マイケル・ダイアリー(1970) | CAHIER DE CHOCOLAT

マイケル・ダイアリー(1970)

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1970年。『空飛ぶモンティ・パイソン』は第2シリーズに入り、マイケル個人としても2人目の子どもが生まれたり、車が新しくなったりと色々あった年のようです。


マイケル・ペイリン 『The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1』より。

so far: 1969

after this: 1971, 1972, 1973, 1974, 1975, 1976, 1977, 1978, 1979


4月16日(木)
10時、ストランド通りのライセウム劇場に連れていってくれる車がきた。そこで僕たちはWeekend TVアワードを受賞することになっていた。僕らが楽屋口から急いで入ろうとしているとき、そこにいた数人のサイン帳を手にした女の子たちは有名人だと思ったみたいだけど、誰なのかはみんなわかっていないようだった。ドアを開けると、小さな部屋に続く歩きにくいレンガの階段があった。そこはたぶん控え室のひとつで、あまりパリッとしない感じの有名人とその関係者でいっぱいだった。ライセウム劇場の中から、重く大きなドンドンいう音と「アーノルド・リドリー」に向けてのPAのアナウンスがとぎれとぎれに聞こえきた。
 すべてがむしろ悪夢のようだった。にたにたした顔が次々に現われ、人々は押し合いへし合いし、エリック・モーレキャンベは陽気そうで、うつろな表情をしてサイン帳を持ったディナージャケットの若い男は、僕に有名人かと聞いてきた。僕は「いや、違う」と言ったけど、テリー・ギリアムは「そうだ」と言った。ギリアムは「マイク・ミルズ」という名前をサインした。そのまぬけなやつはサイン帳を僕に手渡して、「じゃあ、とりあえずあなたのサインももらえます?」と言った。それで僕も「マイク・ミルズ」とサインした。僕らはその晩ずっと「マイク・ミルズ」とサインし続けた。


いやー、テリーG、やるなあ。しれーっと乗っかるマイケルも。というか、これ2人目にやるほうがやばい人のような気もしますが。マイケルのちら見えする狂気が私は大好きです。


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5月11日(月)トーキー
 10時頃にトライアンフで家を出て、途中でグレアムを乗せ、トーキーに向かった。家から遠く離れての2週間の撮影を初めて行なう。

(後略)

5月12日(火)トーキー

(前略)

 そこで真夜中まで撮影をして、くたくたになって真っ暗なオズボーン(ホテル)に戻って、サンドウィッチを食べ、遅い酒を飲んで、色々と話し合った。その後、日記をつけることには意義があるかどうかについてのグレアムとの議論がとても白熱した。
 日記は、その命を終わりにすべきだという全重圧に耐えた。3時、就寝。


マイケルの車は、この年の12月にオースチン・ミニ・カントリーマンから新車のシムカ・1100に変わるのですが、70年にはトライアンフも出てきます(細かい車種まではわからない)。トライアンフも素敵な車です。日記を書く価値があるのかについて熱く議論するグレアムとマイケル……夜中に。いや、むしろ夜中にお酒が入った状態だからこそか。最後の文が最高。あと、この翌日の日記に“Le Fromage Grand”は「ジャン=リュック・ゴダールのシネマ・ヴェリテ」だと書いてあったのがなんか嬉しい。


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12月15日(火)
夜、食べたり、飲んだり、モンティ・パイソンのNo. 12を観たりするためにグレアム・チャップマンの家に集まった。ヘレンと僕とウィリアムが夜に出かけるのはウィリアムの誕生以降初めてのこと。たくさんのことを思い返しながら、チャップマンのペントハウスまでコンクリートむき出しの階段を5階分、ウィリアムを連れて上がった。
 まさにパイソンの制作に関わった人たちとその妻や恋人たちの夜だった。そして、それはとてもうまくいった。楽しくてくつろいだ雰囲気だった。でも、ジョンは理由があってくることができなかった。グレアムは見るからにとてもがっかりしていた。だけど、この夜に彼が何を考えていたかをことばにするのは難しい。彼は食事の準備をするのにキッチンでとても忙しくしていた。10時45分、やっと食べられる。ものすごい空腹だ。その前には、グレアムはそうとう落ち着かないようすでうろうろしているようだった。あんなに素晴らしい料理をあんな自信と気づかいを持って作れる人が、それをどうやって盛りつけて出したらいいかまったくわからないなんて、奇妙なことだ。子羊のサーモン詰めという美味なメニューは、完全なる軍の食事支給スタイルと優雅さを以ってサーブされた。仲間たちはいいし、お酒は大量にあったし、そして、番組(この新シリーズで僕たちが最初に撮ったもの)はうまくまとまるように編集されていた。特に、アイデアの幅が広いのが良かった。海賊“ブラック・イーグル”もどきのオープニング、ダーティー・フレーズ・ブック、ストライキを始めるナショナル・ギャラリーの絵画たち。テリー・ギリアムの2001(『2001年宇宙の旅』)スタイルのアニメーション、何度も出だしを間違ってしまうイーペルのスケッチ、過剰演技病院、これらはその中のほんのいくつか。これまでで一番の回のひとつだと、全員の意見が一致した。


この日の日記は気になるところ満載。グレアムはペントハウスに住んでいたの? 最上階のお部屋ということなのか、屋上にある部屋(小屋)みたいなものなのかはわからないけど、どっちにしても素敵だな。お部屋そのものについては何も書かれていないのでくわしいことはわからない。階段の感じからは無骨な建物のような感じがする(そこがまた良い)。ジョンがこられなくてわかりやすくがっかりのグレアムも可愛いし、マイケルの気づかいも優しい。グレアムが料理上手だというのは初めて知った。で、またそれをどうやってサーブしたらいいかがわからないというのもおかしいやら、可愛いやら。うろうろしているところがもう目に浮かぶようだし。で、結局、軍の食事の支給みたいなスタイルでサーブするという。ここでもマイケルのおかしみある文章が炸裂してます。




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ORIGINAL:
MICHAEL PALIN “The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1”

Thursday, April 16th
At 10.00, cars arrived to take us to the Lyceum Ballroom off the Strand to be presented with our Weekend TV awards. We were rushed into the stage door, where a few girls with autograph books obviously thought we were somebody, but none of them were quite sure who. Inside the stage door, steps led down an inhospitable brick staircase to a small room, which was probably a Green Room, full of slightly shabby celebrities and their hangers-on. From the inside of the Lyceum came a heavy, noisy beat and periodic PA announcements for Arnold Ridley'.
ᅠᅠIt was all rather nightmarish, grinning faces loomed up, people pushed through, Eric Morecambe looked cheerful, a dinner-jacketed young man with a vacant expression and an autograph book asked me if I was famous. I said no, I wasn't, but Terry Gilliam was. Gilliam signed Michael Mills' name, the twit then gave the book to me saying, 'Well, could I have yours anyway?' So I signed 'Michael Mills' as well. We all signed 'Michael Mills' throughout the evening.


Monday, May 11th, Torquay

( ... )

ᅠᅠLeft home around 10 o’clock in the Triumph and, collecting Graham on the way, set out for Torquay and our first two-week filming stretch away from home.


Tuesday, May 12th, Torquay

( ... )

ᅠᅠHere we filmed until midnight, and arrived wearily back at the darkened Osborne, for sandwiches and late-night drinks and a discussion, later very heated with Graham about the worth or worthlessness of keeping a diary.
The diary withstood all pressures to end its life. In bed at 3.00.


Tuesday, December 15th
In the evening we go round to Graham Chapman’s for food, drink and Monty Python No. 12. It is the first time that Helen and I and William have been out in the evening since W’s birth. Plenty of time to reflect on this, as I carry William up five flights of bare concrete stairs to the Chapman penthouse.
ᅠᅠIt was really an evening for Python authors and their wives/lovers – and it worked very well; there was a happy and relaxed atmosphere. However, for some reason John was unable to come. Graham was obviously very disappointed – but it is difficult to tell what he is thinking on evenings like this. He is so busy in the kitchen preparing food. We eventually eat, ravenous, at 10.45, after which he seems to pace about in a most unsettled way. It is strange that someone who takes so much pride and care in producing such excellent food has absolutely no idea how to serve it. The delicious meal of lamb, stuffed with salmon, was served with all the style and elegance of an army kitchen. But the company was good and the drink was abundant, and the show – which was the first one of this new series that we recorded – had edited together well, and was especially good because of the diversity of ideas: the false ‘Black Eagle’ pirate opening, the dirty phrase book, the paintings going on strike in the National Gallery. Terry Gilliam’s 2001-style animations, the Ypres sketch with its false starts, the over-acting hospital, were just a few of them. By general consent, one of the best shows we’ve done.



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