洗濯機、その後の経過報告
うちの洗濯機、やっぱり「お医者さん」が来ると「いい子」になっちゃって、原因である「匂い」を発せずに、爽やかに動きました。
何でも私が訴えたこの事例は「初めて」の事例ならしいです。トホホ・・・。
結局、解決手段としては
風呂水ホースを換える。
ポンプを換える。
ダクト(水の通り道となっているゴム製のもの)を換える。
ということしか手立てはないらしいのです。なのでその「交換」をお願いしました。
しかし、その3つの部品は手元に無いため、お取り寄せ。あと2.3日はまたこの「匂い」との戦いのようです。
でもね、今日来てくださった修理の人、この洗濯機の前に使っていた洗濯機が「寿命で」調子悪くなったときに来てくださった方で(帰り際にお尋ねしました。前に来てくださった方ですよねって)、この方の対応がよかったから「次も東芝商品を買ったんですよぉー。また何か故障したらあなたが来てくれはるかもしれないって思って」って帰り際に言いました。そしたら照れくさそうに「いやぁー、そうですか。すみません」って言うたはりましたが、その笑顔が何とも素敵でした。
結局、何でも「人」ですよねぇー。
洗濯機の改善にはつながらなかったけど、なんかとってもうれしい気分になりました。
さーて働こうっと!!!
「門を叩け、そうすれば開けてもらえるであろう」
2日連続の
「そうしたら掌に自由が残った」(さだまさし著)からの言葉の紹介です。
心の扉は叩けば開かれ、
強く求めれば与えられると信じられる自分は、
余程運良く、
良い人たちに出会い続けてきたのだろうか。
いや、運ばかりではないだろう。
大切なのは、どれだけ一所懸命扉を叩いたか、
どれほど根気良く求めたか、だろう。
諦めないぞ。
な~んか元気が出ました。
ミッションスクールに籍を置いた私としては、ふと、聖書の言葉が頭を掠めました。
「求めよ、さらば与えられん。叩け、そうすればあけてもらえるであろう」
一生懸命叩いて叩いて開けてもらった心は、大事に大事にしないとねぇー。せっかく開けて、入れてもらったんだもん!! じっくりじっくり接すればいいやん!! たとえ一度閉められたとしても、諦めないで、一生懸命、叩いて叩いて叩いたら、きっと開けてくれるよねぇ。そう、そこに誠意があったら。
届かない願いでも「求めたら何かが返ってくる」かもしれないなぁー。心を込めて、精神を込めて、求めてみること、それがきっと大事なんやろなぁー。
私のよさ、それは「なんにでも一生懸命」。
よ~し、これからもこれで行く!!
よろしくね、みんなぁー。(^_^.)
最後の手段!!
先日のブログで書いたうちの洗濯機のその後です。
その内容は次の通り。
せ、せ、洗濯機が最近おかしい!!!
あのぉ、これ、まだ買って一年と2ヶ月くらいなんよぉー。
って怒るような大事件ではないのですが。。。。
実は
洗濯を始めると「臭う」のです。そう、なんとも言えない匂いが・・・。強いてたとえるなら
「硫黄系の温泉地のにおい」です。(>_<)
うちの洗濯機は風呂水ポンプが付いています。
というかこれがついていることが私の選択基準でもあったのです。つまり毎朝、お風呂の残り湯を再利用して洗濯をしているんですね。
その風呂水ポンプを使う最初がとにかく臭う。(>_<)
洗濯槽かなぁーと思い、槽洗浄。→直らず。
ではポンプの中のフィルターが汚れてるの?と掃除→直らず。
もう、私には分らない!!と思い、今日、メーカーに電話をして聞く。
するとポンプのホースの中が汚れているのかも?とのこと。で、洗浄の仕方を聞き、実践。
頑張ってしたんだから、どうか、明日、臭いませんように!!
けどね、結婚して去年の3月まで使っていた洗濯機もやっぱり風呂水ポンプがついていて、毎日、それを使っていたのに、こんなことはなかったのよぉー。・・・。(>_<) 悲しいぃー。
あの日、一生懸命風呂水ポンプを掃除して、次の日、期待半分・疑い半分で洗濯機を回しました。
いやー、におわへんえぇー!!! (^_^.)
と嬉しくなりました。これでもう大丈夫!!! やっぱりホースが汚れていたんやわぁーと納得もしました。でも、どこかで「いやまだわからへんぞ」と思っている私がいました。
そしてその翌日。
洗濯機を回したら、ほのかに香る「例の匂い」。
う、う、う、やっぱりきたかぁー!! とがっくり。
その次の日からはまた復活。
で、今度は「中性洗剤をやめて漂白剤をいれ、除菌するか」と思いたち、再度、チャレンジ。懲りない私。
次の日、今度は半分以上、疑ってかかる。
洗濯スタート!!
う、う、う、やっぱりきたぁー!!!
丸3日ほどそれで我慢をしましたが、
結局、電気屋さんに来てもらうことになりました。(/_;)
いったいなんなんでしょうね・・・。でも全ては明日分る!! あ~あ、ちょっと値引率が高いからって現品処分のものを買ったのが悪かったんだろうか?? でも洗濯機を電気屋さんで使わへんしなぁー・・・。
と、悩んでいてもしゃーないので、明日、楽しみにしています。ちょっと怖いけど・・・。
方言
再び、
「そうしたら掌に自由が残った」(さだまさし著)から心に残った言葉を紹介しましょう。
日本の言葉は美しい。
方言は特に。
答えはリズム。
そこで暮らす生活のテンポが言葉に響く。
京都は京都らしく、津軽は津軽らしく。
いやね、私は方言が大好きです。ことに自分の生まれた町の京都の言葉が・・・。
という私は綺麗な京都弁は話せへんけどぉ・・・。
方言には「暖かさ」があると思うんやんかぁー。
そこに「人」が感じられるんやんかぁー。
京都に帰って何がホッとするって「耳にする言葉が全部私の聞きなれたテンポの言葉」になったとき。安らぐえぇ。
私のテンポは多分「スロー」だと思う。
働いていたころに「ちゃっちゃとしゃべらんかい」と冗談ぽく言われた事がある。この上司は多分兵庫か大阪出身の人やと思う。確かにその人から比べると、そして、大阪や東京の人の話すテンポから考えると私の話すテンポは「スロー」。おっとりしてるんやわぁー。
方言つながりで私の考えをもう一つ披露したいねん。
私の中に「関東弁に変えよう」という意思はちっとも無いねん。ましてや「直そう」などとは死んでも思わへん。
別に自分の言葉に自信があったりするわけでもないけれど、私が私のルーツを示せるもの・私が京都出身であることをしめせるもの、それはこの「京都弁もどきの関西弁」しかないねんかぁ。そやし、大事にしたいねん。
よく「こちらにきてどれくらいですか?」と聞かれる。「9年目です」と答えると「言葉が全然なおらないねぇー」って言われる。直るわけがない。だって私の中に「関東弁」は無いんやから、直す基準がないんやから・・・。
仮に私が話すとしたらそれは「関西弁の訛りの関東弁もどき」そんなんききたないやろぉ? きっときしょく悪いえぇー。そう、私が「変な関東弁訛りの関西弁」を聞いて「いぃぃぃー」ってするんと同じやぁー。それやったら私が私らしくいられるこの「京都弁訛りの関西弁」を話す。そう決めて私はここ関東に来た。そやし、かえへんねん。何年経っても私はこの言葉をしゃべり続けるねん。
私の話す京都弁もどきの関西弁は決して美しいもんとちゃうけど、私が私らしくあるためのものやぁ。そやし、大事に大事にしていきたいねん。
方言、大賛成!!!
みんな自分の出身地の言葉を話そ。きっと暖かい気持ちになるえ。
そんなわけで私は時より「方言」でこのブログを書いてんねん。
ちょっとさださんからはずれたけど、まぁ、それもええやんなぁー、まっさん。
「最後にみたいもの。それはあなたの笑顔」
遅ればせながら、今日、ゴールデンウィークに放送があった映画「解夏」を見た。
あらすじはAmazo.co.jpから引用させてもらう。
東京で小学校の教師をしていた隆之(大沢たかお)は次第に視力を失うベーチェット病に冒されていることを知り、職を辞して故郷の長崎に帰ってきた。やがて恋人の陽子(石田ゆり子)が後を追って長崎に現れ、隆之の家に留まることに。病状が徐々に悪くなっていく中、彼は聖福寺で出会った林老人(松村達雄)から仏教の“解夏”の話を聞かされる……。
さだまさしが記した同名小説を原作に、『がんばっていきまっしょい』などの俊英・磯村一路監督が手がけた透明感あふれるラブ・ストーリーの秀作。いわゆる難病ものにありがちなドラマティックな描写を避け、淡々とした日常の中から、やがて視界を失う運命にある男と、それを見守る女の、焦燥と無常観の果てに導き出される慈愛を描出していくあたりが秀逸。キリスト教的風土と仏教の教えも違和感なく同居し、またそこに説教臭さは微塵もなく、ごく自然に心に染み入る構成になっているのもすがすがしい。(的田也寸志)
原作を読んでいた私としては、何だか先が見えていて、ちょっと面白みにかけた。それは仕方ないことだ。
けど、これを見て思い出したことがある。
「僕の目になって欲しい」
そう隆之が陽子に言ったとき、自分自身の言葉を思い出した。
夫とお付き合いをしているころ
「私があなたにしてあげられることは何かと思う。何もできひんのとちゃうやろかとも思う。でも、これだけはいえる。あなたがしんどいとき励ましたげる。あなたが悲しいとき一緒にないたげる。あなたがうれしいとき一緒によろこんだげる。そんなことしかできひんけど、それなら私があなたにしてあげられることだと思う」と・・・。
夫はその数日後、(これは偶然だが)長崎に出張へ行った。そこから「速達」が届いた(この速達は私の今でも宝物だ)。そこにはこう書いてあった。
「僕は酔っ払いだから盲導犬にはなれない(つまりあなたの目の代わりになれない)。でも、ちゃみちゃんが言うように、僕も何かをしてあげたい。目ではなく、もっと違う何かをあげたい」と・・・。
きっと原作者さださんの気持ちの中に「僕の目になってください」の言葉の裏に「でも僕は陽子に何かをあげたいんだよ」って言っているような、そんな気持ちが伝わってきた。
心のつながり・人を思いやる心、そんなものを改めて感じさせてくれたようなそんな気がします。
「失明するまでが人生の行だねぇー。失明してしまえばその恐怖から解放される。つまりそれがあなたの解夏です。悲しく、切なく、つらい人生の行・・・」
そう言った僧侶・林さんの言葉も心に残る。
またラストシーン。
隆之が最後に見たかったもの。つまり愛する人の笑顔を最後にみたかった。それはきっとみんな一緒だろうなと思う。
そして「もう泣くな、陽子」
この言葉には「僕の行は終ったよ。解夏だよ。もう恐怖はなくなったんだよ。そして君は笑顔が似合うんだから、笑っておくれ。僕は君の笑顔が好き」という気持ちが込められているんだろう。
私もやっぱり最後は自分の好きな人の笑顔を目の奥に焼き付けておきたいと思う。
また私の中に貴重な言葉の宝物の箱が一つ増えたような気がする。
ちゃみちゃん版弱視川柳~その7~
久々の「ちゃみちゃん版弱視川柳」です。これはもう7つ目ですねぇー。
一応これが最終回ということにしておきます。
はい、手持ちの「川柳」がなくなったんですぅー。(^_^.) また溜まったら、復活させるかもしれませんが、最初からこの川柳に付き合って下った方・コメントをくれた方、有難うございました。m(__)m
そういうわけでこの後、無期限のお別れです。
あ、川柳だけだよぉー。このブログは続くよぉー。だからまた遊びに来てね・・・。(^_^.)
31 看病と いっても何も できないの
私が看病するといっても、点滴が終ったのも看護婦さんに知らせてあげられない。だってその点滴液が終ったかどうか私の目で確認ができないから・・・。何がつらいってそれが一番つらい。ただただ、そばにいて「笑い」と「元気」を与えることしか出来なかった私。ごめんね、お父ちゃん。
また母の動脈瘤の手術の時もやっぱりそばにいただけ・・・。どこを触っていいかも分らず、先生や看護婦さんのしたはるのを見ていても、どこをどうしたはるのかがみえず、手術が終って監察室にいるときに何にもしてあげられなかった。呼吸器を外してつまりかけた「たん」を吐かせてやることはしてもいいよと看護婦さんやお医者さんに言われたけど・・・。やっぱり私はそばにいただけ・・・。うーん、無能な私。
でも、退院した母が夫に「そばにいてくれただけでも気持ちが楽でした。来させてくれて有難う」と言ったのを聞いて少しだけ、本当に少しだけ気が楽になりました。そんな看病しか出来ない私です。
32 荷物持ち、杖となって、目になって
私たち夫婦の姿です。小柄な私が重い荷物を持つのは旦那の足元がおぼつかないから。私が手引きしてほしくても何故か気がつくと、私の肩を杖代わりに持つ夫。でも、時より、私の目になってくれてます。
車の運転をしていても、助手席にちょこんと座っているだけの私。地図は見にくいし、標識は見えない。
買い物に行ってもとりあえずお目当てのものを探してくれるのは夫。
こうやってgive & takeの夫婦があってもいいでしょう。
そしてこれが私たち夫婦の姿なんです。
33 ショーウインドー 表示は手前に 大きくね
ケーキなどを買うとき困るのが名前を認識すること。ショーウインドーのすぐ近くにはっきりと大きく書いてくれていればいいけど、ケーキなどをのせてあるトレーの向こう側、つまり、店員さん側にあると、もうお手上げです。読めません。せっかくベストポジションに書いてあっても字が小さかったり、変な字だったりするとこれも困りもの。
どうぞウインドー越しの商品の様々な表示、もう少し見やすい様に工夫をしてやってください。
34 私には 最初からです ブラインドタッチ
就職前に障害者職業センターでワープロを教えてもらったときの笑い話。
「ブラインドタッチが出来ると楽ですから、このソフトを使って練習してくださいね」と先生が言われた。
そこで私、一言。
「あのぉー、私、このソフトを使って練習するのはいいけれど、とにかく、最初からブラインドタッチですよ」
「どうして?」
「だって私、自分の首の位置からキーボードの文字は読めませんから」って笑った覚えがあります。
そんなわけで私は今、立派なブラインドタッチです。これだけは誇れます。って大したことではないけどね。
まぁ、いいやん。
35 均等に 分けるの 切るの 大嫌い
何等分かに切ったりしようとすると必ず大きく誤差がでる。もちろん、均等にわけることも(ジュースを分けたりするってことね)。
一番笑うのパン。まっすぐ均等な幅に切っているつもりでも切り終わると「あれぇー、最初と最後の太さが大違い」。(爆笑)
でもそれが私の特徴。
まぁいいやん。
結婚式の意味
今日、夫は会社の人の結婚式に招かれて横浜まで出かけて生きました。
その方たち、もうすでに一緒に暮らしていて、籍も入っているとか・・・。
考えの「古い」おばさんとしてはちょっと「理解」できないところがあります。
もう一緒に生活をしていて、式だけ後で挙げて、そして、明日またいつもどおりに会社に行く。今までと何ら変わらない生活の中に「イベント」としての結婚式がある。それってなんかちょっと違うような気がします。
ふと私自身の「アホな経験」を思い出しました。
私は夫と知り合う前に、結婚したいと本気で思った人と出会いました。まる一年(というところが私らしい)お付き合いをし、別れました。その理由が
「結婚式を挙げる・挙げない」
ということでした。
今から思えば「若かった」としか言いようがないのですが、あのころの私は、私なりのポリシーを持って式を挙げたくて、花嫁衣裳を着たかったんです。
父を亡くし、それでも必死で商売を続けていた母。そして人から後ろ指を指されることの大嫌いな父。その二人の両親を(変な意味で)裏切ることが私にはできなかったのです。
もし、父が生きていれば彼に「結婚式は挙げたくない」(理由は最後まで定かではないんですが・・・)と言われても、あっさり(でもないかなぁ?)と納得したかもしれません。
でもその時すでに父は亡くなっていました。
私がどうしても結婚式をしたかった理由がここにありました。きっと目が不自由な私の結婚を凄く凄く心配して旅立った父に、最後の最後にしてやれる親孝行は「ウェディングドレス(あるいは白無垢)を着る事」だと確信していました。そして、もしも私が何もせずに引越しをするかのごとく彼のところに行き、生活をしたら、周りから「ちゃみちゃんちはお父さんがいなくなったからおちぶれたのねぇー」なんてうわさされるかもしれない。それだけは父のため、母のためにしたくなかったのです。
これが私の結婚式をどうしても挙げたいという理由であり、ポリシーでした。
結局、若さゆえにじっくりと話し合って説得することもせず、年齢的にもちょうど焦り出す年(26歳)だったがために、「結婚できないなら別れましょう」ということで別れました。
そんな私から言わせるとなんかちょっと違うなって思うんです。
今は同棲をしてから結婚をするカップルも多いと聞きます。これも私はあまり賛成できません。確かに一緒に生活をしたら、一生この人と合うかどうかが分るかもしれません。でも、やっぱり抵抗がある。なんか違うと思います。
私にとっての「結婚式」はやっぱりけじめのような気がしてならないのです。昔のように「実家とはもう無縁」なんてことは思いません(だって私は紛れもなく産んでくれた父と母の娘で、京都がふるさとで、出身校はどこで・・・と歴史は変えられないもの)が、「二人で新しい家庭を作る」というスタートライン・今までは保護されてきた面が一杯あってもこれからは自分たちの力で歩き出すときという気持ちを持つときだと思ってます。そういう意味でけじめのときだと思ってます。
いやね、式をしなさいとかって言ってるんじゃないけど、同じ式をするなら、私は「一緒に住む前に」挙げたほうがいいとそう思ってるんですよ。
もちろん様々な理由で式を挙げられず、何十年か経って式を挙げるカップル。私はこのカップルたちも偉いと思うカップルです。私がいうのは、式を挙げられるのに、そして、どうせ挙げるんだったら、一緒に生活する前に挙げたほうがいいように思うってことです。
何かルーズになっているようなそんな気がします。
もちろん今日、結婚式を挙げられた方の幸せは心から祈ってます。
もうすぐ6月。ジューンブライドということで結婚される方も増えるでしょうね。そして11月15日にはこの国のプリンセスが結婚されます。
皆さんの幸せを祈りつつ。
(@_@)
発見!!
先日買った「百合」がそろそろ「ボロボロ落ちかけてきた」ので、代わりのお花が欲しいなぁーと思い、買い物の途中にお花屋さんを覗きました。
何を買おうかなぁーと思い、店内を物色!!私の大好きな紫陽花もそろそろ季節ということで、元気に微笑んでます。でもね、鉢植えなため(かなぁー?)結構値段が高くて、ちょっと手が出ません。
いえね、私がちゃんと育ててあげられるならいいんですよぉー。来年、再来年と花をつけさせてあげられるなら・・・。でも私は「枯らすのが得意(威張るなぁー!!)」な人ゆえにそれはちょっともったいないという値段でした。
で、やっぱり切花で再び百合にしようかなぁーと思っていたら、夫がお店の外で「においばんまつり」って言うんです。
私、一言「それ欲しい!!」。
しっかり近づき、
「うんうん。これがうみいろさんが紹介し、ramちゃんが花の名前を教えてくれたそのバンマツリだぁー!! うーん、良い香ぃー!!」
そして夫に値段を聞く。
「1050円」
「うーん、枯らしてしまうともったいないかなぁー? でも金券が500円あるし、今日は割り引いてくれる日だから、うまくすれば840になり、実際払うのは340円。じゃぁー切花と変わらない!!」
と自分に理由をつけ、買っちゃいました!! (^_^.)
今、お部屋の中にはほのかな良い香がしています。(^_^)v
手入れは太陽さんによく当ててあげ、水も土が乾いてきたらたっぷりあげるとのこと。
うーん、これなら大丈夫かなぁーって思ってます。
お花のある生活っていいですねぇー・・・。
どうぞみなさん、私が即座に枯らしてしまわないことを祈ってやってください。
そして、この花を教えてくれたうみいろさんとramちゃんに感謝します。有難う。m(__)m(^_^.)
次はボロニア?? オイオイ大丈夫かぁー?? 笑
久々の・・・
1月以来、ひさしぶりに「金曜クラスのお茶」のメンバーが先生を除いて顔を揃えました。
そうです。
「抹茶を飲もう会」を今日しました。
なぜ1月からかというと・・・。
金曜クラスは私を含め3人のメンバーでやっていたのですが、一人の方(Kさん)が忙しくて、2月・3月とお休みをされ、そうこうしているうちにみんなお茶を辞めたので、3人がそろうのはそれ以来、正確には「因縁の初釜」以来となったわけです。
うちに1時に集まり、結局、お別れしたのは7時前。まぁ、なんと楽しい時間だったかと思います。
短冊箱(道具が全部入っている箱)があるので、うちに来て頂きました。私は会場提供とお茶の役、Kさんが和菓子を作れるので手作りのお菓子を提供。もう一人のIさんは「私は何をすればいいかしら?」と不安げでしたが「元気に来て下さい」という私の依頼に答えて下さって、いつもの元気はつらつのIさんで来て下さいました。
今日は作法も何も全部無視でとにかくお茶を、抹茶を飲もうということになり、私がお二人のお茶を点て(作法抜き)、私の分をIさんに点ててもらいました。
お菓子は「翡翠餅」の名づけられたお菓子で、枝豆の餡(いわゆるズンダ)に白玉粉で作ったお餅(緑に色づけ)で包んだものでした。美味しかったぁー!!
結局、今日は久々にメンバーがそろったということで、一杯一杯お話をして終りました。
来月に第二回目をしようということも決まり、来月は和菓子をKさんが教えてあげるということになり、「抹茶を飲もう会&和菓子教室」となりました。
楽しみぃー。
またそのうちみんなで着物を着ようなんて話にもなり、あーでもないこうでもないと言いながら、お太鼓とは違った結び方も研究できるといいねぇーなんて話をしてました。
やっぱりいいですね。こういう「目指すところが同じ」仲間というのは・・・。
確かにお茶の教室で最終的に凄く嫌な思いをしましたが、あの教室に行かなければ、絶対に知り合わなかったKさんとIさんと知り合えただけでも先生には感謝をしないとねぇーという結論に達しました(それまではそれぞれ心の中に溜まった憂さをサンザンはらして、暴言を吐いてましたが・・・)。
皆さんが帰らはってからは、晩御飯の準備でオオワラワでしたが、私にとっては凄く楽しい中身の濃い一日となりました。
あぁー、楽しかったぁー。(^_^.)
たのみまっせぇー
今朝、いつものようにメールチェックをしていると、アメブロからのメールマガジン発見!!
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あのぉー、前のメンテナンスの時のように、また使い勝手を悪くしないでねぇー。m(__)m
せっかく「西田敏行さん似のSさん」に全面的にバックアップしてもらい、わたしなりに見やすいブログ(まだまだ全員って訳にはいかず、一部の方には見にくいブログになってますが)になってきたのに、また、変になるのはごめんですよぉー。
「後退」だけはしないでねぇー。
確かに記事のアップ、コメントの反映の遅さには「「イライラ」しますが(ふと気付けば2つもアップしてたなんてこともあります。Nonさんいつもごめんね)、それよりも私は今の状態が変わり、またまた使いづらくなることのほうが怖い。(>_<)
しっかり、してやぁー。
宜しゅうたのんますぅー。m(__)m