社会保障改革における日経ビジネスの記者の目 | 秋山のブログ

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昨年最後に読売新聞の社説を取り上げたが、今回は日経ビジネスオンラインの記者の目を取り上げてみたい。今年の1月6日の「 影が薄れた社会保障改革に潜むこれだけの不安」という記事だ。

健康保険料地域間の差に着目して、改革が上手くいっていないことを指摘している(一般の方には分りにくい部分かもしれない)。医療費は、患者が窓口で支払うお金はごく一部で、その残りは市町村単位で前もって支払われた保険料(企業や職域組合のものもある)からと、国が集めた税金からまかなわれる。件の記事ではすごい保険料の格差があるという指摘なので、地域によって払わなくてはいけない保険料が全然違ってたいへんという誤解を生みそうだが、現実には若干の差はあるもののほとんど差はない。県ごとの保険料の違いを見てもらえばわかるはずである。何が違うかと言えば、平均収入の違いに他ならない。つまり東京に住んでいたものが沖縄に引っ越しても、収入に変化がなければ、保険料にほとんど変化はないのだ。
健康保険や年金や税は、再分配の手段である。ほとんどの、そして特に豊かな場合の、収入というものは決して個人ひとりの手柄ではない。また、大きすぎる利益は、独占寡占、情報の非対称等々の市場の不完全さに基くものである。当然再分配されてしかるべきだ。高齢化率の高い田舎の保険料率をあげるべきだと考えることは、上京して働いている息子が田舎の両親を怠け者扱いするようなものだ。
であるから不利な構造になっている市町村の財政が逼迫するのも当然であれば、保険料を上げずに赤字を垂れ流すのも当然であり、周囲の自治体、県や国が支援しなくてはいけないというのも当然だろう(本当の怠惰ゆえの赤字もありえるので、個別に検討すべきではある)。日本は県単位でほとんど条例に差がなく、同じ通貨を使い、人や物の移動に何の制約もない以上、運営の主体を県単位ですべきということ自体、生ぬるい考えであって、国の管理に一元化すべきである。そして財務省、厚労省から、歳入部分を切り離して歳入庁とでもするのが、もっとも国民の利益に適っているだろう(この辺りも、多くの人間が指摘しているのに政治家は腰砕けである。嘗て大蔵省を解体したような気概のある政治家はいないものか)。

この記事の趣旨は医療費を抑制すべきであるというものである。しかしこの運営主体の話は本来、抑制とは関係ないだろう。医療費で困窮する自治体が出ることと、全体的な医療費の問題を混同してはいけない。

次に病院の基準の話だ。
看護師をどのくらい雇うかによって入院基本料が大きく違ってくる。この政策をおこなうことによって看護師の取り合いがおこって、看護師の給与は高騰した(看護協会というのはなかなか政治的なパワーがある)。それはともかくとして、病院の役割分担を決めることは当然効率化に繋がるし、少なくとも私の地域では改善している。効率化によって起こることが、費用の軽減だと考えることが間違いなのだ。医療従事者の逼迫した労働環境の中で仕事をしてきたわけで、効率化はその軽減にまず使われるだろうし、使うべきだ。

結局この記者は、お金とは何か、成長とは何か分っておらず、全体を俯瞰することができていないのだ。
医療を提供するために、他の産業に従事する人間が足りなくなるならともかく、現代は生産力過多の需要不足の状況なのだ。医療費の増大は問題視する必要など本来ないはずのものだ。社会保障改革ですべきことは、費用の抑制ではなくて、余剰労働者を医療に回すことと、そのための費用の増額に他ならない。そしてその際には、医療以外の労働者の賃金アップも重要だろう。