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 タイトルの意味するところは、『夢なんてばっかり言っているから、下流社会の住人になちゃうんだよ。夢なんて考えるのをやめて、今この現実をただ生きようとすれば、死ぬわけないんだし、かえって夢に近づける」ということだろう。根っからのドゥリーマーにとっては強烈につまらない結論だろうけど正論である。2007年12月初版。

 

 

【社会が求める一番の才能】
 つまらないことだけれど、必要だからきちんとやる。これが社会にとって一番重要なことなんです。大人は「つまらない仕事を毎日きちんとできることが、社会で求められる一番の才能なんだ」ともっと教えなければいけません。(p.54)
 仕事なんてどんな仕事であろうと、たいていは同じことの繰り返しである。そのつまらない繰り返しの中に、価値を見出そうとするなら、才能だの望みだのといった自分中心の視点を転換(リフレーム)させて、「そのつまらない繰り返しをきちんとできることこそが、社会で求められている一番の才能なんだ」ときっちり認識すればいい。

 

 

【意欲なし率】
 「もっと海外旅行がしたい」とか「勉強でもスポーツでもうまくなりたい」とか思わず、ただ単に「面倒くさい」「楽がしたい」「勉強したくない」「働きたくない」と思っているのが下流なんです。たとえ下流から脱出する方法があったとしても、それを教えたところで意味がありません。彼らは別に、現状を脱したいとは思っていないからです。
 下流の人に比べると、中流の人は大変です。毎朝、通勤電車に乗って仕事場に行かなくてはなりませんから。下流の人は、そんな面倒なことを絶対にしたくないと思っているんですよ。(p.46)
 だとして、中流の人に意欲があるかというと・・・
渡邊 2007年度の新卒採用が始まって、・・・中略・・・、来春には全体で55万人の大卒が出るんです。そのうち何人が働かないと思いますか?
三浦 3割くらいですか。
渡邊 そう。20万人はもう働く意欲がないんです。新卒55万人のうち、35万人しか働こうとしない国なん病んでいますよ。じゃあ35万人は正常なのかといえば、結構病んでいる。(p.65)
 働く35万人のうちで、自分なりの職業観をもっているのは2割程度だという。8割は、働かないと生活できないから、というだけの理由。そんなもんでしょう。
 チャンちゃんも浮浪者予備軍と言われる大学院に2年間属していたけれど、「ここにいても、何もない」と思って就職しただけである。職業観なんていう言葉をイメージしたことすらなかった。

 

 

【下流の人ほど・・・】
三浦 ところがですね、下流の人ほど好きなことを仕事にしたがるんですよ。
渡邊 そうきたか(笑)。
三浦 自分らしさを殺しても、好きなことができなくても、安定した経済的収入を求める人は会社に入ろうとする。でも、好きなことをやろうとする人は、それを探すための時間が欲しいとか、見つかった人はそれをやるための時間が欲しいということで、正社員になろうとしない。こういう逆説が成り立つんです。
渡邊 う~ん、でもそれは下流の一部じゃないですか?
三浦 そんなことないですよ。30~34歳のフリーターの45%は自分らしさを求めている。対して正社員で自分らしさを求めているのは29%です。(p.66)
 暇すぎたり不満を抱えていすぎると、教育現場や大人たちによって刷り込まれた、もっとも不安定な 「“自分らしさ”とか“自分探し”という思考の陥穽」 に嵌ってしまうんだろう。
 あるいは、それを利用してかっこうの言い逃れ用のキーワードとして使っている。「なんちゃって“自分らしさ”」 「なんちゃって“自分探し”」 である。
     《参照》   『「かまやつ女」の時代』 三浦展 (牧野出版)
               【らしさ】

 

 

【「自分が好きなことがわからない」という原因】
 身体性が仕事から失われていることが、「自分が好きなことがわからない」という人が増えている一因だと思う。
 たとえば回転寿司屋に行っても、寿司職人になりたいとは思わないでしょう。今では、実際に身体を動かしている姿を見られるのはミュージシャンやスポーツ選手くらいだ。だからそれしか憧れるものがなくなるんじゃないかな。(p.88-89)
 昔の商店街というのは、一つの店が一つの品物を扱うような物づくり街でもあったと書かれている。子供たちは、店先で何かしら作って商っている大人たちの様子を毎日見て育ったのである、と。
 現在は、確かに、IT機器の発達によって、多くの職場から身体性が急速に失われつつあるだろう。IT関連の職場で働いてきた人たちにしたって、自分の仕事の成果が見えにくくなっているから、達成感が持てなくなっているのである。
 具体的には、20年前はインターネットも未発達でPCの容量も小さかったから、中小企業のシステムを作るのに、打ち合わせからシステムが実務に乗るまで、一人の人間が全てに関わることができた。しかし今は数百人が関わるプロジェクトのほんの一部を担当するだけの仕事になってしまっている。こんな状況なんだから、遣り甲斐や達成感は大幅に減っている。加えて派遣形態の就業になっているから、人間はプロジェクトにおいて歯車の一部として稼働する代替可能な部品と化しているのである。
 身体性というのはいわば無意識的行動を支える基幹だから、身体性を失いつつある今日の社会全体の時代状況というのは、かなり重大な局面に向かっているという確実な証拠である。この流れは変えられない。であるなら、その流れに則して人間の側がシフトしてゆくことなしには、本当の解決はないだろうと思っている。
 社会構造、経済システム、人生観、職業観、いずれも量子飛躍的にシフトさせる必要に迫られているだろう。20年以内にそのようなことがきっと起こるはずである。

 

 

【孤独に生きてこそ個性】
 好きな仕事をして自分らしく生きるということは、本当は孤独に生きるということだと思うんです。ところが、実際には「自分らしく生きたい」「個性を大事にしたい」と言いながら、すごく同調性が高い人が多いですよね。個性的に生きるって怖いことなんですよ。極端に言えばだれにも理解されなくてもいいということだからね。(p.138)
 その例として、美輪明宏や岡本太郎の名前があげられている。世間から顰蹙されたり奇矯と言われた程度で、断念して止めてしまうのなら、単なる“なんちゃって個性”である。
 個性とか自分らしさなんてものは、自分の中に元からあるものではなくて、こうやって自分のプライドを守るため(非難や中傷や抑圧をバネにして)に戦っているうちに形になってくるものなんじゃないですか。(p.139)
 孤独に裏打ちされた確かな揺るぎない個性がないとしても、対人間的に個を屹立させようとするプライドの下に個性の核となる意思はあってしかるべき、と言っている。
 下流人間には、いずれの様相もあり得ないように思うけれど、強くなろうとしない限り、この世に生まれてきた本質(目的)としての創造は何一つできないだろう。
     《参照》   『何のために働くのか』 北尾吉孝 (致知出版社)
               【憤】