霊気(レイキ)・鞍馬山・宇宙紋章 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “「人間の手からは霊気(レイキ)がでている。ことに神さまを拝む人の手からは余計に霊気が出ているでな。世間では、手当が良かった、とか、手当が遅すぎたとかいろいろ言うのは、そこから出ているのだ」

「手からは五尺も六尺も光が出て、悪魔を霊縛したり、憑き物を落としたり、不思議な役割をする。手は霊界と現界をつなぐアンテナで、神さまの心も手を通じて伝えられる。たとえば、お筆先を書いたり、フーチで字を書いたりする。また、神さまを霊で送ったり、また神さまから霊を頂き、いろんなことをお示し頂く。たとえば、お取次の時でも手が動いていろんなことを教える。神さまにお願する時は、拍手をしたり、合掌したり、手を組んだりしてすべて手を通じて行う。発動する時も手が動く」等々、お示し下さいました。”


(三浦玖仁子「花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録」)

 

 

・G・I・グルジェフ (オルガ・ド・ハートマンの回想)

 

 “すばらしく晴れわたった朝、いつものようにみな早く起床し、私は美しいライムの並木道へ出て行った。自然の美しさに圧倒されそうな喜びに満たされ、私は思わず両手を高々と空へ向けて差し上げた。ちょうどそのとき、グルジェフが声をかけた。「何をしているんですか?」私は彼が後ろにいるとは知らなかった。彼は私にこう説明した。「それは高次の力を引き寄せるために、聖餐式前に祭司のする動作だ。祭司たちはこの動作の意味を忘れてしまい、今ではただ機械的にそうしているだけだが、実際に高次の力を下へ引き寄せる動作なのだ。人間の指は一種のアンテナなのだ。」それから、こう言ったのである。「今の動作を無意識にやってはいけない。」”

 

(トーマス・ド・ハートマン/オルガ・ド・ハートマン「グルジェフと共に」めるくまーる社)

 

*オルガ・ド・ハートマンのように、天気の良い日の朝、戸外に出て両手を高々と差し上げると、誰でも清々しく爽快な気分になられると思います。この時に「高次元の力とのつながり」を意識することによって、実際にその力とコンタクトできるのかもしれません。エチオピア正教(コプト正教)では、司祭や修道士が神に祈り、何らかの答えを求めようとするときには、眼を閉じて両手を空に向かって差し上げ、そのままひたすら立ち続けます。そうすると、答えが直感として与えられるのだということです。また、「レイキ・ヒーリング」では、施術の前に両手を肩より上に挙げる動作をし、宣言文(「霊気療法の五戒」や「明治天皇の御製」など各種あるようです)を唱えることになっています。そうすることで「レイキのエネルギー」とつながるのだそうです。

 

*「レイキ」の創始者である臼井甕男(みかお)師(1865~1926)は、大正11年に鞍馬山に籠って修業され、そこでの神秘体験がきっかけとなり、臼井式靈氣療法を始められました。実は、皇道大本も鞍馬山との関係が深く、明治33年に国祖国常立尊の神示に従い鞍馬山出修が行われています。不思議な事に、臼井家の家紋である月星紋は、左上の星(天津甕星(あまつみかぼし)=金星あるいは北極星とされる)が通常の月星紋と比較してかなり大きく、出口王仁三郎聖師が大正13年に定められた甲子章(宇宙紋章)と酷似しており(臼井家紋の星は〇であって☆ではありませんが)、とても偶然とは思えません。そしてこの「宇宙紋章」は、出口ナオ開祖が鞍馬山出修の前年にその出現を予告しておられたのですが、「ミロク神政成就のしるし」であり、神界の許可なくして使用してはならないとされるほど神聖なものです。

〔甲子章(宇宙紋章)〕

・甲子章(宇宙紋章)とは

 

 “宇宙紋章は瑞霊の神票である。”

 

 “王仁三郎は宣伝使に宇宙紋章を渡すときに「これをもらう人は使命が大きいぞ。星は救世主と大本神のことである。この星を世界の中心に出すのが、使命である」と教えた。愛善会の徽章は、神様が世界の中心になられた姿である。”

 

(木庭次守編「出口王仁三郎聖師玉言集 新月のかけ」より)

*出口聖師は入蒙(モンゴルでの御神業)の際、この「宇宙紋章」を神旗として掲げて進まれました。

 

・皇道大本の鞍馬山出修(明治33年)

 

 “翌二日早朝、鬼三郎は前に流れる小川で口をそそぎ、手を洗い、神前に祈願をこらす。たちまち神がかりして、歌を詠んだ。

 世の中の人の心のくらま山 神の霊光(ひかり)に開くこの道

 

 「行く先は鞍馬山でしたなあ」と誰にいうとなくつぶやく直の頬は、きびしく引き締まった。”(P38)

 

 “無事綾部へ帰り着いてニ、三日の夜、にわかに突風が巻き起こり、広前の杉がごうごうと鳴った。直は鬼三郎にいった。

 「いま、鞍馬山の大僧正がきて、本宮山に鎮まりなさった。眷属は馬場の大杉に。先生、いつか行って見なされ。蜂の巣づくりみたいに、たくさんの眷属がさわいでいるのが見えますでなあ」”(P48~P49)

 

(出口和明「実録出口王仁三郎伝 大地の母 7」(あいぜん出版)より)

 

*鞍馬弘教の信楽香雲初代管長は、鞍馬の魔王尊とは、神智学協会のマダム・ブラバツキーの著書「シークレット・ドクトリン」に記された、金星から降臨し中央アジアの地下都市シャンバラに住む霊王サナート・クマラのことだと主張されましたが、大正10年に出口聖師が入蒙(モンゴル行き)を決断されたのは、上空に異様な光を放つ上弦の月と太白星(金星)を目撃されてのことであり、何やら不思議な因縁を感じます(ちなみに、堕天使ルシファーも金星と関係があります)。「火の霧の子」達の一人であるサナート・クマラは永遠に16歳の少年の姿を保ち、人類の進化を司る存在であって、マイトレーヤ(ミロク)の同胞でもあります。神智学において特に重視されているようですが、スブドのラティハン・クジワアンをバパ・スブーに伝えたのはサナート・クマラだという説もあり(80年代にあるスブド会員の方が言っておられました)、それが事実であればレイキとスブドの間には、サナート・クマラを通じて何かしらの関連があるとも考えられます。しかし、確かに共通する要素はあるのですが(レイキのアチューンメントとスブドのオープンのどちらも修練によって獲得されるものではなく人から人へただ伝達されるものであることなど)、一方で異なる点も数多くあり、これについては私には判断がつきかねます。(ちなみに、スブドがオーラ・ソーマと関係があるのは事実です)。ただ戦前の「靈氣」では精神の修養が重視されていましたが、現在の「レイキ」は、その大衆への普及と共に精神的な面がおろそかにされ、かなり劣化、軽薄化しているような印象を受けます。ですが、たとえ扱う人物に問題があっても、本来の靈氣(レイキ)の高次元のエネルギー自体は不変であり、変質することはないはずです。既に世界中で膨大な数の人がレイキ・エネルギーとの接触を果たされていますが、もしかしたら、このレイキの世界的な流行はサナート・クマラによって意図されたもので、人類の霊的な進化と関係があるのかもしれません。

 

 “……全世界の神秘は、非常にまれな場合を除いては(我々には)見ることの出来ない諸々の諸所のハイアラーキーと、これらの存在がもつ正しい教えの基礎の上に造られている。例えば、クマーラ達は、実際は合計で七であるが、「四」なるものと呼ばれる。何故ならば、SANAKA、SANANDA、SANATANAそして、SANAT - KUMARAは、彼らが「四種の神秘」から発するが故に……”

 

(H・P・ブラヴァッキー「The Secret Doctrine」(人智学研究会)より)

 

*聖者ラーマ・クリシュナは、神智学で信じられている大師(マハトマ)達の存在を肯定しましたが、それでも我々が心を向けるべきなのは神のみであると説いています。そしてスワミ・ヴィヴェーカーナンダは、神智学徒たちの霊的なエリート意識に対して公の場で不快感を表明したと伝えられています。スブドのラティハン・クジワアンも、あくまでも神への礼拝として行われるべきものであって、ラティハンを行うこと自体が目的であってはならないとされています。私はレイキについても同じことが言えるのではないかと思っています。

 

・ジャムシード王の聖なる七輪の杯(ジャムの酒杯) 〔スブド同胞会のシンボル〕

 

 “……スブドの表象する七つの輪は、古くからイスラムやアラビアに伝わるジャムシード王の七輪の杯―― それは七天、七星、七海、七音、七光、七色、七秘伝などをあらわすものとも考えられ、この七つの輪の秘義がわかった時は、スブドの奥義に通暁したと伝えられる。また七つの輪は鉱物、植物、動物、人間、小天使、大天使、神への七界を象徴し、その各々にまた鉱物、植物、動物、人間、小天使、大天使、神にわかたれているので、つごう七七・四十九の階層があるように解釈されている。

 そこでスブドによって魂のひらきを受けるオープニング(opening)を受けたことは、この七つの輪の外側の、七面の一方に立たされたこととなる。

 その扉が何であるかは、われわれには皆目わからない。自分勝手に人間であると決めているかもしれないが、実際は鉱物であるかもわからないし、植物や動物であるかもしれないのである。何も知らされていないからこそ、神のみまえに人間の顔をしてのこのこと大手を振って出ていくことも出来るし、最も低い世間智や、少しばかりの智恵で鼻をうごめかしたり、また低級な動物霊の手先とされて怪しげな〈霊能力〉で空威張りもできるわけとなる。

 キリストは、叩けよ、しからば開かれん、とこの扉のことを教えている。そして幼児のごとくあれ、とも教えている。

 スブドにおいては、一切の知識、人間智、理性、意志、感情をすてよ、とオープニングにあたって教えるのは、このスブドの道がいかに一見やさしく、平易にみえていかに実際険しいかを、この七つの輪によって示しているのである。”

 

(トービス星図「神秘学入門」霞ヶ関書房より)

*ジャムシード王とは、古代ペルシャのゾロアスター教の聖典「アヴェスタ」や叙事詩「シャー・ナーメ(王書)」、あるいはオマル・ハイヤームの「ルバイヤート」などに登場する伝説の王で、彼が持つ酒杯には、七天、七星、七海などを象徴する七つの輪が刻まれており、宇宙間の森羅万象をことごとくその中に映し出すことができたと伝えられています。