高野山霊域の言霊の響き 〔高橋宥明上人〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 

・高野山霊域の言霊の響き 〔高橋宥明上人(1820-1914)の神秘体験〕

 (いろは四十八の炎文字と光明真言)

 

 “上人四国を巡礼し終りて高野山に上られた。道に白黒斑点のある大牛が道一杯に臥し居て通られぬ。思案の上之を飛び越へて進んだ後振り返り見たら牛は居なかったと云ふ。

 進んで奥の院の入定窟の処に行けば、何処から出て来たか十歳位の綺麗な装ひをした童子が手招く。よって其処に行った。其の童子妙な事には無音で手まねで事を弁ずるのであった。ついて来いといふまま柵を乗り越へて従って行った。之に尾行すること凡そ二里計りで川の辺に出た。両岸は断崖で越すよしもない。然るに此の童子は側に生へている大きな竹の梢に上り梢の曲るを利用して対岸に渡り付き、又対岸の竹の梢に上り曲りを利用してこちらの岸に付き、此の先しかと持てよと宥明さんに持たし之を跳ね返して宥明さんを対岸に渡らしめ臆病な宥明さんは眼を塞いで冷や汗を流したといふ。夫より随行すること約一時間計りして青々した野原の様な地に達したといふ。日は早や西山に傾き東よりは月の将に昇らんとする。此の清浄な地に不思議な事には、いろはにほへと四十八の大字が字の形の儘に燈明を点火して炎々と光を放ちてゐる。其の上何処からともなく微妙なる神仙楽が聞こえだしてきて、光明真言の読誦とゆるやかに相和して爽快極まりなく不思議に恍惚となった。とても現世の様とは思はれなかった。ふと醒めたら翌朝身は大師入定窟の側に臥して居たといふ。初め実際歩いて行ったのがどうして夢に入ったのか、今以て判らぬ不思議だ不思議だと語られたといふことです。

 人趣までの五趣を有情界といひ、夫れ以上を天越といふ。下地の海より四万由旬にして四王天に至り更に四万由旬にして忉利天あり、之より上は宝雲を地として夜摩天あり、更に十二万由旬にして慈氏内衆の地ありといふ。覚地満足せる仙楽に光明真言の唱和を聞き四十八文字の霊光高野山に満ち輝けるの地こそ仙縁の当初に於いて一度は訪ね参れとの言の葉の約を果たされしに非ざるなきか読む人と共に考へなん。”

 

  (「高橋宥明上人神変記― 明治大正聖代に於ける驚異」東光寺照善会発行)