経済物理学と経済古典 | 秋山のブログ

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アマゾンKindleでまたタダの本を読んだ。2冊である。一つは「経済物理学の発見」高安秀樹氏の著作で、もう一つが「経済古典は役に立つ」竹中平蔵氏の著作である。

 

「経済物理学の発見」は、前半に書かれた内容に関しては、大いに納得できる内容であり、たいへん勉強になった。経済物理学とは、『物理学の手法と概念を活用して、データに基づいて実証的に現実の経済現象に立ち向かう』新しい分野だそうだ。特に印象に残ったのは、債券市場おける『売買取引には微小な誤差を拡大するカオスのしくみが内在しており、需要と供給が釣り合って市場の価格が安定することはありえない』という話で、主流派経済学で常識とされていた原理が誤りであることを、綺麗に証明している。そして当初から経済学を科学にするために私が主張していることと同じことを書いている。観察される事実を何より優先するのが重要であるということだ。『「理論は正しくて、間違っているのは現実だ」という論理を固持することは科学者であることを辞めること』という表現はまさに同感である。

残念なのは後半部分である。貨幣とは何かということを理解できていないために、間違っている。企業の収益の推移をみて、成長を論じているが、ナンセンスだ。アマゾンのレビューでも、後半部分に対する批判がいくつかある。その通りだ。

 

「経済古典は役に立つ」という本は、古典と言われる経済学者の理論をアダム・スミスから順に説明しているものだ。事実関係においては大凡(ピグーの主張をケインズの主張だと間違えているところがあった)正しく、分かり易くもあり、その辺りは評価できる。ところが説明においては、新古典派的な考え方が所々見られた。そこが問題である。

そこに出てくる各経済学者が言っていることは、その時の状況に対処するための理論で、大凡正しいという主張がなされている。従って状況が変われば適応しないが、彼らの発言は従うべき真理という扱いだ。ノーベル賞をとった等の権威付けも盛んにおこなわれている。

データによる裏付けや、何故そうなるのか正しい機序の説明なしに、権威のある人物の発言だからという理由で、定理であるかのように考えるのは、科学的思考とは正反対のものであるが、その罠に気付かずに鵜呑みにしてしまう人も少なくないかもしれない。

 

この2冊の本は、実に対照的であった。前者は正しい科学的な方法論に則りながら、経済に関する全般的な知識が足りない。後者は経済全般に関する知識は実に豊富ながら、科学的とは対照的な方法論をとっている。なかなか実行は難しいが、両方ともそろって初めて正解にたどり着けるものであることは、一般的に理解できることであろう。