ルーカス以降のマクロ理論の成果 | 秋山のブログ

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帰納と演繹と19世紀の経済学者」のコメント欄で、ルーカス批判以降のマクロ経済学の成果に関して議論があったので、これを取り上げたい。

 

私の『ルーカス以降のマクロ経済学は進歩していない。成果も出していない』という主張に対して、菅原氏の言う成果はインフレターゲット政策で、成果もはっきり出ているということである。確かにインフレを抑えるという意味では、十分過ぎるほどの成果はでている。

インフレターゲットをおこなうべきとなる根拠は、DSGEモデルにおいて経済厚生を最大化するためにインフレ目標をゼロにするのが最適になるかららしい。しかし実証のないモデルの結果を採用してしまうこと自体大いに問題であるし、ゼロを目標とすることが間違いであることは現実の体験によって2%を目標にすべきだと今では多くの経済学者が主張していることでも分かるだろう。

インフレを抑えるためのインフレターゲットはこのブログでも根拠をあげ否定してきた。スティグリッツ教授ももちろん否定している。根拠は簡単である。この政策が格差と不況を引き起こすからである。金利を上げることによって、収益のうちの労働者の取り分が減り、消費の主体となる層の収入が減るために、物価は抑えられる。有効需要が減って、非自発的失業は増え、成長も抑制される。世界的な経済の停滞はむしろこの政策が多くの国で取り入れられたことによるものだ。(経済が勝手に最適化するならば、この現象は起こらない)

 

以前書いたように、第二次世界大戦後において世界で成功したマクロ経済政策はケインズ政策が主である。ルーカス以降のマクロ経済学が生み出したよい政策はない。現在も有効なのは、半世紀以上前に既に分かっていた方法である。

ルーカス以降のマクロ経済学に対する有名なクルーグマンの批判がある。「良く言って驚くほど無益、下手をすれば明らかに有害(spectacularly useless at best, and positively harmful at worst)」というものである。ローレンス・サマーズは、在職中に手元に送られてきた論文のうち、ルーカス以降のマクロ経済学の論文はすべて無視したそうだ。もちろんこのような批判に、現在の潮流を支持する経済学者からは反発があったようだが、誰も実際的な有効な反論をしたものはなく、例えばルーカスは自分に反対するものに対して中傷しかできていない。

 

ルーカスがどのような意図を持って活動していたか頭のなかを覗く方法はないが、その言動や主張から見えてくるものがある。

ルーカスで最も有名なのがルーカス批判だ。政策をみて人々が行動を変えてしまうというのはもちろんその通りである。しかしそれによって過去のデータをもとにした政策の分析が全て無駄になってしまうわけではなく、複雑な経済の性質上当然想定される話であって、むしろ人々の行動の変化を加味して考えるという方向こそ正しかったはずだ。ルーカス批判は、主にケインズ派の実証研究の論文掲載を排除するという目的であったとしか考えられない。実際のところケインズ派以外でも、人々の行動に焦点をあてたリチャード・セイラーの論文は当初軒並み掲載を断られていた。

ルーカスは「経済理論上の問題を数学的に表現できなければ、正しい道を歩んでいるとは言えない」と、数式化という形式に拘らせた。はたしてこの主張が正しいという根拠を示すことができる人間がいるだろうか。複雑な経済を数式に落としこむためには、多くの場合大胆な仮説をもうける必要がある。そうすれば、必然的に現実との乖離も大きくなるだろう。私には、ルーカスの方針は経済学の足を引っ張っているとしか思えない。また、最大化、最適化しないと考える経済学の学派は、数式化と相性が悪い。すなわち、新古典派以外の経済学、例えばポストケインジアンであれば、米国においては論文掲載を見送られることとなり、米国における研究教育活動においては絶望的になるであろう。

ルーカスは、格差の研究はすべきでないとしている。理由は、階級闘争に繋がるかららしい。しかしこれは完全に学問とは関係ないだろう。格差を研究すれば、非自発的失業も、有効需要も、最適化していないことも明確に浮かび上がってくる。それを確信犯的に嫌ったとしか思えないのである。

結論として、ルーカスがしたかったことは、財政政策を否定することであろう。当時多くの成果をあげていたケインズ政策を、全く顧みられないほど否定しようとしたことから推測できる。ケインズ派の実証研究が進めば、財政政策の効果はデータが証明してしまうだろう。ルーカス批判によって実証研究の目を摘もうとしたのだ。そしてルーカスの思惑通りになった。実証の裏付けのない理論モデルから政策を作るようになるなどという狂った状況がルーカス批判以降のマクロ経済学である。完全合理性と最適化を前提とするならば、財政政策が無効となるのは言うまでもないことだ。最初から種の見えている手品みたいなものだろう。

さて、財政政策を否定した理由だが、財政政策を嫌う人々、資産の利息で主に贅沢に暮らしている人々の意向をうけたということだろう。そのような経済学者の支援をしている財団に関して、スティグリッツ教授がその著書で記述している。何故資産家が財政政策を嫌うかといえば、まず第一にインフレだろう。自分達の資産が目減りすることは避けたいことのはずだ。また、財政政策で失業が減れば、賃金が上昇するので、配当も下がるだろう。逆に言えばインフレターゲットは彼らにとっては最高に都合のいい政策と言える。そしてその結果がピケティがその著書で証明したことである。