こんにちはニコニコ

ご訪問ありがとうございます。
 
世界中の人と友達になりたい
chocolatitaです爆笑
 
 
 
アメリカ生活時代第5弾は
外国人の彼氏ができた
 
 
 
ここまでの自己紹介はこちらから

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自己紹介フェーズ1

幼少時代:

①左利きコンプレックス

②妹コンプレックス

小学生時代:

③1人旅

中学生時代:

④部活開始

⑤部活内トラブル勃発

⑥家の増築から感じた家族と家に対する価値感

⑦初の海外旅行

⑧進路決定

高校時代:

⑨希望の高校の現実

⑩メカ嫌い

⑪カナダとの姉妹校交流

自己紹介フェーズ2

①渡米からホームステイスタート

②ホームステイと私

③ホストファミリーとの出会い

④語学学校で英語を学ぶ

⑤外国人の彼氏ができる左矢印今はここ

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 この話題、
留学する前から女友達に
 
『留学したら違う国の彼氏ができたり、
色々ありそうだよね〜』
 
と話していたけれど、
 
 
 
 
本当に色々ありましたてへぺろ
 
 
 
 
 
 
 
当時、語学学校で1番モテたのは
 
 
 
 
日本人の女の子ハート
 
 
 
 
これはどの日本人留学生に聞いても
当時皆んな
 
 
 
『声かけられた!』
 
 
 
と言うくらいモテモテでした照れ
可愛い女の子が多かったようにも思えますがアセアセ
 
 
 
※男性陣がモテると言うのは
悲しくも聞きませんでしたがねニヒヒ
 
 
 
 
そのくらい【日本人】で【女の子】
と言うだけでアジア圏の方達、
 
特に韓国、台湾、タイの方には
声をかけられるのを見たり
かけられました
 
 
 
その当時はなんでタイ!?
と思いましたが、
今タイを知って親日なのが分かり納得してますデレデレ
 
 
 
 
 
この語学学校時代の私、
最初は勉強一筋だったので
特に何もありませんでした。
あっ1つ嫌な思い出がありました。
韓国人男性で奥さん持ちの方と。。。
 
 
 
少し余裕が出てきて、
違う国の人とのコミュニケーションを
楽しむようになってきた頃
 
 
外国人彼氏ができたら
何でも英語で伝えなきゃならなくなって
勉強にもなるし、心強いしいいかも!
 
 
 
と言うブラックな気持ちと
10代と言う若さで
気軽に付き合い始めましたニヤリ
 
 
 
 
 
台湾人の彼氏です。
 
 
 
 
 
 

 
 
正直、
ホストファミリーはいたのですが
生活をしていく上で不安になることは
色々ありました。
 
   -車を持っていない
車社会なので公共機関のバスを利用する人は当時社会的/経済的弱者ばかりでした。もちろん自由度と言う面でも落ちるのですが、それ以上に日本とは比べものにならない経済格差の貧困層と言われる人達と共にするバスはドキドキビクビクの連続でした。
 
   -学校までの道のりが怖い
ホームレスがいたり、雰囲気が暗いダウンタウンを通ったり、中南米のヒスパニック系に歩いてると気軽にナンパされどこに連れて行かれるか分からない道のり。銃社会結構身近に感じて生活してましたニヤニヤ
 
   -今後の進学とお金について
語学学校からどんなルートで大学進学をするのが一番お金がかからず、時間もかからずできるのか。そして入りたい学部に入れるのか。
ネイティブとは全く違う学費制度があったので、留学生同士の情報は大事でした。
 
   -何かあった時に頼れる人が欲しい
当たり前に支えてもらっていた日本での家族や友達に
代わるような人が欲しかった。
容易く人に物事を頼めない性格にも関わらず、一人で異国で暮らすには知識も経験も少な過ぎた。
 
 
少しでもこんな不安を相談できたり
頼れる人がいたらと言う思いで
年上の台湾人の方と
付き合うことにしました。
 
 
 
もちろん優しい人で
いい人だとは思ってましたが、
結婚など将来については考えもせず
付き合い始めました。
 
 
 
 
 
 
 
頼れる相手が欲しかった。
 
 
 
 
 
別に彼氏と言う存在でなくても
良かったのかもしれない。
 
 
友達でもなんでも。
 
 
 
 
 
家族など身内であれば、
私のために◯◯して!と言うのは
頼めたけれど、
 
友達などにも自分のためだけの事に
何かをお願いする事が苦手で、
気軽に声をかけれない。
 
 
 
 
人のことをするのは好き。
けど、逆で自分のことをお願いするのは
極力避けたい。
 
 
 
 
そう思ってました。
 
 
 
 
けれど、その当時
自分ひとりの力じゃどうしても
不安になることがたくさんあった。
 
 
 
 
今のようにネット環境が良く
何でも簡単に情報が入ってくるほど
情報も溢れていない。
 
 
英語で情報を得ようにも
語学もまだまだ。
 
 
 
何をしようにも
一人暮らしを人生でした事が初めてで
何をするにも知識経験が少な過ぎた。
アパートの契約方法、携帯の契約、車の購入、保険の入り方などなど
 
 
 
自分の生きていく力の低さに
甘えて付き合ったのひどいよね?
 
 
と言われたら、
完全には否定できない。
その部分はあったと思う。
 
 
 
 
 
今までの青春時代のように
恋バナで盛り上がる内容の付き合いとは
私の中では違ってたなと
改めて思えるし。
 
 
 
 
だからと言って、
ただただ甘えて
ポイっと捨てたわけでもない。
 
 
 
相手と向き合って
時にはケンカしたり、
時には一緒にお祝いをしたり、
 
 
 
その時々を一緒に
楽しんだ。
 
 
 
 
けれど、
 
 
 
 
 
 
 
私はその彼と付き合って
今までの人生で一番の孤独を感じる経験もした。
 
 
 

 
 
 
ホームステイ後、
完全に台湾人コミュニティ一色に
染まった環境で暮らすことになった。
 
 
 
 
 
彼氏は台湾人。
ルームメイトも台湾人。
彼氏のお友達も
ルームメイトの友達も
皆周りを見渡すと台湾人。
 
 
 
 
私の元々の友達も
台湾人が多かったのもあり、
 
 
 
 
私以外、
全員が台湾人。
 
 
 
と言う状況で
長期休暇を過ごしたこともあった。
1人だけシンガポール人だったけれど、
中国語ができる人だった。
 
 
 
 
この時の孤独感は
今までの孤独感とは全く違かった。
 
 
 
 
私が感じた孤独は、
周囲にたくさん人がいるにも関わらず、
私がそこに存在しないような孤独感。
 
 
 
一緒にいながら自分の目の前で
なんて言われているのか分からないから
不安になりそれが続き
孤独を感じるようになった。
 
 
 
 
そう、言語の問題だった。
 
 
 
共通言語(=英語)があるにも関わらず、
共通ではない中国語での
コミュニケーションは
私を孤独に感じさせた。
※中国語を話している人を
否定しているわけでは決してありません。
 
 
 
 
 
 
一人一人は
留学生で英語を学びに来ていて
英語が喋れる。
 
 
 
既に大学で授業を受けている子もいれば、
まだアメリカに来て間もない子。
 
年齢も10代から30代までと
さまざま。
 
 
 
私と一対一で
英語で意思疎通できるほど。
 
 
 
けれど、
何人か集まるとほぼ中国語。
 
 
 
もちろん中には私を気遣って
英語で訳してくれる子もいたけれど。。。
 
 
 
 
 
ここはアメリカなのかどこなのか
分からなくなるほど
中国語で溢れていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
私の中国語レベルは
台湾人の彼と付き合って中国語を
ほんの少しかじったくらい。
 
 
 
 
 
だから中国語ネイティブ同士の会話は
なんて言っているか理解ができない。
 
 
 
時には私の話題になったのか私を見て
その分からない言葉で
笑ったり、
私以外全員面白くて笑ったり、
 
 
時には、
全く御構い無しに食事に行っても
席に着いてからお会計まで
オーダーで少し英語で確認されたくらいで
あとは完全中国語。
 
 
 
 
 
ワタシハ ナンデ ココニイルノ?
 
 
 
 
ワタシハ ソンザイ シテルノ?
 
 
 
 
透明人間なのかと錯覚するほど
スルーされている。
 
 
 
 
 
でも誘われて来ている。
 
 
 
なんなんだろう?
この感覚。
 
 
 
 
なんで英語で話さないんだろう?
 
 
 
 
 
 
私には聞かれたくない内容なの?
それとも言っても分からない内容だから?
 
 
 
 
私の頭の中で勝手な悪い妄想が
渦巻いていった。
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
私は人と話すのが大好き!
 
 
 
けれど、何を話しているのか
何も分からない状態で口を挟んだりまで
できなかった。
 
 
と言うか、
どんなタイミングに声をかけたらいいのか
分からなかった。
 
 
 
 
 
 
それより誰も気になる人は
いないんだ。
 
 
 
私は何なんだ。
 
 
 
と、繰り返し起こったので
そんな想いを
台湾人の彼と何度もぶつけ
話しあった。
 
 
 
 
 
そこで返ってくる言葉は、
 
 
 
 
『知りたいんだったら聞けばいい。』
 
 
 
 
『嫌なら行かなければいい。』
 
 
 
『向こうも向こうで気を遣ってるし、
そんな友達を悪く言われたくない』
 
 
 
 
。。。。
 
 
 
 
その通りかもしれない。
 
 
 
中には英語で私と話してくれるように
なった人もいて、
 
 
 
オアシスのようで
すごく嬉しかった!!
 
 
 
 
けれど、
彼の友達だからと言って
皆と気が合うわけでないのにも
気付いた。
 
 
 
 
お互いに楽しめないのであれば、
無理する必要はないな。
 
 
 
 
それから私は次第に
ご飯に行くのをやめた。
 
 
 
 
 
それ以降も付き合いは
続けたが、
 
 
いつの間にか彼を取り巻く
小さな世界しか
見えなくなってる自分が
いるのに気付いた。
 
 
 
 
もちろん彼を始め
彼の周りの友達にたくさん支えてもらい、
車を買い、保険に入り、学校の編入学のやり方など色々教わり、助かった部分も多いにあった。
感謝もすごくしている。
 
 
 
 
けれど、
 
 
 
そこに固執し続けずに
 
 
小さな世界から抜け出し、
自分で築き上げる関係ができないか
探し始めることにした。
 
 
 
 
もっと楽しめる場は何だろう?
 
 
 
 
そんな視線を変えてみると
色々な事が舞い込んで来た。
 
 
 
新しいことにチャレンジすることは
好きだったので、
興味があることをやってみた!
 
 
 
通い始めた
短大のファッションショーモデルをやらないかと誘われ、
ランウェイを歩いたり、
 
 
 
アメリカ人の学生に誘われ
一緒に英語で日本語を学べるフラッシュカードのような物の作成と販売を手伝ったり、
 
 
 
日本領事館の館長さんのお宅での
立食パーティへ参加したり、
 
 
 
日本人の駐在員さんと一緒に
演劇鑑賞に行ったり、
 
 
 
 
今まで関わる事がなかった人達と
新しい繋がりが生まれ、
今までの小さな世界にはなかった
光のようなものが見えてきた。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
自分の存在や価値観を
否定するような人ばかりいない。
 
 
 
 
自分を見てくれる人もいる。
 
 
 
 
今の自分でもしかしたらいいのかも!
 
 
 
 
そんな風に思える
世界がここにもあるんだ!
 
 
 
 
と言うことに
気付けることができた。
 
 
 
それと同時に、
自分自身でできる事を
もっともっ増やせるようにしたい。
 
 
 
今以上に自立したい。
 
 
 
 
自我や自立を大事とする
アメリカ社会に後押しもされ、
自分の足で歩み始めることができた。
 
 
 
 
アメリカにいながら
別の国にいるかのような生活を送り
色々もがき、
悩んだ事もあったけれど
 
 
密に関わる事で
見えることもたくさんあった。
 
 
 
ここには到底書ききれない程
たくさんあったけれど
今になってはいい思い出のように思えます照れ
 
 
 
 
 

それではまたバイバイ

 
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◆自己紹介シリーズ◆
次回はこちら

 

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