マイケル・ダイアリー(1976) | CAHIER DE CHOCOLAT

マイケル・ダイアリー(1976)

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『リッピング・ヤーン』、パイソンズのニューヨーク公演、テリーG監督の『ジャバーウォッキー』の撮影……など色々。そして、『ライフ・オブ・ブライアン』の脚本執筆開始です。


マイケル・ペイリン 『The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1』より。

so far: 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1975

after this: 1977, 1978, 1979


1月2日(金)

(前略)

 パークスクエア・イーストで、ニューヨーク公演の内容についてのとても友好的なパイソン・ミーティング。スケッチやジョークの創作について話し合うときのパイソンズは、グループとしてとてもうまく機能するということが再び証明された。結局のところ、それが僕らが集まったもともとの理由なのだ。ビジネス、契約、人員の雇用や解雇、そのほか、真剣にやるよりも笑いのネタにするほうが得意な分野について話し合うときのパイソンズは最悪だ。

(中略)

 今日のミーティングからすると、ほんとうにパイソンはこれまでの2年間の泥沼から見事にうまく抜け出したように思う。今、グループのメンバー間には、ずいぶんフレンドリーでくつろいだ、オープンな感じがある。これで、ニューヨーク公演のたいへんな月を乗り切れるだろうか、それから、パイソンの3本目の映画の脚本を書くために集まる9月と10月も、同じようにフレンドリーでリラックスした雰囲気になるだろうか。

(後略)



ライフ・オブ・ブライアン』の制作については、話を聞くたびにほんと順調だったんだなあといつも思うけど、最初っからいい雰囲気だったんですね。ビジネス関連についてみんなで話し合うときは最悪だというのもなんかよくわかる気がする……


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4月10日(土)ニューヨーク

(前略)

 2時、ほかのメンバー(エリックをのぞく)が到着しはじめて、242の上の階でとても良いリハーサルを3時間やる。アルは、なんてうまいこと一緒にやっているんだ、リーダーらしき人がいないのにどうやっているんだ、と言っていた。

(中略)

 ルイは、スペイン人(だと思う)で、小柄でずんぐりで芝居じみていて、準備していたかのような笑顔を見せながら、フレンドリーでオープンに接してくる。彼がその週の“New Yorker”を見せてくれた。そこには12月の訴訟についてのハーツバーグによる長い記事が掲載されている。ギリアムと僕の発言も入った、長くて、とても正確な記事……「魅力的で少年のようなマイケル・ペイリン」と!

(後略)



そういえば、パイソンズにはリーダーというものが存在しないんですよね。ジョンがそれっぽい雰囲気はあるけど、実際リーダーではない。メンバーの名前の表記もアルファベット順ですしね。「魅力的で少年のようなマイケル・ペイリン」、まさにそのとおりですよ。


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4月13日(火)ニューヨーク

(前略:パイソンのビジネスミーティング)

 この満足のいかないミーティングの最後にふたつの事故が。「肩をリラックスさせる」ために床に寝ていたジョンが起き上がる。その時、壁にかかっていた巨大な絵を外してしまい、それが彼の足の上に落ちてきた。ジョンは痛さのあまり、フォルティのように甲高い声を出し、怒りを爆発させた。彼はほんとうに絵に向かってこぶしを震わせていたと思う。それから、実際にジョンのかかとの肉がちょっと削れてしまっていることにみんな気づき、彼を座らせて、医者を呼んだ。それで、“シリー・ウォーク”の足にもなった。


なんと。ジョンにとっては結構な惨事。でも、『フィルティ・タワーズ』のバジルがずっと絵を壁にかけようとしている(けど、いつもじゃまが入る)エピソードや車に怒りをぶつけるシーンなどを思い出してしまう。かなり痛そうなジョンには申し訳ないけど。


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4月17日(土)ニューヨーク
今夜は2公演:6時と9時30分。

(中略)

 最初の公演で、とても耳ざわりな爆竹を鳴らしている人がいた。“Argument(討論教室)”の冒頭で鳴って、セリフがまったく聞こえなかった。そこにグレアムが飛び込んできた。彼のお気に入りのアレ、叫ぶというか、むしろ、やじを飛ばす人たちに向かってどなる、というのをやりながら。彼が“暴言を吐く人”をやってしまうと、すべてがとてもきれいに収まった。犯人は、ジム・ビーチ(*パイソンズの法律顧問)によって劇場から強制退去させられるようだった。G(グレアム)の暴言の一斉射撃は犯人を通路まで追いかけていく。そのあと、スケッチはうまくいった。


これは素晴らしいエピソードだなあ。むしろこの場面を目撃したかったとすら思ってしまう……!


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6月9日(水)

(前略)

 G チャップマンとも話をした。(『The Odd Job』の)映画プロデューサーとしての新しいキャリアはうまくいっているようだ。昨日はジャック・レモンのエージェント、Mr デ・ウィットを通して、彼を出演者として押さえようとしていたところだったけれども、Mr デ・ウィットとはお話できません、彼は亡くなったので、と言われたらしい!


これまたスケッチのような話。グレアムは『The Odd Job』のどの役をジャック・レモンに依頼しようとしたんだろう?


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8月24日(火)

(前略)

 エリック(“Jabberwocky – The New Python Movie”とプリントされた特製Tシャツを着ている)と唇をてかてかさせたオーストラリア人のモデル、スージーが、僕らに会いに撮影現場にきた。

(後略)



『ジャバーウォッキー』はテリーG監督、マイケル&テリーJ出演だけど、モンティ・パイソンの映画ではない。ふざけたエリック。プリントのジョーク(?)は以前グレアムのTシャツでもありました。


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9月16日(木)チェプストー城
ズボンを一気に下ろして、パンツを履いていないお尻をみんなに見せるように要求されたときは、かなり刺激的で開放される瞬間だった。城の正門の外にいると、かなりたくさんの人たちが撮影を見に集まってきていた。50人か60人くらい、それに加えて、そのシーンのエキストラが50人。
 僕は彼らほど居心地悪く感じていないし、公共の場で好ましくない身体の部位をちらつかせるという体験をほんとうにかなり楽しんでいるということに気がついた。しかも、それで捕まるどころか、お金をもらうのだ。“ストリーキング”のわくわく感も理解できる。10ヤード(約9メートル)も離れていないところに立っている、ツインニットを着てパールのアクセサリーをつけたご婦人に向けて、3度目にお尻をつき出したときには、自由であることの高揚感のようなものが押し寄せてきた!


マイケル、にこやかで爽やかなthe nicest man in the worldだけど、実はかなりやばい人だと感じることは多々ある。正気でくるまれた狂気を感じさせるところがたまりません。


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11月8日(月)
ニューヨークのシティセンターでパイソンの公演を終えてから半年と数日ぶり、2ヶ月にわたる新しい映画の執筆期間の初日のためにパイソンズが再びパークスクエア・イースト22に集合。晴れた、天気のいい日、決起し、予定を決めるにはいい日だ。

(中略)

 昼食の時、TG(テリー・ギリアム)はペンブロークでの『ジャバーウォッキー』の撮影を完了させるために抜けた。僕らみんなでAuntieのレストランに行った。再結集を祝うシャンパンを1本(これでもうおしまいになる)。みんな『ジャバーウォッキー』について知りたがっている。悪い知らせだとなお良い、だなと僕は感づいたけど! ジョンは運転免許の試験に受かって、自分の車を手に入れている。「とても古いロールスロイス」と彼は僕に言った。ちょっとどう反応したらいいかわからない感じを抑えることができなかった。


初心者マークのジョン。マイケルはミニ、シトロエン、トライアンフに乗っているような人なので、ロールスロイスにどう反応したらいいかわからない気持ちもわかります。エリックはアルファロメオに乗っていると以前マイケルの日記に書かれていました。似合いすぎです。グレアムの車はバンデンプラスプリンセスだと『A Liar's Autobiography Volume VI』にある。なんて素敵な!! 色は何色だったんだろう……(まあほんとかどうかはわかりませんが)


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11月18日(木)
今日の午後はチーム全員の脚本ミーティング。ジョンとグレアムはほとんど書いていなくて、この前ほどは満足できていなかった。エリックは書くことよりも考えることをやっていた。一方、ペイリンとジョーンズは少なくとも25分ぶんになるたいへんな量を生み出していた。貢献者の完全なる不均衡があるという事実のため、読み合わせはかんたんではなかった。幸運なことに、テリー・ギリアムがこのミーティングに参加しに、シェパートンでの編集を抜けてきてくれていた。彼の寛大でやかましい笑い声でかなり助かった。そして、終わる頃には僕らはかなりきちんとふるまえていた。

(後略)



いや、テリーGの明るさ、ほんといいですね。マイケルはテリーGに救われることも多かったようです。


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11月24日(水)

(前略:『ライフ・オブ・ブライアン』のミーティング)

パークスクエア・イースト22からみんな(ギリアム以外)でジョンのロールスに乗り込んで、ブイブイ言わせてメイフェアのオードリー・ストリートに行った。観ておかないといけないと思う聖書関連の映画を何本か観るためだ。ノースオードリーストリートでエルトン・ジョンをひきそうになって、どんな奇妙なヘッドラインになるだろうと考えてしまった……「エルトン、パイソンズにひかれる」

(後略)



初心者マークでロールスロイスのジョン! こうして読むとおもしろいけど、ほんとに事故になっていたら、とんでもなかったのでは……


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12月9日(木)
ウィリーの学芸会。ウィリーは木を演じる。主役の木のうちの1本だと取り急ぎ書き加えておく。1年前の、先生の手をなかなか離せなかった、おびえた小さな雪のかけらとはずいぶん違っている。今回、彼は力強く歌った。彼はかなり背が高いということに僕は気づいた。隣にいるボニー・オディよりだいぶ大きくそびえ立っていた。


これだけ忙しくても、マイケルは3人の子どもたちとたくさん一緒に過ごしているんですよね。そして、子どもたちについて書く文章はいつもとても楽しいです。


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12月19日(日)
夕方、BBC Light EntertainmentのパーティのためにBBCテレビジョンセンターへと向かう。ヘレンは、流れるようなクレープ地にボーダーが刺繍してある黒いホルターネックのドレスで、とても素敵。ふたりで一緒にハムステッドで購入したドレスだ。僕は、ブラックタイの耐えがたい息苦しさになんとか順応しようとしていた(オックスフォードでのディベートのためにセントジョーンズ・ウッドであわてて購入したタイだ)。けれども、ヘレンはそれを見るとすぐに大笑いして、僕はやめさせられ、ふつうのダークブルーのタイと黒いベルベットのスーツになった。
 僕たちが到着したとき、すべてが最高潮だった。ただ、1973年のLEのパーティ以降、僕は参加していなかったから、入り口を間違えて、大きな食事の皿の上に身を乗り出したジミー・サヴィルしかいない小さな控え室に入ってしまった。陽気なやり取りをしつつ、かつてよく顔を合わせていた人たちの集まっているところを見つけようと歩いていく。ティム・ブルック=テイラーと僕は、僕らはジョンの心の中では一緒に「いい人」というカテゴリーにずっと入れられるのだということについて慰め合った。ビル・オディは小さくなって、どんよりと恐い顔をしていた。「なんでここにきたのかわからない」と彼は言う。それでも彼はいつもきている。


この時のマイケル&ヘレンの姿、見たかったー。「流れるようなクレープ地にボーダーが刺繍してある黒いホルターネックのドレス」と「ダークブルーのタイと黒いベルベットのスーツ」って最高じゃないですか。ティムとマイケルの「いい人」ペアの会話がなんとも可愛い。1973年のLEのパーティというのはグレアムがみょうなTシャツを着てきた日です。




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ORIGINAL:
MICHAEL PALIN “The Python Years: Diaries 1969 – 1979, Volume 1”

Friday, January 2nd

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ᅠᅠA very cordial Python meeting at Park Square East to discuss the content of our stage show in New York. Once again proved that Python works well as a group when discussing the creation of sketches and jokes – the reason, after all, why we originally got together. Python group at its worst discussing business, contracts, hiring and firing personnel, and other areas which we are better at making fun of than taking seriously.

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ᅠᅠJudging by today’s meeting, it really seems that Python has emerged remarkably healthily from the mire of the last two years. There’s a much friendlier, looser, more open feeling amongst the members of the group now. I wonder if it will weather the month’s hard work on the New York stage show, and if it will produce an equally friendly and relaxed working atmosphere for September and October, when we get together to write the third Python film.

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Saturday, April 10th, New York

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ᅠᅠAt 2.00 the others (bar Eric) begin to arrive and we have a very good three hour rehearsal upstairs at 242. Al remarked on how well we mixed and how there was no apparent leader.

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ᅠᅠLouis – Spanish, I should think, small, chunky, camp, with a ready smile and friendly open manner. Very excited to meet a Python. He shows me a copy of New Yorker for the week, which contains a long article by Hertzberg about the court case in December. A long and very accurate article with quotes from Gilliam and myself – ‘Michael Palin, charming and boyish’!

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Tuesday, April 13th, New York

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ᅠᅠTwo incidents at the end of this unsatisfactory meeting. John, who has been lying on the floor to ‘relax his shoulders’, gets up and, as he does so, dislodges a huge picture on the wall, which crashes down on his foot, eliciting Fawlty-like shrieks of pain and explosive anger. I think he really did shake his fist at it. Then we find he actually has sliced a bit of flesh off his heel and he is sat down and a doctor called. It’s his ‘Silly Walks’ foot too.


Saturday, April 17th, New York
Two shows tonight: 6.00 and 9.30.

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ᅠᅠAt the first show someone is letting off firecrackers very irritatingly. It comes to a head in ‘Argument’, in which a crack completely obscures a line and Graham leaps in, doing his favourite bit, shouting – or rather, yelling – at hecklers. As he’s just done the Man Who Gives Abuse, it all fits in very neatly. The offender is seen to be removed forcibly from the theatre by Jim Beach. G’s volley of abuse follows him right up the aisle. The sketch goes swimmingly after that.


Wednesday, June 9th

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ᅠᅠG Chapman, whom I also spoke to, is well set in his new career of film producer (on The Odd Job). Only yesterday he’d tried to get hold of Jack Lemmon, through his agent, a Mr De Witt – only to be told by a secretary that he couldn’t speak to Mr De Witt, as he’d just died!


Tuesday, August 24th

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ᅠᅠEric (complete with specially printed T-shirt ‘Jabberwocky – The New Python Movie’) and Susie the wet-lipped Aussie model, came to see us on set.

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Thursday, September 16th, Chepstow Castle
 A moment of quite stimulating liberation when I am required to drop my trousers in a shot and reveal my un-knickered bum to all and sundry. As we’re outside the main gates to the castle, quite a little crowd has gathered to watch the filming – about fifty or sixty in addition to the fifty extras in the scene.
ᅠᅠRealise I feel less embarrassed than they do, and really quite enjoy the experience of flashing a naughty part of the body in a public place – and getting paid, rather than arrested for it. Can see the exhilaration of’streaking’ – a sort of heady feeling of freedom comes over me as I point my bum for the third time at a twin-set and pearl-bedecked lady standing not ten yards away!


Monday, November 8th
 Half a year and a few days after we last played Python Live at City Center in New York, the Pythons re-assemble at 22 Park Square East for the first day of a two-month writing period on our new film. A fine, sunny day, a good day to take resolutions and make plans.

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ᅠᅠAt lunchtime, TG leaves to complete filming of the Jabberwocky monster in Pembroke. We all go off to Auntie’s restaurant. A bottle of champagne (that’s all) among us to celebrate the reunion. They all want to know about Jabberwocky. The worse news the better, I sense! John’s passed his driving test and now has a car of his own – ‘A very old Rolls-Royce,’ he tells me, unable to stifle a trace of embarrassment.


Thursday, November 18th
A writing meeting of all the team this afternoon. John and Graham had written little and were not as pleased with themselves as before. Eric had done more thinking than writing – whereas Palin and Jones had produced a mighty wodge of at least 25 minutes of material. So reading was not made easier by the fact that there was a total imbalance of contributors. Fortunately Terry Gilliam had taken time off from editing at Shepperton to be at the meeting and his generous and noisy laughter helped a great deal and, by the end, we’d acquitted ourselves quite respectably.

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Thursday, December 9th
Willy’s school concert. Willy plays a tree – one of the leading trees, I hasten to add. Quite a difference from the frightened little snowflake a year ago, who could hardly leave go of his teacher’s hand. This time he sang lustily. I noticed he was quite tall – and towered over Bonnie Oddie, who was next to him.”


Sunday, December 19th
 In the evening to TV Centre for the BBC Light Entertainment party. Helen looking very impressive in a flowing, sort of crêpey black dress with a halter neck and embroidered borders which we’d bought together up Hampstead. Me, almost conforming to the intolerable black-tie stuffiness, but in the end the size of my black bow tie – acquired hastily in St John’s Wood for the debate in Oxford – brought such instant laughter from Helen that I was forced to abandon it in favour of an ordinary dark blue tie and black velvet suit.
ᅠᅠEverything in full swing when we arrived, but as I hadn’t been there since the 1973 LE party, we went in the wrong entrance and found ourselves in a small ante-room, empty save for Jimmy Savile, crouched over a large plate of food. A cheery exchange and we walk through to find a throng of people we once saw so much. Tim Brooke-Taylor and I commiserate over our eternal branding together in John’s mind as ‘nice’ people. Bill Oddie, small, dark and glowering. ‘I don’t know why I come here,’ he says. Yet he always does.



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