マイケル・ダイアリー(1975) | CAHIER DE CHOCOLAT

マイケル・ダイアリー(1975)

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1975年は第3子レイチェルの誕生、メンバーそれぞれの活動、アメリカのテレビ局ABCを相手取った裁判……など、やはりたくさんのできごとが。


マイケル・ペイリン 『The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1』より。

so far: 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974

after this: 1976, 1977, 1978, 1979


1月6日(月)
どんよりした雲が低くたれこめた日。吹きつける風が僕の巣(註:新しく、壁の半分がガラスになっている部屋が家のてっぺんに増築された。初めて注文して作った僕の仕事部屋)に冷たいすきま風を送り込んでくる。部屋を温めるのにほぼ午前中いっぱいかかる。僕の脳みそは温まる気配がまったくなく、演劇のためのつまらないアイデアと格闘する。昼食後、トーマスとアンソニー・タッカベリーを連れて、アデルフィに『Dr. フー in 怪人ダレクの惑星』を観にいった。子どもたちはいい連れだ。6歳児の真剣さと自意識のなさのおかげで、彼らの会話は聞いていて楽しいものになる。父親が弁護士だと言っていたアンソニーは僕に言った。「あなたが誰だか知っているよ……映画を作る人だ」 ラジエーターに頭をぶつけたときは、「ああ、痛い」とこっちがたじろぐほどに感情がこもった言い方で、「頭にたれてきた、そして、首に下がってきた、それから、僕のシャツの上に……」と彼は言い、そのあと補足程度につけ加えた。「血が」

(後略)



家のてっぺんに半分ガラスの温室みたいな仕事部屋! 素敵〜。子どもの「真剣さと自意識のなさ」、そうそう、だから子どもの言動はおもしろいんですよね。


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3月7日(金)マリオット・エセックス・ハウス・ホテル、ニューヨーク

(前略:ニューヨークにきて、ホテルでインタビューを受けて、セレブリティがくるティールームでブリヌイと赤ワインをおなかいっぱいすぎるくらい飲んだり食べたりする)

 で、この素晴らしい日は12時頃(英国時間午前4時)に終わった。

Gチャップマンが、彼はいつも1日の終わりに僕の生活にさまよい込んでくるみたいだが、ホテルの廊下に現われた。彼は信じられないといったふうに頭を振っていて、ニューヨークのシティ・スパの話をしたがっているようだった。
 僕は断続的な眠りの中へと沈んでいった。もう金輪際飲むものか、食べるものかと心に刻み込みながら。


いやもうほんとうに、グレアムは「いつも1日の終わりに僕の生活にさまよい込んでくる」……その通りです。ここにきてマイケル自身がこれを書いていること自体もおもしろい。


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7月22日(火)
テリーと一緒に今日は“Fegg”をやった。この本(の発売予定のアメリカ版)のための新しい素材に、連続で3日費やしている。
 それから、ハイゲートのサウスウッドレーンにあるDr チャップマンの家に行った。ユーゴスラビアの記者とのインタビューのためだ。というのも、ユーゴスラビアが映画『ホーリー・グレイル』を買ってくれたようなのだ。ずんぐりした、かなりだらしなくひげを伸ばした男がテープレコーダーを持って、グレアムの家の客間のようなところにひとりで座っていた。僕はハローと言った。その時、「じゃあ、なんとかしようとしろよ」というひどいスコットランドなまりの叫び声が隣の部屋から聞こえてきた。バーナード・マッケンナがそこにいて、彼のなぐり書きでいっぱいの紙の束に囲まれて、いらいらしたようすだった。一方のチャップマンはいつもの執筆中のかっこうで座っていた。片手にジントニックのグラスで、脚を伸ばして、空中を見つめながら。
 グレアムの顔は青白かった。まるで、今まで5年間ゾンビとして過ごしてきたかのようだ。そう見えるというよりも、実際そうだったと言ったほうが近い。グレアムは最近、リンゴ・スターと知り合いになった。グレアムとダグラスが彼の豪華なテレビ番組(アメリカの)の脚本を手がけたからだ。グレアムはキース・ムーンやハリー・ニルソンとも交友関係にあった。もはやキースは完全に狂っていて、ロールスロイスでプールに突っ込んでは、そのままにして帰ったりしている。ニルソンは、ティム・カレーから話は聞いていて、動転してもごもご話すチャップマンからも今夜また聞いたけど、自滅を決めているのだという。グレアムは、いかにニルソンが完全にドラッグにやられた状態になって、昨日GCの家から助けだされたかを、ソドム(*死海南側の古代都市。聖書では、人々の罪悪のため隣町のゴモラとともに天の火で焼き滅ぼされたとされている)に遠足に行ってきた日曜学校の子どものように僕に話した。それがほんとうだとわかるあざや傷がグレアムに残っていた。ニルソンはストレートのジンを、一晩に1本飲む。彼はありとあらゆる錠剤を飲んでいるけれども、だいたいいつもコカインを好む。グレアムはほんとうにショックを受けていた。
 僕たちは1時間かそこら、とても気さくなユーゴスラビア人と話した。彼は、ユーゴスラビアには反パイソンという意見もあるけど、番組は人々の拠りどころになっていると僕らに話した。


“Fegg”というのは、マイケル&テリーJ共著の本『Dr. Fegg’s Encyclopeadia Of All World Knowledge』のことだと思います。いくつかバージョンがあるようなのですが、マイケルのHPに少し内容が掲載されていて、絶対おもしろいやつだ……!という本なので、読みたいリストに入れてます(読みたい本が多すぎて、なかなか追いつかないのですが)。ドラッグの現状を見てこういう反応になるグレアムが私は好きだし、パイソンズもだから好きなんだなと改めて思いました。グレアムの自伝本によると、このあと1977年にお酒を経って、その後一切口にしていないようです。


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11月19日(水)
ウィリアムは今日で5歳になる。プレゼントにとてもきっちり、きちょうめんで、トムとはかなり違う。プレゼントを箱から出したあと、彼が一番嬉しいのはそれらをまたもとに戻すこと。それから、全部集めて戸棚に片づけるのだ。


いいですねぇ。ウィリアムとトーマスの話はやっぱりおもしろい。ふたりの性格が違うからおもしろさも2倍!


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11月20日(木)
22 パークスクエア・イーストで、パイソンのミーティング。4月のニューヨークでのショウについて話し合い、A(アーサー)カーター(*ブロードウェイの興行主)に会う。ジョンCによると、メイフェアの高級レストランの最新の予約方法は、「えー……すみません、今晩、おたくは爆破されますでしょうか?」らしい。
 アメリカの会社だか、パートナーシップだか、そんなようなもののばかげた名前を決めるのをみんなでとても楽しむ。みんながつけたかったのは、「Evado-Tax」だったけど、アン(註:パイソンの1人目の会計士であるマイケル・ヘンショーの妻で、1974年には実質パイソン関連のマネージャーの役目をしていた)は、会社が違法なことをしていると思われたら問題になるかもしれないと真剣に考えていた! そこで、僕は「Paymortax」を提案した。そうして、アメリカの会社は「Paymortax and McWhirter」と呼ばれることになった。
 アメリカの番組タイトルを決めるのにも時間を費やした。僕は「Monty Python v. Muhammad Ali」を提案した。「Muhammad Ali」をでっかい文字で書いたのに、さっさと線で消された。ジョンCは、僕らよりもモハメド・アリが持っていってしまった場合の心配をしていた。ジョンは、生ける伝説がやってきて、初回の夜に僕らをこてんぱんにすることを恐れていたんだと僕は思う。


会社の名前だってのにふざけすぎなパイソンズ。常に人を食ったようなこの感じ、最高です。「Evado-Tax」は、“evado”はラテン語で“逃れる”なので、つまり“脱税”。「Paymortax」は、おそらく、“pay more tax”をもじったもので、“もっと税金を払う”の意味かと。「Paymortax and McWhirter」の“McWhirter”は、ギネスブックの創設者、Ross & Noris McWhirterのことではないかと思われます。“ギネスに載るくらい、もっと税金を払おう”という意味? で、最後にしれーっとしょうもないことを書いているのがじわじわおかしい。


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12月15日(月)
凍るような厳しい寒さ。9時15分に大きなジャガーが迎えにきた。中はでっかい白いふさふさのアフガンコートを着たテリー・ギリアムでぎっしり。彼が自分でペイントしているコートだ。11時から4時30分まで、ヒースロー発のブリティッシュ・エアウェイズのジャンボ機内に座って、変わらず濃いままの霧をじっと見ていた。アンがファーストクラスにすると言ってくれて、とても嬉しかった……申し訳ない気はするけど。よく気がきくウェイターたちがシャンパンを出してくれた。4時頃、今日はヒースローからのフライトは飛ばないことがはっきりしてくると、彼らは希望する人に食事を出してくれた。
 空港は静かで、外に出たときには視野は10ヤード(約1メートル)ほどになっていた。家までタクシーで帰るのに優に1時間以上はかかった。でも、ヘレンは戻ってきた僕を見て喜んだ。そして、僕らはおまけみたいな晩を楽しんだ。ないはずだった晩を。
 ナンシー(*ナンシー・ルイス。Budda Recordsの広報担当)はニューヨークで記者たちと待っていたようだった。みんなぜひ話を聞きたいと思っていた。その頃、ギリアムと僕は、9時から6時まで続いた貴重なじゃまの入らないおしゃべりを楽しんだり、ヒースローの霧に閉ざされたレストランに乗ったりしていた。


何気にテリーGと仲良しなマイケル。『Holy Flying Circus』でもふたりの穏やかな会話のシーンがありました。しかし、この日はごはんを食べておしゃべりするために飛行機に乗った、みたいな。殺伐とした裁判ごとの合間のちょっと楽しいひとときだったようで、よかったです。家で過ごすおまけの晩もついてきたし。


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12月18日(木)ニューヨーク

(前略:マイケルとテリーGは、アメリカのテレビ局ABCが『空飛ぶモンティ・パイソン』を大幅にカット、編集して放送したことを訴えた裁判に出席する)

 判断力を取り戻すために、Stage Deliに昼食を食べにいった。意見を言い合う相手がいるというのはありがたい。僕は、とてもまともで、とても現実的で、しっかりと地に足の着いたTGが好きだ。ウェイトレスの2人が僕らにサインを求めてきた。彼女たちは『ホーリー・グレイル』が大好きだそうだ。

(後略)



作品やファッションはものすごく奇抜であり得ないほど独創的なんだけど、テリーG本人には私もこういうイメージがなんとなくあります。スケッチの執筆にも関わっていないので、ある意味ニュートラルなところもあるし、テリーGの存在はパイソンズにとってたいせつだっただろうなーと感じたりもします。




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ORIGINAL:
MICHAEL PALIN “The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1”

Monday, January 6th
A dull, overcast day. A gusting moderate wind sends icy draughts into my eyrie.1 It takes most of the morning to warm the place up. My brain doesn’t seem to warm up at all, and I struggle with an uninteresting idea for a play.
After lunch I take Thomas and Anthony Tackerberry to see Dr Who and the Daleks at the Adelphi. The kids are good company – the seriousness and lack of self-consciousness of six-year-olds makes their conversation a delight to listen to. Anthony, having told me his father was a barrister, said to me, ‘I know what you are … you’re a filmer.’ Or the time he’d hit his head on a radiator – ‘My God it hurt,’ he said, with such feeling you almost had to wince.’ It came down my head and down my neck and onto my shirt …’ adding, almost as an afterthought, ‘the blood.

(...)



Friday, March 7th, Marriott Essex House Hotel, New York

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ᅠᅠWell, this extraordinary day ended about 12.00 (4.00 a.m. British time). G Chapman, who always seems to wander into my life at the end of the day, appeared in the hotel corridor. He was shaking his head in disbelief and seemed anxious to tell me a story of his visit to the City Baths.
ᅠᅠI sank into a fitful sleep. Make a mental note not to eat or drink ever again.


Tuesday, July 22nd
 Terry and I worked together today on Fegg. It’s the third successive day I’ve spent on new material for the book [for the upcoming American edition].
ᅠᅠThen up to Dr Chapman’s house at Southwood Lane, Highgate, for an interview with a Yugoslav journalist – for the Yugoslavs have apparently bought the Holy Grail film. A squat, rather scrubby-bearded man with a tape recorder was sitting on his own in what passes for Graham’s sitting room. I said hello, then heard a shout of ‘Get your trousers off, then’, in a bad Scottish accent, from the next room. McKenna, Bernard was there, surrounded by sheaves of paper, covered in his squiggles, looking harassed, while Dr Chapman sat in his usual writing attitude – glass of gin and tonic in one hand, legs stretched out, gazing into space.
ᅠᅠGraham looked grey – as if he had spent the last five years un-dead. Which really was nearer the truth than it seemed. Graham, having lately fallen in with Ringo Starr – for whom he and Douglas have written a TV spectacular (American) – has also drifted into the Keith Moon/Harry Nilsson orbit.1 Now Moon is a genuine loony and drives Rolls Royces into swimming pools and leaves them there, but Nilsson, as I heard from Tim Curry, and heard again tonight from a slurred and shattered Chapman, is a man bent on self-destruction. Graham, sounding like a Sunday school child on an outing to Sodom, told me “how Nilsson had had to be helped from GC’s house last night utterly and totally smashed. Graham had bruises today to show for it. Nilsson drinks neat gin – a bottle in one evening -pops every pill possible, but most of the time prefers cocaine. Graham was really shocked.
ᅠᅠWe talked for an hour or so to the very affable Yugoslav, who told us that there had been many anti-Python protests in Yugoslavia, but that the show had become a rallying point.


Wednesday, November 19th
William’s five today. He is very neat and tidy with his presents, quite unlike Tom. Having taken them out of their boxes, his chief delight is to put them back in again, and then collect them all together in a cupboard.


Thursday, November 20th
 A Python meeting at 22 Park Square East to discuss the New York show in April and to meet A Cantor. John C on the latest form of table-booking at select Mayfair restaurants, ‘Er … excuse me, are you being bombed tonight?’
ᅠᅠWe have a lot of fun deciding on silly names for our US company, or partnership, or whatever it’s called. ‘Evado-Tax’ is the one we all wanted, but Anne really thought there may be problems, as the company is operating on the fringes of legality! So I suggested Paymortax – and so we now have an American company called Paymortax and McWhirter!
ᅠᅠSome time spent on the title for the American show. I’d suggested ‘Monty Python v. Muhammad Ali’ – with ‘Muhammad Ali’ in enormous letters but very obviously crossed out. John C was worried in case Muhammad Ali got more out of it than we did – and also I think he was afraid that the living legend would come along and thump us on the opening night.


Monday, December 15th
Very heavy frost. Collected by large Jaguar at 9.15, full of Terry Gilliam, in his big white furry Afghan coat, which he is painting himself. From 11.00 to 4.30 sit on our British Airways jumbo jet at Heathrow gazing out at the ever-thickening fog. Feel very glad that Anne talked us into going First Class – despite our guilt feelings. Attentive waiters served champagne and, when it became obvious, round about 4.00, that there would be no flights from Heathrow today, they offered to serve those of us who wanted it a meal.
ᅠᅠThe airport was silent and visibility down to about ten yards when we left. The cab journey home took well over an hour. But Helen was glad to see me back – and we enjoyed a sort of bonus evening – an evening we weren’t meant to have.
ᅠᅠNancy was apparently waiting with newsmen in New York – all eager for the story – whilst Gilliam and I were enjoying a rare uninterrupted natter, lasting from nine till six, aboard our fogbound restaurant at Heathrow.


Thursday, December 18th, New York

(…)

ᅠᅠOver to the Stage Deli for lunch to restore our sense of proportion. Thank goodness we have each other to compare notes with. I like TG because he is very sane, very realistic, entirely down-to-earth. A couple of waitresses ask us for autographs. They’d loved the Holy Grail.

(…)




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