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 タイトルに言う「日本中枢」とは「霞が関の官僚たち」であるのは言うまでもない。第1次安倍政権から民主党政権にかけて、公務員改革法案が採択されようとしていたけれど、結局、霞が関の強烈な抵抗にあって潰されたことを、大方の国民は知らないだろう。日本の未来を打ち消すことになったこのような状況に、心底暗澹としていたものだけれど、著者の古賀さんのように、霞が関官僚の立場にありながら、内部から、日本を食い物にしている官僚たちの実態を報告してくれる人の存在があるということは、日本が完全に終わってしまったのではないという一縷の希望になるだろう(か?)。
 この著作の内容には、日本を支配しているアメリカの視点がないから、正直なところ片手落ちの感が否めない。けれど、現場にいた官僚の視点と割り切って読めば、それなりに参考になる点はあるだろう。それに日本国内の企業を調査して回った経産省官僚の著者ならではの記述は、それなりに面白い。また若者たちの未来へ向けて語りかけている終盤の章は、読者に高揚感をもたらしてもくれるだろう。2011年5月初版。

 

【腐敗王国・日本の象徴:東京電力】
 私は過去に電気事業関係のポストに就いた経験のある同僚から、「東電は自分たちが日本で一番偉いと思い込んでいる」という話を何回か聞いたことがある。その理由は後にも書くが、主に、東電が経済界では断トツの力を持つ日本最大の調達企業であること、他の電力会社とともに自民党の有力な政治家をほぼその影響下に置いていること、全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)という組合を動かせば民主党も言うことを聞くという自信をもっていること、巨額の広告料でテレビ局や新聞などに対する支配を確立していること、学会に対しても直接間接の研究支援などで絶大な影響力を持っていること、などによるものである。
 簡単にいえば、誰も東電には逆らえないのである。(p.31)
 東電は、政界、官界、財界、学界が強固にリンクしている日本最大の腐敗企業だということ。
 東日本大震災の直後、被災者への補償問題が一向に片付いていないのに、東電幹部に高額な賞与が支給されたというニュースによって、われわれ一般国民に、東電幹部の甚だしい人間性の堕落ぶりを見せつけてくれたけれど、東電幹部の殆どは官僚の天下りで構成されているのである。天下り官僚たちは、生涯にわたって優雅に暮らし続けることなど官僚の利権として当然であると確信している。故に、そのためには、民間人など平気で見殺しにする、という顕著な実例である。これが、日本を蝕む高級官僚たちのモラルの実態である。
 下記リンクに示すように、3・11による福島第一原発の被災は、本当は軍事戦争であり経済戦争としての標的命中だったのだけれど、
   《参照》   『日本人はドラゴニアン《YAP(-)遺伝子》直系! だから、〔超削減〕させられる』 高山長房 (ヒカルランド) 《後編》
               【もし、3・11がなかったら】

 それとは別に、「腐敗王国・日本の象徴である東京電力を解体するための契機であった」と言えるようならば、日本にとっては「不幸中の幸い」なのだけれど、実際にそうなるとは限らない。かつて民営化された天下り企業はいくつもあるけれど、看板が変わっただけで天下りの実態は何も変わっていないのである。東電にしても変わらないだろう。高級官僚たちは、決して日本の将来のことなど考えていない。根っからの寄生虫として徹底的に日本を食い尽くす邪悪を絵に描いたような奴らである。
   《参照》   『日本壊死』 船井幸雄・副島隆彦 (ビジネス社)
               【税収の半分】 【4人に1人が公務員】

 

【英明なる官僚たち】

 私は、渡辺大臣のオファーを断るときに、「私よりももっと役立つ男がいます」といって、代わりにある若手官僚を渡辺大臣に紹介していた。それが・・・中略・・・原英史氏(現・政策工房社長)である。
 ここにある渡辺大臣とは、みんなの党・党首の渡辺喜美議員のこと。都内のビジネスマンたちは、官僚の腐敗がビジネスの妨げとなっていることをよく知っているから、公務員改革に熱心な渡辺嘉美議員の政党に投票する。日本を守る上でも同然である。
    《参照》   『いつまで官僚の「日本破壊」を許すのか』 渡辺喜美 (徳間書店)
 自らの利権を守ることしか頭にない腐った官僚たちとは違って、日本の事を真剣に考えている英明な官僚さんたちも勿論いる。著者の古賀茂明さん、ここに書かれている原英史さん、そして政策工房会長となっている高橋洋一さんなどは、名前を記憶しておいてもいいだろう。
    《参照》   『大震災で日本は金持ちになるか、貧乏になるか』 高橋洋一・三橋貴明 (幻冬舎)
 

【霞が関による「国家公務員制度改革基本法」潰し】

(第一次)安倍内閣のときに、「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(有識者懇談会)という総理の諮問機関ができていた。有識者懇談会には堺屋太一、屋山太郎、佐々木毅といった改革に熱心な論者が参加。堺屋氏が官僚を排除し、その後の公務員制度改革の基本構想を報告書としてまとめ上げた。後の「国家公務員制度改革基本法」のベースとなるものだ。(p.52-53)
 第一次安倍内閣は、渡辺大臣の奮闘によって国家公務員法改正の報告書を作成したものの、安倍首相は退陣してしまい、後を継いだ福田首相は渡辺大臣に報告書を示されたとき、受け取りを拒否したという。
 つまり、政府与党は官僚と一体となって渡辺大臣の改革をつぶしにかかったのだ。(p.53)
 下記リンクに示したように、その後の民主党政権では、官僚によるクーデター的様相によって、公務員改正法案は完全に潰されたのだけれど、この本を読むと、第一次安倍内閣時に渡辺大臣の奮闘によって出来ていた内容からすれば、民主党政権時には、すでに意味がないほど後退した内容になっていたらしい。(p.82)(p.89)
   《参照》   『新たなる金融危機に向かう世界』 副島隆彦 (徳間書店) 《後編》
             【日本の将来を潰した者達】

 

【人事院という「おったまげた機関」】
 公務員にはスト権などのいわゆる労働基本法が与えられておらず、とても「弱い」立場に置かれてかわいそうなので、それを補う目的で「中立的な」第三者として、公務員の処遇などを決める基幹が必要だということで人事院が置かれている。
 ところが、この人事院というのが不思議な組織で、総裁は元官僚で、事務局は上から下まで全部国家公務員だ。つまり、第三者といいながら、実は公務員が公務員の給料などの処遇を決めているのである。よく、公務員の待遇は一般民間企業に比べて良すぎるのではないかという批判があるが、それは当たり前である。自分で自分の給料を決めているのだから。(p.70-71)
    《参照》   『いつまで官僚の「日本破壊」を許すのか』 渡辺喜美 (徳間書店)
               【公務員と民間の給与格差】

 「何でそんな仕組みが認可されているの?」と思うけれど、「55年体制」といわれる自民党と社会党の裏談合時代の名残もあり、自民党はこのような仕組みを過去に認めてしまっているのだという。
 下記リンクに示す同和利権といい、この人事院利権といい、自民党さんは本当に「ドン引き利権」を特定団体にチャッカリ付与している。政治の実態なんて、こんなもんである。
     《参照》   『同和利権の真相』 寺園敦史・一ノ宮美成 (宝島社) 《前編》
               【 『7項目の確認事項』 】

 

【官僚1人=民間5人】
 高給取りの年寄公務員を削減すれば、多額のおカネが浮く。キャリア組だけでなく、ノンキャリア組も含め、50歳前後の公務員は優に、1000万円前後の年収を得ている。一方で、年間200万円の支援があれば、命を助けられる民間失業者はたくさんいる。仮に1000万円の高給を取っている高齢職員一人をリストラすれば、病気や失業で苦しむ国民、5人が救われる計算になる。(p.87)
 公務員というのは、徹底的に冷血で我良しであるけれど、中央の高級公務員に限ったことではない。
 チャンちゃんの地元の地方行政の冊子を見ても、校長経験者という連中が、市の教育委員として名を連ねている。退職以前に他の先生より高給を得ていた連中が、退職後も何の役にも立たない市の教育委員としてまだ給料を得ているのである。地方行政を食い物にしている市長や公務員なんかには、全国に孤立無業者が162万人もいる ことなど眼中にないのである。ハッキリ言って、完全にモラルが破壊している。人間のクズである。
 山梨県甲斐市の保坂市長は、公用車シーマ、自家用車BMW。いずれも勿論運転手付きである。こういう人間が困窮する人々を救おうという精神を持っているかどうか、問うまでもないだろう。退職した校長連中を含め、地方行政に巣喰っている連中は、自分が富むことしか頭にないのである。そんな奴らが学校の校長をしていたのだから、将来を担う子供たちが、まともな社会を作ろうとするヴィジョンを持てるわけがないだろう。
 ついでに書いておけば、7年前、海外の孤児たちに養育費を送っている人々たちと共にカンボジアの現地に行ったことがある。みな民間人である。それも経営者は少なく殆どが普通の民間人である。公務員はゼロである。
 彼らのうち何人かは、養育している孤児たちに会って「自分が子供のころ貧しい生活をしていたから、少しでもこうして孤児たちのために使えるのが嬉しい」と言って涙を流していた。公務員というのは、民間人より多額の給料を得ていながら、人を助けるという心魂はほとんどない。そういう連中である。中央においても地方においても、そういう連中が行政をしているのである。