新型コロナと安倍政権の政策 | 秋山のブログ

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新型コロナの対応のため、どこの店も客の姿は少ない。私の県は一応、発生していないことになっている。もっとも例の船で旅行していた人が何人か市内にはいる。自分の病院にも少し怪しげな患者が来たが、とりあえず完全武装で診察して、自宅待機させておいた。解熱して、周囲に感染させた様子もないので、おそらく違ったのだろう。

私は、それなりの大きさの病院に勤めており、また経歴上伝染病、ウイルス性の疾患は得意なので、この件に関しては中心的に動いている。経済学の勉強に充てていた空き時間には、新型コロナに関連する知識の習得に結構割くようになって、新規の記事が棚上げにもなっている。

新型コロナの様々な記事を読んでいてしばしば見かけることは、このブログで常々批判している経済を読み解く上での誤りと同じパターンの誤りを、素人だけでなく結構多くの医師がやらかしていることである。実に残念な感じだ。例えば、死亡者数をもって疾患の深刻さを語るのはナンセンスだろう。米国では今何人インフルエンザで死んでいるので、死亡者数からしてこの疾患はインフルエンザ程度の問題なのだと主張している医師を見たことがある(軽いと思い込みたいために、不都合な事例を見ても、あれは合併症を持っていたからだ等の理由を出して自分を納得させようとするようなこともよく見かける)。最終的に助かるとしても人工呼吸器につけなければ亡くなるような状態に高率で陥るなら、それは軽い疾患などでは決してない。大きく異なる別のものに置き換えて判断するのは、経済学で例をあげるならば政府を家計に単純に置き換える誤りのように、間違いをおこす典型的なパターンである。

 

新型コロナウイルスの性質を学べば、現在政府の取っている政策は概ね妥当であることが分かるだろう。中国からの移動の制限時期や方法、制限をかける範囲に関しては大いに問題があったが、休校及びイベントの停止要請は評価できる(日本だからよいのであって、他国なら生ぬるい政策と評価できるだろう)。経済の落ち込みの方が問題だという時に見かける主張は、全く正しくない。新型コロナは、インフルエンザのように集団免疫によって、あまり実害のない形で人類と共存することは考えにくい。経済に関しては、資金のショートによって事業が潰れるという無駄をおこさないように、政府が十分な援助をおこなえば済むことである。ちなみにデフレ下では、融資を受けてもその返済が平均して困難であるために、融資の推進では効果は薄い。中国人を止めなかったことは、インバウンドを期待していたといったこともあっただろうが、輸出やインバウンドに期待をかけることは、もともと経済政策の方針としては完全に誤りである。そもそも消費増税という愚策中の愚策による景気の落ち込みが、多少のインバウンドで何とかなるはずもない(安倍総理とその周辺は、消費税のマイナス効果は理解しているようだが、輸出やインバウンド消費、僅かな額の財政出動で打ち消せると思っているようである)。

 

今回の件に関して、様々な医師が全く異なる意見を述べていて、多くの国民はどれを信じてよいかなかなかわからないかもしれない。しかしどのような意見でも、そう主張する根拠が存在し、よく分かっていないことを推測や仮定で埋めている部分があり、そこから導かれたものなのである。それを追っていけば、少なくとも理解はできるだろう。それをせずに、述べている人間の肩書や、もしくは教科書等に書かれていることだからと、受け入れることは大変危険である。何ものも鵜呑みにせずその根拠から検証するというやり方は、経済に関しても医療に関しても全く異ならない基本的な方法論だ。

最近ある医師の、PCR全例検査しろだのの主張が、悪い意味で話題になっているが、これは医療施設に感染患者がウオークインすることの問題に気付いていないこと、検査自体の労力に関する無知、診断におけるこの検査の感度・特異度から考えられる位置づけができていないことによるものだろう。極端な話をするならば、安全に容易に正確に検査できる状況であれば、話も変わってくるのだ。また現状感染が判明しても、全体としての状況がより明確になったり、より強く隔離に向かわせることはできるが、個々の患者の予後を変えるような治療はない。しかしながら今後、例えばアビガンやフサンなどの早期投与が、重症化率を減少させ得たり、ウイルスの存在期間を短縮出来たりすることが分かれば(まだその証拠はないが可能性はあるし、そのような治験もすべきである)、現在の方針(発熱、感冒様症状の患者は受診させずに自宅に待機させ、電話相談でその症状に応じ、対応可能な病院に受診指示する)を変える必要も出てくるだろう。とにもかくにもきちんと検証し、考える事が大事ということである。

 

英国首相の封じ込めを諦めるという演説は実に愚かであった(その後若干修正したようである)。私は、コロナウイルスの性質(ウイルスの詳しい説明参照)から、集団免疫により自然に終息するという意見には全く賛同できない。ウイルスの性質は千差万別で、同じように考えて対策を考えてはならないのだ。新型コロナウイルスに有効な抗体が存在しうる(中国発表の治癒後血清の効果や猿での再感染実験)といったよいニュースもあるが、そうであればワクチンの開発の可能性が高まるので、少なくともその開発を待つべきである。新型コロナが英国の風土病と化す可能性もあり、そうなればあらゆる外国企業は撤退し、金融のハブとしての地位も失われるだろう。経済的に、ブレグジットどころの騒ぎではないマイナスとなる。

 

さて、実はここまでは前置きみたいなもので、ここからが本題である。英国の演説の根拠にもなっている集団免疫のモデルを解説してみようと思う。これが政策を考える上での基本であり、多くの人に知ってもらうことは有益だと考える。

 

人間は社会活動をおこなう上で他人と接触する。また接触したからといって必ずしも感染させるとは限らない。そこで、感染してから治るまでの期間に、新たな感染者が平均して1人以上増やさない状態になれば患者の数は減っていくことになる。もちろん一人の患者が一日当たり何人も感染させるとするならばどんどん増えていくということになるだろう。ここで重要になってくるのが免疫である。一度免疫を獲得すれば極端にうつされにくくなるという設定で考えれば、ある程度以上の割合に免疫獲得者が達した場合、うつす確率が大きく下がって、増えていかない状態になると考えられる。集団免疫を獲得するということは大凡このような状態と考えればよいだろう。ここでまず注意しなくてはいけないことは、前提が成り立っているかどうかということだ。ウイルス感染症の中には免疫が獲得されず何度でも(逆に複数回の感染でかえって重症化するものすらある)かかるものがある。そうなればこの考えは全く成り立たない。現在、短期ではその懸念は低そうだが、抗体の有効期間などもウイルスによって異なるため安心はできない。

免疫を持つものがその集団でどの程度の割合に達した時に、減っていくかという話はウイルスによって大きく異なる。ウイルスの中には患者からかなり離れた人間に感染させるものもある。感染力も千差万別だ。感染してから人に移さなくなるまでの期間によっても大きな差がでるだろう。そして何より大きな違いを生むのは、その集団での人間の活動性、習慣などである。集会の自粛や疑いがある者の自宅待機などは、この部分を変化させて確率を減らそうとする施策である。

封じ込め作戦をしてもピークを後ろに延ばすだけで、沈静化するまでの期間は長くなるという主張は、今回日本でおこなわれたような政策では、集団免疫抜きでは一人の患者が増やす人数を一人以下にできないと考えているからということになる。また、このような政策は、免疫獲得率が低い状況で減少に転じさせる。すると普通の生活に戻った時にまたいつでも感染が増大する状況になるといったことから、自然にまかせるべきと主張する人もいる。新型コロナに極めて近いSARSウイルスの中国における封じ込めの様子をみれば、集団免疫がなくても封じ込められる可能性はある。また一般的なコロナウイルスは1年も経つと再度感染するといった話もある。それを考えれば、封じ込めこそ全世界で取るべき方針である。今回の対応で政府の中心で働いている尾身茂氏はSARSの際に陣頭指揮をとっており、その知識に基づいて対策をねったと考えられる。

 

集団免疫に関して、多くの医師も誤解している迷信がある。集団免疫がないとその疾患にかかると重症になり、集団免疫があるとかかっても軽症ですむというものである。集団免疫がどのようなものかは、前述した通りなので、かかった場合の重症度は関係がない。少なくとも新型コロナに関して集団免疫が獲得されても、危険な疾患であることに変わりはないことは理解しなければいけない。(一旦免疫を持った人間が、再度かかっても重症化しにくい可能性は一応ある)

危険性を強調するとパニックが起こるからするべきでないという意見もあるが、これに関しても賛同しない。この疾患は、その特徴を皆が知ることによってよりよい対応ができる。だからこの疾患を大いに怖れるべきである。そして怖れるが故に、きちんと皆に勉強してもらって、正しい対応をしてもらいたいのである。(一般向けに一番よい情報を提供しているyoutuberをリンクしておく)