《前編》 より
 

 

【南京虫地獄】
 私はイエメンで南京虫地獄を体験していた。安宿の汚いベッドの上で全身を虫に食い破られて、できることなら首をつって死んでしまいたいと思うほど激しい痒さに苦しんだ。過剰に薬を服用し痒さに抗う一方で、副作用で精神を病み、視界に映る斑点のすべてを南京虫と錯覚し、虫への恐怖と後遺症で眠れぬ夜をたくさん過ごした。(p.167)
 この副作用によって視界に映る斑点症状は、覚せい剤に汚染された人にも共通することらしい。薬剤は脳に対してさまざまな異変を引き起こす。これ(仮想)と南京虫(現実)が噛み合ったら、まさに地獄なのだろう。

 

 

【君も僕らの文化を学んでほしい】
 タンザニアにて
 わたしはここで啖呵を切った。
「ふざけるな!」と。
 目の前にちゃぶ台があったなら、思いっきりひっくり返しただろう。
「私がチップを払うと思う? 一緒に山へ上ってほしいと彼らに頼んだ覚えはない。むしろ、あなたに頼まれて山に登ったのは私の方よ。ついでだから言わせてもらうと、あなたや彼らのミニバス代も私が全部払ったけど、みんなそれが当然のように知らん顔で払わせて、誰も払い戻すことなくお礼の一つも言おうとしない。それでさらにチップが欲しいの? あなたたちは失礼よ」
「悪かった。これもきっと文化の違いだ。ここアフリカの社会では、お金持ちの外国人は現地人の僕たちにチップを払う文化があるんだ。だから君も僕らの文化を学んでほしいと思っただけだ。ぼくらはビジネスパートナーとして、お互いの文化を学んでいこう。今回は君の文化に従い、チップは払わないことにしよう」
「パートナー?」
 支配される文化から、彼らは立ち直っていなかった。精神的な貧しさが、経済力まで乏しくしていた。志のあまりの低さに、目の前に穴があったなら、中に入って泣きたいくらい、私は深く気落ちした。(p.172-173)
 モラル感覚まで文化の違いで表現されると、普通の日本人は呆れるし納得し難いだろうけど、モラル感覚も低レベルで安定状態になっていれば、「文化の違い」と言えなくもない。
 後進地域ではどこの国であれ、先進国の人間はベラボーに吹っかけられるけれど、アフリカでは、吹っかけているのではなく、「豊かな国の人の義務」だとすら言い抜ける。そして、かつてアフリカを支配していたヨーロッパの宗主国には、今でも確かに「ノブレス・オブリージェ」という文化が存在している。双方に共通しているのは、苛烈で安定的な階級社会・格差社会であるということ。このような社会では犯罪者は消えない。
「お兄さんのバス代を払い戻してもらえませんか」と。
 妹は真剣に耳を傾け、・・・中略・・・悲しい顔をして私にこっそりこう言った。
「アフリカの男性を信用してはいけない」と。(p.174)
 かつての植民地時代に、恵まれることに安住していたアフリカ人たちは、精神の気高さを学ばなかった。故に被恵者と犯罪者の意識は明確な区別もなく今日まで引き継がれているのだろう。
 

 

【社会の割れ目に挟まって孤立する地域】
 著者はアフリカを北から南下していた。反対に南から北上してきた韓国人女性に出会った。
「南は孤独で大変だった」と。・・・中略・・・。
「南は北(東アフリカ地域)とは随分違って、いろんなものが整っていて、白人社会が確立している。・・・中略・・・。けれど白人旅行者や白人世界の中に入ると、私はどうも一人だけ孤立を深める結果になって、楽しい気持ちになれなかったの。もし黒人社会の中に私一人の状況だったら、ああいう孤独感を感じることはなかったかなって思うのよ」
 ・・・中略・・・問題は言語の壁ではない。それは人種の壁だった。北部は黒人社会の中に別の人種が混在していて、南部は異なる人種の社会が分離したまま存在していた。さらに分類していくと、それは富や権力や生きる世界の隔絶だった。言葉ができてもできなくてもどこかに属していなければ、社会の割れ目に挟まって孤立するのが南部なのだ。(p.184)
 アパルトヘイトという有名なマイナス用語で知られる南アフリカには、未だに「意識の壁」が残存しているのだろう。白と黒が苛烈な差別を経てきた地域では、黄色は、いずれの「意識の壁」にも阻まれ、狭間で孤立するのだろう。
 差別の激しかったアメリカ南部においても、黄色は有色ではない、という「意識の壁」があるらしい。
     《参照》   『日本人とアメリカ人』 山本七平 (祥伝社)
               【日本人はカラードではない】

 

 

【経済崩壊下のジンバブエ】
 ジンバブエ経済は崩壊していて、スーパーインフレ状態だった。(p.198)
 米ドルを持った人間だけが、その状況下で勝者となってあらゆる恩恵を受けられたのだ。(p.199)
 新しいパスポートの発行額は3万5000ジンバブエドル。円換算で僅かに4円だったという。
 政府関連の高級ホテルのフランス料理のフルコースでさえたったの400円だった。天国のような場所だった。(p.200)
 著者は180万円で2年間世界を彷徨っていたという。月額で7万5千円は明らかに「貧乏旅行」に該当する。しかし、経済崩壊下のジンバブエでは、貴族的な生活が可能になった。
 すべては通貨のマジックだった。とても強い誘惑だった。
 『カネを手にした人間は、何だって自由に買う権利がある』
 わたしはそう信じ込み、自らの特権を振りかざした。それは私が持ち込んだ暴力性であり、庶民に対する挑発だった。・・・中略・・・。積み上げられた札束を前に、私の精神は脆くも敗れ去ったのだ。(p.203)
 経済崩壊は、勝者と敗者の差を際立って明確にする。
 通貨のマジックによって労せず経済的勝者となった者は、そのパワーに魅了されて精神的敗者になりやすい。経験したことがなくても、お金の魔力に惑わされるかもしれない自分を想定すらしていない人は、完全な虜になるだろう。

 

 

【後進国の階級差別の実態】
「君は外国人だから、僕の状況は理解できない。高所得者と僕たちは、全く別の世界にいるんだ。教育も生活も仕事もコネもすべてが別次元にある。上流階級の人間は、僕等とは言葉も交わさないし、全く相手にしていない。彼らが君と話をするのは、君がインテリでお金を持った先進国の人間だからだ」 (p.213)
 日本にもないわけじゃないけれど、諸外国ほど露骨ではない。
 日本人が知るべきことは、「世界は依然として強烈な階級社会である」ということ。

 

 

【これも現実】
 中国人も先進国もアフリカのために道を敷く。中国人は勤勉に、日本人は真面目に働く。アフリカのために予算をつぎ込み、彼らの国の開発に、彼らの街の発展に、汗水たらして取り組んでいく。アフリカ人が知らない間に、勝手に道がつくられて、それをつくった中国人をアフリカ人がバカにする。日本人もバカにする。子供も大人も暇そうに、大勢が私に付きまとってきた。
「カネをよこせ。物をよこせ。ないなら、とっとと国へ帰れ」
 子供たちが「イエロー!」と叫び、私の背後で笑いが起きた。(p.240-241)
 貧しい人達というのは、悲しみに敏感で、感謝の心があると思いきや、意外にも貪欲であったり、無慈悲であったり、差別的であったりする。男の場合は特にそうだろう。

 

 

【国際支援で一番大切なのは・・・】
「僕がここへ来ている理由は、比較的ここには問題がなく国が安定しているからです。こういう『問題の少ない国』へは、相当数の隊員がどんどん派遣されてくる。人数はかなり余っています。・・・中略・・・。前任者との引き継ぎもない。延長もない。地域にしっかり足をおろして何かにじっくり取り組むことなど、そもそも求められてはいない。なぜなら一番大切なのは、派遣された隊員数と、援助する予算の額を国連で競うことだから。隊員をどんどん循環させて、人数を稼ぐ必要がある。要するに僕たちは、安全保障理事会の常任理事国になるための、ポイント稼ぎをやっているんです」 (p.238)
 なんか、タメ息がでる話。
 こういうのを読んで、「だったら、行っても仕方がない」と思う人より、「だったら、大いに行きたい」と思う人の方が日本政府の目的にマッチしている。
 今は、青年海外協力隊の中にも実務経験を選考基準にしたシニア版があるけれど、全部が全部この記述にある通りではないだろう、と思いたい。

 

 この著作は、ポルトガルのロカ岬にある有名な文言で終わっているけれど、著者の世界を巡る旅は、この著作以降も続いているらしい。安希のレポート というサイトには、いろんな情報が掲載されている。

 

<了>