方言
再び、
「そうしたら掌に自由が残った」(さだまさし著)から心に残った言葉を紹介しましょう。
日本の言葉は美しい。
方言は特に。
答えはリズム。
そこで暮らす生活のテンポが言葉に響く。
京都は京都らしく、津軽は津軽らしく。
いやね、私は方言が大好きです。ことに自分の生まれた町の京都の言葉が・・・。
という私は綺麗な京都弁は話せへんけどぉ・・・。
方言には「暖かさ」があると思うんやんかぁー。
そこに「人」が感じられるんやんかぁー。
京都に帰って何がホッとするって「耳にする言葉が全部私の聞きなれたテンポの言葉」になったとき。安らぐえぇ。
私のテンポは多分「スロー」だと思う。
働いていたころに「ちゃっちゃとしゃべらんかい」と冗談ぽく言われた事がある。この上司は多分兵庫か大阪出身の人やと思う。確かにその人から比べると、そして、大阪や東京の人の話すテンポから考えると私の話すテンポは「スロー」。おっとりしてるんやわぁー。
方言つながりで私の考えをもう一つ披露したいねん。
私の中に「関東弁に変えよう」という意思はちっとも無いねん。ましてや「直そう」などとは死んでも思わへん。
別に自分の言葉に自信があったりするわけでもないけれど、私が私のルーツを示せるもの・私が京都出身であることをしめせるもの、それはこの「京都弁もどきの関西弁」しかないねんかぁ。そやし、大事にしたいねん。
よく「こちらにきてどれくらいですか?」と聞かれる。「9年目です」と答えると「言葉が全然なおらないねぇー」って言われる。直るわけがない。だって私の中に「関東弁」は無いんやから、直す基準がないんやから・・・。
仮に私が話すとしたらそれは「関西弁の訛りの関東弁もどき」そんなんききたないやろぉ? きっときしょく悪いえぇー。そう、私が「変な関東弁訛りの関西弁」を聞いて「いぃぃぃー」ってするんと同じやぁー。それやったら私が私らしくいられるこの「京都弁訛りの関西弁」を話す。そう決めて私はここ関東に来た。そやし、かえへんねん。何年経っても私はこの言葉をしゃべり続けるねん。
私の話す京都弁もどきの関西弁は決して美しいもんとちゃうけど、私が私らしくあるためのものやぁ。そやし、大事に大事にしていきたいねん。
方言、大賛成!!!
みんな自分の出身地の言葉を話そ。きっと暖かい気持ちになるえ。
そんなわけで私は時より「方言」でこのブログを書いてんねん。
ちょっとさださんからはずれたけど、まぁ、それもええやんなぁー、まっさん。