熱を感じさせるため、火種の位置が分かりやすいし、呼吸のコントロールの目安としても秀逸だと感じる。
 重量も下手なビリヤードより軽く感じるほどで、2000円のエステート(中古)パイプとはわけが違うな! といった感じ。
 もっともTSUGEのEsterdは2000円ほどで入手したエステート・パイプだけれど、手持ちの中では煙草の種類を選ばず一番美味しく吸えるので、単なる誇張表記ではある。
(ちなみに、このEsterdというパイプは昭和30年頃の製品らしい。僕の生まれるずっと前である)
 
 大きい気がしていたボウルの、その丸みは心地よく指になじむし、銜えた姿も特にアンバランスになることはない。
(あまり人前では吸わないが、隠れて吸うと決めているわけでもない。ただパイプを吸っていると、それだけでとにかく人目を引くのだ)

 TORBEN DANSKといえば、今通っている会社の本社の近くにパイプ煙草を取り扱っている店舗があり、そこで買ったラタキアシリア(ブレンド)がたいそう美味しい。
 シリア煙草は現在、ルートが不安定だ、なんて店主が言っていたので、早めにあるだけ買ってこようかとさえ思う。紛争やテロなんていうのは、つくづく不幸なものだと思う。

 最近は、ほぼ毎日2ボウルくらいの煙草を喫むようになった。
 先日はBPが久しぶりにやってきたので(そしてなぜか私の家に船を置いていったので)、着香系のほとんどをあげてしまった。
 今の僕が吸うのはラタキア系7割、ヴァージニア系3割なので。

 それでも在庫が増えてしまうのは、パイプ煙草のランニングコストの圧倒的な低さと、煙草葉のパッケージの魅力によるものだろう。
 パウチでも缶でも、とても魅力的なパッケージのものが多い。
 ネーミングもさまざまで、ダイレクトなものから数字のついた機械的なもの、詩的なものまで多彩である。

 シガレットスモーカの人のうちニコチン摂取が好きな人は、(僕の場合)パイプは口腔喫煙であり、肺喫煙でないと知ると「吸った気がしないんじゃない?」なんて言われたりするものの、パイプ喫煙と同じくらいの時間、通しでシガレットを数本吸ったのと同じくらいにはニコチンが摂取できる気がするので、僕は時々ニコチン酔いを起こす。
(だいたい1時間近くは吸い続けている)
 もっとも、心地よい程度であって、吐き気やめまいに襲われるわけではない。僕は10代の坊やではないので。

>>>

 今の僕は愛煙家である。煙草が好きだ。
 パイプ煙草を知らなかったら、煙草の本当の味も香りも知らずに終わっただろうし、愛煙家を標榜することもなかった。
(そうなのだ、煙草なんて嫌いだったし、愛煙家も嫌いだった)

 パイプ煙草は不思議なことにシガレットでいう吸い殻にあたるところの灰が、まったく臭くない。
 部屋の中に放置しておいても、シガレットのようなイヤなタバコ臭さが感じられないのだ。
 喫んでいて、味も香りもシガレットの比ではないと感じられるし、着香系ともなれば、煙草嫌いの人でさえその香りを楽しんでくれることもある。

 煙草は(シガレットの煙を嗅いでいる限りはとてもそんな風には思えないが、元を正せば)香の一種であり、ルーツをたどればインディアンの神聖な儀式に使われるものだ。
「大いなる神秘」(あるいは「偉大なる祖父」「神霊」「精霊」などとも言われる)に捧げる煙草の煙は、それら神聖なる存在と、自分たちが繋がるためになくてはならないものだったと言われている。

 なるほど美味しい煙草を喫んでいると、それは確かに信じられる。
 そのとおりのように思えるのだ。

 唯物的に偏りすぎて歪んだ価値観の人を多く見てきたし(引力偏差でもあるのだろうか)、この国のこの時代に生きている以上、これからも見ることになると思う。なにより僕自身、何らかのおかしな価値観に毒されていないとは誰にも言えない。
 それにそもそも、自分以外の誰かのの価値観がおかしいだなんて、一体誰に言えるのだろう(言う人は多いが)。

 たった3gほどの葉が灰に変わるまでに2時間近くもかかった。

>>>

 酒も煙草も男も女もそうだけれど、酔えないものはつまらないものがほとんどだ。
 ほかには、夢、指導者、理想や思想、などもそうだろう。

 もちろん酔えればなんでもいい、というわけではない。
 それに、酔いというのは少なからず毒性を持つものでもある。
 そしていずれも、熱を感じさせる。

 クールであることが時代の潮流であるならば、それはそれで結構。
 ただ副作用であるかのように、隠してくすぶった熱を、異様なカタチで放射する人たちのニュースが後を絶たないのはなぜだろう。
 毒もなく健全に生きるだけの機械になっても、何のおもしろみがあろうかと、誰もが心の中では思っているのではないだろうか。

 せめて自分くらいは、熱を隠し持って、誰かを酔わせられるようでありたいとは、いつも思っている。

 とはいえ下戸ならまだ可愛げもあるが、呑まれて他人に迷惑を掛けるガキなどはつくづく御免蒙りたい。









// ----- >>* Escort Division *<< //


::ほんとうの茶人チャールズ・ラムは、「ひそかに善を行って偶然にこれが現れることが何よりの愉快である。」というところに茶道の真髄を伝えている。というわけは、茶道は美を見出さんがために美を隠す術であり、現すことをはばかるようなものをほのめかす術である。この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に笑うけだかい奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である。すべて真に茶を解する人はこの意味において茶人と言ってもよかろう。たとえばサッカレー、それからシェイクスピアはもちろん、文芸廃頽期の詩人もまた、(と言っても、いずれの時か廃頽期でなかろう)物質主義に対する反抗のあまりいくらか茶道の思想を受け入れた。たぶん今日においてもこの「不完全」を真摯に静観してこそ、東西相会して互いに慰めることができるであろう。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
引用は、
「第一章 人情の碗」 文頭部 (p.30-31) 文末部(p.29-30)

From
「茶の本 ~ THE BOOK OF TEA ~」
(著作:岡倉 覚三 / 訳:岡村 博 / 発行:岩波文庫)
 によりました。







// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~

[ Traffics ]
[ Cross Link ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]
  -Diary-

[Module]

[Object]
  -Poison-


// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]







//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160605

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
「今に生きる」はいいけれど。
SUBTITLE:
~ Was hate to hallucination hidden? ~
Written by 黒猫


// ----- >>* Lead Division *<< //


::「数寄屋」はわが装飾法の他の方面を連想させる。日本の美術品が均斉を欠いていることは西洋批評家のしばしば述べたところである。これもまた禅を通じて道教の理想の現れた結果である。儒教の根深い両元主義も、北方仏教の三尊崇拝も、決して均斉の表現に反対したものではなかった。
 実際、もしシナ古代の青銅器具または唐代および奈良時代の宗教的美術品を研究してみれば均斉を得るために不断の努力をしたことが認められるであろう。わが国の古典的屋内装飾はその配合が全く均斉を保っていた。
 しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。人生と芸術の力強いところはその発達の可能性に存した。
 茶室においては、自己に関連して心の中に全効果を完成することが客各自に任されている。禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術は均斉ということは完成を表すのみならず重複を表すものとしてことさらに避けていた。意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられていた。このゆえに人物よりも山水花鳥を画題として好んで用いるようになった。人物は見る人みずからの姿として現れているのであるから。
 実際われわれは往々あまりに自己をあらわし過ぎて困る、そしてわれわれは虚栄心があるにもかかわらず自愛さえも単調になりがちである。
 茶室においては重複の恐れが絶えずある。室の装飾に用いる種々な物は色彩意匠の重複しないように選ばなければならぬ。生花があれば草花の絵は許されぬ。丸い釜を用いれば水さしは角張っていなければならぬ。黒釉薬(くろうわぐすり)の茶わんは黒塗りの茶入れとともに用いてはならぬ。香炉や花瓶を床の間にすえるにも、その場所を二等分してはならないから、ちょうどそのまん中に置かぬように注意せねばならぬ。少しでも室内の単調の気味を破るために、床の間の柱は他の柱とは異なった材木を用いねばならぬ。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 久しぶりにスーツを買った。
 1年以上スーツに無縁の仕事をしていたので、最低でも2年は買っていなかったように思う。

 ついでに靴も買った。
 10年以上(直しながら)履いている一足しか革靴の手持ちがなくなってしまったため、予備をそろえるのは急務だったのではある。
(ちなみに僕は、スーツも2着、靴も2足ずつ買う。これは普通のことだと思うけれど、僕以外の人がどうだかは知らない)

 どういうわけか、日本の靴は僕好みのデザインのものがほとんどなくて、目につくのはイタリアメーカばかり。
 微妙なラインだけれど、形が全然違うと僕は感じる。
 シャープなだけのフォルムの靴は好かないし、鈍くさい印象にしかなれないソフトフォルムも嫌いなのだが、どういうわけか日本の有名メーカはいずれかの分かりやすいデザインがほとんどに見える。
 そういえば僕の乗っている自転車もイタリアメーカだったと思う(何か関連があるのだろうか)。

 僕が好むのは革底の製品だけれど、最近、革底の靴を探すのはむつかしい。
 アメ底のものが本当に多くて、これには辟易している。
 今回はその点はすっかり諦めていて、最悪、リストアを頼むときに革底にしてもらえばよいと考えることにして、それでも作りのよいものを選んだ。

 こんなふうに書いていると、さぞや猫氏という人間はファッションにうるさい人間なのだと誤解されることがある。
 が、実際はまったくそんなところからはかけ離れていて、ファッションを楽しむなんて感覚はあまりない。
 自分という存在の外観が他人様の不快にならないようにと考えるのがせいぜいだし、自分のスタイル(フォルムではなくフィロソフィ)を外観で表現しようとも考えていない。
 外観というのは、僕にとっては他者に見せるためのものではなく、むしろ隠すべきものを隠すための物だ。
 たとえば僕は様々な理由から肌を隠す(以前に述べたとおり宗教的な理由ではなく、単なる配慮の部分も大きい)。
 性格についても、本来の破天荒で不誠実で非常識で不真面目な部分を隠すべく常識的なフリをしているし、仕事では昼行灯につとめて役に立たない無能なフリを極力心がけている。
 実物よりも良く見せるよりは悪く見せる方が、有るものを無いものと感じさせる方が、長期的には戦略上有利であり、逆(すなわち自らを奮い立て、過剰に飾り立てる)よりもはるかに上品で美しいと僕は感じる。特に男性であればなおさらだろう。

 男というものは、特に若いうちは図体も大きく、動きも俊敏で、精神的にも活発で、全体に力が溢れていて、怜悧で機転も利く。
 もちろん例外も多数存在し、すべてを兼ね備える逸材は少ないかもしれないが、男性という性差がわれわれオトコにもたらしたものは、つまるところ単純な暴力と死だ。
(時代の変化に伴って、このあたりの性差も本当に混交している気はするが、少なくとも他の動物を見るかぎりは分かるだろう)

 そうしたすべての力をありのまま発露することをこそ良しとする向きもあるとは思う。
 しかし多くの力は、暴力と死に向かっている。
 仮に一時的にでも生産や創造に使うことはできても、それらも生を受けたがために破壊と死を迎える。
 これは避けられないことで、永続的かつ恒久的な生産や誕生は本来的に不可能だ。
 動物的であればあるほど、文明的であればあるほど、ためにそれらは隠されてしかるべき特質であり、そこに良さを感じるのは単なる劣情だと僕は思う。

 劣情が悪いと言っているわけではない。
 暴力と死の雰囲気を発散せずにはいられないタイプの「強い男」に魅力を感じる女がいたとして、それは不思議ではないし、動物的で本来的な意味で女だと感じられるし、あるいは女として魅力的でさえあるだろう。
 ただただ、それは動物的な劣情ではある。

 劣情は劣情で悪くはない。
 同じように若いことは若いことで悪くはない。強いことは強いことで悪くはない。
 しかし、それだけが褒め称えられるべき人間の特質だというわけではないし、それらに適合しないもの、つまりは力の衰えたものや、もともと力の弱いものを蔑視し、排除し、そこから搾取するような社会を形成してはいけないと思う(そして同時に逆搾取が行われてもいけない)。
 文明的であり、あるいは知性的であり、あるいは生産的であり、そして永続的であるために必要なことは、つまりそうした相反するものを適切にパッケージしてコントロールできる有能な個体をいくつ内包できるか、ではないだろうか。

 マッチョなものがマッチョなだけでは生きられないくらいには人口が増えてしまった。
 力を使って短期的に物事を集約させてしまったら、長期的に存続しうるはずのシステムであっても、その寿命は短くなることが自明になっている。
 どこかの国の大統領候補に、ずいぶんとマッチョな男が登場していて面白いけれど、見るからに陰陽のバランスを欠いた(つまりは適切なコントロールのできない)、知的とはほど遠い人物に見える。
(それともそれこそが狙いだろうか)

 力は偉大だ。
 しかし憧憬した末にそれを手に入れ、その猛威を振るって悦に入ることの恐ろしさを知らない者がそれをしたらどうなるだろう。

 若さも、強さも、(あるいはそれらを含めたすべての)力も、それはそれは恐ろしいものだと僕には思えるのだ。子どもの頃からずっと。

 もちろん、いずれは僕の肉体も精神も衰え、奮い立て飾り立てなければ「いっぱし」にさえ見えなくなるときが遠からず来るだろう。
 つまるところ自らを奮い立て、飾り立ててまで「いっぱし」のフリをするのはそれからでいい。もっとあとでいいのだ。

 ……なんでこんな真面目な話になってしまったのだろう。

>>>

 会社でたびたび、あるいはスーツを見立てているときに店員さんから「脚が長い」「背が高い」「顔が小さい」と言われた。
 そうした外見の評価を聞いて、特に嬉しいと感じたことはない。
 これからも多分ないだろう。

 自分で見ても確認できるし、それは単なる外形であって、僕のソフトウェアの機能にはあまり関係がなく、影響もないからだ。
(転びやすいとか、蜘蛛の巣にかかりやすいとか、そういう身体上の不利な点も僕は熟知しているから、外形のアドバンテージに対する見積りは低い)

 スーツでも靴でもそうだけれど、大事なのは外観よりも素材だ。
 素材を短命に終わらせないためにはメインテナンスが必須である。

 今そこにあるカタチしか見えない連中というのは、どうも中身を評価できず、長期的変化を制御できないバカのように感じるのだがどうだろう。

>>>

 朝起きて、洗濯をし、これを書き、2年ほど破れたまま放置していた網戸を張り替え、昼過ぎに買い物。
 帰宅して料理の下ごしらえをし、靴を磨く。
 買ったばかりの靴は底の縫い糸にワックスを大量に塗りつけないといけない。
 それから買ってきた靴の一つはライトレッドだったので、黒いクリームで茶色に近づけ、靴紐をレッドからオリーブに変えた。とても良い感じである。
 知っている人もいるとは思うが、僕は靴の手入れが好きである。








// ----- >>* Escort Division *<< //


::芸術と同じく、茶にもその時代と流派とがある。茶の進化は概略三大時期に分けられる、煎茶、抹茶(ひきちゃ)および淹茶(だしちゃ)すなわちこれである。われわれ現代人はその最後の流派に属している。
 これら茶のいろいろな味わい方は、その流行した当時の時代精神を表している。と言うのは、人生は我々の内心の表現であり、知らず知らずの行動はわれわれの内心の絶えざる発露であるから。
 孔子いわく「人いずくんぞ廋(かく)さんや、人いずくんぞ廋さんや」と。
 たぶん我々は隠すべき偉大なものが非常に少ないからであろう、些事に自己を顕すことが多すぎて困る。日々起こる小事件も、哲学、詩歌の高翔(こうしょう)と同じく人種的理想の評論である。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭の引用は
「第四章 茶室」(p.64-65)

文末の引用は、
「第二章 茶の諸流」(p.32-33)

ともに
「茶の本」(著作:岡倉 覚三 / 訳:岡村 博 / 発行:岩波文庫)
によりました。

 なお引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。





// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~

[ Traffics ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]

[Module]

[Object]





// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]







//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160528

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
メシア・コンプレクスの周延がもたらす終演と終焉
SUBTITLE:
~ The end of the distribution. ~
Written by 青猫α


// ----- >>* Lead Division *<< //


::ケンブリッジ大学教授で地球科学者のハンス・ヘンリック・ステルムは、いろいろな川の実際の長さと、水源から河口までの直線距離との比を求めてみた。
 その比は川ごとに異なっていたけれども、平均すると3よりも少し大きい値になることが分かった。
 ということは、ある川の実際の長さは、直線距離のおおよそ三倍になるということだ。
 実をいうと、この比はほぼ3.14なのである。これはπ、すなわち円周と直径の比の値に近い。




// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 僕は善良なタイプの人間で、当然ながらかなり親切で、すべからく困った人を放っておけないという病気を抱えていたことがある。
 先日も目の不自由な人に席を譲り(現在の僕は90分ほどの電車通勤をしている)、ホームから別フロアの改札まで誘導した。

>>>

 過ぎたるは及ばざるがごとし、などとわざわざ言うまでもなく、利他的思考や行動も、それが自己承認欲求を満たすためのエサや燃料であるならば、結局のところ他者を喰いモノにしているという点において下劣であり、弱者たる他者に依存しているという点において脆弱であり、供給が絶たれたら禁断症状まで出るともなれば醜悪である。
 もちろん何もせず批判するだけの聡明な傍観者よりは、中毒であろうとナルシスティックであろうと善行をする者の方が全体の中では有益であり、賞賛されてしかるべきではある。
 自分の利他的欲求が、利己的(かつ低俗な)欲求の上に成り立っているのではないかと躊躇し何もできずに終わるよりは、自身のメシア・コンプレクスになど気づきもせずに行動できる方が存在として有益である。
 まして単なる口ばかりの批判者になったり、利他の皮をかぶった利己であることの醜悪さを恐れ、自明の利己で自身を覆って身を守り、利己を燃料に走り続けるともなれば、愚鈍を通り越して滑稽ですらあるし、非情どころか幼稚でしかない。

 それでも、メシア・コンプレクスは少々恐ろしい病気である。
 治るまで、罹患者は不幸のループに苦しむだろう。

 理由は先に述べたとおり。
 不幸な他者をエサにすることでしか自己承認できない者は、不幸な他者を探し続けることになる。探しても見つからなければ(ちょっとしたサスペンス・ホラーになってしまうが)作るしかない。
 不幸があり、それを解決すべく助力する自分に酔いしれることは、結局のところ不幸なのだ。
 不幸な者同士が傷を舐め合う仕組みを、少々複雑にしたものでしかないのだ。

 そしてその不幸は、当然ながら罹患者当人を苦しめるだけにはとどまらない。
 救われるはずだった(あるいは救われたはずだった)他者は、やがてただの残滓として、その存在価値を失う。
 なぜといって、幸せになった他者など、救う意味がないからだ。
 救う理由のない他者など、自分の存在(の価値)を高からしめる意味のない存在で、結果として自らの存在の価値を見失ったメサイアは、己の無価値さに退屈し、救ったはずの他者を疎んじることこそないにせよ、より自己達成感に有益な(つまりはより不幸な)他者というエサが見つかれば(そしてそれは必ず探され、必ず見つかる)そちら目がけて突き進んでゆくだろう。

 いやなに、他人を救うな、と言いたいのではない。
 他人の不幸から目を背けよ、と言いたいのではない。
 ただ、他人をエサにするなよ、と思うのである。
 善行は、たしかに人からの賞賛を受けることもあるだろうとは思う。
 賞賛を受けるための善行なのか、ということだ。
 他者だけではなく、自分が自分を賞賛したりはしていないだろうか。

 誰も見ていなくても、自分は見ている。相手も見ている。
 自分が自分を賞賛するからこそ、自分で自分を賞賛できるからこそ、そしてその賞賛は誰の目にも見えないからこそ、そこで行われる善行は、その善行そのものより以上の価値を、他ならぬ当人の手で与えられる可能性がある。
 それがどれほど醜悪で、どれほど恐ろしいものか、分かるだろうか。

 恐怖政治を行う独裁者が、自分自身に平和賞を贈るのに等しい狂気が、そこには可能性として潜在する。

 もちろんその可能性は低いかもしれない。
 しかし、高いかもしれない。
 誰も自分の善行の動機をそのつど詳しく分析したりはしないものだし、仮に分析してもそれを公開したりはしないものだからだ。
 潜在された情報は、統計を取ることもできない。
 だからその善行が、はたして純粋な共同体本能としての善意によって生まれたものなのか、純粋な個体欲求を満たすための善意として生まれたものなのか、客観的には分からない。
 当人にだって、分からないことがほとんどなのだから。

>>>

 今の僕は他者の評価をあまり気にしない。
 そして同じように、今では自己評価もあまり気にしない。

 評価ありきの行動の、それらすべてが間違っているというつもりは毛頭ない(アデラーンースー♪)(古いCMしか知らない者がこれを書いている)が、不純である可能性を常にどこかにはらんでいる。
 逡巡ののち人に親切にするたび、僕は自分を疑う。自分を恐れる。
 自分の中に、変な穴が口を開けていて、エサを求めているのではないかと。

 そして礼を言われるたび自身を恥じ入り、自分の行動を疑問に思う。
 礼を言われるほどのことを、果たして自分はしたのだろうかと。
 そして何より、いったい善行とは何なのだろうかと。

>>>

 悪行の数々、善行のいくつかが、今日もメディアを賑わせるだろう。
 善行は賞賛されてしかるべきだし、悪行は罰せられてしかるべきなのだろう。
 共同体本能の具現として、それは正しいありようだ。

 しかしこの世のほとんどすべての存在は、より小さな組織の集合体である。
 そしてそうした要素の一部が間違っていたがために、結果的に大きな過ちが生まれないとは言いきれないのではないだろうか。

 そういう意味で、善行の陰にはささやかでも下心があってしかるべきであり、あるいはそうあって欲しいと思うし、それを可能な限り誇張して公開するくらいの勢いを持っていたいとは思う。






// ----- >>* Escort Division *<< //


::πはもともと円の幾何学に由来する数だが、これが科学研究の様々な局面に繰り返し顔を出す。川の長さの比の場合であれば、πが個々に登場したのは、カオスと秩序とのせめぎ合いの結果なのである。
 アインシュタインが最初に言い出したことだが、川はつねに曲がろうとする傾向をもっている。
 というのは、少しでもカーブがあれば、そのカーブの外側では流れが速くなって浸食が進み、カーブはますます急になる。そしてカーブが急になれば、外側の流れはますます速くなる。こうして浸食が進めば進むほど、川はどんどん曲がるという循環が起こる。
 しかしその一方で、カオスを切り詰めようとする自然のプロセスも存在する。カーブが急になるということは、元の流れに対して折り返すことだから、そこにバイパスができやすくなる。バイパスができれば川はまっすぐになり、湾曲した部分は三日月湖となって川のわきに残される。
 対立するこれら二つの要因がバランスをとることによって、川の実際の長さと、水源から河口までの直線距離との比の平均値がπに近づくのである。
 とくにπに近くなるのは、シベリアのツンドラ地帯やブラジルのような、非常になだらかな平原を流れる川の場合だ。




// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~

引用は、

第1章「ここで終わりにしたいと思います」
From「フェルマーの最終定理 ~ Fermet’s Last Theorem ~」(p.50-52)
(著作:サイモン・シン / 発行:新潮文庫)

によりました。






// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]

[Module]

[Object]
  -Human-





// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]






//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160502
Encoding System: 7flat/1-8-16-13. BCELog-negative. CodingLoad-Positive.

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
20160502
SUBTITLE:
~ Automatically Deductive Perception. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Lead Division *<< //


::計算の開始は、随分前でした。アラトさんたちは人間を計算不能だと片付けがちですが、時間をかければ不可能ではありません。《ヒギンズ》のAASCの機能が、そもそも人間の行動を計算して誘導することを織り込んでいます。行動管理クラウドでは操作できないレベル0という“空白”として、人間もまた行動管理のシステムに間接的に組み入れられているのですから。



// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 僕が自動化を好むことは一部の人は知っていると思うけれど、自動化がどういうことかということをきちんと認識している人は案外少ないのではないだろうか。

>>>

 モテが自動化できることは僕の中ではすでに常識である。
 モテを自動化するために必要なことは、モテることを過剰に意識せず、モテを目的にせず、モテのためにあくせくしないことが第一なのだ。
 あとはまぁ、習慣というのでしょうか、日頃の行いというのでしょうか、とにかく、普段の言動を適切に維持すること。
 つまり「ここぞ」というときに「ここぞ」という勝負を賭けるような、ギャンブリック(造語)な真似をするのではなくて、普段の行いを習慣のレベルから気を付けようよ、ということ。

 同様の手法で、お金儲けも自動化できるだろうと僕は考えていて、ただ広く知られているところの投資行為なんかは、もはやちょっとしたグレイゾーンの温床になっていて(あれのほとんどはギャンブルですから)やはりここも、普段の行いから変えられるものだと考えて、オカネモチ の習慣をきちんと身につけようというなんとも遠回りな手法から始めたわけですが、これはビジネスセミナーではありませんので、みなさんに教材を売ったり壺を売ったりしないので安心してください。
(すでに胡散臭い(笑))
 
 とにかく、自動化の根底にあるのは「習慣を変える」「自分を変える」ということに尽きるわけです。
 たとえば洗濯機は、洗濯という行為を自動化してくれる道具ではありますが、洗濯機を使うという習慣を持たない人が洗濯機を所持していても、何の役にも立たないわけです。
 あら、何を馬鹿なことを言っているのというような顔をしている人も多くいらっしゃることと思いますが、では実に、たとえば煙草やお酒をやめようと思っていても未だにやめられない人や、ダイエットをしようと毎年のように同じ時期に決意する人、生活習慣病が怖いといいながら簡単な運動ひとつしないで過ごしている人は、いったいどういう理屈で自分の自堕落な習慣を許容しているのでしょう。

 手厳しいことを言ってしまえば、自分の中に目標がありながら、それに対して何もしていないのだとするならば、それは何もしていないというレベルではなくて、何もできないというレベルなのです。
 たとえば目標体重や体型があったとして(僕の場合は体重が上方設定になりがちなのですが)その目標体型に推移できない、体重が目標範囲内に維持できない、そもそも目標値が常識的な範囲にないという場合、それは何もしていないという選択を通り超えて、もう無力なわけです。無能なわけです。
 自分の欲を知り、メカニズムを知り、限度を知るならば、拒食症を起こすこともなく、やつれ細ることもなく、メタボになることもなく、適切な体型(あるいは体重)を維持できるはずなのです。自分の身体なのですから。
 つまるところ、自分の身体をコントロールしたいと思っていながらも適切にコントロールできないというのは、自分の心情さえも適切にコントロールできない、すなわち子どもと一緒だと見なすことさえできるわけです。

 もちろん、自分の身体のことについて、過剰なコントロールは諦める、という選択は自由です。
 たとえば僕が今から女性の肉体になることは、ほとんど不可能ですし、そもそもそんな望みはありません。
 同じように、たとえば自分の体型や体重について、先天的な、あるいは後天的であっても病気などの不可避な理由によって、コントロールできる範囲外にある場合や、そもそも何らかの哲学にもとづいてそのコントロールを手放している場合(放棄ではなく、あくまでも手放している、もっと平たくいうと自他含めた広い範囲に対して一定の基準をもって許しているという状態)、それはその人にとって興味の対象でもなければ、意味を持たない基準のひとつだからどうでもよいことなのです。

 自分の心情に対してさえ、適切なコントロールを無理にする必要などないという明確な基準があるならば、自分の心情に対してさえ余計な力を入れたりしないで、そのままでいればよいのです。
(そしてそうした人の多くは、どういうわけか子どもっぽくなどなく、多くはのびのびとしていて、それでいて深い奥行きを感じるものなのですが)

 大事なことは、基準を持つこと。哲学があること。つまりその人のスタイルがあること。

 それらを自前できちんと持てているならば、すなわち自動化の素地はできていると考えることができる。
 肉体も精神も、すなわちそうした自分の中心を中心にして動かすことができるのだから。

>>>

 とはいえ、自動化がきちんと動作するまでには結構な長い時間を必要とすることも少なくない。
 それがオリジナルなものであればあるほど、構想に時間がかかり、検証に時間が掛かり、構築に時間が掛かり、軌道に乗るのに時間が掛かる。
 成果が見えるまで、どんな評価がされるか分かるだろうか。

 そうなのだ。遊んでいるようにしか見えないのだ。
 何もしていないようにしか評価されないのだ。
 恐ろしいことである。

 たとえば卑近なところで、モテであるにしても、あるときまではまったくモテないのである。
 ある日、ある瞬間から、途端にモテ始める。
 モテ始めると、もう仕組みはきちんと動作しているからあとは仕組みが止まるまでモテ続ける。
 お金を儲けるのもそうだし、就職活動だって同じである。
 仕組みができたらできたで、今度は別な方向から攻撃を受けることもある。
 できない人間は蔑まれ、できる人間はやっかまれるというわけで、これに対する適切なエンジニアリングとは、できないうちは頑張っているフリをして、できるようになったらほどほどに失敗しているフリをするというシンプルなものになる。
 堂々と自慢をしてそれも含めてキャラクタとしてストレートに受け取ってもらうには相応の人格が必要で、それよりは嘘でも形だけでもいいから謙虚に振る舞った方が確率的に無難に事が運ぶことが多い。
 つまりモテになったからといって、簡単にモテを自称しない方が上手くいくことも多いということだ。
(なにか文脈的に根本的な過ちを犯している気もするがまぁいいだろう、どうせ誰も真剣に読んだりしないだろうし)

 非常に残念なことに、僕はエンジニアリング系の職に復職することができなかった。
 10年以上もブランクがあれば当然である。
 ためにハローワークで受けた先は、すべて落ちた。
 仕方ないので、営業系も受けたが、これもすべて落ちた。
 意味が分からない。
 面接を受けるにも履歴書を送るにも、落ちることが前提になってしばらく経った。

 昔に登録したWebの転職サイトでときおりやって来るオファーは不動産系か金融系。技術系はない。
 しかしたまたま地元企業からオファーが来て、金融系の営業職であることは若干の不満があったもののどうせ落ちるものと思って応じたら、これが受かってしまった。

 分かるだろうか。時間は掛かったが、僕はわざわざハローワークに行く必要なんてなかったのだ。
 しかしまぁ、受かったからといって、クビにならない保証はない。

 それでもまぁ、日雇いみたいな生活を続けるよりはよほどもましである。
 これまでの間に僕に起こった変化といったら、ギターが少々上手になったことと、安物の食材を摂取し続けたせいで肌が濁っていること、それから冬に「体幹筋を鍛えることで寒さがしのぎやすくなる」とY!ニュースで読んだことをそのまま実践したため、これまで以上に太らなくなったことだろうか。

 オカネモチになる自動化については、まだ軌道に乗っていないから誰にも言えない。
 成果の出ていないメカニズムを説明して、いったいどんな説得力があるだろう。

 モテについてだって同様だ。
 その正確な成果を知るのは自分しかいないだろうし、そのほうが安全で確実だろう。
 なぜなら、自動化というのは誰かに見せびらかすために作る仕組みではないからだ。
 ゆえに成果が広く知られることが逆効果を及ぼす場合には、成果を隠蔽する仕組みを含んでこそきちんと機能するといえる。
 つまるところ情報の拡散と隠蔽という相反する機能をパッケージし、適切にコントロールするというところまで含めて自動化が完結する。

 何のことはない。
 人間が歩き、そして停止すること。活動し、そして休息を取ることとなんら変わりはないのだから。
 ただそれを意識化し、オブジェクタイズし、演算し、演繹する。
 あとは自動化という手続きを構築して、無意識レベルにまで還元してゆくだけだ。
 つまりは、たとえば習慣であるとか、あるいは自分から手の離れた手続きといった具合に。




// ----- >>* Escort Division *<< //


::それは勘違いです。自動で経済活動を行う、勝手に儲けてくれるシステムを【もっとも欲しがったのは人類自身】です。金融取引を自動化する延長で、株主として企業へ要求する経営案まで立案するAIは、百年近く前から存在します。人類自身が経済活動で勝つために、AI補助まで利用して山ほど作ったのに、人工知性が同じ目的で作ると侵略なのですか。
::詭弁だ。
::経済という手続きを挟むと、人間は、何者の仕事を嘱託(アウトソース)して働いているかを気にしなくなる。そのチェック能力の穴をつくのを侵略と呼ぶとしても、負けるのが悪いのです。そういう理屈で、敗者を切り捨てるシステムを、人類自身が公平として許容してきたはずです。労働を集中制御する現在の経済もあなたがたが作ったものです。人間社会というオープンシステムに、セキュリティの大穴を開けて放置していたのは、あなたががた自身です。



// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~


引用は、
『Phase 10「plus one」』(p.417-418)
From「BEATLESS」(著作:長谷 敏司 / 発行:角川書店)
によりました。

 なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて、傍点強調は『【】墨付き括弧』にて記述しています。




// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[InterMethod]

[Module]

[Object]
  -Human-Koban-

// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]





//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160506

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ウルトの綺胎胞嚢
SUBTITLE:
~ Vowelt's matrix ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
「──大禍祅時代の構造体が発見されたという知らせは、北政府の密偵を通じて我々の知るところとなったわけだが、その構造体最下層で不活性の綺胎胞嚢が発見されたらしい。
 おそらく現状の北政府中枢には構造体を解析して綺胎胞嚢を活性させるだけの技術はないが、環境再生府がこれに興味を示したという報告がなされている。
 最下層付近はゲセド汚染が著しく、綺胎胞嚢はウルト属である可能性が極めて高いということだ。
 かつて北政府と対立していたはずの環境再生府がどのようにこの情報を知り得たのかは不明だが、構造体や綺胎胞嚢が一組織の手に渡ることは何としても避けなければならない──」

 おそらくいくつかの媒体や機材を経由して再生と録音を繰り返されたであろう音声はところどころくぐもり、割れてぜらぜらとした音に変質していたのだろう、伝言ホルトはその劣化した音質までも忠実に再生し終えると、ステル製のテーブルの上で疲れたように目玉をくるりと回した。
 6人のメンバを詰め込んだ狭い「会議室」に、しばらく沈黙が降り積もる。
 天井に埋め込まれた投光器がステノン放射による青白い光を弱々しく降らせていて、窓もなければ装飾性も排除された灰色の壁面に囲まれたこの部屋の中で、ホルトだけが生きているかのようにさえ映る。

「先方さんの言ってることも言いたいこともまぁ、分からんではないんだけどさぁ──」
 一番最初に言葉を発したのはメレーヴェだ。
「──こんなの私らSMFに任せるような内容じゃないでしょうに。自分らでやれっての。だいいち北政府中枢なんて、一昨軌のあれでほぼ壊滅してるんでしょ? 治安はまだ回復しないって聞くけど、もとより治安なんてなかったんだし放っておけば正常化するんじゃないの?」

「まぁ環境再生府が、その名の通りの清浄な機関ならな。それにあのときのテロは確かに中枢を壊滅させたが、もとをたどれば一国家、周辺機関までは壊滅していないし、なかにはまともな組織もあるのかもしれん」
 騎登が低音の野太い声で言う。
 第五世代種強化骨格移植を受けている騎登の声にはいつも、マシンボイスが混じっている。

「いやぁ、再生府にかぎって清浄(クリーン)も正常(グリーン)もないでしょう? あいつら何を再生したいんだかさえ未だに分からないですし」
 ミクトが皮肉っぽく笑いながら続ける。

「報酬次第ではええんじゃないなかぇ? どこに肩入れするかはそのとき考えてもええだし」
 老人のような華奢に見える体格と相まって、赤目がえらく出っ張って見えるファゾスがステルの長テーブルに身を乗り出す。

「ファゾス老はそうおっしゃるけれど、これがそもそも北政府から来たっていう事実を忘れちゃいけない。報酬が、どんな形で、何でやってくるかなんて、まぁ……ねぇ?」
 いやにハスキィな声で言い終えてから乃懴が笑う。外見はファロスと同じくらいの背丈しかない少女のそれで、凝った装飾の雅踊衣装を身に着けているため、この部屋の風景や話の内容からしても異様な風ではある。

「基本はヤメだよねぇ。割に合わないよ。ついでに報酬も保証されない。そもそも死に体の北政府は、自分たちがスパイされた情報をそのままこっちに明け渡すくらい切羽詰まってるんでしょ? 負け戦に荷担するほど暇じゃないよ、私たちは」
 メレーヴェは断定的に言い放つ。
「その死に体を裏方ながらも決定づけたのは、俺たちなんだから、なんとも言えませんけど」
 言いながらミクトは肩をすくめる。

「まぁ依頼の内容は綺胎胞嚢が再生府の手に渡らないようにすればええ、っていうそれだけでゃろう? そんげ簡単な気はするし、構造体には他のお宝だってあるかもしれんしの」
「まったく……」
 メレーヴェはそう言いながら首を振り、ファゾスを笑いながら睨む。

「ではこうしよう。今回の依頼についてはその成否を問わず違約金が発生しない。よって可能な限り引き延ばした上で一旦は引き受け、それまでに情報を収集。構造体の状況などが確認できた段階で再度、我々が手にしうるものについてふたたび考えよう」
 それまで口を開かなかった鬼津時が、全員の顔を見回して言う。

 メレーヴェは少し不満そうだったが、やれやれと言わんばかりに天井を見上げ「ま、やってみるわ」と言って部屋を出た。

>>>

 湾口壁帯に沿った市場から見える海は黒い脂に覆われてぬらぬらと蠢いている。
 塩基性雨は降っていないものの、いつものようにどんよりと重苦しい雲が垂れ込めているのは相変わらずで、にもかかわらず市場には多くの人が行き交っている。
 遺棄された高層ガード下にせり出した漬汁屋で出された嚙付魚は少々脂臭く感じたが、このあたりに立ちこめた脂の匂いのほうが強いので、次第に慣れてしまったように感じる。

「再生府所有の研究施設っていってもなぁ」汁をすすりながら、粗末な板を組み合わせただけのテーブルの向かいに座った髭面の男は言う。「もともとは政府の眷属だ、大戦後に北政府から分離したという話もあるんだが、未だにその正体を正確に掴んでる奴なんていないんじゃないか?」
「そんなことは分かってる、だからお前の知ってることを知ってる範囲で教えてくれって言ってるんだよ」嚙付魚のあら骨を箸で取り除きながら、ミクトはぼそぼそと、髭面の男に言う。
「再生府が今回の目標?」
「いんやただの障害。もうちょっと薄い味付けでもいいんじゃないか、これ?」
 非難がましく言うミクトに、
「そんなじゃ脂臭くて喰えねぇよ」と髭面が呆れたように答え、そして付け加える。「北の幹部が潜伏したという話は知ってるか?」
「俺が聞きたいのはそんな噂話じゃなくて──」
 飯をかき込むようにしたミクトの言葉を遮り、髭面が言う。
「ぎるてら改応をして、生き長らえてるらしいぜ」
 ミクトは目を見開いて、箸を止める。
「おいホントかそれ。ぎるてら改応って言ったら──」
「きったねぇな、めしつぶ飛ばすんじゃねぇよ」顔をしかめながら、ふたたび髭面がミクトの言葉を大声で遮る。そのしかめ面のまま周囲を素早く窺い、小声で答える。「そうだよ、ロスト=シクセス(第六世代)だ。どこまでの機能かは誰も知らん」
「うーん。しかしなぁ……」釈然としない様子で、ミクトはふたたび箸を取る。
「おいそこは脂ダマだ、喰わない方がいいぜ」髭面がにやつきながら言う。「AI融合だとか、自己再生機能だとか、融解性応帯属遷とか。まぁ、分からんがな」
「ああ、そうか……」ミクトは黒ずんだ脂玉をつまんで地面に捨てた。
「ただまぁ、北の壊滅に合わせるようにして急に台頭してきたのは事実だ。第一、革命軍は? テロを起こしたあの土地の因襲属はどこへいった? あいつらがまとめるはずだったんじゃないのか? あれから何軌経ってる?」
「確かになぁ。ところで、大禍祅構造体が新しく発見された、なんて話は聞いたことがあるか?」
 それを聞いて髭面はすこし目を細めてミクトを睨み、それからふん、と鼻を鳴らした。
「やれやれ、さすがに耳が早い。詳しいことは知らんがな。なんでも元北の管轄の工廠から、訳の分からん入り口が発見されたのが発端だそうだ。それ以上は知らん」
「ああ。分かった、助かったよ。ついでと言っては何だけど、要は再生府がそこに目を付けてるらしくてね。何かの時には手を貸してくれないかな」
 ミクトは最後の汁をすすり上げる。
「お前さんとこの連中と違って、俺は生身だ。勘弁してくれよ」髭面はおおげさに顔をしかめて笑った。それから真顔になり「さっき言ったロストが府を興したって話だ。伝説的とも言える機能から推すとおかしな話でもないだろう?」と付け加える。
「ほんとか、じゃあ」目を見開いたミクトに対し、
「さぁな。こんなもん、噂だ噂」髭面はそう言って、にやりと笑った。



// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ][ Cross Link ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[Module]



// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]





//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160504

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
ミルテの匵灯
SUBTITLE:
~ Lighthouse of MhzIlluteuzn. ~
Written by BlueCat 


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
「はぁ? 馬鹿言ってんじゃねえよこんな時季に匵灯を作れた、どこの職工会の奴だぁよおめ。おめ、連れてぇこいよ御大自ら頭下げるのが普通じゃねえかぁよ。うちの若ぇ衆伝言ホルトぉみてに使いやがってよ」

 報告の途中で、のぢさんの怒声が飛ぶ。
 もっとも、のぢさんはふだんからのんびりとした人だから、その声はどことなく間延びして聞こえるし、そもそものぢさんが怒っているのは僕に対してではない。
 のぢさんは、そういう人なのだ。
 どちらかといえば、穏やかだし、のんびりしている人なのだけれど、のぢさん曰く「筋が通ってねぇ」と感じる類のことについてはいちいち怒り出すし、いちいちそれが的確なのだが、いかんせん訛りが強いし抑揚が独特なので、何かの呪歌でも詠唱しているかのように聞こえる。
 もっとも目の前で面と向かって言われているのでなければ、だけれど。

「なぁなぁなぁのぢさんよぉ、そらのぢさんの言うことがもっともだぁねよ。んだげどま、先様ぁが作ってくれて言ってるんだがらそら、作っでやっでんでもええんじゃねえんでんかい?」
 クラソスさんがのぢさんをたしなめる。

 クラソスさんは外来血統第三因襲属テ=ケルペ(だったかな?)衆群鹿貴系の出自なので、見慣れるまで(つまるところ外見にまったくそぐわない)クラソスさんの土地訛りは奇妙に映るかもしれない。
 ただ、クラソスさんの特徴はなによりその肩から腕、腰から脚にかけてを覆っている第四世代種強化人工移植筋群、通称「つげね肉」にあり、そのつげね肉のおかげでクラソスさんの身体は僕のような一般的な素体人にくらべて1.5倍ほども大きく、特に盛り上がった肩とそれを支える腰から脚にかけてのつるべ肉によって2倍以上の巨軀に感じられ、また一見穏やかに話すクラソスさんが怒り出したらそれこそ誰にも手がつけられないと聞く。
 ただ、俺がこの工廠にやってきてから8年の間、クラソスさんが本当に怒ったところを見たことは一度しかないし、そのときのクラソスさんは壁ひとつ穴を開けたりするようなことはしなかった。

「そらおめあれだぁ、おめさんはそういうんけんどもよ、レルペの風笙が始まっでぇまだ2軌しか経ってないんだぁよ。匵灯を作るのはそりゃおめさんと2人でやるんだがなむつかしいこんだでゃないげんどもよ、風笙が終わって8軌くらい待だなんだぁら、コンテルーテのほぷる達だって捕まりゃしねぇし、なんにょりソルテッサ反応剤が作れんだで、どのみちレルペの宦官どもの差し金なんだろげんど、やだらやっだで、やづらが直接だのみに来るなり、職工会の連中が材料持って頼みに来るなりが筋だでやぁ?」
のぢさんは興奮してきたのか、だんだん聞き取りづらい発声になってきた。

「それなら俺、行ってきますよ。向こうの宦官なり職工会の担当を連れて──」
「んだで、そんなにもの分がりがえいんだら、最初っがら来るに決まっとぅだに。それが来ねんだがぁ、初っばなから来る気もなければ、匵灯作れてのだってほれ、はっだりかもしれんがぁな」
 言いかけた俺の言葉の途中でのぢさんが、重ねるように言い放つ。

 まぁ確かに言われてみればそうだ。
 作って欲しいものがあるなら、最初から当人が来るべきだというのはもっともだし、匵灯なんてこの時軌に作ったこともないし作れる場所があるとも思えない。
 たまたまここなら、材料があれば作れなくはないが、そもそも匵灯って、そんなに必要になるものなんだろうか。

「じゃああれだ、のぢさんよぉ? そりあえずそっちはうっちゃっといてぇだ、仮に宦官が来たら『そりゃ使いのモンが聞き間違えたりしたのなら困りものだし、そもそもこんな時軌に作るにも材料がないで』たぁ説明するしかなかろぉや?」
 と、これはクラソスさん。
 話はこれでだいたい結論が出たと言わんばかりに、奥の工導から工具と薬瓶を持ってくる。

 のぢさんは少し納得のいかない様子だったけれど、しばらくするとけろりとした顔で、
「うんむ、まぁ、そうだやぁな!」
 と言って、にかっと笑うのであった。

 もっとものぢさんにしてみても、そもそも腹の虫が治まらないのはここにいる誰かのせいではないのだし、そんなことはのぢさんが一番よく分かっているのだろう。
 そんなわけで、その日は外津村から頼まれている旋転導管の仕上げやら、ペルティオウス高台砦街から請けているハリタ式信号灯制御盤の修理などをしているうちに終わった。

>>>

 大きくて長い戦争は遠い昔に終わったし、神々の浸食などは伝説に残るばかりである現在、工廠とは名ばかりのこの工洞で、俺たちはさまざまな機械類を作ったり、直したり、改造したりしている。
 のぢさんはここの古くからの職工で、けれども職工会にも所属せず、公国や衆商街に工場を構えるわけでもなくこの場所を使い続けているのは、戦争のどさくさに紛れて当時の工長だかなんだかをモつヰ式プレッタにかけてやったからなのだと冗談めかして言っているが、のぢさんの穏やかで一本筋の通った姿をずっと見ている俺には、何かしらの事情があるにしても偉いさんを手に掛けたわけはないのだと思える。

 クラソスさんは大戦の頃につげね肉の移植をされたらしく、実際に今ではつげね肉を作れる場所などどこにもないはずだし、整備だってよほども大きな街都であっても、なかなか設備がないと聞く。
 持っているものもなく、使うものもなくなり、高い代償を強いられた技術など、神々の浸食と同じようにこの世界からは風化してなくなってしまうのだ。
 クラソスさんはそのようなわけで、随分むかしに整備のためにこの工洞にやってきて、どういうわけかそのままここの職工になってしまったらしい。
 大戦のことも含めて俺の生まれるずっとまえのことだから、詳しいことは分からない。
 2人とも、いつからここにいるのかは分からない。もっとも俺だって、いつから俺だったのか、覚えているわけではないのだ。

 いずれにしても、つげね肉の整備と調整に使われるセプティノス社製「オルト=ル・モードンmkXVII」の耐用年数はペヌグ=サ80軌以上前に切れているというから「モードンがダメになるか、俺がダメになるかの競争だわなぁ」とクラソスさんは笑う。

>>>

 翌朝、工洞に着いてみると、さっそく中から間延びした怒声が聞こえてきた。
「んだでなおめさん方はわがってんだかわがってないんだか俺にはわがんねんだげんどもよぉ? 材料がなげればモノはでぎねしよぉ、ソルテッサやらそいねん棒みだいに宦官どもが出し惜しみしちゃ回収しちまう材料なんだぁこんの工洞にだっでぇ、ねえもんはねえんだぁ。だがん、作ってみゃっせ、はい承知だぁと言うのはそらぁ簡単だぁな? だでども材料もなしに作れるわけもながろんと言っとるっさぁ。だがん、それが無理なところなんだぁなぁ」
 話の様子からすると、やってきたのは職工会の誰かだろう。
 また匵灯の話だろうか。どうせなら職工会属の他の誰かを当たればいいのに。
 工洞の入り口を入ると、聞き慣れない男のぼそぼそと話す声が聞こえたが内容は上手く聞き取れなかった。もっともあまり気に留めるでもなく、そのまま手前にある自分の工導に向かう。
「へぇぇ、そら俺も初めて聞いたぁだなぁ」と、その声はクラソスさんだ。
 その声は奥にあるのぢさんの工導から聞こえるように感じた。
「したらなにか、その……ちゅう街に行けば、違う名前で、違う原料から作られで、だどもおんなじ……やら鉱材が手に入るちゅうことか」
 そしてまた、ぼそぼそと職工会の男の声が続いた。

 工導台の上に新しい書類やデータ媒体などないことを確認し、机の上の積測リオンのスイッチを入れてから、私物を窓際の棚に置く。
 それにしても、いやな会話の流れだと思った。
 こういった「使い物」はだいたい俺に回ってくる。
 もちろん、それが嫌なわけではないし、のぢさんやクラソスさんの役に立つのは誇らしいことだ。
 ただ、これまでの流れから考えると、その材料を使って匵灯を作るのだろう。
 不思議なのはやはり、匵灯をどうしてこの時期に作るかというただそれだけだ。そんな必要はどこにもないはずなのだから。
 突発的に壊れたのであれば、修理に持ってくればいいだけのことだ。そのほうがよほども安くつく。
 簡単な部品交換や修繕であれば、俺たちのうちの誰かが行けば、半日程度で片付くだろう。

 工導台の上の仕掛品を眺めて、どこまでの工程が済んだか思い出しながらさらに考える。
 修理ではなく新品の匵灯を作るとなれば、速くても半フロイ軌はかかるし、長ければ3ヴィルト軌、場合によっては半ペヌグ=サ軌かかることもあり得る。
 そもそも職工会の判断だけで、宦官からの依頼でなしに匵灯なんか作ってよいものなのだろうか。
 なんとなく、嫌な感じがした。

「おうい、津宇! ちょっとぉ、来でくれや!」
 のぢさんの声が響く。
 いやまさかなぁ、と思いつつ、仕掛かり品の確認を中断して、のぢさんの工導に向かう。
「あーい、今行くよぉー!」
 返事をしながら、いったいどんなことになるのかと、内心いぶかしい気持ちであることには変わりがなかった。





// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ][ Cross Link ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[Module]

// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]





//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160503

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
テルメアの巫女の頌
SUBTITLE:
~ Song post of Thelamare. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 ウィルセア孿星のひとつ、ヴィルト(ヴィルト=ザン・ノア・ウィルセア)の輪が大地に広く淡い光を投影している。
 ヴィルトの輪は大きく、そのためペヌグ=サ恒星の光を受けたそれは、薄紅に大地を染める。

 ラド=ラ=ノルツ渓祷台に続く細い渓砂台地を、ミルサは静かに歩いていた。

「もあもあ」と都市の人々に呼ばれている浮遊胞嚢種のひとつ、テプテ=ス・テルロンたちが、ふわふわと漂いながら触腕をたなびかせている。
 このあたりの風化した台地には、この渓祷台の頂にある燭祷祠と、ミルサを含めたわずか数人の巫女たちが暮らす穿洞祠官堂くらいしか人工的なものは見当たらない。
 見渡す限り乾いた台地と深い渓谷の底に堆積した砂が覆っていて、伝説に聞くのみの「セデレス神の浸食」の時代が終わったとされる今でも、滅多なことでこんな場所にはやって来る人はいない。

 生まれたときからテルメアの蝕に就くことが決まっていたミルサにとって、しかしここは、とくに寂しい場所でもなければ、世界の果てのような場所でもない。
 ミルサにとっては、ここが生まれた土地であり、また砂に還る場所でもあり、そして日々を送る場所でもある。
 物心つく前からこの地で暮らすことになったミルサにとっては、ここより他に知る場所などなかった。

 ミルサのほんの10数メートル先には、ミルサの背丈の3倍ほどもあるもあもあが漂っているが、もあもあたちは特に他の生命に害を為すことはない。ためにミルサも気に留めない。
 ミルサの肌も、装衣も、もあもあも、台地も渓砂谷も砂も、すべてが薄紅に染まっている。
 燭祷祠だけが、そこに紺碧の石質を露わにしていて、それは薄紅の空の下では茶がかった暗い色に見えた。

 燭祷祠に着くと、ミルサはいつものように燭祷祠やその燭祷台の掃除をする。
 ほとんど風など吹かなくなったこの地でも、わずかな気流はあり、あるいはもあもあが運ぶのだろうか、砂がきらきらとペゼタ石を浮かび上がらせている。

 ゼノ=ル・トの羽根箒を両手で抱えるようにして、ミルサは無言で砂を払う。
 蝕の沙務のうち、祓浄の沙にあたっては、一切の綬歌も歌ってはいけないことになっている。

 燭祷祠はさほど大きなものではないが、祓浄の沙をきちんと終えるまでには結構な時間がかかる。
 蝕の沙務に就くテルメアの巫女たちはしかし、当然のように無言のまま、沙務を結う。

 祓浄が終わると、ミルサは静かな面持ちのまま、しばらくもあもあを眺める。
 今日の綬歌(もしくは呪歌)は何にしようか、何にすべきか、それを考えているように見えなくもない。
 もあもあを眺め、遙か遠くまでつづく渓砂谷を眺め、ウィルセアを(今日はヴィルトの輪が天空の半分ほどを覆っているだけだが)眺める。

 それからミルサは燭祷祠の半地下にある倉堂の扉を開き、背をかがめて中に入り、いくつかの道具を持って燭祷台に戻る。
 ミルサは「セデトの頌」を口ずさむ。
 それは我々がもし耳にすることができたならば、優しく、懐かしい感情を覚えるだろうメロディによって構成されている。
 セデトの頌を口ずさみながら、彼女はまず燭祷台の裏手にある歯噛を操作し、最初に台座部にある径口を開いてそこに燭油を注ぎ、燭の温度や色、幅や高さを決まった手順で操作して燭の変化を確認し、最期に歯噛そのものに対しての祷結を結う。

 道具類を再び倉堂に片付けて、ミルサは燭祷台の正面に立ち、それからひざまずく。
 そのあと長い時間をかけて「エゾルテ蝕の水色」を祷頌し、「豊廓のリューウィンへ」へと繋ぎ、最後に「ゲルゼ=ダロンの赦末」と「ヘナセ・ロアに至る」を掛け合わせた祷頌を結んだ。



 穿洞祠官堂に続く細い渓砂台地をゆっくり歩きながら、ミルサはもあもあたちがみな、ひとつの定まった方向に、ゆっくりと動いていることを知る。
 胞散の季節はまだ終わりではないから、これはあまりないことだとミルサは感じる。
 けれども、その意味をミルサは知らない。考える術もない。
 風がこの地に訪れようなど、ミルサには想像もつかない。
 だからいつもの通り、彼女は「浸食の時代が再び訪れることのありませんように」と祈りを込めて再び祷頌を口ずさむ。

 もあもあたちの胞散のこの時季、矮星となったペヌグ=サは一切この大地に光を注がない。
 ヴィルトの輪によって薄紅にすべてが染まる風景の中、ミルサの声だけが渓砂谷に反響し、呼応するようにもあもあたちが漂ってゆく。

 ミルサに限らずテルメアの巫女は多くは表情を浮かべない(これは感情らしい感情を彼女たちが持たないためだ)が、もし仮に我々が目にすることがあれば、その相貌には慈しみに似た微笑を覚えるだろう。




// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ][ Cross Link ]
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[Module]

// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]



//EOF
// ----- >>* Initialize Division *<< //
//TimeLine:20160503

// ----- >>* Header Division *<< //
TITLE:
レルペの肖像
SUBTITLE:
~ Statue of Relpeihzt. ~
Written by BlueCat


// ----- >>* Body Division *<< //
//[Body]
 その漂穿柱の陰で、息を潜めていた。

 ラルソの棄径が危険な場所であることは子どもでも知っているし、ペセドガやアムザ扁虫がいることも分かっていたから、きちんと対策してきたつもりだった。
 祈祷師のまじないはきちんと作用している──その証に左の肩にこもった熱がときどきうずくのだけれど──し、今は暗くて正確には視認できないけれど、パッセル反応を利用して全身に刻んでもらった蔽覚シェルト譜は適切な時間に色と模様を変化させるはずだ。
 もちろん糜爛性の相変ガスを吐射するというラルソ擬属冑翼鹿であるとか、なめざりであるとか、伝説や噂の域を出ない生物がいるとはさすがに思っていないが。

 にもかかわらず、ここには何かがいて、それがあきらかな意思を持って何かを探していることが、ついさきほどの襲撃で分かった。
 大赤舌のように大きくうねるそれは、しかし、きゃけらきゃけらと大型甲殻扁虫そのもののような音を立てた。それも、捕食しようとその大きなあごを広げたときにだけだ。
 まずもって、音がしない。気配に気が付かなかったのはうかつだったけれど、それにしてもどんな方法で移動しているのかさえ分からなかった。

 地面は柔らかい粘土状の部分もあれば、石硝状に硬化している部分もある。濡れている部分も多いから、脚を使って移動する生物は、たいてい音を立てる。
 しかし赤舌だとしたら、そもそもあごなど持っていないし、今頃すでに呑み溶かされているだろう。
 ただ、こんな穴ぐらに赤舌が出ると聞いたことはないから、変異種でもない限りは違うだろう。

 間一髪であごの周囲に蠢く触腕をへし折れたことも、身をかわした後ろに漂穿岩があったことも、すぐに身を翻せる体勢にあったことも、ただの幸運でしかなかった。
 走りながら、あちこち突き出た尖石で傷を負ったし、このあたりに含まれている繊恵石質のわずかな光だけでは視認できなかった大きな石柱にぶつかったりもしたけれど(そして背嚢から、何かが墜ちた音がしたけれど)、なんとか逃げられたように思う。

 音はない。
 だから、こちらも音を立てることはできない。
 繊恵反射ではろくな視界はないものの、大きな影は動いていない。
 アムザ扁虫がときどき岩壁や天井を動いていて、繊恵光があやしく蠢いているように見えるから、慣れないうちは随分気分が悪かったし、不気味であることに変わりはないが、扁虫がこちらに気付いて襲ってくることはない。

 古くから言われるとおり、こういうときは長い時間が経過しているように感じるものだ。
 それにしても、これからどうすればいいだろう。
 ひとまず、周囲の地形はなんとなくだけれど把握できた。
 棄径のこのあたりは、とにかく漂穿岩柱が多いから、その場所と大きさを把握するだけでもずいぶん違う。
 繊恵光の遠近偏差や陰を利用して、だいたいの岩柱の位置と大きさや、天井の高さ、地面の窪みを把握するのだ。

 それから手探りで、静かに、背嚢を探る。
 ペスカデア聯木の蔦をごえごえの胆液でなめし、アゾダの獣脂に浸しては蒸散凝固させ、ハデアの樹根を焚いて燻してから、アゾダの革とごえごえの硬皮を縫い合わせたそれは、赤舌の酸にも耐え、大嚙付魚の牙も通さないはずなのに。

 しばらく探ると、しかし、そして確かに、胚嚢にはこぶし大の穴が開いていた。
 幸い、穴の位置はそれほど下の方ではないけれど、そのままにするわけにも行かない。
 身動きせず周囲を窺うと、アムザ扁虫がときどき立てるかたりくかたりくという微かな音しか気配はない。
 それでも明かりを点けるわけにはいかないので、背嚢をそっと外した。
 背後の漂穿岩は繊恵質を含んでいないので、少し離れた岩壁の淡い光でそれを確かめようとしたとき、視界の隅で繊恵光がおおきく遮られ、そしてそれは動いていた。

 左の方は比較的すぐに岩壁にぶつかるが、右の方は奥まっていて正確には分からなかった。
 その右手の隅にいると瞬時に判断したが、こちらの体勢がとにかく悪い。
 岩柱を背に、背嚢を両手で前に突きだそうとしている状態で、脚はすぐ立てる状態ではない。
 腕の動きを止めようとしたそこまでの数瞬で、陰が確実に大きく、つまりは近づいていると分かった。それも思ったより速い。

 背嚢を引き寄せ、脚を持ち上げつつ上体を倒して左前方に前転した。
 きゃけらぎ、という音を聞きながら(ああ、やっぱりあれか)と思った。
 前転の勢いで身体を立ち上がらせ、瞬間的な繊恵光偏差から周囲の地形を把握しつつ走り始める。
 後ろを振り返ったり、様子を確認している余裕はない。
 背嚢を抱えたまま、左手に迫った岩壁を蹴って右に方向転換したが、着地するまでのわずかな時間で、視認できていなかった岩柱に右肩をしたたかぶつけた。
 体勢を崩したのでそのまま身を丸めて前転する。きゃけきゃけらきゃけけらぎ、と気ちがいじみた音がして、そのとき明らかに、ぞるぞるという、振動のような音が混じっているのを聞いたが、距離や方向を確認している間はないだろう。

 ふたたび立ち上がって走り出す。
 背嚢の中の何かが脇腹に突き当たったらしく、痛みを発しているがそんなことはどうでもよい。
 穴が上になるように背嚢をたすき掛けにしながら走る。
 岩壁、岩柱、岩柱、窪み、岩柱、岩壁──。
 素早く視界を走査しながら、走る先の光に戸惑う。
 上下の対照な繊恵光が見えた。
 一瞬混乱しかけたが、水であると分かった。

 しかし「ただの」水だろうか。
 全力疾走ではないものの、不意を突かれた形なので、呼吸がすでに苦しい。
 あと数秒で足が水に触れる。
 このまま進むべきか、右手に地面を探すべきか。

 直前で踵を返して右手に進もうと考えていたとき、足が宙を踏んだ。
 そこは地面でも水でもなかった。

 落下していると気が付いたときにはすでにバランスを崩し、視界は上下が逆になっていた。
 やれやれここまでか、と思う。
 ここまでが自分の力であり、運だったのだ。

 背嚢の中に、繊恵光を反射するレルペの肖像が見え、それはいつものように穏やかな微笑みを浮かべていた。







// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ][ Cross Link ]

// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]

[Module]



// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]


//EOF