《前編》 より

 

 

【ぽれぽれ】
 スワヒリ語で「ゆっくりゆっくり」とか「まあまあ気楽に力を抜いて」みたいな意味だという。
 場所はアフリカ中央付近にあるビクトリア湖に接する国・ウガンダ。
 彼らはぽれぽれとお茶を飲みながら、昼間から寝転んで何時間でもおしゃべりをしています。
 そんな彼らを見てナマケモノという人もいるけれど、そうじゃないんです。こんな灼熱の太陽の下でガツガツ頑張ったら、死んでしまいます。ここでは、ぽれぽれでいいんです。(p.119-120)
 そう、全世界に対して日本人が「勤勉」を誇るのは、お門違いというものである。
    《参照》   『日本を降りる若者たち』 下川裕治 講談社現代新書
              【怠惰な人たち?】

 

 

【日本では当たり前にあるモノ】
 僕が今いるこの村には日本では当たり前にあるモノがほとんどありません。
 ここにないモノで一番驚いたのは、〈時間〉という概念です。
 電気も時計もカレンダーも無い中で生きている彼らは、今が、何年何月何日の何時何分か知りませんし、誰もそんなこと気にしません。朝に来るはずのバスが昼過ぎまで来なくてもイライラする人はいません。時計を見てカリカリしているのは僕だけです。
 僕はカシオのいい時計を持っているのに時間を持っていません。
 彼らは時計は持っていないけれど、いっぱい時間を持っています。
 それに気がついてここでは僕も時計をはずしました。
 彼らは過去にとらわれることもなければ、未来を憂えることもありません。ただ〈今〉に生きています。(p.120)
 時間に従って生きている日本人と、時間の観念のない大方のアフリカ人を、スピリッチュアルな視点で比較した場合、どっちにより多くのメリットがあるのだろうか。明らかに後者である。
    《参照》   『宇宙の羅針盤 (上)』 辻麻里子 (ナテュラルスピリット) 《後編》
              【空のエレメントと日本人】

 

 

【僕らの意識を外へ広げていくこと】
 僕は、服の流行を気にしても、毎日何千人と死んでいっている世界の飢餓なんてまったく気にもしていませんでしたし、彼女とのいさかいは僕にとって大問題でも、世界で起きている紛争なんてなんの問題でもなかったんです。自分がいかに日々楽しく生きるかだけを考え、この目に見えていないことは、どうでもいい〈違う世界〉の話と思っていたんですから。
 きっとこの視野の狭さこそが、「自分の周りさえよければ、他がどうなろうと関係ない」という意識と結びついて、人類に多くの問題を生んでいるんですよ。だから、日常に埋没している僕らの意識を外へ広げていくこと、それこそが、この世界の問題を改善していくための第一歩ですよ。
 僕はこれから少しずつでも、自分が見た外の世界を周りの人に伝えていこうと思います。(p.134)
 人間として生まれてきた魂が成長するルートは、必ずしも「意識する世界の広さ」だけにあるのではないけれど、「意識する世界の広さ」は、その人が(特に男性的な魂にとっては)生きて成長した証になるだろう。
    《参照》   『となり町戦争』 三崎亜記 (集英社)
              【僕を中心とした世界においては・・・】
 

 

【窃盗でリンチ死刑】
 世界屈指の治安の悪さを誇るケニアのナイロビ中心部にて
 後で聞いた話によると、ここでは窃盗犯などを捕まえると、警察を待たずにその場で犯人を「懲らしめる」習慣があるそうで、リンチしてそのまま殺してしまうケースも多いという。万引きや引ったくりでも私刑による〈死刑〉になる可能性のあるナイロビ。〈刑〉がそれだけ重いにもかかわらず、増え続ける犯罪の裏には、捕まったら殺されるかもしれないと知りながらも、物を取らないと生きていけないという厳しい現実があるのだろう。生きていくために命がけで窃盗をする人たちの前では、ゲーム感覚で万引きがおこなわれる日本の「豊かさ」が卑しくも感じられた。(p.141)
 リンチで殺される可能性があっても盗むのは、厳しい現実があるからというよりも、罪意識の欠如と命の軽さがリンクしているからではないだろうか。
    《参照》   『インパラの朝』 中村安希 (集英社) 《後編》
              【君も僕らの文化を学んでほしい】

 ところで、日本はアフリカに比べたら「豊か」だけれど、国内で見たら貧富格差が広がっているゆえの「卑しさ」増大過程の中にあるだろう。
 やや横道にそれるけれど、今、小中学校で「道徳」の授業はなくなっているのだろうか。生徒ではなく、校長と言われる連中が事実確認もせずに窃盗犯の噂話のダイナモになって地域社会ぶち壊しの一翼を担っているのを露骨に見ているから、日本の教育者のレベルは地に落ちているとしか思えない。実証なき噂話を真に受けるのは、知的な積み重ねをしたことのない極めて愚かな人間にしかできないことである。
    《参照》   『ゴキブリ団子の秘密』 松岡浩 (PHP研究所)
              【公務員という種族】
    《参照》   『ひらめきはどこから来るのか』 吉永良正 (草思社)
              【人間の記憶】

 

 

【〈日本人〉からの卒業】
 歴史の中で氏族→部族→国家、と広がってきた人間のアイデンティティーの次の次元は、まちがいなく〈人類〉でしょう。だから僕は〈日本人〉を卒業します。
僕はもう東京人でも日本人でもない、人です。人類の一員です。
〈日本〉のためになっても〈人類〉のためにならないことはもう「ノー・サンキュー」です。これからは、「それが人類にとっていいことなのか悪いことなのか」それが僕にとっての善悪の基準です。(p.159)
 21世紀になったからこそ、日本人には果たさなければならない使命があるから、伝統を保持した日本人を卒業するわけにはいかないけれど、著者の書いていることは基本的に正しいだろう。
 世界のために、日本人でなければできないことがたくさんある。技術であれ文化であれ日本人はそれらを急いで世界のために広めてゆかないと、遠からず時間切れになってしまう可能性もある。
    《参照》   『スターピープル vol.48』 (ナチュラルスピリット) 《後編》
              【日本の役割】

 

 

【援助が貧しくさせる】
 良質の古着がこんな安値で市場に出ていれば、「女性の経済的な自立のために手に職を」とかいってNGOがミシン教室をいくらやったところで、ミシンも製糸も仕事にならないわけですよ。・・・中略・・・つまり、僕等が「アフリカの貧しい人たちのために」と善意で送っている古着が、アフリカの産業を潰して、余計彼らが援助に依存せざるをえない状況をつくりだし、結果的には「貧しいアフリカの人たちをより貧しくさせている」可能性もある、(p.163)
 国際的な援助って、常にこのような問題を孕んでいる。
    《参照》   『インパラの朝』 中村安希 (集英社) 《前編》
              【国際援助】

 援助を含め発展途上国に物を輸入するのではなく、輸出できる物をつくる技術を習得してもらって産業にするしかないのだけれど、そのような品目ってそうそう簡単に見つかるものではない。
 原料として安く輸出してしまっている物があったら、それを付加価値の高い製品にまでして、先進国に輸出するべく、技術まで提供してあげないといけないのである。
 しかし、世界中でフリーエネルギーが解禁され供用されるようになれば、先進国より既存エネルギー施設のない発展途上国の方が普及は早くなるはずだから、物流コストもかからず、発展途上地域の生活環境はドラマチックと言えるほど急速に改善してゆくはずである。それが実現するのは、そんなに遠い未来ではないだろう。

 

 

【サンタさんのプレゼント】
 台湾、タイから始まった流学から9か月目のクリスマス。クリスマスプレゼントを用意してニュージーランドに居た彼女のところに向かった。
 クリスマスの朝、・・・中略・・・「二人の空白の9カ月を埋めようと思って」とか言いながら今までの体験を少しでも分かち合えるように、アフリカンドラムとか、アフリカの香料とか食べ物とか〈アフリカ五感で体験セット〉をプレゼントして言ったんですよ。そしたら彼女最後になんて言ったと思います。
「ごめん、こっちで新しい彼氏ができた」ですよ。

 まじでまいりましたよ。・・・中略・・・。彼女にはいつもかなわないんですよ。とにかくクリスマスプレゼントは僕の大好きな彼女の「ごめん」という言葉と涙ですよ。サンタさんも憎いことをしてくれますよ。〈試練〉っていう最高のプレゼントを僕にくれるんだから。〈試練〉は人をさらに大きくさせるためにあるんですからね。
 僕はサンタさんにも目をかけてもらって、とことん幸せモノですよ。
 ほんと嫌になるくらいに・・・・・。

 マジでまいっちゃいますよ・・・・。  12月25日    (p.185)
 記述が面白いから息も絶え絶えに笑ってしまったのだけれど、ほんと気の毒。
 ドボ~~~ン、だよね。そりゃ落ち込むわ。

 

 

【自分はナニ者か】
 オーストリアの大学でのこと。
 お国自慢をダラダラしている奴がいると、「で、あなたは誰?」とか「出身地の話より、あんた自身の話をしてよ」みたいな突込みがはいりますからね。
 ここで常に問われるのは〈自分がナニ人か〉ではなく〈自分がナニ者か〉なんですよ。
 だから、英語が達者なアメリカ人もつまらん奴は所詮つまらんし、英語が下手な日本人でも金髪の女の子に迫られたりするんです。(p.228)
 常時多国籍の人間が集うところでは、当然このような話になるだろう。
 長いこと海外での旅を続けていれば、ナニ人かは初対面ですら不問という意識になってゆく。
 現在の世界はインターネットの発達によって、ボーダレス化が急速に進展しているから、より一層「自分はナニ者か」を問われる機会が多くなるだろう。
   《参照》   『LOVE&FREE』 高橋歩 (サンクチュアリ出版)
              【ライフワーク】
   《参照》   『「知の衰退」からいかに脱出するか?』 大前研一 (光文社) 《後編》
              【これからの時代の教養とは?】

 

 
<了>