シャンバラへの旅  | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “ここまでに述べてきた物語は、全てシャンバラに行ったと言われている歴史上の人物や架空の人間の物語で、しかも人から間接的に聞いたものである。ところが幸運にも、私は隠された王国へ旅をした夢を見たラマに会う機会に恵まれた。一九七五年秋、私がそのラマ、ガルジェ・カムツル・リンポチェに会った当時、彼はインド、ダラムサーラにあるダライ・ラマの宗教文化評議会で働いていた。ニンマ派に属する化身ラマであったが、僧衣をまとっていなかったし、こうした自分の特殊な立場も余り意識していなかった。私は会ってすぐにその親しみ深い、打ち解けた人となりに好感を抱いたものである。私は、既に何度か彼を尋ねていたが、旅についての別の話を聞けるかも知れないと思い、もう一度日を改めて彼に会うことにした。当日、私の質問にしばらく考えていた彼は、やがてペンを取り何か短く書き留めると、テープレコーダーのスイッチを入れるよう、私に言ったのである。彼が話してくれた夢の物語は次のようなものであった。

 

 戊子(つちのえね)の年(一九四八年)、私が二十一歳の時です。ジャムヤン・ケンゼ・ワンポから、ポタン・ガツェに行ってグル・リンポチェの真言(マントラ)を四十万遍唱えてくるようにと言われた私は、ポタン・ガツェに赴きました。そして五ヵ月間、一人籠って真言を唱えたのです。行を終えた私は、帰途につきましたが、二日目に或る霊山で一夜を過ごしました。

 その晩のことです。既に真夜中を過ぎていましたが、私の思考が普通ではなくなったのです。その異常な思考はだんだん鮮明になり、やがて目の前に見たこともない国が現われたのです。一人の少女の姿も見えました。今考えると、その少女はちょうどインドのパンジャブ地方の女の子に似ていたようです。カラフルな色柄のぴったりした細めのズボンをはき、シャツもまたぴったりと体に合っていました。そして肩には長い錦織りがひらひらと垂れていました。するとその少女が私に、「眠ってはいけません。さあ起きて、こっちへ来て。あなたのラマがお呼びですよ」と話し掛けてきたのです。

 私はとても驚きました。というのも、その子を見るのは初めてでしたし、服装も中国風、或いはインド風だったからです。それで私は少女に言いました。「あなたは半分インド人でもう半分はチベット人のようですが、私はあなたを知りません。だから一緒には行きません」

 少女は、「私を疑わないで」と言いました。

 それから何か素晴らしい言葉をたくさん語りましたが、今それを思い出せないので要点だけをお話しします。彼女はこのようなことを言いました。「あなたは善と悪の区別をはっきりさせなければいけません。さもないと、全てのものが悪だといつも考えるようになってしまうでしょう。仏陀がこの世界におられた時、彼のいとこのデーヴァダッタがもし自分の良い面を見ていたなら、きっと信仰を得ていた事でしょう。信仰さえあれば、犬の頭蓋骨も聖遺骨に変わるのです。さあ、ですからあなたはわたしを疑ってはいけません。私について来るのです。ラマが、あなたは正しいカルマを持った人間だからと、私を使いに出したのです」

 私は答えました。「でもあなたは木綿の服を着た極く普通の人だ。そんな使いの人だとは私には思えない」

 すると、少女は自分の手のひらを見せて言ったのです。「これを見て!」何と、彼女の左右の手のひらには眼が一つずつあり、顔には三つの眼があり、足にも左右一つずつ眼がついていたのです。少女は言いました。「さあ、これらは何ですか?」

 私が「これは普通ではない。確か欲界には、九つの目と三つの頭を持った女神がいるはずですが」と言いました。

「悪い信仰を持ってはいけません。私は聖七眼尊女(パグマ・チェンドゥンマ、七つの目を持った女神)です」彼女はこう言ったのでした。

 私の考えは変わりました。多分この方は聖チェンドゥンマなのだ。私の印象が間違っていたに違いない。そう思ったのです。私が何かしゃべろうとしたちょうどその時、彼女が指を弾きました。同時に私は、自分の肉体が溶けて無くなってゆくような感覚を覚えたのです。まるで身体が無くなって思考だけがあるような、そんな感覚でした。すると、少女は私を手にとり飲み込んだのです。

 中は何もありませんでしたが、ただ三本の神経通路だけは目にとまりました。一本が彼女の体の中心を貫いており、残り二本がその両側に並んで通っていました。その二本はまるで柱のように下から伸び、鼻の所で一緒になっていました。私がジグザクの小道を進んで一本の通路の中へ入って行くと、先刻のあの少女が居るではありませんか。彼女は私を連れて、中央通路の中を頭頂部まで上がってゆきました。そこは王冠中枢、至福の輪の座です。この輪からたくさんの支神経が延びていましたが、正確にはその数はわかりません。この中枢には本初仏と、見覚えのある数多くの仏陀が見えましたが、中には私にもわからないような仏陀もありました。また、たくさんのラマ達も居ました。”(P238~P241)

 

 “その後少女は生殖器から外に出て行きましたので、私も後に従いました。外に出ると、何だか妙な気がするのです。やがてまるで身体が無くなってしまったような感じでした。私の心は快適で澄みわたり、あらゆる思考活動が止んでいました。歩かなくとも何処へでも、好きな所へ行けるように思えました。「さあ、行きましょう」少女が言いました。

 私は彼女と一緒に空を飛んでいました。上空からいろいろな所が見えましたが、どうもこの世界ではなかったようです。”(P242)

 

 “やがて私の目にとまったのは、雪山に周囲を囲まれた一つの国でした。見れば街もたくさんあります。その街の形はよく覚えていませんが、街中や街との間に多くの河や湖が点在していた事を覚えています。上空から見ても、一つの街が大体インド位の大きさはありました。この時少女が「この国の中心に、あなたのラマがおいでになります。私は、あなたをそこまで連れて行かねばなりません」と言いました。”(P244)

 

 “「さあ東側へ行きましょう」道案内の少女は言いました。さらに進んで行くと、今度は岩がごろごろしている所にやって来ましたが、中でもひときわ大きな岩が目に付きました。何かの入り口の様な形をしています。「これは何ですか?」私が訊くと、

「これは、蛮族が世界を征服して人々が苦しむ世が到来した時の備えです。その時シャンバラの大王である忿怒明王(リグデン・ダクボ、ルドラ・チャクリン)が現れて、槍でこの入り口を開けます。するとこの中から、たくさんの財宝や武器、兵士達が出てくるのです。あなたもこの岩に祈願してください」彼女はそう言いました。

 それはまるで岩のようでしたが、よくよく注意して見てみると、かなり古い地層の山から取れる水晶のようなものでした。上部には白い石で一つ一つ作られた文字で、「オン マニ ペーメー フム」の真言(マントラ)が繰り返し記されていました。少女は、「これは慈悲深き者、観音の声の表象なのです」と言いました。”(P245)

 

 “そこには宮殿がありました。その色、形を正確に述べることはできませんが、私たちの国にある寺院に多少似ていました。寺院には我々僧侶が法の討論をする中庭がありますが、この建物にもそれとよく似た大きな中庭があったのです。私達は黒と白の大理石でできた石段を昇りました。昇り詰めると様々な装飾品が目前に広がっていました。さらに宮殿の中へと入って行きますと、広い会堂に出ました。それはチベットの寺院にある会堂と全く同じ造りです。通常のチベット寺院と同様、会堂の向こうの方には廟があり、中庭には八頭の獅子に守られた黄金の王座がありました。王座には、見た事もないラマが坐っていました。膚の色は茶色で、多少老けていたようですが、数珠を手にして「オン マニ ペーメ― フム」の真言(マントラ)を唱えていました。

「あの方があなたのラマです」少女は言いました。

 けれども私は少し考えてしまいました。私には三人の師(グル)ラマが居たのですが、目の前に居るラマはその誰でもなかったからです。一体この人は誰なのか?

 少女が言いました。「間違った見解を持ってはいけません。この方こそあなたの本当のラマ、カルマによってあなたと結ばれている方なのです」

 そう言われてもそのラマが誰なのかわからなかった私は、平伏しませんでした。すると、そのラマの身体が溶けて四つの手を持つ観音に変ったのです。中央の二つの手は、中に宝石を包み込んだ形で合掌していました。残る二つの手は、右が水晶の数珠を持ち、左が蓮華を持っていました。それはまさに我われが観想する観音の姿であり、身を荘厳した完全なる享受の報身体でした。信仰が湧き起こり、私は五体投地をして祈りを捧げました。

 観音は、「そこに坐りなさい」と言い、丁寧に多くの教えや助言を授けてくれました。

 観音が話し終えると、私はこう言いました。「私は本当に幸せ者です。きっと此処は聖なる国でしょう。もっと滞在してさらに教えをいただきたいのです。どうか私を娑婆世界に送り返さないで下さい」観音は答えました。「あなたにはまだ、此処に住むべき時期が来ていない。帰って私が教えた事を、他の者にも伝えなさい。それに寺の仕事もまだ残っている。終末は近いが、あなたは帰らねばならない」

 観音は、他にも私が娑婆世界へ帰らねばならない理由をたくさん挙げてくれました。それで私は、「どうしても帰らなければならないのでしたら、どうか最後にもう一つ助言を下さい。そして将来私が何をすべきかを教えて下さい」とお願いしたのです。

 観音は詩のようなもので、将来チベットの三つの地域で起こる事柄を教えてくれました。この時の話は目が覚めてから紙に書き留めましたが、大体三、四十ページにまとまっています。最後に観音は私の頭頂に手を置いて祝福すると、「さあ、この国を一巡りしてよく見ておきなさい。そしてそれが済んだら帰りなさい。娑婆世界へ戻ったら『オン マニ ペーメー フム』の真言を一億遍唱えるように。そうすればあなたの人生、あなたの修行は必ず成就される。そして六、七十歳になった時、此処に再生するだろう。それを願って祈りなさい。私もまたあなたのために祈っている」と言いました。

「ここは一体どこなのですか?」私が最後に尋ねると、観音は答えました。「ここはシャンバラである。私が教えた全ての事をよく覚えていなさい。どの様な事であろうとも、決して忘れないように」

 その後、例の少女に連れられて、私は先に通った道を戻りました。最後に肉体に引き戻されるような感覚に襲われた途端、目を醒ましたのです。

 翌日になっても、夢に見た全ての事柄を覚えていました。私はその地に二日程滞留して、夢の中の出来事を洩らさず書き記し一冊の本にまとめたのです。その本には予言も含まれています。

「あなたが三十歳になると、もはや寺に居られなくなる時が来る。寺を去らねばならぬ時がきっと来る。その時あなたは特別な修行をしなければならない」というものです。中国が侵攻して来た時、既に私が寺に居らず、チベットからも脱出できたのはこの予言のおかげなのです。私は遠く離れた故国から、大勢の兵士の銃の下をかいくぐってやって来ました。それは単なる夢ではあっても、この肉体でそれまで一度も経験しなかった事をただ信じたからなのです。

 あいにく私のまとめた本はチベットに置いてきてしまいましたが、ラージャプールやカトの難民キャンプに行けば、この本の事を知っている人は今でも大勢いるはずです。ですから彼等に聞けば、きっと内容を覚えているでしょう。カトにツェノルという男の人が居ますが、彼なら間違いなく知っているはずです。

 この本は、祖国チベットで将来何が起こり、また中国が如何にして台頭し、将来シャンバラの戦争がどのような状況の中から勃発するのかを完全な形で書き留めています。

 ただ、私が今までお話したのは、私が見た夢の内容と、夢を通じてルドラ忿怒尊とお会いした経緯(いきさつ)を説明するものでしかありませんので‥‥”(P247~P250)

 

 “ガルジェ・カムツル・リンポチェによると、菩薩の姿を取ったそのラマは、初歩から悟りに至るまでの修行法を彼に教えて、観音の観想修道階梯を完全に説き明かしてくれたという。ラマが彼に真言を一億遍唱えるように言ったのは、この行を通じて常に観音とそれが具現している力と知恵との接触を保ち続けさせる意図があった。ラマは、彼に関する個人的な予言の外にも、東部チベットのカンパー地方が中国に対してどのような経緯を経て反乱を起こし失敗するか、さらにダライ・ラマが如何にしてインドに亡命するかも予言している。事実、それからおよそ十年後の一九五九年、ダライ・ラマはインドに亡命した。老ラマはチベットが将来再び解放される事を示唆し、毛沢東が権力を掌中に収めたのは彼の前生の行いと願望による事も説いてくれたという。

 

 ところで以上のように解釈した夢の旅について、彼自身は自分が実際にシャンバラへ行ったものだと考えてはいるものの、あえてそれを他人に認めさせようとはしていない。「結局、私個人の夢に過ぎなかった訳ですから、他人に信じろと言うのは無理でしょう」と語るのである。彼は、自分の心が肉体から離脱して、「第二の自分」のようなものが生まれ、それが少女と一緒にシャンバラに行ってきたのではないかと考えている。学識の高いチベット人の中にも、この話を認める者はいる。例えば、チュペル・ナムギャルは、肉体よりももっと精妙な身体で実際に飛んで行ったのだろうと言っている。”(P255)

 

(エドウィン・バーンバウム「シャンバラへの道 聖なる楽園を求めて」(日本教文社)より)

 

*シャンバラについては、精神世界に関心のある方はご存じだと思いますが、チベット奥地に存在するといわれる伝説の理想郷で、ヒマラヤ山脈の地下にあるとも言われています。サナート・クマラのおわします鞍馬山とつながっていると言う人もいるようですが、「霊界物語」では、ヒマラヤは地教山と呼ばれ、日本では長野県の皆神山が対応し、天教山(富士山)と対になっています。

 

 

 

*私は昔、インドでシャンバラの王、ルドラ・チャクリンを描いたタンカを目にしたことがあります。甲冑をまとい、完全武装の姿であったのが印象的でした。シャンバラ伝説は、チベット人達の間では、かなりポピュラーなようでした。

 

*以前にも紹介させていただきましたが、ダライ・ラマ14世の半生を描いた「クンドゥン」という映画があり、DVDにもなっています。監督は「タクシードライバー」のマーティン・スコセッシで、音楽はフィリップ・グラスが担当しており、非常によくできていると思いました。この映画の中でも、将来ダライ・ラマのラサへの帰還がかなうことが暗示されています。

 

*ダライ・ラマ14世公式ウェブサイト(日本語)

 

 

*「グル・リンポチェ(パドマ・サンババ)の真言を四十万遍唱えた」とか、「観世音菩薩の真言を一億遍唱えなさい」などとありますが、日本人仏教徒であれば、やはり念仏か光明真言を唱えるのが良いと思います。以前紹介させていただいた泉聖天尊の高弟であった仲須ランという方は、光明真言を一億二千万遍唱えて、ついに神通力を得たといいますし、高橋宥明上人も、ひたすら光明真言を唱えておられたそうです。

 

 

 

 

 

 

 


人気ブログランキング