マイケル・ダイアリー(1977) | CAHIER DE CHOCOLAT

マイケル・ダイアリー(1977)

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『ライフ・オブ・ブライアン』や『リッピング・ヤーン』、『Instant Record Collection』、小説を書き始めたりも。子どもたちも大きくなってきて、できることも増えて、学校行事にもたくさん参加するマイケル。


マイケル・ペイリン 『The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1』より。

so far: 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1975, 1976

after this: 1978, 1979


2月8日(火)
6ヶ月分の山積みになっていたファンレターをやっと読み終えた。ほとんどは日本からで、たいていはデリケートな用紙に美しく書かれている。ほぼどれも「私は14歳の中学生です」というような文で始まる。まるで、読む人に危険の身震いをさせようとしているかのようだ。ことばも問題ない。日本のテレビでは、パイソンは「おかまの恐竜 モンティ・パイソン」と訳されているらしい。手紙の1通では“Upper Class Twit of the Year”がほめられていたが、「上流階級で一番アホな“やつ”決定戦」と素晴らしい呼び方をされていた。アメリカからの手紙もあったけれども、だいたいもっと荒々しく暴力的で、ページから僕に向かって叫んでいるみたいだった。

(後略)



日本からのファンレター、学校の教科書に出てくる手紙文みたいな最初の一文がこんな印象になることもある。アメリカからの手紙についての表現がまたおもしろいな。言い得て妙。


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3月7日(月)

(前略)

 良いアイデアセッションだった。4時まで話していた。とてもすっきりと終われた。“r”をうまくpwonounce(発音、pronounce)できない(古代ローマ歩兵隊の)百人隊の隊長は今やかなり重要な人物になっている。実は、彼はポンテオ・ピラトだろう。

(後略)



なんとあのキャラクター、最初はピラトとして書かれたものではなかったということなんですね。日記にもピラトの発音で書くマイケルがおかしい。


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3月11日(金)

(前略)

 かなり仕事の日ではなくなってしまったが、なんとか“Twibune”(古代ローマの護民官、tribune)のことをもう少し書こうとする。ヘレンが、彼には友だちが必要だと言うので、ビッガス・ディカスを書いた。彼はlithp(舌足らずなしゃべり方、lisp)でthpeakth(話す、speaks)。


これはさらに驚き! ビッガス・ディカスはヘレンの提案があったから作られたキャラクターだったとは! ヘレンは映像や出版などに関連した仕事をしている人ではありませんが、マイケルの良きアドバイザーのようで、ほかでもヘレンの意見を聞く話は何度も出てきます。笑いを共有できる人だとということですし、ほんとうに素敵なふたり。この日はビッガス・ディカスの発音でも書いてあります。


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5月14日(土)アボッツリー
街と仕事から離れて、2日間の休みのためにアボッツリーへと車で向かった。トムとウィリーと一緒に長距離のサイクリングをする。彼らが成長するにつれて、一緒にできることも増えてきた。僕たちはウェアズリーまで自転車で行き、そこでずっとあとをついてくる犬に出会った。最後には、ヘレンと僕が車でその犬を戻しにいかなければならなくなった。トムは、テットワース・ホール・エステートの道路沿いで狩猟に使われて空になった弾薬筒を大量に集めた。とても楽しい日で、良い5月の夕暮れ時だった。


自転車のあとについてきた犬を車で返しにいく……ちょっと何かのワンシーンのようなできごと。スケッチやコメディだったら、返しても返しても家に帰ってきたらまたそこにいる、とか?(ホラーっぽくもある)


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7月13日(水)
 2時にウィリーの学校の発表会にかけつける。かなりうろたえているように見えるウィリーは“Marvellous Monster from Mars”(火星からやってきた素晴らしきモンスター)のモンスターの3番目の子どもだ。彼はモンスターに選ばれたことをとても誇らしく思っていた。子どもたち全員の中から選出されたのは6人。「忍耐力がある」ことで知られている子たちだとウィリーは言っていた。忍耐力は観客にも必要だった。


とても誇らしげなウィリーと最後の1文のコントラストがなんせおかしい。“Marvellous Monster from Mars”、どんな出し物だったんでしょうね?


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10月17日(月)
何週間かぶりにDr. チャップマンが電話してくる。『Instant Record Collection』の内容についてとても心配していると言うためだった。僕は平静を装った。というのも、2ヶ月前にはみんなまったく関心のなさそうだったレコードに興味を示し始めるには、パイソンの仲間としてはちょっと遅すぎるからだ。僕はそれをまかされて、先週マスタリングが終わっていた。
 でも、ドクター(グレアム)にはしばらく会っていなかったので、彼のリクエストどおりに出かけていって、レコードについて話をするのはかなり嬉しいことだった。
 ジントニックを手にしたグレアムは、とてもさっぱりしていて、いつもよりずっと正常なようだった。髪もとかしつけてあった。前に向かってではなく、サイドに向かってで、あんなのは知り合ってから一度も見たことがなかった。
 GC(グレアム)には、何か深刻なことを言おうとして不安になっている人のような雰囲気が間違いなくあった。この呼び出し自体が仕事の話だ。でも、その感じはすぐにくしゃくしゃに丸めて放り出すみたいになくなって、僕はかなり気楽に、彼が心配するささいなことのほとんどはその必要はないことだと話すことができた。GCはおしゃべりをする仲間のパイソンがいることがとにかく嬉しいようだった。
 彼の映画『The Odd Job』にはまだお金の問題があった。変更部分の撮影は1978年の2月か3月になっている。もしGCが78年の4月か6月にブライアンも演じるのであれば、ちょっと余裕がないことになる。この役者として莫大な労力をかける見込みは、酒を飲まずにちゃんとしている状態というのがどれぐらいの感じになるのかを知って、彼が本来持っているものごとに対するまじめさを取り戻そうとする最新の企てがあるからだと思う。僕は、彼が成功するという希望を持っている。僕は彼が好きだからだ。今、昔のチャップマンの温かさが、根底には不安があるにも関わらず、表われてきている。
 僕が帰るとき、12月は全部休みにすることを考えている、どこかへ言って準備をするために、と彼は僕に言った。たぶんひとりでだろう。ひとりでスコットランドの高地をひとりでとにかく歩き回るとか。勇敢なことばだ。でも、30分経ったころにキース・ムーンがやってきたときには、グレアムはバーのようなスタイルのディスペンサーから自分でジンを注ぐようにしていることに僕は気づいていた。だから、そんなにすっかりは変わっていないと思う。


意外と(?)仲良しなマイケルとグレアム。グレアムが断酒したのは1977年の12月なので、マイケルに言ったとおりにこのあとです。でも、10月の段階ではまだディスペンサーからセルフでジントニックを飲んでいたという。『The Odd Job』のなんでも屋の役は、もともとはキース・ムーンを想定してグレアムは書いていたけど、キースの体調のために出演は実現しなかったそうです。この日、キースがグレアムの家にきたとありますが、この時点ではまだキースが演じる予定だったのかどうかまではわかりません。


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11月1日(火)
タイプライターで2,000語近く。10時から4時の間、3時間の停電があった。ウィリーがろうそくを持ってきてくれて、とてもディケンズ作品風の精神で書き続ける。子どもたちはみんな停電が大好きだ。電気がついたときには落胆の声が上がった。


停電大好き、わかるなー。台風だと出かけたくなるっていうのとかと同じ。もちろん、そこまで大ごとでないとわかっているとき限定ではあるんですけども。


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12月7日(水)シェフィールド
2時30分、ウィリアムのクリスマス・コンサートのためにゴスペル・オーク・スクールへ。今年の彼はローマの百人隊だ。これまでの出し物に比べると、活発な感じや自然発生的な要素は薄かった。宗教のしめつけだろうか?

(後略)



マイケルが『ライフ・オブ・ブライアン』で百人隊を書いているときにウィリアムも百人隊を演じるという偶然。でも、それについては何も書いていないマイケル。当時の学校の出し物としては珍しくないものなのかも知れないですね。


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12月8日(木)

(前略)

 トムのコンサートのために今夜もゴスペル・オークへ。とてもゆるい脚色の“シンデレラ”で、最後はスケートボードのシーンで終わった。トムは最高に自信を持った演技で、僕を驚かせた。“Consider Yourself”をコーラスで歌うときはほんとうに楽しそうに全力で参加し、ポップグループではなかなかにいいエルヴィス的な感じがあり、かなりおちゃめなバージョンの“You Are My Sunshine”は離れ業だった。彼は、僕が目にするだろうと思っていた内気なトムなどではなかった。

(後略)



ほんとうにそうとうゆるいシンデレラ。まったく想像ができません(観てみたい)。トム大活躍で、成長も感じられて、いいですねぇ。2日連続で子どもの学校のクリスマス・コンサートを観にいくマイケルもすごいし、素敵だなあ。


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12月16日(金)
クリスマスが近づくにつれて、今年も残り少なくなってきた。寒い天気はマイルドでグレーのじめじめした天気に取って代わられ、街は使ったあとのハンカチみたいになっている。僕は、新たにタイプした『(リッピング・)ヤーン』の編集という伸ばし伸ばしになっていた作業をついに完成させ、ジェフリー(・ストラカン)のところへそれを持っていった。


どんよりした雨の街が「使ったあとのハンカチみたい」とか。マイケルのこういう表現がすごく好きだし、どうやったらこんなたとえを思いつくのかと思う。すごい。




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ORIGINAL:
MICHAEL PALIN “The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1”

Tuesday, February 8th
Finished, at last, a six-month-old pile of fan letters. Mostly from Japan, beautifully written, generally on very delicate paper, and nearly always beginning ‘I am a schoolgirl of 14’, as if to add a frisson of danger for the reader. The language is fine too. Python is translated as ‘Gay Boys’ Dragon Show’ on Japanese TV, and one of the letters eulogises’Upper Class Twit of the Year’, but calls it, splendidly ‘The Aristocratic Deciding Foolish No. 1 “Guy’. American letters, too, but coarser and more violent generally, shouting at me off the page.

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Monday, March 7th

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ᅠᅠA good ideas session. We talked until four. Cleaned up the ending a good deal. The Centurion who can’t pwonounce his ‘r’s has become quite a leading figure now – in fact he’s probably Pontius Pilate.

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Friday, March 11th

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ᅠᅠIt does rather throw my working day, but I manage to write some more of the ‘Twibune’. Helen suggests he should have a friend, so I write in Biggus Dickus, who thpeakth with a lithp.

Saturday, May 14th, Abbotsley
Drove up to Abbotsley for two-day break from city and work. Long bicycle ride with Tom and Willy – the older they get the more we can do together. We cycled all the way to Waresley, where we met a dog which followed us all the way back. In the end Helen and I had to drive it back in the car. Tom collected a hoard of spent cartridges from roadside shoots along the Tetworth Hall Estate. Very happy day and fine May sunset.


Wednesday, July 13th
ᅠᅠDash off to Willys school concert at two. Willy, looking rather bewildered, is third child along in the Monster – the Marvellous Monster from Mars. He was very proud to be chosen for the Monster – they took six children from the whole of the infants – noted for their ‘patience’, Willy said. Patience was also a necessity for the audience.


Monday, October 17th
Dr Chapman on the phone for the first time in many weeks. To say how worried he is about the content of the ‘Instant Record Collection’. I grit my teeth, for it is a little late in the day for fellow Pythons to start showing interest in a record they all seemed fairly apathetic towards two months ago. I was left to put it together, and it was mastered last week.
ᅠᅠBut, as I haven’t seen the Doctor for a while, I’m quite happy to go round and talk over the record with him, as requested, later this afternoon.
ᅠᅠGraham, gin and tonic in hand, looks well scrubbed and far more normal than usual. His hair is brushed, not forward, but to the side, such as I haven’t seen all the time I’ve known him.
ᅠᅠGC definitely gives the impression of someone anxious to convey seriousness of purpose. The very summons itself is for business – but that crumples quickly and I am able quite easily to talk him out of most of his peripheral worries. GC just seems pleased to have a fellow Python to chat to.
ᅠᅠHis film, The Odd Job, has still got money problems, and the revised shoot is now February/March 1978. If GC is also going to play Brian in April/June ‘78, he is cutting it a bit fine. I think the prospect of this mammoth thespian effort is what is behind this latest attempt of his to find a level of non-drunken respectability and to restore a little of his natural seriousness to his affairs. I hope upon hope he succeeds, for I am fond of him – and the old Chapman warmth came through today despite his underlying anxieties.
ᅠᅠAs I left he told me that he was thinking of taking the whole of December off, to go away somewhere and prepare – maybe on his own. Just walking round the Highlands on his own. Brave words. But Keith Moon was coming round in a half-hour, and I notice that Graham now helps himself to gin from a bar-style dispenser – so I don’t think all that much has changed.


Tuesday, November 1st
Nearly 2,000 words on the typewriter. At ten to four we have a three-hour power-cut. Willy brings me up a candle and I carry on writing in very Dickensian spirit. The children all love the blackout and there are groans of disappointment when the lights come on again.


Wednesday, December 7th, Sheffield
To Gospel Oak School at 2.30 for William’s Christmas Concert. This year he’s a Roman centurion. Less lively and spontaneous than shows in the past – the heavy hand of religion?

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Thursday, December 8th

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ᅠᅠThis evening to Gospel Oak again for Tom’s concert. A very loose adaptation of’Cinderella’, complete with skateboard sequence. Tom amazed me with the supreme confidence of his performances – whether in the chorus singing ‘Consider Yourself’ with real enjoyment and wholehearted participation, or giving a very passable impression of Elvis in a pop group, or his tour de force – a rather arch version of ’You Are My Sunshine’ – he was certainly not the retiring Tom I expected to see.

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Friday, December 16th
The days become slighter and slighter as Christmas nears. The cold weather has been replaced by mild, grey, greasy weather, which makes the city feel like a used handkerchief. I finally complete the prolonged job of editing the newly typed Yarns and take them in to Geoffrey [Strachan].



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