人手不足のカラクリ | 秋山のブログ

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労働者が足りないという嘘はやっかいである。局所的には確かに足りない職種もあり、それを多くの人が現実に経験しているからだ。

 

この嘘は打破されなくてはいけない。そうでなければ、足りないのだからもっと働けとか作業効率を上げろといった話にもなる。しかし、いくら働いても作業効率を上げても実を結ぶことはない。より少人数で済むようになれば、余剰人員が首を切られ、さらに買い手市場になる。

供給能力が増えることによって却って拙いことになった例は、米国の大恐慌にある。米国では嘗て農作物の豊作で価格が低迷し、収入減のためさらに売れなくなって、大量の失業者も発生、長く不況が続き大恐慌にまでなった。供給能力が高くなることは本来よいことだが、不要になった人材が別の業種に適切に移動しなければそんなことにもなりうるのだ。

 

知識技術は日々進化し、より少ない労力で、より多く、より質の高いものを生産できるようになっていく。そうであるならば、未来においては常に、同じ階層の人間がより少ない労働で、より多くの見返りを得て当然である。しかしこの日本において、どう見てもそのようにはなっていない

少し前の日本を見てみれば、男性一人の稼ぎで十分妻子を養っていくことができていた。であれば本当のところは、その男性一人の仕事が楽になった上で、同じことができていて当然だろう。少子高齢化のためではないかなどと考える人がいるかもしれないが、何パーセントくらい人数が減ったかという風に定量的に考えれば、共働きにしなければ足りなくなるといった話はどこからも出てこないはずである。

 

本来、労働者が足りずに取り合いになるならば、その賃金はどんどん上昇していくはずだ。しかし全くそうなっていないのは、単純に足りないのでなく、格安で働いてくれる労働者が足りないということだからである。安く使えるならば、それを利用することは難しくない。いつも言っているように、9時5時の営業を24時間年中無休にすれば数倍の人数を無駄遣いできるだろう。消費者としては便利この上ないそんな事業も、人を贅沢に使う非効率化によって成り立っているということである。

非効率化がおこっている原因といえば、新古典派経済学が推奨する間違った政策が次々採用され、労働者の賃金が抑制されているからである。消費税増税の度に観察されているように、様々な間違った政策によって、労働者の収入が大きく(しかしそれほど目立たない形で)減少する一方、わずかな物価の低下はあるものの公共料金等の値上げなどもあって総合的には生活費の増大がおこっている。そして生活費不足のため共働きせざるを得なくなり、労働者が増え、賃金の平均が下がるという悪循環である(少子化の主因でもある)。

新古典派経済学に基いて政策をおこなっていれば、事業をおこなう方もたいへんである。インフレを抑えることがとにかくよいことであるという誤った信念があるために、実体経済を循環するお金を増やさないように、時には減らすような政策を提言する。お金が増えない状況であれば、平均的な企業が売り上げを増やすことは不可能だ。お金を借りて事業をおこなうことも、他企業のシェアを奪える見込みがないのであれば、採算割れするために困難である。そのため新たな事業はなかなか生まれず、既存の事業の中で非効率を追求しながら、過剰な競争がおこなわれることとなる。

 

モノの価格というのは、全く不正確なものである。市場の失敗が小さく、競争が激しい状況では、利潤はゼロに近くなり、価格は抑制されるだろう。重要な産業の方が、高い利益を得られる産業になるといった保証は全くない。従ってある程度、業種ごとの重要性を判断し、バランスを調整する必要がある。事実日本以外の先進国で、食料に対する補助金を出して調整しているのも、自国の第一次産業の重要性を知っているからだ。日本の医療制度も、調整でうまくやってきた(今の間違った思想が続くならば将来は悲惨である)例であろう。

人はお金のあるところに移動するということを理解しておかなくてはいけない。であるから、田舎から都会に移動し、商品の単価が下がった産業から去っていき、既存の需要がある程度確実な産業でワークシェアリングをおこなうといった状況に現在の日本は陥っている。これが目の前の人手不足のカラクリである。