債券市場での儲け方 | 秋山のブログ

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以前株と貨幣について書いたことがある。そこで疑問を持たれた方はいないだろうか。ゼロサムゲーム(ほぼ)であるならば、資本家は何故そんなものに参加するのだろうかと。

 

基本的にお金は持っているだけでは目減りしていく。物価の上昇による目減りは言うまでもないが、例えば平均年収が何割増しになっていれば同じ額の貯金の価値は下がるだろう。つまり名目成長率程度目減りするということだ。一方、債券も完全にゼロサムではなくて、名目成長率に近い利益も期待できる。名目成長率に準じた量、お金は増えており、一定量債券の市場に流入するからだ。従って金融資産は運用するのが得策と考えるかもしれないが、そこはそんなに単純ではない。お金の取り合いで、大きく儲かったり、損したりする要素の方が大きい上に、多数決ゲームの性格上、大きな資本を持つ富裕層が圧倒的に有利ということになる。

 

平均的に一般国民には富裕層に対して勝ち目はないが、パチンコで勝てる人がいるように、全く勝てないと決まっているわけではない。富裕層は細かに買うものを選抜したりしないので、個々の細かい債券に関する情報を活かしうる可能性はある。また個人は運用に関して、機会費用を考える必要は少ない(デフレで低成長なら尚更である)。信用取引をしていない限り、損をしてまで売る必要はないのだ。一方、機関投資家の投資はたいていリバレッジを効かしていて、彼らは失敗すれば早々に損切りをする。逆に言えば不利な個人が、買い戻しの期限や限度額による強制清算のある信用取引に手を出すのは好ましくないだろう。東日本大震災の時の事例を知れば、理解できると思う。損をする人間がいて初めて得をする人間が出るのだ。債券の値段がいくらになっても、それで得したとか損したとか考えてはいけない。その価格で売り買いできる保証はないわけで、換金し利益を確定して初めて得したとか損したとか言うべきである。(コロナによる全世界株安で何兆円のお金が失われたなどという表現を見ることがあるが、実に馬鹿らしい主張だ)

 

小口の投資家があまり損切りしないとすれば、大口の投資家にとって市場は、たいして美味しくないものという話になるかもしれない。ところがそうはならないのである。ちゃんと鴨がいるのである。それは実際の事業としてその市場を利用する者、代表的なものをあげれば為替市場で通貨の交換をおこなう輸出入の業者や、原油市場で原油を買う石油業者などだ。決められた時期に通貨を交換したり、取り引きをおこなったりしなくてはならないので、投機家の行為で不当な価格になっていても、そこで利益を献上しなくてはいけない可能性がある。先物で大きすぎる損失は回避できるかもしれないが、それは損をしない確率を捨てて、他の市場参加者に利益を提供する行為である。

例として為替の話をすれば、昔は実貿易に関係のない通貨の交換は認められていなかった。それが自由な市場によっておこなわれるようになったことには、いつくか理由がある。一つは小さな市場では価格が安定しないために、参加者が増えれば自然に安定するという思想だ。しかし実証上どの市場でも価格の変動に関しては悪化した。実生活とは関係なく、机上の論理による思考で売買する人間が主体になったからである。他には、市場にまかせれば最適な状況になるとか、債券市場は市場機能そのものであるといった根拠の無い思い込みもあるだろう。その結果、現在においては、嘗てそうでなかった時代があったにもかかわらず、当然のこととして運用されている。そしてそれは為替以外のもの、生産物に関しても様々おこなわれ、世界中の人々から上前をはねているのである。

 

現在、コロナウイルスに関係して、世界同時株安がおこっている。しかし富裕層にとってはこれは(バブル崩壊リーマンショックのような金融部門の破綻がおこらない限り)悪いことではない。損をするのは、多数決ゲームで出遅れる一般人である。今回株式市場から引き揚げられたお金はどうも米国債に向かっているらしい。彼らは金融資産を失ったわけではないので、市場から市場を渡り歩いて運用する必要がある。どの市場に行くかは比較の問題なのである。そして暴落で大損をした人の裏には、大儲けした人がいることを忘れてはならない。繰り返しになるが、換金し利益を確定して初めて得したとか損したとか言えるのである。