失業率と求人倍率 | 秋山のブログ

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昨今、求人倍率が高いことで、人手不足であるという主張を見かけることがある。しかしこれは完全に間違いだ。今回はそれに関して説明してみよう。

 

とりあえず、完全失業率と求人倍率の推移を表にしたので提示しておく。(このグラフは、必要な方は自由に使って結構である。データは政府発表のものだ。完全失業率は%で、求人倍率は倍が単位である)

人材が十分に活用されているかという視点からは、失業率が重要なのは当然である。求人倍率はあくまでも職を求めている人と、必要な人を求める企業の数の比である。全体を表す指標ではない。現在働いている人間の数の方が、新たに雇おうとする数よりも桁違いに大きいだろう。また、求人があったからといって、必ずマッチングして就職できるとは限らない。業種によって求人倍率に違いがある点も注意が必要だろう。(そう考えると1を超えていても売り手市場とは容易には言えない)

もちろん求人倍率という指標に何も意味がないかといえば、そんなことはない。グラフでも分かるように、求人倍率が1を超えていると失業率は改善していく傾向にある。(逆に1未満だとどんどん失業が増えていく。職場自体が減っている可能性もある)

ここまでの結論を述べれば、求人倍率がどれほどであれ、失業率が現時点ではまだ十分に高いために、経済全体としては人手不足とは言えないというのが正しい判断であろう。

 

人を雇う立場からすれば、失業率が高く、人が余っている状況が望ましい。そのため新古典派経済学においては、政府が人を雇うような政策をおこなせないために、人が余っていないかのように詭弁を弄されてきた。自然失業率というのがまさにそれであるが、その理屈である人々が転職しているからというのが原因とすれば、そこから推定される値は、現実と比較して低過ぎるのである。

とはいえ、例えばどんなに人が足りなくても絶対雇えないような人間もいるであろうし、一定の能力以上でなければ務まらない仕事で人が足りない場合もあるだろう。高度成長期に見られる1%の失業率は、日本経済にとって失業率の最低値である可能性はある。そして社会の構造は、時代とともに変化するので、現在の2%の失業率が嘗ての1%にあたるということを主張されると、明確に否定するのは多少困難である。ただし、社会の構造としてパートが増えたことはワークシェアリングのようなもので、見かけ上失業率を大きく下げているだろうから、それでも高度成長期の2倍以上ある現在の失業率が最低値であることはないだろう。(急速に改善している様子は現在が底ではないことを物語っている。底に近づけば改善の速度は鈍化するであろう)

 

現在人が足りない業界は、いくつかのパターンがある。

ひとつは大不況の時期の安い人件費を利用して、人を大量に投入することによって競争した業界である。例えば、9時から5時までで、平日営業で済む仕事を、24時間年中無休にすれば何倍も人が必要であるが、そうすることでそうでない店に勝つこともできるだろう。わずかに消費者の利便性はアップしているが、これは人一人ができる仕事を減らしているから非効率化、退化(成長の反対)である(人類の技術は常に進歩し、一人あたりの生産可能な量を日々増やしているが、このような非効率化もおこなってきたのである)。当然このような業界では人がいくらいても足りないし、賃金単価が安いため人の余っている他の業種から人は移ってこない。自分のことしか考えず(木を見て森を見ず)、外国人労働者を入れろなどと主張するのも納得はできるだろう。(一般的な国民は当然賛成すべきではない)

専門職の育成がおいつかない業界もある。不況による需要減で専門職の待遇が下がり、誰も習得しようとしなくなったところで、急に必要になって待遇をあげても足りることはないだろう。建築関係の専門職がこれにあたるだろう。

どちらにせよ人手不足は、賃金を含めた条件の悪さが引き起こしている。労働市場は、債券市場のような需給の均衡であらわせる市場とは全く構造が違う。労働者は消費者でもあるためその収入は有効需要の元であり、より多く生産した労働者がより多く収入を得るようにならなければ、経済が歪むのである。必要なところに人が移動せずに、非効率化と不足を生み出す。

当然のことながら、これは少子化によっておこったことでは全くない。少子化なので人が足りないと主張する人間は、今回説明したような構造を思いつくことも出来ずに、短絡的に結びつけたのであろう。