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 著者には、『ファスト風土化』とベストセラーになった『下流社会』という主要な著作があるけれど、「いずれも同じグローバリゼーションの断面であるから、これをまとめて論じようとした」と、あとがきに書かれている(p.238)。しかし、それほど冴えた記述があるようには思えない。

 

 

【ファスト風土化】
 ファスト風土化とは、著者が導入した概念で、地方の郊外化の波によって日本の風景が均一化し、地域の独自性が失われていくことを、その象徴であるファストフードに例えたもの。
 ファスト風土化の根本は、道路網の整備とモータリゼーションの拡大とによって支えられている、それは、行政単位や地形的な境界を越えて、人と物の移動を活発化する。それは確かに経済を活発化するが、他方で、地域社会を流動化し匿名化する。(p.19)
 ファスト風土化の象徴は、大きな駐車場を有する郊外型の大型ショッピングセンター。今や日本中全国何処に行ってもあるもので、地域的な個性や特性はあまりない。

 

 

【ファスト風土化が崩壊させる地方都市】
 流動的で匿名的で不安定な社会は犯罪の温床となる。そもそも、なぜ犯罪は都市に多いかといえば、都市が流動的で匿名的な空間だからである。しかし、今や、道路網の整備によって、日本中のどんな田舎でも流動的で匿名的な空間になったのだ。
 1995年から2004年にかけての人口1000人当たりの刑法認知件数増加率を見ると、上位に来るのは香川県、佐賀県、兵庫県、愛知県、三重県、群馬県などである。東京や大阪は全国平均以下である。地方の犯罪が増えたのだ。(p.19)

 地方の郊外農村部がファスト風土化する場合は、そこに住む人々に非常に大きな影響を与えるはずだ。それは人間観や倫理観にまで影響するのではないだろうか。私が40年以上前に育った新潟県の農村部ですら、今は覚せい剤中毒の母親さえいるという。まったく信じられない話である。
 また、郊外のシッピングセンターで万引きが頻発しているのは周知の事実だ。ショッピングセンターにうずたかく積み上げられたおびただしい数の物を見たとき、ここから一つくらい盗んでも誰も困らないだろう、と思う人がいたとしても不思議ではない。そこにある物には顔が見えないからである。
 これが昔ながらの顔なじみの商店街で、お父ちゃんとお母ちゃんが二人でやっている店だったら、物を盗むのは難しいだろう、彼らの生活が見えるからだ。(p.25-26)
 盗難が起きているのはショッピングセンター内だけではない。新興住宅地から散歩圏内にある畑なんて、普通に作物を持っていかれている。顔見知りのいない地域に越してきた連中は、スーパーで売っているものが散歩圏内の畑にあれば普通に採って持っていくのである。せっかく郊外に越してきたのなら自分の家の庭先で作ればいいだろうにそうはしないのである。
 さらに、誰の要請か知らないけれど、田畑なのに、「犬や猫に糞をさせないでください」などという間抜けな看板を立てるから、必用以上に大きなカバンを持って散歩する人々が何人もいる。そのカバンが農作物お持ち帰りに最適なのである。

 

 

【体力の低下と下流化】
 体力の低下は下流化に結びつきやすい。
 ・・・(中略)・・・。階層意識が「下」の男性は「体力に自信がない」が34%(「上」は21%)、「運動は得意ではない」が29%(「上」21%)、「ストレスに弱い」が29%(「上」18%)などとなっている。 (p.37)
 下流に沈むと、意欲が下がってしまう。その状態が続けば、当然、体力も低下するだろう。
 経済生活における下流化は、意欲においても体力においても格差を一層助長する。
   《参照》   『この世でいちばん大事な「カネ」の話』 西原理恵子 (理論社)
             【将来に希望が見えなくなると】

 下流社会が定着しているアメリカでは、下層の人々に肥満が多いというのは良く知られた事実であるけれど、これも顕著な下流化現象である。
   《参照》   『食がわかれば世界経済がわかる』 榊原英資 (文芸春秋) 《前編》
             【ファーストフードと日本食】

 

 

【群馬県太田市】
 ぐんま国際アカデミーに子どもを通わせる階層、市内にある富士重工や三洋電機に勤務する階層、ショッピングモールでパート、アルバイト、臨時雇用者として働く階層、駅前ピンク街で春をひさぐ階層。まさに太田市は、ファスト風土化と下流社会化、階層社会化の最先端を走っているのかも知れない。(p.52)
 太田市のレポートが書かれているけれど、駅前から700mに渡って風俗街が連なっているのだという。高額な学費を払って学校にかよう人間と、風俗で稼いで生き残るしかない人間の二極化である。

 

 

【コロラドスプリングスの高校】
 コロラド州は16歳で退学する生徒が多い。入学する400人のうち、卒業するのは半数。大学に進むのは50人ほどしかいない。なぜ退学するのか。ファーストフード店や小売業やレテマーケティング会社から熱心に誘われるからだ。30年前は、企業がこれほど10代の労働者を求めることはなかった。
 10代の労働者なら安く雇用できる。どうせ使い捨てである。親の経済力だけでは生活するのにいっぱいいっぱいだから、強いて学業継続を勧めることもない。
 生徒はしらけきっている。「おそろしく無気力な生徒が、とてもたくさんいます。この若さで、こんなに無気力な生徒が多いなんて初めてです」と教師はいう。
 そんな街であるとは、ロードサイドの整備された外観からは想像がつかない。(p.83)
 そう、ファスト風土化してゆくと、確かに街はきれいになる。しかし、社会の内実はますます病んでゆくのである。外面だけよければ成功しているように見えるけれど、中身は空っぽなのが実態である。人間もまた同じ。高校生が無気力になる前に、大人の側が既に空っぽに成り果てているだろう。日本も全く同じである。

 

 

【大型店が増える意味】
 大型店が増えて、地元の小さな商店が減ることの意味は何なろう。ズーキン教授に聞いてみた。
「まず第一は、個人化 individualization です。社会関係の欠落 lack of social relation と言ってもよい。第二は、低賃金。1970年代以降、低価格化が推し進められてきた結果、低賃金労働を余儀なくされた。第三は、地域のアイデンティティ local identity がなくなること。地域のアイデンティティがなくなることは、場所というルーツを持たないということ。それは人生の意味の喪失につながる。地域がずっと同じように存在しているということは、人間が人生の連続性を感じられるということです。同じ場所にいて、同じ人と会って、同じ店に行く。そういう暮らしがなくなるということは、自分自身を見失うということになる」 (p.91)
 大型店が増えると、自分自身を見失う、という結論。
 社会学的に考察しても、心理学的に言っても結論は同じだろう。
 経済的に言っても下流側に落ちれば勿論同じ危険性を孕んでいる。

 

 

【大型店という薄利多売ビジネス】
 04年のウォルマートの総利益を全従業員で割ると、一人当たりわずか6400ドルにしかならない。これは、マイクロソフトの一人当たり利益20万ドルの30分の1以下である。文字通りの薄利多売ビジネスを展開しており、それゆえの低賃金なのである。(p.141)
 大型店は、被雇用者に経済的な豊かさをもたらさない。豊かになるのは経営陣と資本家だけである。
   《参照》   『売られ続ける日本、買い漁るアメリカ』 本山美彦 (ビジネス社)
             【ウォルマートの従業員状況】
   《参照》   『サムスン栄えて不幸になる韓国経済』 三橋貴明 (青春出版社) 《前編》
             【市場独占の果報】

 

 

【交通機関の再構築】
 古いヨーロッパで復活が相次いでいる乗物がある。トラムウェイ(路面電車)だ。(p.219)
 フランスの例では1930年に70路線あったものが戦後3路線にまで減少したけれど、
 85年、自動車至上社会への嫌悪感のもとナントで復活したのを皮切りに12都市で復活し、約10都市で再生計画が立てられている。こうして公共交通分担率を回復し、さまざまな交通機関が共存する通り抜けられる都市空間が再構築されつつある。(p.219)
 ファスト風土化の象徴である大型店は「クルマ社会」と不可分の関係にある。フランスの大型店の「カルフール」は、フランス語で「交差点」の意味だという。クルマ社会を象徴するような名前である。
 基軸通貨ドルのもと、グローバリゼーションという名のアメリカ化によって大型店は世界的な広がりを見せてきたけれど、ヨーロッパ各地では大型店の進出を阻んできた所も少なくない。
 ファスト風土化を阻止を目論むのなら、何らかの形で社会構造を変えるしかないのである。経済的な視点だけで考えていたら何も変えられない。
 アメリカ発のファスト・フードに対抗してスロー・フードを提唱したのもイタリアである。
   《参照》   『農と生きる美しさ』 浜美枝 (家の光協会)
             【スローフードとソウルフード】

 

<了>