川の流れのように。再び。 | 秋山のブログ

秋山のブログ

ブログの説明を入力します。

8年前、まだ全然知識がなかった頃、お金の流れは川の流れのようであると書いた。今読んでみるとまるで参考にならない文章であるが、川の流れをイメージすることは今もって有益だと考えている。今回はMMTを絡ませて書いてみようと思う。

 

誰かがもっているお金は、別のだれかから受け取ったものである。その誰かも別の誰かから受け取っている。それでは最初のお金はどこから生まれたものだろうか。多くの場合は誰かが銀行からお金を借りることでお金は発生している。ここで間違えてはいけないことは、銀行預金として集めたお金を貸し出しているわけではないということだ。もちろん銀行にとって預金が無意味ということはない。銀行には、預金として持っているお金の○○倍までしか貸し出せないという制約が存在するのだ。だが、そうすると新たな疑問が生まれてくる。それではその最初の預金となるお金はどこから来たのだろうか。その答えを述べれば、国(政府及び中央銀行)が発行し、何らかのモノの対価として、国民や企業に支払ったもの以外ありえない。すなわち国(政府及び中央銀行)が何もないところから創りだしたものである。日本政府が創りださなければ、円は存在するはずもない。国(政府及び中央銀行)は、自国の経済活動を支えるためにも、お金を発行してきたのである。

 

発生したお金は、取り引きに使われ、人から人へ移動していく。何かに使えば、その人の前からはなくなるが、消えてなくなったわけではない。別の人が所有するようになっただけである。ただしこれは銀行への返済、国への納税によって消滅する。すなわちお金は国(政府及び中央銀行)が発生させた後、川の流れのように移動していき、最後には納税によって国(政府及び中央銀行)に戻っていく。そして銀行もその川の途中で、新たなお金を発生(又は増幅)させ、そこにもまたループができる。ここで理解しておかなければならない国(政府及び中央銀行)と銀行の違いは、銀行の融資には返済の約束がなされていて返済しなくてはいけないものである(利息の支払いだけで長期間猶予される場合もある)のに対し、国(政府及び中央銀行)の場合そのような約束は存在しないということだ。従って、国(政府及び中央銀行)は経済の状態を見ながら調整することができるし、調整するのがその役割である。当然のことながら、納税によって一定の期間に全て回収すべきだとか、お金をたくさん出してしまうと将来使えるお金が減ってしまうなどといった話は全くない。財政均衡とか、プライマリーバランスとかを重要視しなくてはいけないという考えは、個人の家計と政府の会計を混同させたことによる誤りなのである。

 

このお金の流れを考える上で、貸したお金、国が支出したお金が、全額返済、納税されたとすれば、誰も貯蓄を持ちえないということを理解しておかなければいけない(外国人の借金の結果である経常収支の黒字はとりあえず除外して考えておく)。逆に言えば、貯金できるということは、国なりがそれだけ回収せずに赤字にしているということだ。例えばもし国民全てが2000万円の貯金をおこなおうとするならば、そのために必要な額を、国なり企業なりが負債として背負うことが必要になる。個人の貯蓄性向は社会全体の貯蓄の総額とは関係がない。誰かがより多く貯めて消費を削れば、貯めた額だけ別の誰かの収入が減るからである。

 

次は、お金がどこに流れていくか、誰が貯蓄しているかということに注目してみよう。富裕層は消費性向が低い。従って富裕層にお金が集まる傾向が高ければ、需要は伸びず、当然景気は停滞する。これは実証上、格差が成長を抑制することからも納得できることであろう。すなわち経済のパイを大きくしたかったら、中低所得層に十分に分配されるようにすべきだ。高所得層が高い税率を逃れるために法人化して経費としてお金を使っていた昔の体制は、一見不公平に見えたかもしれないが、様々な面(稼ぐことへの活力、需要の拡大、富の分配、透明性)でよい方法であった。富裕層に富が集まると、消費性向の問題だけでなく、生産手段の独占といった一般国民から搾取する状況が強まったり、金の力で政府を動かして制度を都合よく変えたりしだすことが容易になるだろう。

 

富裕層が貯蓄するお金は、投資(設備投資)の財源になるから望ましいことである(トリクルダウンに繋がる発想である)という、時に見かける主張は誤りだ。投資に必要なお金は信用創造(money creation)によっていくらでも供給することができる。また、貯蓄から投資される場合でも、富裕層の貯蓄も、低中所得層の貯蓄も、国や企業の負債の額で、その総額が決定するから、富裕層の場合総額が大きくなるといったことはなく、財源になることに関して大きな違いはない。いやむしろ、個々の出資者は小さいので、需要を減らす配当を過度には要求しないこと、もらった配当を消費にまわす可能性が高いことを考えれば、富裕層の投資よりも優れている。

 

以上のことから言えることは、国がお金を適切な量発行すればいいというだけでなく、国が適切な量赤字であればいいというだけでなく、富裕層に偏った流れにならないように、お金の流れも調整する必要があるということである。お金の流れを生み出し、お金をお金たらしめているのが税金であるが、税金はどこからどこへお金を流すか調整する作用もある。税金が必要な理由はそこにある。そして必要なお金の流れは、富裕層からそれ以外への再分配だったり、レントシーキングから取り戻すことだったりするので、税金は再分配のためにある等言われることがあるわけだ。もっとも富裕層の貯蓄は減らし難い。ピケティは資産課税を提唱したが、それも難しいだろう。インフレ(税)こそが、もっとも有効な手段であると思われるが、主流派経済学は、インフレを抑える事こそ重要というとんでもない経済学である。消費税を導入し、法人税を減税し、政府の財政を均衡させるなどというのは、完全にすべきことの逆の政策だ。経済学は、貨幣の本質から政策を作っていく学問に作り直されねばならないだろう。