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 戦後直ちに生活改善運動を興した社会教育者の丸山敏雄が提唱した「くらしみち」を支える原理が書かれている。神道系の宗教団体(「ひとのみち教団」)に属していたがゆえに、戦時下では獄中生活を余儀なくされた、と書かれている。この本に書かれている暮らし道の原理は、今日の自己啓発書の中で語られているような常識的なことが殆どである。2006年7月初版。

 

 

【たらい水の例え】
 二宮尊徳先生が、弟子に示したたらい水の例話のように、欲心を起こして水を自分の方にかきよせると、向こうににげる。人のためにと向こうにおしやれば、我が方にかえる。金銭も、物質も、人の幸福も、亦同じことである。
 ものは、これを愛する人によって産み出され、これを大切にする人のために働き、これを活かす人に集まってくる。すべて生きているからである。(p.41)
   《参照》   『成長の法則』 ジェフ・ケラー  ディスカバー
             【ブーメランの法則】
   《参照》   『超人「船井幸雄」の近未来予測』 柳下要司郎 (あ・うん)
             【 「損得勘定」 ではなく 「尊徳感情」 】
 己を尊ぶの極は、ささげるにある。ここに人を尊ぶと己を尊ぶと、一如の絶対境が現れる。ささげ尽して己が亡くなった時、一切が己となる、天地が己となる。自他一如、捨我の絶対境である。(p.145)

 

 

【発顕還元の原理】
 丸山敏雄が「発顕還元の原理」に気づいたのは、日本語の言霊について考えていた時だったといいます。(p.54)
 たとえば「いる」という動詞の場合、「入る」は外部から内部への移動を意味し、「射る」や「率る」は反対に内から外への移動を含意しています。「あく」の場合もそうで、閉じていたものが開く意味の「空く、開く、明く」と、十分満たされ(過ぎ)た状態を示す「飽く、倦く」とでは性質が正反対です。(p.56-57)
 日本語の言霊は、波動の法則を踏まえて作られているからなのだろう。
 一般的に言っても、一つの事象には裏表があるという常識に則している。
 ワープロソフトを使い始めた頃は、誰もが、「共生」を意図して「きょうせい」と入力して変換すると「矯正」や「強制」が出てきて面食らった経験があるだろうけれど、それらが音読みであるにせよ、同音異義語から言葉(言霊)の奥深さにしばし考え込んだりもする。

 

 

【窮すれば通ず】
 事業の上でも経済の上でも、その他奇禍にあった場合でも、恐れ、憂え、怒り、急ぎ等々の私情雑念をさっぱりと捨てて、運を天に任せる明朗闊達な心境に達した時、必ず気難をのがれることが出来る。見事に窮地を脱することは、古人の体験であり、「窮すれば通ず」とは、このことをいうのである。(p.70)
 否が応でもゼロ状態に置かれたら、むしろ明快に事は運ぶんじゃないだろうか。物質的にも精神的にも、何か中途半端に残っている状態って最悪だろう。とことん窮さないと通じないどころか、茹でガエルになってしまう。
   《参照》   『ボジティブ思考なんて捨ててしまいなさい』 臼井由妃 (学研)
             【中途半端はよくないよ】
             【切り変えないと・・・】

 

 

【「ハイ」という応答】
 「はい」に関する言霊的な解釈は、下記リンクに示されている。
   《参照》   『神道〈徳〉に目覚める』 葉室賴昭 (春秋社) 《後編》
             【「はい」という言葉】

 しかし、著者は、これとはまた違った語り方をしている。
 相手の呼び掛けに、「ハイ」と明るく応じるのは、子供のしつけの基本ともされてきました。簡単な行動のようですが、実践としては奥は深いのです。きちんと返事をするという日常の卑近なモラルから、一切を受容する不動の心境(絶対境)までを「ハイ」の一語は含み持っています。
日常の善し悪しや好き嫌いの判断は、自分の我情に由来するものと知り、わが身に起こるすべての出来事をそのまま受けるのが「存在の陰」に徹した心境に他なりません。そうした心の構えがある時、苦難はもはや苦難で亡くなり、物事は望む通りに運んでいきます。(p.127)
 “一切を受容する不動の心境(絶対境)”とか“「存在の陰」に徹した心境”という表現があるけれど、これほど日本人から失われた尊い心境はないように思う。
   《参照》   『数霊に秘められた宇宙の叡智』 深田剛史・はせくらみゆき (徳間書店) 《後編》
             【 水から学べ 「自由自在」 】
   《参照》   『悟りは3秒あればいい』 小林正観  大和書房
             【第3の生き方】
 全力で回転しているコマが静止して見えるのもそうです、「静」は「動」とは相対概念であっても、あざなえる縄のごとく、交互に様態を変じ、「静」のうちに常に「動」は内包されているという意味から「静が万動の本」といえるのです。(p.124-125)
 受容、陰、静は、女性性を基とする日本文化の基本であるにもかかわらず、封建主義や軍国主義時代を否定的に振り返る視点から、女性性の肯定的な側面、すなわち日本文化の基本までもが廃棄されてきたのである。
   《参照》   『ガイアの法則[Ⅱ]』 千賀一生 (ヒカルランド) 《後編》
             【アメノウズメ】~【日本人の役割】

 

 

【マクロビオティクのルーツをなした人】
 これまで見てきたように、「この世の物事は陰陽に象徴される対立(相待)の二元から成り立っている」と認識することから「対立の原理」はスタートします。その上に立って、陰陽のバランスを見るのです。・・・(中略)・・・。
 かつて陸軍少将で近代医学も学んだ石塚左玄(1850~1909)という人は、食物中のカリウムとナトリウムとを男と女の関係とみなす「夫婦アルカリ論」を唱え、そのバランスを整えることで健康になると主張しました。欧米で流行しているマクロビオティク(玄米生食)のルーツをなした人です。(p.160-161)
 マクロビオティックのルーツをなした人という記述があったから書き出しておいたのだけれど、インターネット上に、石塚左玄と『夫婦アルカリ論』 に関する詳細なサイトがあった。
 ついでに、霊学的な知見をも背後に秘めたマクロビオティックに関する読書記録。
   《参照》   『地球と人類を救うマクロビオティック』 久司道夫 (文芸社)