《前篇》 より

 

 

【反日教育の出発点】
 この内容は、タイトルに即しているとはいえないけれど、大切なことなので書き出しておく。
 この 「コミンテルン→日本共産党」 というルートとは別に、「ミュンツェンベルク・ネットワーク」 といわれるものもありました。レーニンから指令を受けたウィリー・ミュンツェンベルクという男がベルリンで仕掛けた地下の赤化ネットワークです。これについては最近中西輝政氏(京都大学教授)が詳しく述べておられます。(p.130)
 戦前の日本の一流の学者たちはみなドイツに留学したので、このネットワークに絡めとられて赤化して帰ってきた。しかし、日本には治安維持法があったため、赤化した人々は絶えず怯えていた。
 しかし、敗戦を迎えた日本で、彼らは立場を逆転させた。
 戦後間もなく 「公職追放令」 が出された、という事実があります。公職追放というのは、戦前の日本にあって重要な地位を占めていた人たち20万人以上の人たちを公職から追放し、いっさいの発言を封じ、それに代わって左翼的な人物をその後釜に据えようとした出来事です。(p.127)
 赤化のキーパーソンがハーバート・ノーマン氏だという。
 ノーマン氏はカナダ人ですが、当時はGHQのCID(対敵諜報部)に属していました。日本では 『忘れられた思想家』(岩波新書)や 『日本における近代国家の成立』(岩波文庫) で知られる学者・外交官ですが、れっきとしたカナダ共産党員でしたから、終戦直後すぐ府中刑務所へ出向いて獄中にいた共産党員を釈放するなど、日本の 「赤化」 に奔走しています。
 このノーマン氏は戦後日本では絶大なる尊敬を集め、その全集は岩波書店から出ています。しかし駐エジプト大使としてカイロに赴任していた1957年、コミンテルンのエージェントであることを暴かれて自殺をしています。(p.128)
 これが、 「日本は悪い国だった」 という東京裁判史観を日本中にバラまいてきた、左翼興隆の概要である。左翼日本人の中心的な人物名も書かれているけれど、そういった日本をダメにしたタコ親爺たちが未だ生きているなら、口一杯にタコ焼きを詰め込んであげたい。
 こういった左翼人脈は法学部や経済学部で強勢を誇っていたけれど、文学部ではそうでもなかったという。だから正統日本を背負って言論の矢面に立ってくれているのは、渡部先生や西尾幹二先生のような、文学部出身の方々である。 
 
<了>