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 アメリカ理解に関する上質な書籍。この本の初版は2007年だけど、初出は1976年である。著者は1991年に亡くなっているけれど、読み継がれてゆくに相応しい内容の書籍である。

 

 

【アメリカ人が天皇にエキサイトする訳】
 下記の彼女たちとは、天皇の訪米時に、同行の記者団に配るおにぎりを作っていた外国人女性たちのこと。
 彼女たちは一様におにぎりは嫌いだと言い、ノリのウメボシも「ノーグッド」、そしてかつおぶしの匂いには、特に、どうしても好きになれない、と言って顔をしかめた。一方、天皇となると、全員が不思議な好意と好感を示した。アメリカ人が使うエキサイトという言葉は非常に意味が広いと思うが、彼女たちは天皇に何かを感じ、何かの刺激をうけ、非常にエキサイトしているのは事実であった。 (p.22)
 国王という対象はまだあっても、彼らが皇帝と呼ぶ対象は、この地球上でもう天皇だけになってしまったことも、異常な興奮の一因かもしれない。・・・(中略)・・・・。
 「自分に無いものに興奮するのはアメリカ人の特徴なのか」、私はたずねた。「そうではない。それはアメリカだけではない。ソビエトの人はロックフェラーに異常にエキサイトする。それは彼らの社会に、億万長者というものがないからだ」 とシェクター氏は答えた。 (p.25)

 

 

【天皇と東条元首相】
 「アメリカ人が憎む名は、戦争中からトウジョーであってヒロヒトではなかったから・・・」といわれて、はじめてアッと気がついた。
 彼らは今まで、私に 「天皇なら歓迎する、トウジョーなら歓迎しない」 といっていた・・・(中略)・・・。
・ ・・(中略)・・・。
 もっと後にサンフランシスコで、評論家のラモット氏にこの話をしたところ、氏は、多くのアメリカ人はすでに忘れているが、戦争中は 「ヒトラー、ムッソリーニ、ヒロヒト」 であり、このヒロヒトがトウジョーにかわったのは、昭和22年(1947)からで、そこには意識的とも思えるマスコミの誘導があったと言った。 (p.121)
 「天皇を生かしておいたほうが、戦後の日本統治に好都合だから」 という占領軍の意向が、メディアを通じて全米に流され、今日のアメリカ人の天皇観を形成しているということになる。
 

【天皇とマッカーサー】
 私はマッカーサーの言葉に、通常うけられるのとは別の意味 『このチャーリー・ブラウンに戦争など起こせるわけはない』 のニュアンスを感じた。
 ・・・(中略)・・・。
 彼(マッカーサー)は、自らの判断に基づき、どこか別に実質的責任者である “日本のローズヴェルト” がいるはずだと考えたのであろう。だが、日本はそうではない。日本語には 「戦争が起こる」 という言葉はあっても、ある人が自らの決断で 「戦争を起こす」 という言い方はない。彼は日本に対して無知であり、この点が理解できなかったのだ。もっとも今のアメリカ人も同じである。 (p.202-203)
 大学時代に、渡部昇一先生の 『ドイツ参謀本部』 (クラウゼヴィッツの戦争論)を読むまで、ナイーブな日本人であった私も欧米に対して無知であり、その点が理解できていなかった。
 近代になって行われた戦争全てに欧米が関与している。世界中で、「偶然起こった戦争」 など、決して、一つとしてない。全ての戦争は設計され意図的に引き起こされている。

 

 

【「生意気」を排除する日本、「フェアでない」を排除するアメリカ】
 「日本でもアメリカでも、小学生が、ある一人を 『やっつけちまえ』 ということがあるでしょう。日本では 『生意気だ、やっつけろ』 ですが、アメリカでは 『フェアでないから・・・・』 となるのです」 と。
 このことは、そう判定されれば、どうにもならないから、「生意気だと言われまい」 また 「フェアでないと言われまい」 と、子供のときから自己規制し、共にそれが大人の世界まで通じていることを意味する。 (p.47-48)

 現地(アメリカ)で 「日本よりのびのびと仕事ができて住みいい」 という人の中には、小沢征爾氏に似たタイプの人がいたが、かつての氏とN響とのトラブルは 「生意気排除の世界」 の出来事で、アメリカなら 「フェアでない」 と逆にN響が非難されたかも知れぬ。  (p.49)
 日本人の場合、生意気と言われても、親分子分的な関係が伏在するなら、問答無用に至らぬ妥協点はあるだろう。

 

 

【八百長的合意が全くないアメリカ】
 日本という国は、どこかに八百長的合意がある国だ、だからそのつもりでアメリカで生活していると、とんだことになる、とNさんは言った。
 「アメリカは怖いと言いますけど、日本の怖さとは違うんです。私はまだアメリカで “インネンをつけられた” という経験はありません。日本なら盛り場でコワイおニイさんから何か言われたといった経験は誰にもあるでしょうが、どんなスゴイ文句を並べたって、どっかで妥協がつくとお互い思っているし、事実、妥協がつくんです。だがアメリカ人は、そうはいかないんですなあ、だから不意にやられたと錯覚する・・・。日本の対米外交も対米世論も危なっかしく見えますなあ。繊維交渉のときも、日本側には、どこか八百長のつもりがあったと思いますよ」 (p.161-162)

 

 

【日本人はカラードではない】
 著者が、有色人種地位向上協会の会長であるバウハウス氏を訪ねたとき・・・。
 私は 「有色人種の一人としまして、あなたが、その地位の向上に努力されておりますことを感謝いたします」 と、まず 「あなた」 の語調を強めて、形式ばった挨拶をした。いうまでもなく 「白人であるあなた」 の意味である。
 しかし、バウハウス氏は 「白い黒人」 だったそうである。
 ところが、次の瞬間、落ち着きはらった奇妙な返事が返ってきた。「あなたは有色人種ではない」 と。
 カラードとは黒人のことであって皮膚の色の有無そのものとは直接には関係はない、したがってアジア人はカラードではないという。  (p.54-55)

 

 

【黒人解放運動にアジア人は関係ない。プラクティカル(現実的)ではないから】
 上記に続いて、バウハウス氏との会話。
 「アジア人との連帯」 と私が言った瞬間、驚くほど厳しい口調で 「オー、ノオ!」 と言った。
 この見幕に私は少々驚き、こちらもやや声高に反射的に 「なぜ」 ときいた。これに対して氏はごくあたりまえの調子で 「利害の調整がむずかしいものが連帯しても、内部調整でエネルギーを失うだけである。それはマイナスにしか作用しない。われわれはわれわれでやるから、アジア人はアジア人でやればよい」 と言った。 (p.58)

 私の貧しい予備知識のどこかに、「黒人はアメリカ人に迫害されているアメリカ在住の非アメリカ人」とも言える誤解があったのだろう。ところが黒人はアメリカ人であり、人によっては、ある面では110%アメリカ人だという。
 そしてアメリカ人の原則の一つは 「現実的」 であり、彼らはこの言葉を絶えず使う。 (p.58-59)
 理想や善意や被差別の連帯を思ってみたところで、全く現実的ではないという割り切り方。さすがはプラグマティズムの国である。プラグマティズムは職業観にも顕著に現れる。

 

 

【収入がよければよい職業】
 封建的な職業の貴賤という感覚は、アメリカ人にはきわめて希薄であり、収入がよければよい職業なのだ。(p.68)
 この職業観は中国人にも当て嵌まるだろう。
 アメリカでは、黒人が低賃金の職種に携わっていても、時流でその職種が高賃金になれば、すべて白人に置き換わってしまうのだという。例えば、好景気でチップ額が上がったウェイター、建築バブル時の大工、など。

 

 

【レイシズム(人種差別)の基】
 レイシズムの基は何なのだと徹底的にきいて行くと、堀内さんの答えも宇野さんの答えも、「視覚・臭覚・味覚」 等を総合した感覚に触発される、ある方向への社会的な欲求不満が噴出した “魔女狩り” 現象だと言うことになる。結局、感覚への対処は感覚でしかできない。 (p.179)
 鯨肉を食する日本人だからという理由で差別されたことがあるという。「食」 に理屈や正統性などないじゃないか・・・と思うけれど、何であれ差別の対象にして、特定の人種を槍玉にあげるというファナティックな現象が、アメリカでは折に触れて起こってきた。以下の理由である。

 

 

【アメリカ:モグラ叩き社会】
 人間は、18世紀の理性信仰通りの産物ではない。ある面を合理化すれば、別の面に非合理が出る。その非合理を合理化すれば、また別の面に非合理として現れる。そのため、社会が合理的組織の網の目で覆われて行けば行くほど、そこから遊離した非合理性が、まるで雲のように浮きあがって社会へただよい、何かのきっかけで、いわば 『感覚的触発』 でその方向へ集中的に吹き出していく。
 アメリカの歴史とは一面この噴出の歴史で、それがKKK団、アイルランド人排撃、ユダヤ人排斥、排日法、赤狩り、鯨デモに現われ、・・・(中略)・・・。 (p.182)
 さて、今度のアメリカ大統領選挙で、黒人大統領は実現するだろうか? アメリカの深いレイシズムの歴史を知っていればいるほど、「オバマ大統領などありえない」 と思うのだろうけれど、今回はオバマが当選することになっている。
 

【「時間的・タテ社会」の日本と、「空間的・ヨコ社会」のアメリカ】
 この比較を、下記のパラマウント社長親子の事例で集約している。
 パラマウントの社長の父親がニューヨークでタクシーの運転手をしていた。
彼は乗客に「オレの息子はパラマウントの社長で、立派にやっているんだぞ」 といった自慢話を堂々とする。後に父親思いの息子に頼まれてロサンゼルスに移住したが、タクシーの運転手はやめない。 (p.195)
 ハーバードで研究生活を送っていたフィールズ賞の数学者・広中平祐さんが、野菜をカゴに入れて行商していた自分の母親に対して、そのまま頑張るようにという、母親に対するエールのような内容の講演をしていて、それを読んだことがある。長年アメリカで生活していたので、意識がアメリカ化していたのだろう。
 これを美談として受け取った日本人はかなり少なかったはずで、親の世代は大方憮然としていたと思われる。
 「時間的・タテ社会」 に生きている日本人なら、親子双方で互いに隠すのが普通であろうし、露になってしまえば息子が非難されることになるのではないだろうか。                      

 

 

【アーミッシュ村】
 ニューヨークから車でわずか2時間半のところにいるとは、驚きでした。・・・(中略)・・・。
 彼らは、クエーカーと同じように、良心的徴兵拒否の権利を認められていますから、戦争には行っていないわけです。さらに国家の存在を認めないので、国家保障や社会保障は一切うけておりません。また、社会保険等の納付も拒否しております。人間の生存と生活は神が保証したまうのであって、それを国家や社会に求めるのは瀆神行為だと彼らは信じています。いわば存在するのは、神と自分と家族と隣人だけです。 (p.249)
 これもアメリカの社会に存在する事実の一部である。
           【ピューリタンが新大陸を目指した理由】
 
<了>