パートから社長になった坂本玖実子の「雨のち晴れ」ブログ -7ページ目

パートから社長になった坂本玖実子の「雨のち晴れ」ブログ

株式会社クラスモア 代表取締役 坂本玖実子 公式ブログ

今までとはまったく違ったお客様の反応に
私はキツネにつままれたような気分でした。

それからはドアを開けてくれる方が増え、
顔を合わせるとほとんどの方が、家の中まで上げてくれました。

楽しく会話しているだけなのに
商品が面白いように売れます。




売ることを考えず、
ただ役立つことだけに集中する


自分のしたことはただそれだけのことでした。

何か特別なスキルを使ったわけではありません。
応酬話法などの話術を取り入れたわけでもありません。
ただ、心の持ち方を変えただけ。

とても単純で簡単な、言うなれば、
誰でも直ぐにできること。

なのに結果が大きく違う。


売るのをやめれば売れる・・・
セールスとはなんと不思議な世界でしょう。


『私、今後いっさい売ろうとすることをやめよう。
どんなに売上数字に困っても、
お客様の役に立つことだけに徹するんだ。

もし、数字に追われて、自分本位に売ろうとしたら
またこれまでの自分に逆戻りしてしまう。
あんな辛い思いはもう二度と嫌だ。
だから、もう絶対にこのやり方しかやらない。』

そう決めました。


実は、子どもの頃から根気のない性格です。
そろばん、習字、ピアノなどの習いごとも、自分から
やりたいと言いだしたのに半年と続かない、
「継続」が苦手な私。




でも、この時は絶対やり続けると、固く決心しました。

そういえば・・・
根気がなく大人しかったけれど、
時々‟これ“と思ったことは、
親や先生に何と言われようとも、
自分の立場がどんなに不利になろうとも、
ガンとして考えを曲げない、

そんな周りが手を焼くほど頑固な面も持ち合わせていました。
その頑固さが営業では功を奏したのかもしれません。




売ろうとせずに、役に立つことに徹する営業法。
後に「こころの営業メソッド」と名付ける
営業法が、私の人生を大きく変えていくことを
その時はまだ知りませんでした。


・・・・・・・・明日はさらに売れるようになるために
取り組んだことをお話します。また読んでくださいね虹



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『私、もう売ろうとするのはやめよう。
売ろうとするのではなく、
マザー・テレサのように、目の前の人の役にたつ事だけに徹しよう!』

そう心に誓った翌日、
私はいつものように1軒の見知らぬお宅の前に立ちました。
でも、相変わらず震えています。

『震えていてはダメ!どうどうと自信を持って話さなくちゃ』

震えを止めるために、目をつぶりイメージしました。




『ドアの向こうにお肌にずっと悩んでいる方がいる。
いろいろな化粧品を使っても肌に合わなくて困っている。
私がぴったりの化粧品をお勧めして、
その方のお肌はツルツルにきれいになる。』

具体的に様子を思い浮かべ、イメージをもっと膨らませます。

『その方は私に向って、
  坂本さんに会えてよかったわ。
  あなたのお陰で肌がこんなにきれいになれた、
  ありがとう
そう笑顔で言ってくださる』

と、感謝されているところまでイメージしました。

すると、
『よし! 伝えなきゃ!!
私が伝えなければ、ドアの向こうにいる方はずっとお肌に
悩み続けることになる。私が伝えなくて誰が伝えるの!
お役に立たなくちゃ!』


身体の奥から使命感のようなものが湧きあがってきて
震えが止まりました。

そして初めてインターホンを力強く押すことができました。

ピンポ~ン!!

奥から「はーい」と声がしました。

「こんにちは~!!
この辺りを回ってます、化粧品会社の者です。
皆様に試供品をお渡ししています。
お使いになってみませんか?」


どうどうと大きな声を出しました。


すると「は~い、ちょっとお待ちください」
と明るい声が聞こえ、ドアが開きました。


今まではドアが開くと一方的にベラベラ、ベラベラと
話したいことだけを話していましたが、
この時は違っていました。


ドアを開けてくださったことに感謝しながら、

『この方は、どんなことにお困りなのだろう?
どうしたらこの方をお幸せにできるのだろう?』

という思いでいますので、自然と質問が出てきます。

「今、どのようなモノをお使いですか?」
「その化粧品のどういうところが気にいっているのですか?」
「もっとこうなりたいという希望はありますか?」

するとお客様は警戒心をまったく見せずに笑顔で答えてくださいます。
そして、

「あの、良かったら、中で話を聞かせてください」

と、なんとリビングでお茶とお菓子まで出してくださいました。




楽しく会話しているうちに自然と商品が売れました。
次のアポイントも難なく取れました。


そのお宅を出たときに、私の心は温かく、
何とも言えない充実感がありました。

売れたことより、お役に立てた喜びでいっぱいでした。



・・・・・・・・明日も、また読んでくださいね虹



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『マザー・テレサのようになりたい』

幼いころからの強い思いです。
マザー・テレサのように人の役に立つ存在に、いつかなりたい・・・
ずっとそう願って生きてきました。




なぜかというと・・・

『自分は生まれてきてはいけない存在なんだ』

と子供の頃から思っていたからなのです。

両親は、私が生まれてすぐに離婚しました。
私が男の子だったら離婚しなかったと、母に聞かされて
幼心に大変なショックを受け、コンプレックスの塊になりました。

生きるのが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

でも、そんな自分でも
『生まれてきて良かったんだ』
と思えるようになりたいという気持ちもありました。

マザー・テレサのことを牧師さんから聞いたときに

私もマザーテレサのように人の役に立つ存在になりたい。
人の役に立てれば、
こんな私でも『生まれてきてよかったんだ』
と自分を認められる。
だから、いつか人の役に立つ存在になりたい。

神様に祈るような気持ちでした。





飛込みセールスで成績最下位、
「つらい、嫌だ、辞めたい」と
毎日泣きながら仕事をしていましたが、
この状況を何とか変えなくてはと真剣に考えて

『私、もっと自分に自信を持たなくては』と気がついたことは
昨日、書きました。
断られるのが怖くて震えながら話をしていましたが、
震えていたら商品に自信がないと思われてしまう。

自信を持つためにはどうしたらいいんだろう・・・

私は不器用だから、演技で自信のあるふりはできません。


どうしたら本当に自信をもってお客様の前に立てるんだろう・・
と考えていたときに突然ひらめいたのです。

『そうだ、この仕事を通じて、人の役にたつ存在になれるんじゃないか』

私の扱っている商品は品質もよく品数も豊富、
肌に合わなかったら使用済みでも返品ができる良心的な仕組みでした。

『そうよ、この仕事を通じて私、人の役に立てるじゃないの!
幼いころからの願いをこの仕事を通じて叶えられるじゃないの!』

そう思ったら、身体の奥の方から
ワァ~~~~!!と力強いエネルギーのようなものが沸き上がってきました。

今まで感じたことのない感覚です。

このエネルギーを使ったら、きっと苦手な営業も自信をもってできる!




そうだ私、もう売ろうとするのはやめよう。
売ろうとするのではなく、
マザーテレサのように目の前の人の役にたつことだけに徹しよう!

そう自分に言い聞かせました。
ますますエネルギーが強く湧き出てきます。


生まれて初めて営業という仕事にやる気が生まれた瞬間でした。


・・・・明日からは快進撃(?)が始まります。また読んでくださいね虹



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化粧品の飛込みセールスになって3カ月が過ぎても、
商品はほとんど売れずに冷たく断られる日々が続きました。

本当に惨めでした。

結婚していた頃は、
物質的に恵まれた生活で周りからチヤホヤされていました。
それは夫の働きのお陰なのに、
自分が偉いと勘違いした私は天狗になっていました。
きっと鼻持ちならない嫌味な女だったことでしょう。

しかし、離婚して飛込みセールスになると、
その高くなった鼻をバキン!とへし折られました。

疎まれ、邪魔にされ、時には野良犬のような扱いをされて
自分がたいしたことのない存在だということを思い知らされました。
今になれば、良い経験だったと分かります、
謙虚さを取り戻したのですから。
しかし、その頃はそんなことは分からずに、
辛い辛いと負のスパイラルにハマっていました。




私の仕事は担当現場に直行直帰で、月に1回出社すればよかったので
サボろうと思えばサボれます。

でも、サボればさらに自己嫌悪でつらくなることは目に見えていました。

誰に管理されるわけではありませんが、
毎朝、子供をを保育園に連れて行ってから
担当地域に9時には入り、夕方5時まで営業し続けました。


所属してたブロックには、先輩が36名いましたが、
私の営業成績は37位で最下位。ビリでした。

私より売れない人は誰もいませんでした。


朝、起きると
「あ~、仕事に行きたくない・・・」

気持ちはドヨーンと重く、つらくて涙が出てきます。




毎日泣きながら仕事をしていました。

ところが、突然様子が変わり売れ始めます。
それはほんの些細な‟ヒラメキ“からでした。



ある日、真剣に考えました。

『働く時間は一日の大半を占めるのに、
毎日、嫌だ嫌だ、つらいつらいと仕事をしていたら、
人生がもったいないじゃないの。

私、こんな日々を送るために離婚したんじゃない。
もっと自分の人生を輝かせるために家を出たんじゃないの。
この状況、何とか変えなくちゃ!!」

この状況変えなくちゃ。いつまでもこんなことしていたくない!

どうしたらお客さまはドアを開けてくれるんだろう・・・

どんな声がインターホンから聞こえてきたらドアを開けてみようと思うんだろう・・・

どんな営業担当だったら話を聞いてみようと思うんだろう・・・

どんな人からだったら買ってもいいと思ってもらえるんだろう・・・


なかなか答えが見つかりませんでしたが、
自分が専業主婦のときのことを思い出してみました。

自分も飛込みセールスが来たときは、
ドアも開けずに断ることがほとんどでした。
でも時々、それこそ1年に1回位はドアを開けてみようと
思わせる営業担当がいました。

あの時の営業担当がどんな態度で、どんな言動をしたのか・・・
何人かの人を思い出してみると、共通点がありました。




そしてやっと気がついたのです。

『あ~、私の今までのやり方はぜんぶ間違っていたな』と。

緊張して震えながらインターホン越しに話をしていました。
震えてるということは自信のなさの表れです。

自信がない、すなわち商品に自信がないと思われます。
そんな商品の話を誰が聞こうと思うでしょう。

それから人は、震えたりオドオドしている人に対して、
いじめたくなるような心理が働くこともあります。
もちろん、そんな人ばかりではありませんが、
けっして少なくないと思います。

正直、私も営業マンにそんな意地悪な心理が
働くことがありました。


まずは震えながら話すのをやめなくては。

インターホン越しに、
大きく元気な声で、どうどうと自信を持って話さなくては。

私は不器用だから嘘でどうどうとしようとしても
うまくいかない、
本当に自信を持つためにはどうしたらいいんだろう・・・


そして直後に閃いた些細な”考え方“が
私の営業人生を大きく変えていくことになります。


長くなってしまったので、また明日に続きます。
また読んでくださいね虹



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一方的に話したいことだけを話す

それが1番嫌われる営業の姿であることも分からずに
ドアが開くたびに同じことを繰り返していたある日

ついに、話を聞いてくれて
商品を買ってくださる方が現れました。




古くて小さな一戸建てに住む
おとなしい主婦の方でした。


そのお客さまの顔を今でも覚えています。
理由は2つあります。

1つは忘れられないほど嬉しかったこと、

もう1つは1回だけのお客さまになってしまったからです。



買っていただけたことが嬉しくて、
新しい商品を持って二度目に訪問したときのことでした。

「じつは、こちらの商品もお勧めなんです」

勢い込んで話し始めると、お客さまはその言葉をさえぎって

「すみません。もう結構ですから」

目を合わせずに、でも、きっぱりと言われたのです。


「もう来ないでください」という意味でした。
私が「売ること」しか考えてなかったからでした。

『また買ってもらおう』

という考えだけで、表情は硬いし、態度はガチガチ、
話すのは商品のことだけ。


お客様も嫌だったろうと、今ならわかります。
押しつけられるのは誰だって嫌です。

お客様が何にお困りで、どんなことを解決したいのか
まずはそのことを引き出すという
営業にもっとも大切なことが
その時の私には完全に抜けていました。

そして、この方はおとなしく優しい方だから
営業がやりやすいなんて考えていたのです。

もしかして目だけが異様にギラギラしていたかもしれません。



「すみません。もう結構ですから」

と、お客さまから追い出されるようにドアを閉められて、
私はその場に崩れ落ちそうになりました。




『あ~、いやだ、セールスなんて。私にはやっぱりできない。
早く辞めたい』

社用車の中で震えながら涙が止まりませんでした。



・・・・・・・・明日は突然売れ始めた些細なきっかけをお話しします。
また読んでくださいね虹



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生まれて初めての飛込み営業、
けんもほろろに拒絶されることが続きましたから、
プライドはズタズタ、身も心もボロボロでした。

そんな日が来る日も来る日も続きました。




たまにドアを開けてくれる方もいました。
1日に1~3人でしょうか。

ところが、せっかく開けてもらったというのに、

『やっと開いた~!!何か話さなくちゃ!』

と、私は研修で覚えたての商品知識を必死で話します。

相手が聞いているかいないかなんてお構いなし。

たくさん話せば、何かに興味を持ってもらえるだろうと、
ベラベラ、ベラベラとろくに息もつかずに話しました。

加えて、
『私の仕事は商品を売ること。売らなくちゃ!』

と思っていましたので売ろう売ろうとしたかもしれません。

誰だって、営業に話したいことだけをベラベラと話しまくられたら
『もう帰って』と思います。

売ろう売ろうとすればするほど、お客様は逃げます。


「あの・・もうけっこうです」

とせっかく開けてくれた方も困惑した顔でドアを閉めてしまいました。





『どうして話を聞いてもらえないのだろう・・・』

その頃の私は
原因が自分にあることも分からないまま
ドアが開くたびに同じことを繰り返していました。



・・・明日は初めて売れた時のことを書きます。また読んでくださいね虹



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ママ友すら作れない内気で不器用な専業主婦が、
40歳を目前にシングルマザーとなり飛込みセールスに。
営業成績ビリからトップになれたのは、ほんの些細なことがきっかけでした。


第2話 暗い気持ちで飛込み営業デビュー

内気で人づきあいが大の苦手だった私は、
入社後に自分の仕事が飛び込みセールスだと分かり、
逃げ出したいほど重い気分を抱えたまま5日間の研修を受けました。

そして次に優秀な先輩二人に同行しました。

一人目の先輩は、生まれ持っての社交家タイプ。
公園で井戸端会議をしていた若いママさんたちにも、
ニコニコしながらすっと近づき、

「ねえねえ、これ知ってる? サンプルあげるから使ってみて」

とカタログと商品を渡しながら、住所と名前を簡単に聞き出しました。

道を歩きながらでも見知らぬ人に次々と声をかけるんです。

もうびっくりして、

『できない、私には絶対できない』

と気持ちはさらに重くなりました。

翌日はまた別の先輩に同行しましたが、
この先輩はドアを開けてくれたお宅に入るなり、
玄関のたたきにちょこんと座って、
ババーッと商品を並べてガンガン商品説明を始めました。

玄関の低いたたきに座っている姿が何だか押し売りみたいで
カッコ悪くて

『こんなことはしたくないよ~』

とさらにさらに気分が重くなっていきました。

それでもやらなくてはなりません。

翌日、初めて一人で車を運転して担当の地域に行き、
一軒の見知らぬお宅に立ちました。




チャイムを押そうとするのですが、
指が震えてなかなか押せません。

しばらくそうして立っていましたが、
道行く人が怪訝そうに見ています。

勇気を出してチャイムを押します。

ピンポーン!

奥から「は~い」と声がしました。

「すっ、すっ、すみません、こ、この辺りを回ってる
化粧品会社のものなんですが」

怖がりながら震えながらやっとの思いで伝えると

「何ですか。忙しいんだから、けっこうです!」

と、インターホン越しに断られました。

その瞬間、心臓にナイフが刺さったかのような衝撃が走りました。

『やっぱりね、断られるよね、セールスなんて迷惑なだけだもの』

その時はそう思っていました。

自分を否定されたような気持ちになりながら、何軒行っても断られる。

時には野良犬のような扱いをされたり、

「玄関にセールスお断りって書いてあるの、読めないのー!」

窓から大声で怒鳴られたり・・・


悔しくて惨めで涙が出ました。

『もう嫌だ、嫌だ』と思いながら毎日営業に回りました。



・・・明日もまた読んでくださいね虹


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今日から自分の営業経験を振り返って書いていこうと思います。
正直に自己開示しながら書いて行きますので、ぜひ読んでくださいね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ママ友すら作れない内気で不器用な専業主婦が、
40歳を目前にシングルマザーになり飛び込みセールスンに。
営業成績ビリからトップになれたのは、ほんの些細なきっかけでした。



その1.生活のためにイヤイヤ始めた営業の仕事


38歳で離婚。
11歳と5歳の娘をかかえて、さて私はこれから、
どうやって生きていけばいいのだろう。
10年以上も専業主婦をしていて、できる仕事はありません。
でも、何か仕事を見つけて生活しなければ・・・
 
私が営業の仕事を始めたきっかけは、
「自活して、二人の子供を育てていかねばならない」という
せっぱ詰まった思いでした。
食べていくために稼がなくてはならない。
でも、子供が幼いうえに小児喘息だったので、時間に自由が
きく仕事しかできません。

そのときに私の思い描いた理想の働き方は、次のようなものでした。

・時間が自由になる仕事

・できたら直行直帰

・月給は30万円くらい

・事務作業の上っ張りではなく、おしゃれな服装でできる仕事

・車を貸与してくれる仕事(保育園の送り迎えがあるため)

・かっこいいカタカナ職業

もう条件がいっぱい。
自分の立場も能力もわきまえない、虫のいい話です。
しかし、私は子どもの頃から、

『強く願ったことは必ず叶う』

とずっと思ってきました。
これこそが虫のいい話かもしれませんが。




仕事を探していたある日、ママ友が
「エイボンがマネージャーを探しているから、面接を受けてみたら?」
と紹介してくれ、面接に行ってみると、
なんと私が求めていた条件が全部当てはまった仕事だったのです。

「キターッ!」という感じでしたね。

面接の結果、無事に採用が決まりましたが、
入社してからの研修で詳しい仕事内容が分かりました。

私のやる仕事は見ず知らずのお宅を訪ね歩いて化粧品を売る
飛び込みセールスだったのです。

飛び込みセールス?!

化粧品を販売するエイボンレディを管理するマネージャーの仕事
なのですが、まず自分が担当する地域でエイボンレディを見つけ、
増やしていかなくてはいけません。

増やすためには、化粧品を使ってもらわなければならず、
そのために飛び込みの訪問販売をしなければならない。




仕事の内容が分かったときには、手足が冷たくなり、
体中がガタガタと震えました。

「内気で人見知りでコミュニケーション下手な私が
飛び込みセールスなんてできるわけないじゃないの!!」

どんなに体が震えようと、もう後戻りはできません。
私を採用してくれた方の期待に応えなくてはいけない。
なによりお金を稼がなくてはなりません。

営業が好きで、飛び込みも平気という人もいますが、
多くの人は飛び込みセールスというと腰が引けるでしょう。
見ず知らずの人の家を訪ね歩いて物を売るなんて。

私もそうでした。
いや、普通の人以上に苦手でした。
子どものころからずっと人付き合いが超苦手でしたから。

私は、小学校に上がる前から友達づくりが下手で、
いつも友達がいませんでした。
そんな子どもがクラスに一人か二人いるものです。





勉強も運動もできない。
おとなしくて一緒に遊んでも面白くない子・・・それが私でした。

家は、母親と姉二人の女四人家族で、一番末っ子なので、
私がしゃべってもまともに聞いてもらえない。
「もうあなたは分からないんだから、黙ってなさい」
なんて言われますから、家の中でもあまりしゃべらない。

家でもしゃべらない、学校でもしゃべらない。
本当にコミュニケーション下手でした。

勉強ができない。
運動神経が悪くてスポーツも苦手。
友達もできない。
色黒で固太り、いつも下向きの暗い表情で容姿にも自信がない。

だから嫌なことだらけです。

家も貧しかった。

いいことが何もなくて、
自分の存在をなくしたかったほどです。

子どもの頃から、早く死にたいと思っていたのです。
いつも夜寝る前に、

「どうか、神様、明日の朝がきませんように」

と祈っていたのです。

こんなふうに育った人間が、
飛び込みセールスなんてできるわけがありません。

専業主婦時代にも、子どもを連れて行った公園で、
ママさんたちが仲良く話しているのを見るのが憂鬱。
ママさんたちのなかに入っても、会話についていけない。




上の子どもが幼稚園に入ると、毎朝送迎バスで送り出したあと、
ママさんたちは集まってお茶を飲んだりするのですが、
それも憂鬱。
何を話したらよいのかわからないし、
みんなが話している会話にも入っていけない。

私は専業主婦として11年間、
子育てや家事をしていたわけですが、
いつも何か物足りなくて空しさを感じていました。

子育てにも夢中になれないし、ママさんたちとの会話も楽しめない。

そこで、習いごとを始めることにしました。
ワクワクしたり、楽しいと思えるものが欲しくて、
習い事に走ったのです。

料理、ケーキ作り、テーブルコーディネートの勉強、
英会話、ジャズダンス、華道、水泳など、
1週間に8つも習いごとに出かけていました。

えっ8つも?と驚かれるかもしれませんが、
じつは主婦時代は経済的には恵まれた生活をしていたのです。
夫は航空会社の管理職で、海外旅行もしょっちゅう。

ファーストクラスに乗って、
五つ星ホテルに泊まってという
周りからは羨ましがられるような生活をしていたのに、
そんな生活がなぜか空しい。

習いごとを始めてみるとそれなりに結果は出るのですが、
それでも空しさは消えません。

毎日、子どもを塾に迎えに行く途中、
ちょうど坂のところで日が沈むのが見えるのですね。
その夕陽を眺めながら

「生きるって何だろう?どんな意味があるんだろう。
このままいっても安定した老後が待っているだけ。つまらない」

と空しかったのを今でも覚えてます。




毎日毎日、同じ生活の繰り返し。

そして、誰か人の奥さんで、
人から「奥さん」と呼ばれるのも抵抗がありました。

「私、ちゃんと名前があるのにな」って。

8歳年上の夫は亭主関白で、

「お前なんて何もできねえんだから黙ってろ!」

と言います。
それに逆らえず、不満も言えません。
自分でも私は何もできない存在だと思っていました。

ただ、日常生活をこなして、歳をとっていくだけ。
もう恋愛することもないだろうし、
何かにときめくこともないだろうし・・・・。


ところが、離婚を機に仕事を始めると、
そんな空しさを感じる暇などなくなりました。
飛び込みセールスの仕事をやりたくなくて震えていましたが、

「やるしかないのよ、私!」

と自分を叱りながら、
ピンポン、ピンポンと一軒一軒チャイムを押し続ける毎日が始まりました。


・・・・・・・続きます。ほぼ毎日書いていく予定ですので、また読んでくださいね虹

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40歳の時にIDC大塚家具に週2日勤務の
契約社員で入社した私。

大塚家具の商品と良心的な販売システムが大好きでした。


世界中の超一流の家具に囲まれ夢心地で仕事をしていました。
週末ともなると入りきらないほどお客様が押し寄せ、
店内は華やかで活気に満ち溢れていました。



写真はその頃の私ですが、制服が時代を物語っていますね。


人材育成部署の管理職を最後に私は退職しましたが、
今思えば、大塚家具の一番良い時期に在職していたのかもしれません。

その頃にお世話になった役員(親族以外)の方々は、
ここ数年でどなたも居なくなりました。
どうしてお辞めになったのか気になります。






「父と娘のお家騒動・・・
まさか、こんな形で大塚家具が日本中の話題になろうとは
夢にも思いませんでした。


マスコミやWEBで発信される情報は、
嘘や偏り、誇張、でっち上げが少なくない、
世間の人はそんな情報の中で間違った判断をしてしまうものだと
今回つくづく分かりました。

「大塚家具は高い」とよく言われますが、
実際はメーカーから直接に大量仕入れをして、
同じ商品なら国内のどこよりもお安い価格設定にしていましたし、

もっともお値引きできる価格をずばり表示して、
どのお客様にも平等な価格でお求めしていただける実売価格表示でした。

その頃の家具業界は値札を定価表示にし、
相手によって値引き率を変えるという販売法が一般的でしたから、
大塚家具の常識破りのやり方は業界から猛反発を受け、

大塚勝久氏は大変な苦労の中で
「会員制」や「欧米の家具の導入」を始めたと聞いています。

信念を持ち革新的な経営をし続ける創業者のことを
私は心から尊敬していました。




先日の株式総会は耳を塞ぎたくなるような内容でした。

経営のためとはいえ、
愛情深く大切に育ててくれたご両親を世間の笑い者に
してしまった久美子社長・・・

今どんなお気持ちなのでしょう。
きっと想像以上にお辛い日々だと思います。

会社がどうなるか気になるところですが、
まずは1日も早くご家族が和解して欲しいと願っています虹


断食明けの復食期 初日
玄米おもゆがやっと胃袋に入りました。
胃袋が夢心地です。



俳優の石丸謙二郎さん「断食明け」のブログが
今の私の状態をみごとに表してくれていますのでコピペ。
石丸さんって文章うまいな~(*^o^*)

[我が家に久々に、米が炊ける匂いがする。
炊ける米の匂いが、これほど強烈に襲い掛かるとは思わなかった。
実は今、トンカツだのラーメンだのを食べたい欲求はない。
欲しいのは、米だ。ごはんだ!
 (中略)
柔らかい米ツブが、胃袋に入ってきた。おかゆだ。
この米の魅力はいかんともしがたい。
長い間、毎日食べ続けてきた胃袋が、お米と再会の握手をしている。
たった一度の握手ではない。
胃袋に届くたびに、何度も何度も握手している。
握り締めて、大きく振ったりしている。
待ってろよ・・明日、納豆と会わせてやるからナ!]




断食後の復食期 2日目
今夜は倫理法人会の祝賀会でした。
こういう席でウーロン茶を飲んでる私なんて
きっと誰も見たことないはず(^○^)。

復食始まったばかりなので、
パーティ料理にはいっさい手を付けませんでした。
凄いわ、私!




断食後の復食期 3日目
け、け、血圧が、、、
20代の平均数値になってる!!
ここ数年はずっと上が145以上だったのに。

若い時は低血圧で悩んでいたから、
こんな正常な数値、初めてかも*\(^o^)/*




気を良くして血管年齢も測ってみたら、
なんと15歳も下がっているではありませんか!!!

うっそ~(*^o^*)(*^o^*)(*^o^*)
断食の効果がこんなところに、こんなに出るなんて凄すぎ!

恐るべし、断食!


断食後の復食期 4日目
久々に食べ物がお腹に入った途端に
猛烈な食欲に襲われてしまう地獄の復食期、、、

のはずが、今回はなぜかあまり食欲が湧いてこないので
楽に過ごせています。
ビックリです。

このまま身体の欲求に素直に合わせて
食べずに過ごしたいけど、
来週は出張も会食の約束も予定に入っているから
そうもいかない。

何か食べなくちゃ・・・

そこで、10日ぶりになるオカズ作りは、
山形の郷土料理「だし」にしました。

季節の野菜を細か~くきざんで、
みょうがも生姜もたっぶり入れ
猛暑日にピッタリのオカズが出来ました。

一口食べて、美味しさに思わず唸りました。








断食後10日目
(いっきに飛んですみません・・・)

今朝は始発の新幹線で大阪へ。
そして今、帰りの新幹線。
昨日の仕事もきつかったから、さすがに疲れました。

もう、今夜はお酒を解禁にしちゃおう!!
半月ぶりのお酒。つまみはこんなんがイイな~。




新幹線の中で妄想して一人ニヤニヤ、、、
写真は全部妄想です(*^o^*)虹