“さて、鳴門の仲須ランさん(昭和四十七年七十八歳でご逝去)から聞いた話に、こういうのがある。
――昭和九年のある日、大谷の種蒔大師様にお参りして拝んでおりましたら、横に一人のおばあさんが来て、
「信じて光明真言を唱うれば、いかなる願も成就す。
疑う者は迷いなり。
信ずる者は仏なり」
と唱えられるのを聞きました。これはお大師様がこのおばあさんの口を通して、私に聞かせて下さったのだと思って、それから光明真言をお唱えするようにしました。
帰りに村木幸次郎先生のところにお寄りしますと、
「おおやけ(概数)でよいから数取りをしておくように」と教えられました。
そのうち主人の母も、一生懸命に光明真言を唱えて、信心してくれるようになりました。ところがある日のこと、私(ランさんのこと)に用があって、外に出ていたのでおそくなり、お昼ご飯をすませた後で、一人食べていました。
すると『利夫です。お母さん』
と心の中で呼ぶのです。この利夫は三歳で亡くなった私の子ですが、
『お大師様から便(びん)をして来なさい、といわれましたので帰りました』
『利夫さん、何のことですか?』
『今、すぐにわかります』とこれだけを叫んだのです。
そしたら表の間で光明真言を繰っていたおばあさんが、急に私を呼んで、
「私は泣いているのではない。なんじゃ辛いこともない。それに涙も鼻水もこんなに出てきて、ふいてもふいても止まらんのじゃ。それで光明真言を拝むこともできんのじゃ。どないぞお大師様に頼んで『止まりますように』とお願いしてみてくれんかい」と頼むのです。
そこで私はお仏壇のお大師様に、おばあさんの願いをお願いしました。すると言葉ではありませんが、心に思わせていただいたことは、
『この一統うちは、どうもみんなが不幸せじゃ。がこのたびの光明真言を唱えることで助けてもらえる。もしこの光明真言のお唱えがなくて、前のままの無信心でいくのであったら、このおばあさんの涙の通りの状態が、ずっと続きます。こんどおばあさんのところに行ってみて、あの涙が乾いていて「嬉しい。嬉しい」といって笑っていたら、光明真言のお唱えの功徳で、一統うちの涙は乾いて、喜べる時がくるということを、お大師様が知らせて下さったのだ、とお受け取り下さいよ』
ということでした。
そこで私は、外にいた主人のところに行って、
「今こんな不思議なことがありました。お父さん、帰ってみておばあさんの涙が止まっているか、見てあげて下さい」
といいました。
主人は仕事を止めて、家に帰りました。私も家に入って、
「おばあさん、どうですか?」
と問うと、
「まァお母さん、よその人を拝んであげても、こんなにお大師様はよく聞いて下さるのかい。私はもう涙が止まって、何が嬉しいのか知らんけど、もう嬉しゅうて嬉しゅうて、今度は笑いが止まらんのじゃ」
「おばあさん、ありがたいなァ。これは光明真言を唱えて信心していたら、涙が乾いて、後でみんなが喜べて幸せになれるという、お大師様からのお知らせじゃと」
「あァそうかい。それは有難いな。光明真言は有難いな」
と話あっていました。
そこへ引き合わせたというものでしょうか、母屋のモトエさんが来、新宅の信子さんも来ました。そこでこのお話をすると、
「今はまだ泣きたいような辛いことや、心配ごとがあるけれど、みんなで光明真言を繰っていたら、親類中がみんな喜べるようになるという、お大師様からのお知らせをいただいたのじゃな」
と、喜びあったことでした――という。その後一統七軒も、お陰様で幸せの道に向かわせていただいている、とのことである。
そして三宝会という信仰団体ができ、五億万遍という念誦の数が集まったというから、驚きというほかはない。
その中の一億万遍は、昭和四十年に高野山で開創千百五十年記念法要が厳修される直前に「奉唱光明真言一億万遍」と彫ったお地蔵様をつくって、お大師様にお供えになった。するとその時、奥之院御廟の橋の右側にある水掛け地蔵さんなどを元通り据え付けたら、持参した新しいお地蔵様がちょうど入るだけの余裕ができて、その近くの別の場所に建立する予定であったが、不思議にもスルスルと水掛け地蔵さんのお仲間入りになることができた。右端から三番目の座ったお地蔵様が、それである。参拝の皆様から、水をたむけられるお地蔵様になれるとは、何という幸運なことであろうか。「願ってもないこと」とは、こういうことをいうのであろう。これも大勢の会員の方が数年がかりで、拝みに拝んでお大師様にお供えなさった一心が、お大師様に通じたのでこの不思議となったのであろう。
高野山の奥之院にご参詣の節には、こういういわれのあるお地蔵様であることを知って、水をたむけていただければ幸甚である。”
(佐伯泉澄「幸福に暮らす道しるべ」(高野山出版社)より)
*この仲須ランさんという方は、以前紹介させていただいた四国の神人・泉聖天尊の弟子で、光明真言を一億二千万遍唱えて、ついに神通力を授かったといわれる方です。