読み終わってから思い出した。この本の著者は、『未知への旅 「日本」とのつながりを求めて』 の著者と同じである。
【価値相対主義】
「子供の人権」 を言うのであれば、「教師の人権」 はどうなるのか。学校の教育とはどうあるのが望ましいのか。そもそも 「子供の人権」 とはおかしな言葉だ。・・・(中略)・・・。
ところがこの種の 「人権」 を盾にとった批判は枚挙にいとまがない。横暴な教師の場合は論外だが、教師が積極的に生徒に関わろうとすると、すぐに人権侵害と訴えられてしまうので、いまや教師たちは生徒を腫れ物にさわるように扱わざるをえなくなってしまった。
「自由」 「平等」 「人権」 を旗印にした戦後民主主義教育に教育崩壊の根がある。「個性尊重」 という原則も含めて、それらはみな、先の価値相対主義に連なるのである。
価値相対主義とは、個人の価値観を尊重するあまり、過ぎた 「寛容」 を美徳として、なんでも許そうとする。お決まりの文句は 「まあいいじゃないか」 だ。 (p.40)
昔から高徳といわれるような道徳(徳目)をその高みから引きずり降ろしたのが、価値相対主義をはびこらせた戦後民主主義教育だった。モラル荒廃を招いた真因がそこにある。 (p.58)
公私を弁えぬ擾乱学生に対して 「個性尊重」 も何もあったものではない。教師を 「てめえ」 呼ばわりする学生を許容するような学校や家庭は、既に大人(秩序維持)側の腐敗であろう。「価値相対」 を言う前に、「教育は平等であっては成立しない」 ことが理解できないのなら、その時点で既にどうしようもないのである。ところがこの種の 「人権」 を盾にとった批判は枚挙にいとまがない。横暴な教師の場合は論外だが、教師が積極的に生徒に関わろうとすると、すぐに人権侵害と訴えられてしまうので、いまや教師たちは生徒を腫れ物にさわるように扱わざるをえなくなってしまった。
「自由」 「平等」 「人権」 を旗印にした戦後民主主義教育に教育崩壊の根がある。「個性尊重」 という原則も含めて、それらはみな、先の価値相対主義に連なるのである。
価値相対主義とは、個人の価値観を尊重するあまり、過ぎた 「寛容」 を美徳として、なんでも許そうとする。お決まりの文句は 「まあいいじゃないか」 だ。 (p.40)
昔から高徳といわれるような道徳(徳目)をその高みから引きずり降ろしたのが、価値相対主義をはびこらせた戦後民主主義教育だった。モラル荒廃を招いた真因がそこにある。 (p.58)
【道徳の淵源】
道徳は個々人のセルフコントロールや世の中のエゴイズム抑制に力を発揮する。いったい世の中に通用するような道徳は、どうして生まれてきたのだろうか。
道徳の成り立ちを考えるとき、一番の要因として 「畏れ」 の心をあげなければならない。
畏れは、恐怖の恐れと近い感情だが、対象への向き合い方のニュアンスが異なる。恐れは恐ろしい対象から身を守り、逃げ出そうとさせるが、畏れは恐ろしさと同時に、その対象に親しみや尊崇の念を伴っている。ただし世の中に恐いものがなくなってくると、畏れの対象も見失われ、畏敬の心が乏しくなる。かくして道徳の喪失が始まるのだ。 (p.91-92)
「畏」 という漢字の中には、神(火水)が潜んでいる。神が厳しき姿で顕現するとき、畏怖・畏敬される対象となり、社会規範(道徳)を成り立たせるバックグラウンドになる。道徳の成り立ちを考えるとき、一番の要因として 「畏れ」 の心をあげなければならない。
畏れは、恐怖の恐れと近い感情だが、対象への向き合い方のニュアンスが異なる。恐れは恐ろしい対象から身を守り、逃げ出そうとさせるが、畏れは恐ろしさと同時に、その対象に親しみや尊崇の念を伴っている。ただし世の中に恐いものがなくなってくると、畏れの対象も見失われ、畏敬の心が乏しくなる。かくして道徳の喪失が始まるのだ。 (p.91-92)
【清明心から正直へ】
仏教を通して地獄の存在を教えられたことは、ウソや不正の歯止めとして絶大な効力があったが、もともと日本人は正直を尊重する精神性を強く持っていた。
それはすでに述べたように、神話が教える 「清き明き心」 に由来する。「正直の頭に神やどる」 とは、神道を通して日本人の心にしみこむ教えとなった。 (p.146)
多分に(神話に依拠する)心情的な 「清明心」 は、規範的な 「正直」(「廉直」と表現されることもある)として意識化され、中世を代表する徳目となっていったのである。(p.147)
《参照》 『清く美しい流れ』 田口佳史 PHP研究所それはすでに述べたように、神話が教える 「清き明き心」 に由来する。「正直の頭に神やどる」 とは、神道を通して日本人の心にしみこむ教えとなった。 (p.146)
多分に(神話に依拠する)心情的な 「清明心」 は、規範的な 「正直」(「廉直」と表現されることもある)として意識化され、中世を代表する徳目となっていったのである。(p.147)
【正直と、「誠」の道】
【 「誠」 の道 と 「死」 の道 】
士道論は生死観、ゆえに 「誠(生)」 の道。武士道は死生観、ゆえに 「死」 の道。
誠に至る 「至誠」 は 「死生」 である。
【 「死」 の道 と 「道徳」 】
正直とは、無私無欲を根本とする 「まこと」 の心にほかならない。『孟子』 の 「至誠にして動かざる者は未だ之れ非ざるなり」 を生き方として貫いた吉田松陰が、萩の野山獄に在った25歳のときに、妹(千代)へ送った手紙がある。
「神と申すものは正直なることを好み、また清浄なることを好み給う。其れ故、神を拝むにはまず心を正直にし、又己が体を清浄にし、外に何の心もなくただ謹み拝むべし。是を誠の神信心と申すなり。・・・・・是を徳と申すなり。」
松陰において 「誠」 と正直とは、ほとんど一つに連なる徳目と捉えられていたことがわかる。 「誠」 には儒教的な教養が色濃く感じられるのに対して、正直は庶民性を感じさせる。 (p.149)
「神と申すものは正直なることを好み、また清浄なることを好み給う。其れ故、神を拝むにはまず心を正直にし、又己が体を清浄にし、外に何の心もなくただ謹み拝むべし。是を誠の神信心と申すなり。・・・・・是を徳と申すなり。」
松陰において 「誠」 と正直とは、ほとんど一つに連なる徳目と捉えられていたことがわかる。 「誠」 には儒教的な教養が色濃く感じられるのに対して、正直は庶民性を感じさせる。 (p.149)
【 「誠」 の道 と 「死」 の道 】
吉田松陰が、士道論的な 「誠」 の道に生きるべきか、武士道的な 「死」 の道に生きるべきか煩悶したのは・・・・・ (p.165)
松陰は、本当に煩悶していたのだろうか。士道論は生死観、ゆえに 「誠(生)」 の道。武士道は死生観、ゆえに 「死」 の道。
誠に至る 「至誠」 は 「死生」 である。
【 「死」 の道 と 「道徳」 】
武士道を 「道徳」 とはっきり表現したのは、幕末の山岡鉄舟(鉄太郎、1863-88)だろう。・・・(中略)・・・。
わが国固有の神道が明確な教義や経典を持たないように、武士道にもこれという経典めいたものはない。しかも儒教や仏教(とくに禅)の教えが武士道には融合している。当時25歳の山岡鉄舟は、それを「一種の道徳」と喝破した。 (p.165-166)
《参照》 日本文化講座⑧ 【 武士道 】 日本文化講座⑨ 【 日本神道と剣 】わが国固有の神道が明確な教義や経典を持たないように、武士道にもこれという経典めいたものはない。しかも儒教や仏教(とくに禅)の教えが武士道には融合している。当時25歳の山岡鉄舟は、それを「一種の道徳」と喝破した。 (p.165-166)
【誠から素直へ】
この場合の 「主」 とは、 “己が生命を超えた価値の主催者” に準ずるものである。ここにおいてすらも価値相対的に 「主」 をご随意に配するのであるなら、もはや日本文化に対する無教養、極限に至った輩と言わざるを得ない。
日本の伝統的な道徳には清明心に由来する 「まこと」 が根本にあった。「まこと」 は私的利害を放擲した心のありようであり、「まごころ」 の順直に生きることで、それは己が生命を超えた価値を志向する生き方に連なる。
道徳力を磨き高める日々の実践においても、「まこと」 は目指すべき心のありよう(心境)としたい。もし 「まこと」 というこの言葉に手垢がついていると感じられるのならば、「すなお」 と置き換えても一向に構わない。 (p.240)
「素直」 とは、「主から糸が真っ直ぐ」 な状態をいう。道徳力を磨き高める日々の実践においても、「まこと」 は目指すべき心のありよう(心境)としたい。もし 「まこと」 というこの言葉に手垢がついていると感じられるのならば、「すなお」 と置き換えても一向に構わない。 (p.240)
この場合の 「主」 とは、 “己が生命を超えた価値の主催者” に準ずるものである。ここにおいてすらも価値相対的に 「主」 をご随意に配するのであるなら、もはや日本文化に対する無教養、極限に至った輩と言わざるを得ない。
<了>