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 著者が20歳の時に廻った、アジア、中東、アフリカ、オセアニア地域の『流学』過程と、そこでの思いと学びが綴られている。20歳の時に、1年間の体験をこれほどまで冴えた思考でまとめていたなんて、自分の同年齢当時と比較したら立派過ぎである。2003年10月初版。

 

 

【流学願書】
このまま楽しい大学生活を続け
それなりにやりがいのある仕事について
暖かい家庭を持って、そこそこ裕福な暮らしをエンジョイして
老後はのんびり趣味に費やし
そして安らかに死んでいく
そんな〈シアワセな将来〉を思い描くと不安になった
もっと違う〈何か〉、もっとすばらしい〈何か〉があるかもしれない
その〈何か〉を見ずに、その〈何か〉を探そうともせずに
このシアワセに流されていく
そんな自分がこわかった

たった一度の人生、オレは本当にこれでよかったのか
こんなシアワセをオレは求めていたのか

いつかやってくるその問いがこわかった

だから逃げた、逃げ出した
我が身ひとつでにげだした
              4月1日 太平洋上空にて (p.10-11)
 最初に降り立ったのは、震災直後の台湾。被災者救援ためのボランティアをしながら、自分の正直な心を打ち明けつつ、ボランティアリーダーの言葉に心を慰撫され、次なる地点へと飛んでゆく。
 ユーラシア大陸初の上陸地点であるタイに着いた場面を読んだ読者は、ここで一挙に引きこまれてしまうだろう。強烈に面白い。これを読んだら、若者はこの時期を狙ってタイに行きたくなるだろう。でもそこはすっ飛ばし。

 

 

【答えは探せばいい】
 ラオスで、子どもたちに英語を教えることになった。そこで生徒に「自転車を英語で何というのか?」という質問を受けて、綴りが思い出せず固まってしまった。
 オレは物知り顔をしたエラそうな教師になりたかったのか。教科書の知識を詰め込み、答案に○×をつけて〈正解〉を教えるだけの教師を一番嫌っていたのは、俺自身だったじゃないか。ちょっと〈先生〉という肩書をもらったとたん、そのことを忘れてしまっていた自分。学びの楽しさや自ら探究する姿勢を教えていくのが教師のはずなのに、その先生が知らないことを恥じ、調べることをためらっていて、どうして学ぶ喜びが子どもたちに伝わるんだ。
〈学ぶ姿勢〉は口で教えられるモノじゃない、その姿勢を見せることで、子どもたちが学び取っていくモノだ。そう思うとふっきれ、子どもの前で堂々と辞書を操ってやった。・・・中略・・・。
先生は偉くなくていい。〈正解〉を知らない無知でもいい。
〈こたえ〉は探せばいい。こたえは探すものだと教えればいいのだ。(p.36)
 この『流学』自体が、日本の学校では出せない〈こたえ〉を自分で学び取る過程であるけれど、日本の教育も、「教える」ではなく「学ぶ」にシフトしつつあるのだろうか。
    《参照》   『私はこうして発想する』 大前研一 (文芸春秋)
              【デンマークの教育 : Teach から Learn へ】

 

 

【インド】
 時計を見ればまだ夜の11時。目が醒めてから半日もたっていない。今日やったことなんて、旅行会社でチケットを買って、バスに乗っただけ。特別なことなど何もしていないのにいろいろなことが向こうから勝手にやってくるインド。退屈させてくれない。
 これが多くの旅行者を惹きつけてやまないこの国の魅力なのだろう。(p.64)
 インドへ行ってもパッケージツアーならインドの魅力というか、コテコテというか濃厚なインドを実感することは多分できない。5日や6日のパッケジツアーに10万払うなら、同額で格安航空券を買いドミトリーに泊まり電車やバスやリクシャーで移動しつつ2週間インドをモロに体験できるだろう。

 

 

【お酒は盗まれない国】
 イランの大多数を占めるシーア派の聖地、マシュハド。ここに来る夜行バスで寝ている間に、バックパックのサイドポケットが開かれ、中に入っていたものがごっそり消えていた。
 しかしよく見てみると、使い古した歯ブラシや彼女からの手紙など、いったい何に使うんだというものまで盗っておきながら、苦労して裏から入手した酒だけはポツンと盗り残されている。犯人は窃盗という法を犯しても、酒を禁ずるイスラムの戒律は犯さない〈敬虔な〉イスラム教徒と推定された。(p.81)
 「現場に犯人を推定できる証拠を残すなんざあ、素人の仕業だろう」
 「しかし、星はイラン人全部でっせ。星の数ほどいまっせ」 なんちゃって話。
 日本で売っているバックパックには施錠付きのものが殆どないけれど、そこは自分で小さな鍵をつけて対策を立てておかないといけない。予備の現金やパスポートの保管用に、ズボンの内側に内ポケットを縫い付け作ってておくとかが必要。夜行での移動では荷物を柱などに繋ぎ止めておくワイヤー類も必要である。

 

 

【男が男に興味を持つ気持ちの根拠】
 パキスタンでは男はイヤというほど目にするのだが、女性は家の外にほとんど現れず、家に遊びに行っても客人から見えない場所に隠されてしまうので見る機会が全くない。長いこと男だけの世界にいると、男が男に興味を持つ気持ちがしだいにわかりかけてくるから、コワイ。(p.85)
 パキスタンという国の特性ではなく、イスラム圏に共通することだろう。
    《参照》   『エグザイルス』 ロバート・ハリス (講談社)
              【イラン : ベンツの紳士】

 日本でも中学から先は男女共学を全廃して寮生活の男子校・女子高ばっかにしたら、ホモやレズが増えるかも。
 そして、暑苦しい真黒の布(チャドル)で女性を隠すここイランもなんとか耐え抜いて、ついにトルコへ。
 国境の長い検問を受けると、そこは、
 楽園だった。
 肌を露出させながら歩くキャミソール一枚の女性たち。その金色の素肌があまりにも眩しすぎるのだが、どうしても目が離せない。(p.85)
 イスラム圏に長居をした諸外国の若者は、トルコでこんなふうに思うのかもしれない。
    《参照》   『これから50年、世界はトルコを中心に回る』 佐々木良昭 (プレジデント社) 《前編》
              【トルコの国際性】

 イスラム圏内の男性にとっても、女性のチャドルはいうならばスプリングボードなのだろう。
    《参照》   『望遠ニッポン見聞録』 ヤマザキマリ (幻冬舎) 《後編》
              【秘すれば花?】

 

 

【一番の親孝行】
 長年イスタンブールに憧れていたお袋が、僕の日程に合わせて、おやじを連れてやってきた。
 レストランで、久しぶりの家族そろっての食事。酒もまわり達者になった口で、この5か月間の体験談を夢中になって両親に話していた。気がつくと、「あんまり無茶をしないで」とお袋は涙ぐんでいる。笑もせずにじっと話を聞いていたおやじが、鼻をすするお袋を見て一言。
「ガキが親に心配をかけないでどうする。親が安心してられることしかやらないガキだったら、生んで育てた意味がないだろう」
 すごくうれしかった。おやじがメチャクチャかっこよく見えた。
 そして、こちらを向いて、
「親なんか泣かせてでも踏み越えていけ。ガキが親を踏み越えていくことこそ一番の親孝行だろう」
 はじめて、この親の子に生まれてきてよかったと思った。見るとお袋もうれしそうに泣いていた。(p.86-87)
 こんなこと言ってくれる父親って、そうはいないだろう。
 大抵は「親に心配をかけるな」である。タコ!

 

 

【ピラミッド盗頂】
 覚悟を決め、警備が背を向けた瞬間、物陰から飛び出した。
 照明ライトの中を全力で駆け抜けピラミッドに飛びつく。
 後はひたすら目の前の石に手をかけ足をかけ、一つ一つよじ登っていく。
 20分ほど、上も下も見ずに無我夢中でよじ登り続けて一気に頂上へ。
 噴きだす汗もそのままに、仰向けに倒れこむ。
 連打する胸の鼓動と、息切れして出る激しい咳。
 そして、目の前に浮かんでいる大きな満月。
 月の光に身をあずけながら、いいようのない興奮と充足感に酔いしれる。

 トラトラトラ
 われピラミッド盗頂に成功せり   (p.111)
 この後、とっ捕まって警察で形式的な尋問を受けたらしいけれど、このような青年たちは結構たくさんいるらしい。
 それにしても、「ザケンナ」と思ったのは下記の記述。
 人様の国の国王の墓に土足で登り、タンが絡んではタンを吐き、トイレがないからと頂上で小便をしていた自分。(p.112)
 反省記という章の中に書かれていることだけれど、そこで小便をしたという記述に、唖然というより震撼してしまった。キリマンジャロの頂上に着いた時も、そこでウンコをしたと書かれている(p.175)のだけれど、ピラミッドや山頂とかの聖域でよくそんなことができるなぁ、とひたすら震撼する思いである。