《前編》 より

 

【霞が関は人材の墓場】
 私は、霞が関をぶち壊したいわけではい。むしろ、霞が関の再生、とりわけ、若手官僚の活躍できる公務員制度の実現を願っているからこそあえて警鐘を鳴らしているに過ぎない。
 一般国民の感情や価値観と離反した官僚は、いま、厳しい非難にさらされている。官僚の名誉のために言っておけば、誰でもはじめから天下りしたくて公務員になるわけではない。国民のために働き、この国を繁栄させる政策立案に参加したいという希望をもって入省する。ところが入省した先は、若手の「志」を摘んでいくシステムに支配されている。私流にいわせてもらえば、「霞が関は人材の墓場」という表現がぴったりしている。(p.107)
 公的機関に出向したことのある同僚の話と自分自身の経験から言えば、霞が関に限らず「公的機関はどこも人材の墓場」である。
 そもそも、椅子に座っているだけで実務としての仕事は殆どなく、形式だけが重視されている所なのである。出向前に人づてに聞かされていた「設計書は厚さで評価される」という話は、冗談だと思っていたのだけれど、それは冗談ではなかった。生え抜きの公務員たちは背もたれ付きの椅子にふんぞり返っているだけで、実務ができないから設計書の内容を評価できないのである。だから厚さで・・・という冗談みたいな話が真実だったのである。
 さらにドン引きしたのは、9か月という工期で外注に出した資料が期日に届かなかったため、進捗具合を確認しつつ遅延の理由を問いただしていたら、「余計なことをするな」と横槍を入れられたことである。つまり、ほかの天下り機関に出した外注は、工期などどうでもよく、単に人件費を流し続けることが目的だったのである。
 また、課内のカウンターに、課内旅行の期日を書いておけば、そこに差し入れがうず高く積みあがるのである。それが当然の事として毎年行われていた。
 そして競争入札と言っていながら、すべて入札先は最初から決まっていた。毎回真剣な表情で案件確認をしに来る業者さんに内容説明しながら、おもいっきり心が冷えてくるのである。
 天下りのトップである局長が出社していたのを見たのは年に1回のみで、課長は特に予定がない限り午前中で消え、以下の職員は順次3時までには全て退社し、定時まで出向組が仕事のないまま留守番をする、という毎日である。
 これで人材が育つわけがないだろう。地方行政公務員の世界も推して知るべしである。

 

 

【日本の大企業のやり方】
「凄い技術ですねぇ。でも、お宅の技術は、経産局で話に出たこともなければ、資料にも一言も触れられていませんよ。なぜもっと宣伝しないのですか。炭素繊維車は今後、需要は急激に拡大していく。どんどん宣伝すれば、世界中の自動車メーカーから注文が殺到するじゃありませんか」
 応対してくれた経営陣の一人に率直に疑問をぶつけると、彼は言いにくそうに口を開いた。
「そうでしょうね。実は、これ内緒なんです。理由はいえませんが・・・」
 察するに、発注元の自動車メーカーとの契約条項に、この技術を公表しないという取り決めが入っているようだった。そう考えたのは、前々から私は、日本の大企業のやり方を苦々しく思っていたからだ。(p.127)
 下記リンクに、外資に見出されたシコー技研やアルモニコスのことを書いておいたけれど、シコー技研は、結局のところ中国市場に進出し、技術を取られて潰れてしまったらしい。ベンチャーが中国という市場で生き残るのは難しいかもしれない。そのような場合には、大企業の傘下に入って生き延びるのも、必要悪として仕方がない選択になるだろう。
     《参照》  『中国人の金儲け日本人の金儲けここが大違い!』 宋文洲 (アスコム) 《後編》
               【大企業のベンチャー潰し】

 

 

【霞が関の評価基準】
 霞が関の役所の評価基準は大きく分けて2つしかない。
 一つは労働時間、もう一つは先輩、そして自分の役所への忠誠心だ。霞が関では、仕事を効率的にやるという努力は無駄に終わる。だらだらとでもいいから、なるべく長く仕事をしたほうが勝ちだ。
 深夜、霞が関をタクシーで通ると、どの庁舎も煌々と灯りが点いている。霞が関は不夜城。官僚は非難されているけれど、なんだかんだいって一生懸命働いているじゃないか、と思われる人もいるだろう。
 だが、実態はお寒い限りだ。(p.168)
 忠誠心に関しては民間企業も同じだけれど、官僚の場合は国費を食い尽くす省庁単位の利権維持ということになるからたちが悪い。
 労働時間に関しては、優良企業の実態とは真反対だろう。
     《参照》   『川本裕子の時間管理革命』 川本裕子  東洋経済新報社
               【残業は非生産的】

 役所というのは、霞が関に限らず各県の県庁も似たようなものである。幹部職員はロクでもない話にうつつを抜かしているのがもっぱらで、部下は、することなどないのに、仕事をしているフリをし続けているのである。こんなバカバカしいことをしている連中に、高額な給料が支給され続けているのである。バカバカしさと茶番の合体。

 

 

【財務省の懐刀】
 経理の資料を見れば、重役や編集者、記者がどこどこで某政治家、某役員と食事をしたといった資料を入手できる、国税庁は、入手したこれらの情報のうち役立ちそうなものは整理して保管するという。
 ――財務省にとって、この懐刀が、いざというときにものをいうのだ。
 たとえ摘発しなくても、霞が関に盾つくマスコミや政治家には、やんわり「これ以上うるさいと、こちらも本気でやりますよ」と相手が受け取るような形で、それとなくにおわせるだけで十分だろう」(p.198-199)
 財務省の懐刀は国税庁だけではないだろう。金融庁も警察庁も検察庁も同様であり、世にいう「公設暴力団連合」そのものである。
     《参照》  『恐慌前夜』 副島隆彦 (祥伝社)
               【金融庁】

 下記のリンクから、紐ついているリンクの最後までキッチリ辿ってください。
     《参照》   『宇宙人の伝言』 田村珠芳 (TO文庫) 《前編》
               【純粋な日本人の隘路】

 こういうブログを書いているチャンちゃんは、しっかり写真も撮られて警察庁のデータベースに乗っているから、プー太郎な日々に飽きて就職しようとしても、警察手帳をもった公安が、就職先に出向いて「これこれで・・・」と出鱈目なことを言いふらして就職を取り消すようなことを平気でする。行きつけの食糧品店ですら、窃盗容疑の証言を集めるために、疑惑的な情報を先んじて店舗責任者に流しているのである。普通の人は、警察は正義の味方だと勝手に思い込んでいる。故に、警察の期待に添うために、窃盗犯罪者と思い込んで事実無根の出鱈目な証言をいくらでも提供するだろう。いまどきは隠しカメラなどいくらでもあるのだから、そういう卑劣な手を使わず、現行犯で捕まえればいいだろう。事実無根でもあっても冤罪を仕組んで捕まえることができるなら捕まえてみな、公設暴力団のチンピラ君たち。
     《参照》   『探そう!ニッポン人の忘れもの』 フジテレビ (扶桑社)
               【「規制・規則・法律には絶対に従うべき」と思い込む愚かさ】

 

 

【母屋と離れ】
 特別会計は様々な目的で、一般会計とは別建てで収入と支出を管理する仕組みだ。・・・中略・・・。この特別会計は、同じ予算でも財務省の関与は事実上極めて限定されていて、各省庁が自民党族議員とともに好きなように運営してきた。だからその実態を見て、「母屋でおかゆをすすっているのに離れですき焼きを食べている」と揶揄されてきた。
 財務省から見れば、年々自分たちの自由裁量の余地が小さくなっていく一般会計予算よりも、まだまだジャブジャブと裁量の余地がある特別会計を支配下に置くことができれば望外の喜びだ。(p.222-223)
 おかゆをすすっている母屋(一般会計)ではなく、すき焼きを食べられる離れ(特別会計)こそが、日本の政治腐敗の根本である。
    《参照》   『正義という名の洗脳』 苫米地英人 (大和書房) 《前編》
               【電波利権のための東京スカイツリー】
    《参照》   『経済大国なのになぜ貧しいのか?』 苫米地英人 (フォレスト出版) 《中編》
               【官僚利権】
    《参照》   『人類への警告⑥ 真の支配者』 高山長房 《前編》
               【特別会計の闇】

 

【もう一つの九条】
 著者が関わった仕事に独占禁止法(独禁法:純粋持ち株会社の禁止)の改定があった。これは経済法の九条であり、戦争放棄をうたっている憲法九条と同様に手を付けてはならない聖域と思われていたという。この独禁法は、戦後の財閥解体を主たる目的としてGHQが定めたものだけれど、国際競争が激しくなっている今日、独禁法を守っていたのは日本と韓国のみであり、しかも韓国は法整備で先を行っていたという。
 日本の企業だけ持ち株会社という経営形態を封印されていては、自由に事業ごとのM&Aや再編を行うことができない。そういう思いが極めて強かった。ただ、その後の推移を見ると、産業界では、その当時、そこまでの覚悟を持っているところは極めて少数だったようだ。(p.233)