神様がくれたこころの営業メソッド 第1話「生活のためにイヤイヤ始めた営業の仕事」 | パートから社長になった坂本玖実子の「雨のち晴れ」ブログ

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株式会社クラスモア 代表取締役 坂本玖実子 公式ブログ

今日から自分の営業経験を振り返って書いていこうと思います。
正直に自己開示しながら書いて行きますので、ぜひ読んでくださいね。

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ママ友すら作れない内気で不器用な専業主婦が、
40歳を目前にシングルマザーになり飛び込みセールスンに。
営業成績ビリからトップになれたのは、ほんの些細なきっかけでした。



その1.生活のためにイヤイヤ始めた営業の仕事


38歳で離婚。
11歳と5歳の娘をかかえて、さて私はこれから、
どうやって生きていけばいいのだろう。
10年以上も専業主婦をしていて、できる仕事はありません。
でも、何か仕事を見つけて生活しなければ・・・
 
私が営業の仕事を始めたきっかけは、
「自活して、二人の子供を育てていかねばならない」という
せっぱ詰まった思いでした。
食べていくために稼がなくてはならない。
でも、子供が幼いうえに小児喘息だったので、時間に自由が
きく仕事しかできません。

そのときに私の思い描いた理想の働き方は、次のようなものでした。

・時間が自由になる仕事

・できたら直行直帰

・月給は30万円くらい

・事務作業の上っ張りではなく、おしゃれな服装でできる仕事

・車を貸与してくれる仕事(保育園の送り迎えがあるため)

・かっこいいカタカナ職業

もう条件がいっぱい。
自分の立場も能力もわきまえない、虫のいい話です。
しかし、私は子どもの頃から、

『強く願ったことは必ず叶う』

とずっと思ってきました。
これこそが虫のいい話かもしれませんが。




仕事を探していたある日、ママ友が
「エイボンがマネージャーを探しているから、面接を受けてみたら?」
と紹介してくれ、面接に行ってみると、
なんと私が求めていた条件が全部当てはまった仕事だったのです。

「キターッ!」という感じでしたね。

面接の結果、無事に採用が決まりましたが、
入社してからの研修で詳しい仕事内容が分かりました。

私のやる仕事は見ず知らずのお宅を訪ね歩いて化粧品を売る
飛び込みセールスだったのです。

飛び込みセールス?!

化粧品を販売するエイボンレディを管理するマネージャーの仕事
なのですが、まず自分が担当する地域でエイボンレディを見つけ、
増やしていかなくてはいけません。

増やすためには、化粧品を使ってもらわなければならず、
そのために飛び込みの訪問販売をしなければならない。




仕事の内容が分かったときには、手足が冷たくなり、
体中がガタガタと震えました。

「内気で人見知りでコミュニケーション下手な私が
飛び込みセールスなんてできるわけないじゃないの!!」

どんなに体が震えようと、もう後戻りはできません。
私を採用してくれた方の期待に応えなくてはいけない。
なによりお金を稼がなくてはなりません。

営業が好きで、飛び込みも平気という人もいますが、
多くの人は飛び込みセールスというと腰が引けるでしょう。
見ず知らずの人の家を訪ね歩いて物を売るなんて。

私もそうでした。
いや、普通の人以上に苦手でした。
子どものころからずっと人付き合いが超苦手でしたから。

私は、小学校に上がる前から友達づくりが下手で、
いつも友達がいませんでした。
そんな子どもがクラスに一人か二人いるものです。





勉強も運動もできない。
おとなしくて一緒に遊んでも面白くない子・・・それが私でした。

家は、母親と姉二人の女四人家族で、一番末っ子なので、
私がしゃべってもまともに聞いてもらえない。
「もうあなたは分からないんだから、黙ってなさい」
なんて言われますから、家の中でもあまりしゃべらない。

家でもしゃべらない、学校でもしゃべらない。
本当にコミュニケーション下手でした。

勉強ができない。
運動神経が悪くてスポーツも苦手。
友達もできない。
色黒で固太り、いつも下向きの暗い表情で容姿にも自信がない。

だから嫌なことだらけです。

家も貧しかった。

いいことが何もなくて、
自分の存在をなくしたかったほどです。

子どもの頃から、早く死にたいと思っていたのです。
いつも夜寝る前に、

「どうか、神様、明日の朝がきませんように」

と祈っていたのです。

こんなふうに育った人間が、
飛び込みセールスなんてできるわけがありません。

専業主婦時代にも、子どもを連れて行った公園で、
ママさんたちが仲良く話しているのを見るのが憂鬱。
ママさんたちのなかに入っても、会話についていけない。




上の子どもが幼稚園に入ると、毎朝送迎バスで送り出したあと、
ママさんたちは集まってお茶を飲んだりするのですが、
それも憂鬱。
何を話したらよいのかわからないし、
みんなが話している会話にも入っていけない。

私は専業主婦として11年間、
子育てや家事をしていたわけですが、
いつも何か物足りなくて空しさを感じていました。

子育てにも夢中になれないし、ママさんたちとの会話も楽しめない。

そこで、習いごとを始めることにしました。
ワクワクしたり、楽しいと思えるものが欲しくて、
習い事に走ったのです。

料理、ケーキ作り、テーブルコーディネートの勉強、
英会話、ジャズダンス、華道、水泳など、
1週間に8つも習いごとに出かけていました。

えっ8つも?と驚かれるかもしれませんが、
じつは主婦時代は経済的には恵まれた生活をしていたのです。
夫は航空会社の管理職で、海外旅行もしょっちゅう。

ファーストクラスに乗って、
五つ星ホテルに泊まってという
周りからは羨ましがられるような生活をしていたのに、
そんな生活がなぜか空しい。

習いごとを始めてみるとそれなりに結果は出るのですが、
それでも空しさは消えません。

毎日、子どもを塾に迎えに行く途中、
ちょうど坂のところで日が沈むのが見えるのですね。
その夕陽を眺めながら

「生きるって何だろう?どんな意味があるんだろう。
このままいっても安定した老後が待っているだけ。つまらない」

と空しかったのを今でも覚えてます。




毎日毎日、同じ生活の繰り返し。

そして、誰か人の奥さんで、
人から「奥さん」と呼ばれるのも抵抗がありました。

「私、ちゃんと名前があるのにな」って。

8歳年上の夫は亭主関白で、

「お前なんて何もできねえんだから黙ってろ!」

と言います。
それに逆らえず、不満も言えません。
自分でも私は何もできない存在だと思っていました。

ただ、日常生活をこなして、歳をとっていくだけ。
もう恋愛することもないだろうし、
何かにときめくこともないだろうし・・・・。


ところが、離婚を機に仕事を始めると、
そんな空しさを感じる暇などなくなりました。
飛び込みセールスの仕事をやりたくなくて震えていましたが、

「やるしかないのよ、私!」

と自分を叱りながら、
ピンポン、ピンポンと一軒一軒チャイムを押し続ける毎日が始まりました。


・・・・・・・続きます。ほぼ毎日書いていく予定ですので、また読んでくださいね虹

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