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 古書店でこのいかした装丁の本を見つけたから読んでみたけれど、内容はつまらない。大学の先生が書く本って、こんな感じだろう。2000年2月初版。

 

 

【国旗・国歌に敬意なし】
 10年前に日本青少年研究所から発表されたデータですが、日本と米国の高校生を対象とした「国旗・国歌に対する意識と態度の調査」結果を見ますと、日米の差があまりにも大きい。そのコメントを見ても、「日本の高校生は外国の国旗や国歌に敬意を表さないばかりか、自国の国旗掲揚、国歌吹奏に際してもふざけた態度をとっていると諸外国から非難されている」との指摘があります。しかも、このような状態はいっこうに改善されず、むしろますます悪くなっていると言わざるをえません。(p.96)
 この様な現実は、左翼の日教組や、在日が絡む同和勢力が、日本全体の教育に大きく影響してきたからなのだろう。
   《参照》   『楽しい読書生活』 渡部昇一 ビジネス社 《後編》
             【反日教育の出発点】
   《参照》   『同和利権の真相』 寺園敦史・一ノ宮美成 (宝島社) 《前編》
             【教育現場】

 しかし、チャンちゃんの子ども時代は、それらが影響力をもっていような事実はない。国旗掲揚や国歌斉唱は普通に行われていた。にもかかわらず、国旗や国歌に対してきちんとした敬意をもっていたとは言えない。そのようなきちんとした教育はされていなかったからである。高度成長期以降の世代には共通しているだろう。
 日本のみならず世界全体が、脱国家的・脱宗教的な風潮になっているんじゃないだろうかと思うことがある。生活空間がグローバル化(ファスト風土化)してゆくにつれて、そこに住む人間の意識は地域や国家から遊離しやすいのは仕方のないことである。
   《参照》   『下流同盟』 三浦展編著 (朝日新書)
             【大型店が増える意味】

 だからこそ、地域特性や民族特性を組み込んだ教育は大切だとは思うけれど、21世紀に入った大時代の潮流は、グローバル化を超えた宇宙文明化へ向かってゆくのだから、その潮流の根幹となる日本民族の役割をきちんと捉えた教育でなければ意味はないし根付きもしないだろう。
 しかしながら、日本民族に関する本質的な情報は未だに封印されたままである。
   《参照》   “日本民族” に関する引用一覧

 

 

【さざれ石】
 国歌「君が代」の歌詞の中に出てくる「さざれ石」に関して。
 岐阜県の春日村という伊吹山のふもとですけれども、そこに「さざれ石」と称する大きな岩がございます。それは岐阜県の天然記念物になっております。(p.106-107)
 石灰質の作用で小石がコンクリート状に固まった岩の写真が掲載されている。「さざれ石の、巌となりて・・」という歌詞そのままであるけれど、これだけの解釈なら賀茂真淵・本居宣長説の単なる踏襲であるらしい。
 スポーツの国際試合などで選手たちは、試合前に演奏される「君が代」をどんな気持ちで聞いているのだろうか。ぜんぜん戦うという雰囲気じゃない平和な感じの「君が代」を聞いて、闘争心が下がっちゃうかもしれない。であってもいいだろう。「平和を希求する民族であるがゆえに、神力に守られた日本は強いのだ」と思えばいいのである。
   《参照》   『栄光の日本文明』 竹村健一・日下公人・渡部昇一 (太陽企画出版)
             【日本の国歌「君が代」】

   《参照》   『フォトンベルト 地球第七周期の終わり』 福元ヨリ子 (たま出版) 《後編》
             【島津斉彬】
             【「君が代」】
             【「君が代」の黙示】
             【君が代】

 

 

<了>